第9話 女神狩り

 

「……すみませんでした」


 騒がしい居酒屋の席に着くなり、ニナニーナは俺に頭を下げた。


 俺たちはギルドを出てしばらく歩いた先にあったこの店へ入っていた。

 中は賑わいを見せていて、男たちの笑い声やジョッキのぶつかる音のほか、陽気な弦楽器の生演奏が流れていた。

 居酒屋というよりは酒場といった雰囲気だ。


「なにがだ?」


「勝手にあなたを勇者だなんて言って。本当にごめんなさい。その上……あんな目にも遭わせてしまって」


 あんな目というのは、金髪トサカ男に蹴られたことだろう。

 蹴られたダメージは皆無だったが、音速を超えて壁に激突したのはなかなか効いた。


「気にするな」


「本当に丈夫ですのね……」


「ローキックは全身運動だ。右足は当然のこと、蹴れば蹴るほど全身が鍛えられる」


「ヒビノの話を聞いていると、ローキックは万能なのではと思いますわ」


「万能だが?」


 すると、隣の席から気になる話し声が聞こえてきた。


「……知ってるか? 『女神狩り』のうわさ」


 話しているのは、向かい合って酒を酌み交わす男二人だった。

 ニナニーナも会話をやめ、聞き耳を立てている。


「各地の女神パーティを襲っては女神の権能を奪うそうだ」


「それは魔人か?」


「おそらくな」


「だが、そんなことされたら人類は終わりだろ」


「ま、噂話さ」


 ニナニーナは神妙な顔をしている。

 確か、泥田もそんなことを言っていた。

 そして、それを奪われた女神こそがニナニーナだと。

 ニナニーナはまたボロ布を深くかぶり直して言った。


「やっぱりわたしは町に出てきてはいけなかったようですわ。権能がもうなくても、山のヌシがいなくても」


 ニナニーナはゆっくりと身の上話を始めた。


「……わたし、この町の人たちに恨まれているのです」



    ◆



 ニナニーナはかつて絶大な権能を持つ女神だった。


 女神とは、地上にこれぞという勇者を見つけると天界から降り立ち、勇者とともに魔物を倒す旅に出るという。


 それを『女神パーティ』と呼び、魔物の王を倒せるのはその女神を擁するパーティのみだと言われる。

 女神に見込まれた勇者が『女神の勇者』だ。


 180年前、ニナニーナは地上に降り立ち、当時見染めた勇者とともに旅に出て、世界を恐怖に陥れた魔物の王を討伐したのだという。

 そして世界を救ったパーティとして、この故郷へ凱旋した。


 ここは勇者の生まれた地であり、天界出身のニナニーナの故郷ではないが、彼女はこの地を故郷と呼ぶだけの愛着を持っていた。


 勇者はまだ幼かったニナニーナの父親代わりだった。

 しかし勇者は人間だ。その20年後、この世を去る。

 涙とともに彼を見送ったニナニーナは、それでも笑顔でこの町の人々と暮らした。


 そしてそれから10年後、『魔人王』と呼ばれる新たな魔物の王が現れる。

 あちこちに魔物があふれ、再び混沌とした世界になる。

 世界を救った仲間はもういない。

 ニナニーナは自慢の権能を振るい、魔物相手に孤軍奮闘した。


 しかしある日、魔人王の手勢がこの町を攻めてくる。


『女神狩り』だ。


 女神の持つ絶大な権能を狙って、魔人の一団が押し寄せた。

 結果、ニナニーナは敗れた。敵に権能も奪われた。


 壁を建設済みだった東の城下町を残し、周辺の村々もろとも辺り一帯は魔物に蹂躙された。

 ニナニーナは自分の力のなさを悔いた。

 自分のせいで、大事な町の人々は死んだ。


 町を守っているつもりが、自分はただの疫病神だった。

 だから彼女は、山にひとり移り住んだ。

 廃城を住処とし、魔人の軍勢が手に負えず置いていった馬頭竜もろとも山に結界を張り、孤独に暮らした。



    ◆



「そしてわたしは、本来の女神の仕事ではない転移者の受け入れを始めました」


 次の勇者を見つけるために。

 転移者の受け入れは、通常、神や女神の配下である神官の役目らしい。

 女神自らがその仕事をするケースはなく、権能を失ったことと相まって、彼女は多くの蔑みの視線を受けた。

