第10話 魔人襲来

「……泥田が?」


 途端、奥の部屋からダァンと、重いものが壁にぶち当たるような音が聞こえた。

 続いて、男の苦しげなうめき声。


 受付嬢に視線を飛ばすと、こくりとうなずいた。


 ……あれは泥田がやられている音か。


 奥の部屋につながる扉は開いたまま。

 だが角度の問題で泥田やマジンとやらの姿を見ることはできない。


 意を決し、俺は奥の部屋へ向かおうとする。

 それを引き留めたのは、床に倒れていたひとりの男だった。


「……やめろ……」


「お前は……」


 消え入りそうな声で俺にやめろと言ったのは、金髪トサカの男だった。

 自慢のローキックで俺を吹き飛ばしたことになっている男だ。


「行くな……! 相手は俺やディーダのようなBクラスの冒険者が束になっても敵わなかった魔人だ……! お前なんかが……!」


 すると、ニナニーナが金髪トサカを気遣いつつ、続ける。


「……言う通り危険すぎますわ。魔人というのは人型のモンスターだとでも思って。身体能力だけでも手に負えないのに、高位の魔法を使う。第一線で戦ってる女神パーティ以外は手を出さない方がいいですわ」


 これまでに見たことがない険しい表情だった。


「人の形をしているけれどまったく別物。完全な化け物ですわ。魔人王の復活とともに現れた新種の魔物。出会ったら最後、死を覚悟するしかありません」


「……頼むよ……誰か助けを呼んできてくれ……」


 金髪トサカが泣きそうな声で言った。


「ディーダが……ディーダが死んじまう……あいつは俺たちをかばってよぉ……」


「あまりしゃべらないで。傷に障りますわ」


 ニナニーナはなるべくその傷を直視しないようにして言う。

 損傷がひどいのは左足だった。

 おかしな方向に折れ曲がり、ズボンも皮膚もその下の肉もズタズタにされている。

 俺も思わず目を背ける。ひどい有様だ。

 左足からはいまも絶えず出血が続き、血だまりが広がっている。

 これじゃいつ意識を失ってもおかしくないし、失血死する可能性もある。


 ニナニーナは近くに落ちていたロープを手に取ると、トサカ男の横にしゃがみ込み、出血を止めようと左足の付け根に結んで圧迫を始めた。


「女神さん……すまなかった……ディーダを恨まないでやってくれ。ディーダがあんたを悪く言ったのはあんたのためなんだ」


「え?」


「あいつが女神さんを馬鹿にしたのはみんなの溜飲を下げるためさ……。この町には西の城下町や周辺の村から逃げてきた連中の子孫が多くいる。だからその元凶であるあんたのことを恨んでるやつも多い」


「……」


「そんなあんたが目の前に現れたら襲いかかるやつだっているさ……。だからディーダのやつがわざと表だってああ言ったんだ。ディーダはこのへんの冒険者の兄貴的な存在だからな。あいつがああ言えばほかの連中は手を出せない」


