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 十世紀から十一世紀初頭にかけて、かつてリナリア公国と呼ばれる国があった。

 西暦2037年現代における欧州南部とアフリカ大陸のすぐ傍、北大西洋に位置するリナリア島という単一の孤島に存在した国家である。


 国土面積1,500平方キロメートルに対し、人口わずか1万人という小国であったが、海と新緑に囲まれ、大自然の寵愛を一身に受けたかのように見事な景観をもつ国でもあった。

 夜になれば満点の星が天上に輝き、漆黒のキャンバスに光を散りばめた幻想的な光景が人々の頭上を覆う。

 海風は優しく頬を撫で、大気を満たす草花の香りが人々の心を癒す。

 島で暮らす誰もがそれらの大自然を愛し、豊かな恵みの中で慎ましい生活を営んでいた。"それ以外に、必要なものなど何もない"というように。

 リナリア公国の民にとって、自然と共存する変わらない日常こそが唯一の理想、脅かされることのない平和な毎日が唯一の希望であったのだ。


 リナリア公国は貴族共和制を敷く国家で、七貴族と呼ばれる家系によって統治されていた。

 サンタクルス、ガルシア、オルティス、エリアス、コンセプシオン、デ・ロス・アンヘルス、そしてインファンタ……

 これら公国を統治する七つの家系はそれぞれが現代国家の政府機関と同じような役割を担っていた。

 例えば公国の代表たる王家を継ぐガルシア家、財政を担うサンタクルス家、外交を担うオルティス家といった具合だ。

 その家系の役割において、特に特殊な役目を担っていたのがインファンタ家である。


 インファンタ家が担った役割は治安維持。法治国家における例えで言うと、警察と司法組織が一体となったようなものだ。

 アンジェリカはインファンタ家の一人娘であり、将来は正義と法と秩序を司るインファンタの当主となるべき人物であった。




 西暦1023年。アンジェリカはリナリア公国にて生を受けた。

 大自然に囲まれた豊かな公国で、貴族の一員として生まれた彼女は何一つ不自由のない暮らしを保証されていると、当時は誰もが思っていたことだろう。

 しかし現実は違う。アンジェリカ以外に子供のいなかったインファンタ家において、彼女を将来の当主とするべく徹底した“教育”を施すことは必然であった。

 それはつまり〈罪人を裁く方法〉だけを徹底的に叩き込まれるということと同義であり、他の子供たちのような自由が与えられることは一切なかったということでもある。


 インファンタ家は公国のブラックボックスと言うほどに機密の多い家系である。警察と司法を司る彼らが所有する広大な敷地の中には、罪を犯した人々を収容する施設や、それらの人々を裁くための施設の存在があった。

 当たり障りの良い言葉は省くとして、その施設とは端的に言えば拘置所、刑務所と処刑場のことを指す。


 収容される人物も理由も様々で、公国の町中で窃盗や殺人などの悪事を働いた者はもちろん、不当に入国を果たそうとした者、いわゆる密入国者なども対象に含まれた。

 インファンタの人間は代々そうした人々を裁くという役目を担い、公国における暗闇の部分を常に背負ってきた家系であり、アンジェリカの両親も使命の為に生きてきた人物であったのだ。


 理想的な法の番人であった両親から、徹底的に法による裁きの根幹から実践までを叩き込まれてきたアンジェリカは、物心ついたときには既に罪人の聴取の役割を担う様になっていた。

