第2節 -AA as A-

* 0-2-1 *

『野蛮な大国は、我々を自分達の経済的利益の為の奴隷として扱った。金を得るために、強大な権力を振りかざし、意のままに従わせてきたのだ。

 人口わずか20万人の小国である我々は、彼らの圧力に屈するほかなかった。どれほどの優れた技術を生み出そうと、どれだけの優れた治世を実現させようと、常に経済大国に搾取され、従属させられる存在でしかない。

 だが、そのような屈辱の日々は今日という日をもって終わりを迎える。


 我々は自由の為、立ち上がると決めた。

 我々は自由の為、支配に抵抗すると決めた。

 我々は我々の意思を以って、自由を得る為の戦いを始めることを告げる。


 現時刻を以って、我々グラン・エトルアリアス共和国は“全世界国家に対し”宣戦を布告するものである!』



 照明も灯らない暗い部屋の中、大きく展開されたホログラムモニターに映し出される映像を1人の少女が眺めている。

 座り心地の良さそうな、ふわふわの台座の椅子に腰かけた少女が眺める映像は、去る9月8日に行われたグラン・エトルアリアス共和国大統領、アティリオ・グスマン・ウルタードによる演説であった。


 自国大統領の演説を改めて聞き終えた少女は右手をぱちんっと鳴らし、ホログラムモニターの映像を消し去り、椅子の背もたれに身を預けて天を仰いだ。

 静寂と暗黒が室内を包み込む。唯一の光源であったモニターの光が消え去り、部屋に存在する明かりは燐光するステンドグラスの微かな煌めきだけとなった。


 天高いヴォールト天井に広がる200平米もある空間。独りでじっとしているにはあまりにも広い室内には、燐光だけが輝く暗がりの中でも分かるほどに圧倒的な絢爛さの装飾の数々が施されている。

 それらは西洋カトリック教会の内装や歌劇場などの豪華な空間を想起させるような華美さを放ち、部屋の主が持つ権威の重さを表すかのような威容を示す。


 豪華な部屋の主は言葉を発することなく、身動き一つすることなく静かに座り佇む。

 桃色ツインテールという特徴的な髪に高貴なる紫焔の瞳を持つ、ドールのように愛らしい小さな少女。

 彼女は学生服と軍服を合わせたような服を纏い、黒地に赤と金の刺繍で形作られた、逆さ十字の天秤に蛇が巻き付いた模様の入ったマントを身に着けている。

 ヒュギエイアの杯。元になる紋章は、欧州の薬局などでよく見られるものではあるが、彼女が身に纏う衣類に施されたそれは些か様子が異なっていた。

 中央の十字架は逆さ十字となっており、十字架に巻き付いた蛇によって公正公平を示す天秤は調和を乱すように傾けられてしまっているのだ。

 さながら、蛇が示す悪魔〈サタン〉によって神の公正を嘲るような紋章とも受け取ることもできよう。

 アスターヒューの瞳を淡く輝かせる彼女は、ぼうっとした様子で天井を見つめたまま尚も動かないままじっと佇む。



 ふいに、大きな扉をノックする音が数度室内に響いた。

 少女は気だるそうに右手を持ち上げ、指を一度だけぱちんっと弾く。すると巨大な扉が静かに開き、奥から大男が姿を現した。

 身長2メートル近くあるだろう大男は、彼女に対し礼儀正しく深々と一礼をしてから部屋に足を踏み入れる。

 鋭い眼光にスキンヘッドという強面の男は、全身を覆う長さの黒いローブを身に纏う。

 彼が纏うローブの首周りの襟から胸元にかけては黄色いラインが引かれ、側面にはやはりヒュギエイアの杯をモチーフとした例の紋章が赤と金色の刺繍で描かれている。


 男の後ろで巨大な扉が静かに閉じると、淡い黄金色の照明が室内を照らし出した。

 部屋の主である少女は来訪者が誰であるかを見届けると、笑みを咲かせて機嫌良さそうに甘ったるい口調で言う。

「ご機嫌うるわしゅう☆リカルド。色々ご苦労様~☆」

 リカルドと呼ばれた男は少女へ歩み寄りながら再び首を垂れ、しっかりとした口調で返事をした。

「身に余る優しきお言葉。痛み入ります、アンジェリカ様」

「良き良き~。そっちが大変なのは本当でしょう?貴方が私の為に一生懸命に働いてくれているのは知っているから☆ほら、こっちにおいで~。つるつるの頭を撫でてあげちゃおう☆」


 少女は満面の笑みで両手を広げ、自分の傍に来るよう男へ促す。しかし、男は首を横に振り言った。

「いえ、今はお気持ちを頂戴するだけに留めさせてください」

「もぉ~、人の好意を無下にするのはー、め!なんだよ?でもでも、貴方だから許しちゃう☆リカルドはいつだって私の為に尽くしてくれるから☆」

「ありがとうございます」


 アンジェリカはひとしきり笑った後、すっと表情を変えて言う。

「それより、私に何か用があってここに来たのでしょう?何かあったのかしら」

 先程までの愛くるしい笑みとは違う笑顔。この世全てを見下すかのような嘲笑を浮かべて少女は言った。

 リカルドは言う。「ケルジスタン共和国のアメリカ及びロシア軍の各駐屯基地の排除が完了いたしました。中央アジア各国進出への足掛かりになるかと」

「結構よ。相変わらず仕事が早いわね」

「お褒めに預かる程のことではありません。我らの軍備に比べ、世界中の軍隊など取るに足らないもの。脆弱そのものですから」

「そうね。まったくもってそうでしょうね。威勢よく噛みついてくる割には、彼らは笑ってしまうほど軟弱な軍隊しかもっていない。世界最強の軍隊?拍子抜けも良いところだわ」

