第6話 まさかこいつ……オナ高か?

 山を下りてしばらく歩くと、見上げるほど高い城壁に出くわした。


「ここは旧ウェットランド王国の城下町ですわ」


 ニナニーナいわく、かつてここら一帯を治めていたウェットランド王が魔物の王なるものによって殺され、国も滅んだという。

 約150年前の話だ。

 現実離れした話でにわかに理解しがたいが、彼女が言うにはそうらしい。


 今日までニナニーナが住んでいたのがその王の居城であり、山をぐるりと取り囲む形で城下町が栄えていたが、魔物の王の配下による襲撃を受け、そのほとんどは壊滅したそうだ。


 だからあの城も廃城だった。

 無事だったのは、高い城壁を築いたばかりだったこの城下町の東側だけ。


 現在、この城下町の東側は高い城壁と中央から派遣された騎士団により、治安が保たれ、細々と発展を続けている。

 魔物の王だとか騎士団だとか、聞き慣れない話ばかりだ。


「群馬県が王政を敷いているというのは初耳だったな」


「あの、そのグンマケンというのは何ですの?」


 ニナニーナがなにか言っているが、俺は目の前に立ちはだかる頑丈そうな城壁に見とれていた。


「立派な城壁だ。蹴ってもいいか?」


「絶対にやめてください!」


 ダメらしい。



     ◆



 騎士団の下っ端らしい衛兵による雑なチェックをパスすると、俺たちは高い門をくぐった。

 ニナニーナはボロ布を頭にかぶって顔を隠す。


「どうして顔を隠すんだ?」


「あ、いえ、これはちょっと。えへへ、あまり気にしないでほしいですわ」


「ここの住人に面が割れているということか?」


「まあ、はい、そんなところですの」


 まるでスターだ。

 彼女はハリウッドスターがサングラスや帽子で変装するように、布で顔を隠して行動するらしい。

 なるほど、群馬県民というのはAVをずいぶんと好むらしい。


「まずは冒険者ギルドへいきましょう」


「冒険者ギルド?」


「冒険者の組合のようなものですわ。職業ごとの訓練だとか仕事の斡旋などをしていますの」


「なんだ、ハローワークのことか」


「ハローワーク?」


 ニナニーナは首を傾げつつ、続ける。


「そこで魔晶石の換金もしてくれるんですの」


「魔晶石の換金とは?」


「これですわ」


 ニナニーナは古い皮袋の中から光沢のある鉛色の石を取り出した。


「それは、馬頭竜だったか? その死骸から出てきたものだな」


 あれは不思議な光景だった。

 馬頭竜は絶命するとほどなく、体が塵のように霧散し、後にこの石だけが残されていた。


「魔物は倒すと魔晶石を落としますの。人間にとっての心臓のようなものですが、これは死んでも消えません。魔力を取り出したり、加工して武器やアクセサリーにできるのでギルドで買い取ってもらえますわ」


「変わった商売があるんだな」


 土地によってこうも風習や経済活動が変わるものか。

 たまには旅もいいものだ。


「馬頭竜は竜種ですから。きっと高値がつきますわっ」


 ニナニーナは笑顔でガッツポーズをした。

 家を破壊した詫びとして、この石はニナニーナに譲ることにした。


「高値で売れたら一緒においしいものを食べましょう!」


 子供のような無邪気な笑顔。

 ずっと湿っぽい顔をしていたから心配していたが、ちゃんと笑えるようでほっとした。


「ちなみにその石は硬いのか? 硬いのなら、ひとつ蹴らせてもらうことはできないだろうか」


「ダメに決まっています! 硬そうなものを見るたび蹴る蹴るって、頭がおかしくなりそうですわ!」


 せっかくの笑顔をまた曇らせてしまった。



    ◆



 たどりついたのは時代がかった木造の建物だった。

 ハローワークというと、コンクリート造の2~3階建てのビルというイメージだったが、ずいぶんと古めかしい。


 これが群馬県のハローワークか。

 京都のコンビニなどと同じように景観に配慮したデザインなんだろう。


「さあ入りますわ」


 ニナニーナがボロ布をかぶり直し、木戸を押し開ける。


 後について入ると、大勢の人でにぎわっていた。

 屈強な男女がひしめいていて、みな皮や鈍い色の金属でできた鎧を身につけていた。

 腰に剣や大きなハンマーをぶら下げている者もいる。


 町を歩いていた時も思ったが、服装が現代日本とまったく違う。

 町ではみんなカントリー風の質素な服を着ていたし、あちこちで見かけた騎士団にいたっては全身西洋甲冑だった。


 おいおい。

 どいつもこいつもこんな格好をしていたら、そりゃ仕事なんて見つからないだろう。

 ここはハローワークだぞ?