「でも彼だってわたしのことを恨んで……」


「ああ。でも同時に感謝もしてる。あいつはガキの頃からずっと言ってたんだ。俺が強くなって、いつか山の上の聖剣を抜いて、女神のために戦うんだって」


「……!」


 だけど、どれだけ鍛えても俺はBクラス止まりだと、それが自分の限界だと、酒を飲むと泣きながら言ったと金髪トサカは教えてくれた。


 泥田は父親から先代勇者の英雄譚や女神ニナニーナの慈愛にまつわる話を幾度となく聞かされ、次第に憧れを強めていったという。

 そしていつか自分が新たな勇者になるんだと夢を見た。


 だからあれだけ俺にも敵意を向けたのだ。


 ニナニーナは話している間もトサカ男の出血を止めようと必死にロープに力を込めている。

 トサカ男が苦痛に顔を歪めるたび、「どうして私は治癒魔法さえ使えないの……!」と悔しそうにした。


 その様子を見つつ、俺は奥の部屋に向かってきびすを返した。


「俺が泥田を助けに行く」


「ちょ、ちょっと待って! 危険だって言ったじゃない!」


「ニナニーナは警察を呼んでくれ。警察がくるまで俺がもたせる」


「この世界に警察はいないですわ! でも、騎士団ならいる! 彼らを呼べばすぐに……!」


「騎士団というのは町のあちこちで見かけた鎧の連中か? これだけの騒ぎなのになぜまだ駆けつけない?」


「それは……」


「警察でも騎士団でもなんでもいい。早くそれを呼んでくれ。あと救急車もな」


「癒術師への連絡は受付の彼女に頼んでおきました。それより、あなたが行くのは危険ですわ!」


「じゃあ放っておけばいいのか?」


「それは……」


 ニナニーナはぎゅっと唇を噛む。


「すまない」


 少し意地悪なことを言ってしまったと反省する。

 今も必死にトサカ男を介抱しながら、自分の無力さを恨んでいる彼女に。


 そんな彼女が泥田を見捨てて逃げることを是とするわけがない。

 きっと自分が戦えればと思っている。でもできない。

 頭の中は葛藤と悔恨が渦巻いていることだろう。


「だから俺が行く」


「どうして? あなたにはそうする義務もありませんわ!」


「腹が立っているからだ」


「……え?」


 俺は倒れたままこちらを心配そうな顔で見る金髪トサカ男の左足を見た。

 出血は止まりつつあるが、その損傷具合はやはりひどい。

 這いずって進もうにも左足がまるで動かない。


「武道家の命を踏みにじるような真似をする輩を放っておけない」


「あんた……」


 金髪トサカは目の端に涙をにじませる。

 しかしぐっと奥歯を噛み締め、俺に訴える。


「行くな! 俺のこの左足を見ろ! やつを蹴ったらこうなった! 魔人にはどんな打撃も剣撃も効かない! 俺たち人間とは体のつくりが違うんだ! やつに触れただけで俺たちは破壊される!」


 怖ろしいものを見たという目。

 思い出して脂汗を流し、ガタガタと震え出すトサカ男。


「俺にすら敵わないお前が行っても無駄死にだ! 逃げろ!」


 痛くて苦しくてたまらないだろうに、それでも俺を気遣ってくれている。

 少し前はふざけたやつだと思っていたが、心優しい男だ。


 俺は小さく首を振り、トサカ男に背を向けた。


「ニナニーナはここでけが人の世話をしろ。俺は泥田の元へ行く」


「待て! 行くな!」


「ヒビノ! いけません!」


 トサカ男とニナニーナの引き留める声も聞かず、俺は大股で奥の部屋へ向かって進む。


 すると、扉の向こうから、大きな物影が飛び出してきた。

 俺はぎょっとして立ち止まる。


「そいつは魔人が連れてきた手下の魔獣だ!」


 トサカ男が叫んだ。


「ここで倒れてるやつらはほとんどそいつにやられたんだ……! ただの魔獣じゃねえ!」


 見れば、俺の倍はありそうな巨躯。

 見た目はトラのようだが、二本の牙が床に届きそうなほどに長い。

 そして山のヌシとよく似た、竜の鱗のような金属質の肌をしていた。


 どうやらマジンとやらは自分ひとりで来たわけじゃないらしい。


「幻濁種(ハイ・キメラ)ですわ! おそらく小型の地竜と現世のサーベルタイガーをかけあわせた魔獣!」


 ニナニーナが震える声で言った。


「こんなところでまた出くわすなんて……まずいですわ! 強さは山のヌシと遜色ありません! 今すぐ逃げ……!」


 ニナニーナが叫ぶ途中で、幻濁種(ハイ・キメラ)とやらは低いうなり声を響かせながら、こちらへ飛びかかってきた。

 なるほど、スピードは山のヌシ級だ。

 体躯はやつより小さいが凶暴さはきっと上。


 ニナニーナとトサカ男が「終わった」とばかりに目を閉じる。


 俺の目の前に、殺意に満ちた未知の獣が迫る。


「邪魔だ」 


 獣が間合いに入った瞬間、俺は即座に右足を蹴り出し、そのドテッ腹にローキックを直撃させた。


 獣の凶悪な瞳がぐるりと白目を剥くのがわかった。

 そして、なすすべもなく吹き飛んで建物の壁に叩きつけられたかと思うとそれを突き破り、誰もいない大通りに背中から着地し、そのままゴロゴロと数m転がった。


 叫び声を上げる間もなかった。

 獣はそのまま動かなくなり、しばらくすると霧のように消え、鈍く光る石だけが残された。


 ニナニーナとトサカ男はそれを目の当たりにすると、両目を冗談みたいに大きく見開いて同時に叫んだ。


「「えええぇぇぇぇぇぇぇええええええええええええ!!?」」


 魔獣だか幻濁種(ハイ・キメラ)だかしらないが、今はそんなのに構っていられない。

 泥田のもとへ急がなければ。

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