第8話 気遣いのソニックブーム

「……ローキック?」


 泥田を含め、その場の全員の頭に「?」が浮かぶのがわかる。

 だが俺には本当にローキックしかできない。

 泥田は慎重に尋ねてくる。


「ローキックっていうのは、相手の足をねらって蹴るアレか?」


「そうだ」


「セコセコと下半身を攻める地味なアレか?」


「そうだ」


 すると、大爆笑が起こる。


「ローキック! はは、そうかそうか! それは大層なことだ!」


「ローキックなんて誰でもできるぞ! 笑わせる!」


「うちの子だって上手だ! ははは!」


 連中は口々に言う。


 感心した。

 こいつら、なかなかローキックの良さをわかってるじゃないか。


「ああそうだ。それがローキックのいいところだ」


 ローキックは子供にもできる。

 女性はもちろん、ご老人だってできる。

 片足を地面につけ、もう片足を少しでも上げれば、それはもうローキックだ。

 そういう意味では散歩中の犬でもできる。


「ならよ? 試してみるかい?」


 そこで、ずいっと前に出てきたのは、武道着を着た男だった。

 体格はいい。筋骨隆々で、よく鍛えられている。

 髪は金色で、にわとりのトサカのような頭をしていた。


 俺は尋ねた。


「お前もローキックを嗜むのか?」


「馬鹿言いなさんな。ローキックどころか武道を極めてる」


 周囲の男たちによれば、このトサカ男はB級冒険者だとかいう実力者らしい。

 ちなみに泥田もB級だが、A級になるのも時間の問題だという。


 トサカ男は自分の左足をペチペチと叩き、「蹴ってこいよ」と言った。


「……いいのか?」


「もちろんさ。俺は微動だにせんだろう。その程度の足じゃあな」


 トサカ男は俺の右足を見ながら言った。

 俺の右足はそれほど太くはないからだ。

 もしかしたらトサカ男の方が太く立派かもしれない。


 まだ俺がビギナーだった頃は、ただ太さを追い求めた。

 とにかく筋量を増やし、それがローキックの威力を上げる唯一の方法だと信じていた。

 しかし、それでは頭打ちになった。


 足が太くなると振りが鈍くなる。柔軟性も失われ、可動域も狭くなる。

 ローキックは力ではない。 

 その後、試行錯誤を経て、今の太さに落ち着いた。


「さぁ、こい」


 トサカ男はもう一度促し、俺は首を振った。


「やめておけ」


 トサカ男の左足は確かに立派だ。

 だが、鉄骨ほどでもないし、ましてやさっき山で遭遇した馬もどきの足下にも及ばない。

 しかしトサカ男は笑った。


「ここにきてビビりなさんな! 遠慮せずこい! ほら!」


「蹴らない」


「はは! アンタに蹴られようと俺はビクともせん! だからこい!」


「蹴らない」


「……ならこっちからいくが構わんかね?」


 周囲がざわつく。

 やめろ、可哀想だ、大人げないぞ、などと口々に言うのが聞こえる。


「なぁに、この世間知らずに一度わからせておくだけさ。二度と歩けなくなったりはせん。まぁ、2~3日は足腰が立たなくなるかもだが?」


 トサカ男はニヤニヤ笑ってそう言った。

 俺がなにをしたのか知らないが、この男もどうやら俺に腹が立っているらしい。


「よし、気張れよ~? いくぞ~?」


「よせ。どうなってもしらんぞ」


「そりゃあお前さんだ」


 俺の忠告にも聞く耳を持たない。困った。

 このままではこの男の方が歩けなくなる。


 要は反作用の力だ。

 俺の足を蹴るのはいい。だが、蹴ったトサカ男の足が砕け散る。

 極限まで鍛え抜いた俺の足の強度はこの世のどれとも比較できない。


 ニナニーナはトサカ男を止めようとするが、


「やめっ……!」


「動くな」


 泥田に腕をつかまれる。


「さぁカウントダウンだ。みなさんご一緒に?」


 トサカ男の号令で、3、2、1と大声でカウントダウンが行われる。

 おいおい、群馬というのは荒くれ者の集まりか?

 こんな一方的ないたぶりをショーみたいに楽しんでやがる。

 群馬県の教育委員会は何をしているんだ?