 最低限のドレスコードも守れないのか?


 俺の地元のハローワークではワンカップを片手にした赤ら顔のおっさんを見かけたものだが、ここはその比ではない。

 荒れる成人式のニュースがあるが、これはその大人版だ。

 群馬では大人がこんなにも荒れている。


「何を難しい顔で考え込んでいますの? こっちですわ」


「あ、ああ」


 ニナニーナは俺を手招きし、『換金所』と看板の掲げられた受付に進んだ。


 ちなみに、群馬の言葉はひどい癖字で俺にはまったく読むことができなかったが、だんだんと理解できるようになった。

 方言もなまりがキツくて聞き取れなかったが、それも同様に聞き取れるようになった。

 ニナニーナは得意げに「女神の加護ですわ」と言っていたが、同じ日本の言葉だから慣れただけだろう。


「お願いします」


 ニナニーナが魔晶石を見せると、受付嬢が驚きの声を上げた。


「あっ、これは竜種ですね! すごい! 久々に見ました!」


 その声を聞き、周りの事務員や鎧の男たちがそれを見に集まってくる。


 するとニナニーナは、「やば……」と、ボロ布を深くかぶり、目立たないよう小さくなった。


 受付嬢が言った。


「これはあなたが倒されたので? 下級とは言え竜種ですが……」


「あ、それは、えっと……」


 ニナニーナは口ごもりながら、おそるおそる俺の方を指さした。


「わたしではなく……後ろの彼が……」


 すると一斉に俺の方に視線が集まる。


「こいつが?」


「誰だ?」


「どこのパーティのやつだ?」


 次々に声があがる。

 あれを倒したことがよほど珍しいらしい。


 俺は周囲の連中に、足下から頭の先までなめるように観察される。

 ぼろぼろのジーンズに破れたTシャツというこの格好は、異様なファッション揃いのこの場所でも目立つようだ。

 別に職探しに来たわけではないが、俺も最低限の格好をしてくるべきだったかもしれない。


 するとガタイのいい、よく磨かれた上等そうな鎧をつけた男が寄ってきてこう聞いた。


「あんた、クラスは何だ?」


 ……クラス?


 なぜそんなことを聞く?

 俺はしばし考え、はっと気づく。


 まさかこいつ……オナ高か?


 俺の出身は千葉だが、群馬に引っ越した同級生がいてもおかしくない。

 見ればこの男、高3の時に同じクラスだった池沢に似ていなくもない。

 池沢……懐かしいな。特に仲良くはなかったが。

 体のでかさをまるで活かせずサッカー部で万年補欠のキーパーだった池沢だ。


 俺は答えた。


「あまり覚えていないが、たしか高3の時はDクラスだった」


「Dだと?」


 池沢らしき男はいぶかしげな顔をした。


「たかがDクラスの冒険者が竜種を倒せるわけがないだろう! お前ら怪しいな!?」


 おいおい、Dクラスだろうが特進クラスだろうが竜は倒せないだろう。

 竜は宿題か何かか?


 すると、周囲の男たちや受付嬢の顔色も変わる。

 これはどうやら盗品の疑いをかけられているらしい。

 俺たちがどこからかこの石をかっぱらってきた、と。


「待て池沢。話を聞け」


「誰がイケザワだ!」


 しまった。

 こいつは池沢じゃなかったらしい。気まずいな。こういうのが一番気まずい。

 いや、待てよ。


「すまない……池やん」


「誰がイケヤンだ!」


 まずった。

 確か池沢は「池やん」とあだ名で呼ばれていたのを思い出してそう呼んでみたのだが、違ったらしい。

 それに池沢とは友達でもなんでもなかった。

 一度も「池やん」だなんて呼んだことがないのに勇気を出したのが裏目に出た。

 ……最悪だ。


「俺の名はディーダだ!」


 ディーダ?