 しかし、女神のプライドなんてとうの昔に捨てていた。

 それよりも、世界を守るために。

 自分のせいで家族を失った町の人々を守るために。

 150年もの間、彼女は転移者の受け入れを続けた。


「まさか聖剣を折られるとは思いませんでしたけど……」


 人間と魔物の、世界を賭けた戦いの話。

 ひとりの少女が歩んだ、希望と絶望の話。


 俺は大真面目な顔で彼女の話を聞きながら思った。



 ――これは新手のイメクラか?



 彼女はここを「いわゆる異世界ですわ」と言った。

「異世界」とは、性的絶頂つまりエクスタシーの比喩に違いない。

「天国へ連れてってあげる」の「天国」と近似の表現だ。


 なるほどな。

 最近のイメクラはここまできているのか。


 俺もそれなりにイメクラは履修した。

 病院。電車の中。放課後の学校。彼女がいたこともないのに元カノがいる店にも行った。

 しかし、ここまでのものはない。

 西洋風ファンタジーの世界観で『勇者』と呼ばれ、女神に褒めそやされながら、股間の聖剣ひとつで大活躍するわけだ。

 聖剣とはさしづめ『性剣』のことか。シャレている。


「どうされましたの?」


「いや、すごい話だと思ってな」


「わかってくださいましたの」


「ああ……完全にな」


「完全に……。ありがとうございます」


 その時だ。


 酒場の前の往来を叫びながら人が駆けていくのが見えた。


「……何事だ?」


「どうしたんでしょう……?」


 続けて悲鳴が聞こえる。

 さっき後にしたギルドの建物がある方向だ。


「見に行きましょう!」



     ◆



 酒場の前の道に出ると、大勢の人がこちらへ向かって逃げてくる。

 人をかき分け、騒動の元を目で追う。


「あっ……!」


 そのうち、あわてて転んだ女性がいたので助け起こすと、


「ギルドが……! 襲われて……!」


 そう言った。


 俺とニナニーナは一度視線をかわすと、一目散にギルドへ向かった。

 ギルドまでは300mも離れていない。走ればすぐだ。


 建物の前まで来ると、逃げてくる人はもういなかった。

 あれだけの騒ぎの大元だと言うのに、不思議と閑散としていて、それがまた不気味だった。


「これは……」


 ニナニーナを背に回し、ギルドの木戸を押し開けると、俺は言葉を失った。


 ロビーには人が何人も倒れていた。10人以上いるだろう。みな傷だらけで血を流していた。

 床や壁には血液が飛び散り、什器はほとんどが破壊されていた。


 ――ガタッ。


 音がした。換金所の受付台の下からだった。

 慎重に歩を進め、人がひとり入れるくらいの受付台の下を覗き込むと、ちょうどさっき世話をしてくれた受付嬢がいた。


「さ、っき、の……っ……?」


 受付嬢はガタガタと震えていて、思ったように言葉を発せないようだ。


「大丈夫ですわ。何があったんですの?」


 俺よりも早くニナニーナが、さっと受付台を乗り越えて彼女のそばに着地すると、震える背中をさすりながらそう言った。


「……ま、じん、が……」


 受付嬢はそう言った。


 マジン。


 確か何度か話で聞いた。


「襲われたの?」と、ニナニーナ。


 受付嬢は黙ってうなずいた。


「……どうして? この町は騎士団が守ってるんじゃなかったの……?」


 ニナニーナは唇を噛んで、ぎゅっと受付嬢の肩を抱いた。


「なのになぜ魔人が……。それにどうしてここが襲われたの……?」


 俺は改めて辺りを見回す。

 倒れている連中の中にはわずかに体を動かしたりうめき声を上げたりする者がいる。

 動かない者に近寄って、呼吸や脈を確かめると、誰も死んではいないようだ。

 早く病院へ運べば犠牲者は出ないかもしれない。


 すると、よろよろと立ち上がった受付嬢が、奥の部屋を指さして言った。


「奥で……まだ……ディーダさんが…………」


「なんだって?」


「ディーダさんが……殺されて……しまいます…………!」

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