 聴取といっても、現代世界でいうような平和的で生易しい言葉のやり取りだけを指すわけではない。


 自白の強要と言うべき手段を以って罪人に自らの罪を告白させる。

 行われていたことは要するに拷問だ。


 罪人を物理的に殴ったり、爪を剥がしていくなどというものは初歩の初歩である。

 出来る限り長く苦痛が続くように皮膚を剥がしたり、毒草から抽出した毒を死なない程度に摂取させて苦しませたりもした。

 本人の身体を痛めつけることで自白が引き出せないのであれば、その人物が最も大切に思っている人物を傷付けることで精神に訴えかけ自白を強要した。

 インファンタ家の人間は、人類が考え付くだろうありとあらゆる悪辣な手段を用い、それらの行為を〈使命〉として執行していたのである。


 アンジェリカの両親は、彼女がうまく罪を裁くことが出来た時には激しく褒め称えた。


 今日は何人の自白を引き出すことが出来た。

 今日は何人の罪人を亡き者にすることが出来た。


 罪と罰の在り方に絶対的な価値基準を定めること。それだけがインファンタ家にとっての〈絶対の法〉である。

 彼女の両親は、アンジェリカを“立派な当主”に育て上げる為に狂気というべき教育を彼女へと施していったのだ。


 罪を罰すれば両親が喜ぶ。両親が褒めてくれる。その時だけ“愛”をくれる。


 これを繰り返すことによって、やがてアンジェリカにとっての〈愛〉とは〈罪人を裁くこと〉という概念で固定され、〈愛を与える〉ということはつまり、〈死を与える〉ことと同義という結論に至り、彼女自身の心は……



 ついに、壊れてしまった。


                   *


 燃え盛る炎。綺麗な炎。圧壊する星の城。消えゆく命。

 あぁ、なんて美しいのだろう。



 慟哭が瞼の裏に蘇る。しかし、それは私達のものではない。

 すぐ傍で涙する両親のものであった。


 西暦1035年のあの日、祖国であるリナリア公国は敵国の激しい襲撃を受けてあっけなく散った。

 当時、世界で広がりを見せていた領土拡大戦争レクイエムの戦禍。現在の欧州地域を中心とした争いは日を追うごとに戦場を拡大していき、ついには海上の孤島であるリナリア公国をも呑み込んだ。

 リナリア公国は完全中立国という立場を堅持してきたが故に、これまで戦争の惨禍から逃れることが出来ていた国である。しかし、〈誰の味方もしない〉ということが翻って〈全てを敵に回す〉ことと同義でもあることに気付いた人間が当時の公国には誰もいなかった。

 そうした全てを“他人事”とし、関りを持たない姿勢を示し続けたことが当時の他国から激しい反感を買い、戦火は容赦なく祖国を焼き尽くすこととなったのだ。



 ただ、公国側も迫りくる戦火に対して何の準備をしていなかったわけでもない。

 忍び寄る戦争の兆候を事前に察知していた公国の貴族たちは、不測の事態に備えて互いにある協定を結んでいた。

 他国が攻め込んできた時は王家であるガルシア家の人間を生贄として、他国民と他貴族たちを国外へ脱出させるという協定である。

“攻め込む国にとっては、敵国を支配する王家の首が取れれば戦争に勝利したことになる”という概念を元に、いずれ滅びの時が来るのなら、その運命を甘んじて享受するのは王家の人間だけで十分であるという考えだったのだろう。

 さらに、公国の全ての民が滅びてしまえばリナリア公国という国家の礎は永久に失われることになるが、ほんの僅かでも生きながらえる者があれば……公国で生まれ育った者達の血が繋がれば、いつか国を再興出来ると当時の人々は考えたのだ。


 そうして現実に滅びの道を辿った公国は、事前の打ち合わせ通り協定を執行することとなった。

 インファンタ家も貴族間協定に基づき、国が戦火に巻き込まれる前に国外へと脱出していた人間達の一部である。


 敵襲を受け、戦争の炎に包まれる祖国を見た私達の両親は涙を流していた。共に肩を抱き合いながら悲嘆に暮れていた。



 なぜ泣いているの?



 アンジェリカには理解出来なかっただろう。

 星の城と呼ばれた王家の居城は圧壊し、周囲は火の手で真っ赤に染まっていく。

 炎の揺らめきは美しい。夜空に輝く星々の煌めきと大火が照らし出す祖国の最期の姿。こんなにも美しい景色を私達は見たことがなかった。



 なぜ泣いているの?



 彼女は元より、私にすら両親の涙の意味を理解することは出来なかった。

 戦争によって自分達が国を追われる身となったことには意味がある。突き詰めてしまえば難しい話ではない。

 ただ“弱かった”というだけなのだ。


 力なき弱さは罪である。

 国家が弱いという罪によって、自分達は力あるものに裁かれたに過ぎない。

 罪を犯せば裁かれる。罪を背負うものには罰が与えられる。

 当たり前のことではなかったのか?