 アンジェリカは小さな溜め息をつき、呆れたような口調で言い放つ。

「っで、今回はどんな手を使ったの?」

「カローン数機と、パンドラの箱より展開したメリッサとアラクネーを少々。他には特に何も。それだけのことです」

「アムブロシアーは使わなかったの?」

「使うほどのこともないと判断いたしました」

「面白みは無いわね。でも、効率的で実に貴方らしい」

「私だけではありません。計画の立案から必要戦力の算出まで行ったのはシルフィーですし、何よりこの時の為にアビガイルが良い仕事をしてくれました」

「計画はシルフィーに任せておけば安泰そうね。そしてアビー、アビー。確かに彼女はとても良いものを作ってくれたわ。新兵器の諸々を実戦運用するなんて初めてだったけれど、どれも良い調子だもの。あとで褒めてあげないと。ところで、あの子はまだ研究室に籠りっきりなのかしら」

「そのようです。カローンから送られてきた実戦映像とデータを眺めて、ぶつぶつと独り言を呟きながら研究室に入ったのを見たのが最後ですから。シルフィーも彼女の世話を焼くために傍にいるはずです」

「相変わらずなのね。長い間、留守にしていてもあの子達の日常は何一つ変わっていなかった。微笑ましいことだわ」

「良いことです。あとは、“彼女”さえ呼び戻せば全員が揃います」

「皆が揃うのなんて、いつぶりかしら。あの子も長い間よく頑張ってくれたわ。帰ってきたらしっかり褒めてあげないと」

「本人も喜ぶと思います」

「喜ぶ、ね。だと良いのだけれど?」アンジェリカは意味深な表情で、にやりと笑いながら言った。


 必要な報告を終えたリカルドは言う。

「それでは、私はこれにて失礼いたします」

 すると、アンジェリカは再びすっと表情を変化させ、少しばかり寂しそうな様子を見せて言った。

「えぇ~、リカルドぉ、もう行っちゃうの?」

「次の仕事がありますので。貴女様の理想を叶える為に、成し遂げるべき課題も多くございます。特に、機構と国連の動きは注視しておきませんと」

 言葉を聞き、納得したように手を叩いたアンジェリカは、愛くるしい満面の笑みで言う。

「そっか☆じゃ、仕方ないねー♪次のお仕事も頑張って~☆」

「はっ。ご期待に違わぬよう」


 リカルドは深々と親愛を込めた礼をし、踵を返して大きな扉に向かうとそのまま部屋を後にした。

 彼の後ろ姿ににこやかに手を振るアンジェリカは、彼が部屋から退室した後に笑顔を解いて再び天井へと目を向ける。


 誰もいなくなった部屋で彼女は独り呟く。

「あなざぁ・みぃ。でぃふぁれんと・みぃ。あるたーえご。あんじぇりーな、あんじぇりーな」

『よく聞こえているわよ』

 彼女の中で、もう1人の彼女が応える。

「最近、よく思い出しちゃうんだ。むかーしのこと」

『ここまで、とても長かったものね?やっと私達の望みが叶う。私達の夢が果たされる。私達の理想が実現する。こういうの、凡人の感覚で言うと“感慨深い”とでもいうのかしら』

「きっとそう。でも、今思い出しているのは少し違うこと」

『あの子達のこと?』

「うん」


 アンジェリカはじっと天井を見つめたまましばらく押し黙る。

 そうして、ひとしきり考えを巡らせてから言った。

「あの子達と、一緒に生きていた頃のことを思い出すの。特に誰と関りがあったわけでもないけどぉ。これから、同じ国に生まれたあの子達がみんな、私を殺しに来るのかなって。それが私に与えられる愛の形なのかもしれない、なぁんて☆ね?」

『どうかしら。明確に私達を殺そうとしているのは、きっと1人だけだと思うけれど。ドイツでの一件はあの子を刺激し過ぎたみたい』

「マリアね?あの子も変わっちゃったわ。何がそこまであの子を変えたんだろう」

 アンジェリカの中のもう1人の彼女は口をつぐむ。


「アンジェリーナ、何か知ってるぅ?」

『……いいえ、何も。何も気にすることなど無いわ』

 少しだけ言葉を呑み込むように、そして話題を逸らすようにして言った。

『ねぇ、アンジェリカ。今はただ、私達の夢の実現をお祝いしましょう?大いなる理想が完成に至る、前祝いとして』

 彼女の言葉を受け、アンジェリカは柔らかな笑みを湛えて言う。

「うん、うん☆そうだね、それが良い。それが良い☆」


 その後に続く言葉は無い。



 アンジェリカは、穏やかな表情のままで静かに目を閉じ、足をぶらぶらさせながら物思いに耽る。


 遠い過去を思い出すように。

 これまでの日々を、丁寧に思い返すように。




 そうだ。ここに辿り着くまで、とても長い歳月であった。

〈世界の破滅〉〈世界の破壊〉という自らの理想を叶える為に、自らの存在意義を確固たるものとする為に、その為だけに……

 気付けばこんなところまで歩いてきていた。


 想い出と呼ぶものは無いが、積み重ねてきた日々を思い返すのも悪くない。




 彼女が目を閉じるとほぼ同時に、黄金色の部屋の明かりは落ち、ステンドグラスの燐光だけが淡く部屋を灯した。

 全身の力を抜いたアンジェリカは、眠りの世界へと堕ちていくように椅子へと身を沈めていく。

 そうしていつしか、部屋の中には彼女の静かな寝息だけが聞こえるようになった。

 



 汝、……この一事を忘れてはならない。

“千年は一日のようであり、一日もまた千年のようである”



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