「……ゼロ。いくぞ!」


 トサカ男が左足を振り出した。やつは左利きらしい。


 こうなったら仕方ない。

 なるべくトサカ男の足にダメージがいかないよう衝撃を殺すしかない。


 どうするかと言えば……俺が吹っ飛ぶ。


「……っ!」


 俺はトサカ男の左ローキックを右の太ももで受けた。

 インパクトの瞬間、できるだけ太ももで優しく包み込むようにする。

 クッションのように、豆腐のように、できるだけ柔らかく。


 そして蹴りに吹き飛ばされたような格好で体をくの字に曲げ、横に全力で跳躍すると、一瞬のうちに3~4m離れた木張りの壁に激突した。

 が、それだけでは済まず、弾丸のごとく壁を突き破る。

 途中、何かにぶつかって「フゴッ……!」という声にならない声を聞いた気がするが、気のせいだろう。

 往来へ飛び出した俺は、超音速飛行する戦闘機が出すというソニックブームを放ちながら、6mほどの道幅を越えて、そのまま向かいの民家の石壁に叩きつけられた。


「ほげぇっ……!!」


 思わず「ほげぇ」とか言ってしまった。

 仰向けに倒れた俺の上にガラガラと崩れる石壁。


 いけない。加減を間違えた。

 トサカ男の脚を気遣うあまり、自分の尋常じゃない脚力を忘れて、思い切り跳んでしまった。

 超音速で石壁にぶつかったせいで、内蔵がでんぐり返る。


 だが……うまくいっただろうか?


 俺は肩を押さえながら立ち上がり、建物の中でポカンと突っ立っているトサカ男の様子を見る。


「は……?」


 トサカ男は、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしていた。

 すると、建物内の誰かがプッと吹き出して、建物の外にいる俺にまで聞こえる大声で笑った。


「おいおいおいおい! そこまで吹き飛ぶか!? 軟弱にもほどがあるだろ! なあ!?」


「え……? あ、ああ……」


 トサカ男は肩を叩かれて反応を求められるが、ぼんやりとしか返せない。

 当たり前だ。人が超音速で吹き飛ぶところはなかなか見られない。


 やがて建物内は俺に対する嘲笑で満たされた。

 ただ、


「いや、でも吹き飛びすぎじゃない……?」


「吹き飛ぶスピード速すぎて見えなかったよね……?」


「隕石かと思った……」


「ちょっと衝撃波出てなかった?」


 などと、笑いに包まれる建物の中でも、数人はいぶかしげな顔でそうつぶやいていたが。


「痛っ……!」


「どうした?」


「いや、あの男を蹴った足がちょっと……だが平気だ」


 トサカ男は俺を蹴った左足を押さえて一瞬顔をゆがめていたが、どうやら大事はないようだ。


 ほっとした。

 やつの足は無事だったようだ。

 男たるもの、利き足を失うことほどつらいことはない。

 やつが武道家だというならなおさらだ。


 すると、今度はどこからか女性の悲鳴が上がる。


「ディーダさんが……! ディーダさんがっ!?」


 視線の先を見ると、床で仰向けに倒れている泥田がいた。完全にノビていて、吐くほど飲んだ酔っ払いのようだった。


 どうやら、俺が吹っ飛ぶ最中、そばにいた泥田をかすめてしまったらしい。「フゴッ……!」と聞こえたのは、たぶんやつが漏らした声だ。


 心配した仲間らしき男女が泥田のもとに集まり、体を揺さぶったりする。しかし起きない。完全に気を失っているようだ。


 俺は心の中で手を合わせる。

 すまない泥田……これは不幸な事故なんだ。


 そうこうしていると、ニナニーナが俺に駆け寄ってくる。


「だ、大丈夫ですのっ!?」


「ああ。ちょっと音速を超えて壁にぶつかっただけだ」


「なぜそれで平気なんですの??」


 ニナニーナは、俺が壁にぶつけた肩やわき腹を心配そうになでつつ言った。


「あなた……本当になんなんですの?」


 彼女は困惑顔だった。


「強いんですの? 弱いんですの? どっちなんですの??」


 彼女には、俺がトサカ男に軽々と吹き飛ばされたように見えたんだろう。


「強いも弱いもない。俺はただローキックを蹴るだけだ」


 俺の堂々とした態度に何か察したのか、ニナニーナは確かめるように俺に言う。


「もしかして……わざとですの? あの人の足を気遣って……?」


「……蹴るのは慣れてるが蹴られるのは慣れていない。だからつい『ほげぇ』とか言ってしまった」


「……ぷっ」


 ニナニーナは笑った。


「おかしな人ですわ。それならそうとあの人たちに言ってやればいいのに」


「わざわざ言うことでもない」


 人に笑われるのには慣れている。こんなことはどうとも思わない。。


「ふふ、やっぱりおかしな人ですわ!」


 俺たちはギルドを離れた。

 ニナニーナは俺の横を歩きながら、また笑ってくれた。


 よかった。

 泥田のやつにおかしな言いがかりをつけられたせいで曇ってしまった彼女の顔がまた晴れた。

 やっぱり彼女は笑っている方がいい。


 俺が馬鹿を見ることで誰かが笑ってくれるなんて、今まではなかったな。

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