 これが私の導き出した結論であった。

 ……やはり理解できない。罪を背負うものを罰するという〈絶対の法〉を私達に教え込んだのは、他の誰でもない。

 今、私達の目の前で涙を流す両親ではなかったのか。


 積み上げたものを失い、先のことが見えなくなったことに対して周囲の人々が絶望を見せる中、ただ独り、揺らめく紅蓮の炎を見つめて感動を覚える。

 そうして胸の内に湧き上がってきた感情は最後まで変わることが無かった。

 アンジェリカが思い浮かべた気持ちや感情と、私が抱いた感情は同一のものである。



 なんて……なんて美しい景色なのだろう、と。


                   *


 リナリア公国崩壊後、他国へと亡命した自分達を待ち受けていた生活はそれほど過酷なものではなかった。

 住まう家があり、不自由なく食事をとることも出来る。ただ、家は随分と小さくなった。それだけの話である。

 他貴族について伝え聞いた話では、オルティス家が悲惨な最期を迎えたらしいが自分にはもはや関係の無い話だ。

 既に滅びた国のことなどどうでも良いと思っていた中で唯一、次期国王妃と呼ばれた少女のことだけは気に掛かったが、彼女はきっとあの美しい炎の中で死んでしまったに違いなかった。

 公国の未来、国民の希望などと持て囃された割には呆気ない最期である。


 変わらない日々。変わらない日常。変わらない生活。

 家が小さくなったということを除いてただひとつ、大きな変化があったとすれば“背負う使命”についてだろう。


 罪人を裁くということがなくなった。


 私達にとってこの変化は大きかった。12年の人生において、罪と罰を体現することだけが自分達に与えられた“生きる意味”、又は“存在意義”であったのだから。

 レゾンデートルの証明が失われた。何もせず、抜け殻のように淡々と生きる日々。罪人を裁かないのだから当然、両親が自分達を褒めてくれることも無い。

 不自由のない生活ではあるが、退屈で満たされない日々の連続。

 そうした日々の中、毎日悲痛な面持ちで過ごす2人を見る度にいつしか、私達の心の内には言葉にし難い感情が湧き上がってくるようにまでなっていた。




 私はそれでも良かった。だが、多感な彼女は耐えることが出来なかった。

 月日が流れたある日、アンジェリカの心の内に積み上げられたわだかまりはついに、最悪な形となって両親に牙を剥いたのである。



 アンジェリカは嗤っていた。

 彼女が笑うたびに悲鳴と絶叫がこだまする。

 私は彼女の中で彼女の行為を傍観した。


 これは彼女自身が失ったものを、自ら取り戻す為の行動である。

 彼女が成し遂げなければならない、彼女の意思による行いだ。

 故に決して、自分が表に出て邪魔をすることは許されない。

 


 何が間違っていたのだろうか。

 何を間違えたのだろうか。

 いいや、間違っているのは目の前にある日常、現実、世界、それら全てだ。

 彼女は正しい。私は正しい。


“私達”は、正しい。


 罪を裁き、罰を与え、人々に安寧をもたらす。

 インファンタ家が帯びた使命。自分達が果たすべき務め。

 その為に彼女は、自分は育てられた。その為に様々なことを学んだ。

 役割を放棄し、生きる意味を失い、自堕落に生きる目の前の2人の罪人を罰しなければならない。


 これは必定だ。

 そうすれば彼らはきっと、もう一度彼女を褒めてくれるのだろう。

 失ったものを取り戻すことが出来るだろう。

 あぁ、それなのに、それなのに、それなのに。


 ここに至って、誰一人として彼女を、あの子を、私を認めてくれる者は存在しなくなった。

 彼らはアンジェリカに罵声を浴びせるばかりであった。

 あろうことか彼らは、私達から逃げようとした。


 それでも……


 両親の返り血を全身に浴び、歪ませた頬で笑顔を作る彼女は久しぶりの快楽に心を震わせていたようだった。

 そうだ、これこそが自分達の生きる目的。これこそが私達の生きる証。

 これ“だけ”が私達の存在意義。


 楽しい、楽しい、楽しいね?

 享楽の時だ。快楽の瞬間だ。傍観しているだけだというのに、高揚する気持ちを抑えることが出来ない!


 あぁ、それなのに、それなのに、それなのに!


 どうして、彼女は……

 自ら手にかけ、動かなくなった両親を目の前にして、どうしてあの子は、私は、私達は……



 泣いていたのだろうか?


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