 ……ああ、泥田(でいだ)か?

 やばい、まったく覚えていない。


 まさかこいつ……オナ中だったか?


 さすがに中学となると記憶も不確かだ。

 クラスも何組だったか覚えていない。

 楽しい思い出もないしな。


「すまない、泥田くん。君はオナ中だったか」


 すると、泥田はこめかみに血管を浮かべて、烈火のごとく怒った。


「オナ中……? き、貴様! 誰がオナニー中毒だぁ!?」


 誰もそんなことは言っていないのに、泥田は自らがオナニーに依存した生活を送っていることを白状した。

 そしてスラリと金属質の音を立てて、腰の長剣を抜いた。

 途端、ハローワーク内は女の悲鳴と男たちのどよめきに包まれた。


 受付嬢の一人が叫ぶ。


「やめてください! ギルド内での抜剣は規則違反ですよ!?」


「うるさい! こんな大勢の前で誇りを汚されて、剣士が黙っていられるか!」


 泥田の気迫に、荒くれ者どもが囃し立てたり、ピュウと口笛を吹き出した。

 泥田の長剣の切っ先が俺の喉元に迫る。


 まずいな。喧嘩がしたいわけではないのだが。

 すると。


「ま、待ってください!」


 俺の胸板を手で押しながら、俺と泥田の間にニナニーナが割って入って来た。

 しかし、ちょうど頭にかぶったボロ布が、長剣の切っ先に引っかかり、はらりと床に落ちてしまった。


「あっ……!」


 美しく整ったニナニーナの顔があらわになる。

 泥田の様子が変わった。


「あんた……まさか……」


「っ……!」


 ニナニーナはその場にしゃがみこんでまた顔を隠した。

 しかし泥田は、そんなニナニーナの顔を構わず覗き込む。

 そして言った。


「あんた女神だな!?」


 ハローワーク内はこれまで以上のざわめきに包まれた。


「女神だと!?」


「まさか山に隠れ住んだ先代勇者の女神か!?」


「どうしてここに!?」


 などと、口々に騒ぎ出す。


 泥田が困惑気味に言った。


「どういうことだ!? なぜ山にいるはずの女神がここにいる!? しかもこんな無礼な男と一緒に!」


 無礼な男とは、そっちこそ無礼だろうと言いかけてやめる。

 どうやらこのギルドとやらにいる連中は、みなニナニーナのことを知っているらしい。


 なるほど、ニナニーナが顔を隠した理由もわかる。

 女優を見るやこのハシャギよう、群馬の人間は恐ろしいほどAVに入れ込んでいるらしい。

 しかし、泥田はおかしなことを叫び出す。


「出ていけ! 今すぐここから出ていけ! 今度はこの東の城下町にまで災厄をもたらすつもりか!?」


 目が血走っていた。さっき俺に腹を立てていたのがかわいく見えるほどだ。


 ニナニーナはたまらず立ち上がって言い返した。


「災厄なんてっ……! もう大丈夫ですわ! もう危険なんてありません!」


「なら山のヌシはどうした! あんたがここにいるってことは、あいつを閉じ込めた結界だって……」


「山のヌシはもういません! 今交換所に出した魔晶石は山のヌシのものですわ!」


「なんだと……!?」


 泥田は顔に困惑の色を浮かべる。

 慌てて交換所の受付嬢から魔晶石をひったくり、まじまじとそれを見る。


「確かに下級の竜種……それも馬頭竜のもののように見える……」


「そこの彼が倒してくれましたの」


 どうやら脱線した話が元に戻ったようだ。

 全員の視線が再び俺に集まった。


「この男は何者だ!?」


 ニナニーナは「彼は……」と言って、しばし躊躇する。

 そして、まるで祈るように俺を一瞥すると、意を決して叫び返した。


「彼は……勇者です! 次代のわたしの勇者さまですわ!!」

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