第4話 山のヌシ

「……ひっく……うぅ……ひぐっ…………」


「もう泣くな。悪かったと言ってるだろう」


「謝って済む話じゃないのですっ!」


 俺たちの前には、無惨に折れた西洋剣があった。

 剣先は地面に突き刺さったままで、刀身は地面から30cmほどのところで折れていた。


 かつての偉容はもはやない。

 さっきまで眠っていたように見えた剣は、完全に生気を失っている。

 残された柄側の半分は、俺たちの足下に転がっている。


「セイケン……だったか。折ってすまなかった。俺も本気で蹴るのは久々で、どうなるかわからなかったんだ」


「聖剣を蹴り折るなんて信じられない……」


 ニナニーナはとぼとぼと歩き、折れた剣の柄側を両手で拾った。


「どんな魔物の攻撃も斥け、一刀両断にしてきた無敵の剣ですよ……? これさえあれば世界は救えたのに……」


 そしてまた、ぽろぽろと涙を落とし、ぺたりとその場に座り込んだ。


「うぇ……もう世界は終わりです……うぇぇ…………」


 ニナニーナは子供のように泣きじゃくっているからずいぶん参った。

 まあ、責任は俺にあるが。


「俺は日々野だ。日々野武士」


「ヒビノ……タケシ……ぐすっ」


「ああ。小学生の頃からあだ名は野武士だった」


「ノブシ……ずーっ!」


「鼻水をふけ」


「……(ふきふき)」


「俺のTシャツでふくんじゃない」


 泣きたいのはこっちだ、と言いたくなるのを喉元で堪えた。

 世界の終わりだか何だかという彼女の妄想は知らないが、こっちだって絶望の再来だ。

 長年水に潜って苦しんで、やっと水面に出られたと思ったら、また水中に引き込まれたような感覚だ。


 やはりもう、俺に蹴るものなど残されていないのだ。


 ただ、全身が身震いするような快感が確かに残る。

 史上最強の好敵手と全力を尽くして戦い、勝利したような達成感だ。

 あの剣は俺にとって、まさしく最強の相手だった。

 もう一度、いや何度でも勝負してみたいと願うほどに。


「ところで君はひとりなのか? 仲間は?」


 俺はあたりを見回しながら尋ねる。

 さっきのローキックの余波で、ただでさえボロボロだった建物は見る影もなくなっていた。


「ひとりですわ。仲間はみんないなくなりました」


「……そうか」


 なんて不憫な娘だ。

 彼女はAV女優で、きっと仲間の撮影隊に置いていかれたのだ。

 こんな山奥で……泣きじゃくるのもやむなしだ。


「冷たい連中だ」


 俺がそう言うと、ニナニーナの目つきがすっと変わる。


「……あなたに何がわかるんですの?」


「む?」


「みんな大事な家族も犠牲にして必死に戦ったんですわ! 世界の人々のために! そして最後には……死んでしまった!」


「……すまない」


 俺は首を垂れる。

 撮影隊にも事情があったというわけか。


 確かにAV撮影の仕事などしていたら、家族に迷惑がかかるかもしれない。

 思春期の娘が同級生に父親の仕事を尋ねられて言いよどむ姿を想像すると胸が痛む。

 撮影隊はみな、自分の仕事を秘密にしながら戦っていたのだ。

 なんのためにと言えば、性欲を持て余す世界中の人々のために。


 そしてついに世間バレして、社会的に死んだということだろう。

 彼らが傷心のあまり、彼女をここに置き去りにしてしまった気持ちもわかる。


「すまない、配慮に欠けた発言だった」


「……わかってくれれば良いのです」


「俺も昔はずいぶん世話になったからな」


「あなたはわたしの仲間なんて知らないでしょう??」


「それでも若い頃は寂しい夜を慰めてもらったものだ」


「はい??」


「詫びというわけではないが、家まで送ろう。家はどこだ?」


 俺が彼女にできるのはそれくらいだ。

 彼女や彼女の撮影隊に直接世話になってはいないかもしれないが、これは恩返しでもある。

 それが済んだら、俺は今度こそこの世界にさよならを告げよう。


「家? わたしの家はここですわ。……もう住めなくなりましたが」


「ここが家?」


 どうやら彼女はこの廃城に住んでいたらしい。

 なんとも変わった趣味だ。

 というか、自宅でAVの撮影をしていたということか?

 いや、あまり詮索するのはやめよう。若い女性に失礼だ。


 その時だ。 


 ギャオオオオオオオ、という地面を揺らすような叫びが耳朶を打った。


 聞いたことのない動物の鳴き声だ。

 虎やライオンよりも野太く、ノイズが走ったような歪んだ声。


「今のはなんだ?」


「まさか……山のヌシじゃ……!」


「山のヌシ?」


 ニナニーナは山の下方を見ながら、こくりとうなずいた。

 その顔は真っ青だった。


「まずい……聖剣が折れたから結界も解けたのですわ……! もし今見つかったら……!」


「なあ、山のヌシとはなんだ?」


「逃げますわ! 殺される!」


「なぜ逃げるんだ?」


「いいからっ!」


 ニナニーナは金切り声に近い声を上げ、俺の手を引いて走り出した。

 山の頂上にある城から、麓に向かって曲がりくねった山道を駆け下りる。


 道に突き出した枝を避けつつ、生えている樹木や植物に視線を向けると、どれも見覚えのない種類だった。

 虫や爬虫類らしき生き物もいたが、ことごとく知らない。


 俺はいったいどこの山にいたのだろうか?

 さっきの城は撮影用に組まれたセットだとしても、この山から見下ろせるあの中世ヨーロッパ風の町並みは何だ?

 テーマパークだとしても広すぎる。

 ここはいったいどこだ? 俺のいた山ではないのか?


 しかしそんな疑問もすぐにかき消される。


「っ……!!」


 ニナニーナの足が止まる。


「ごめんなさい……逃げる方向を間違えましたわ」


 俺たちの目の前には、目を疑うほど巨大な生物がいた。

 四足歩行。

 巨大で知られるヘラジカをさらに一回り膨らませたような巨体。

 頭の高さは、4mはありそうだ。

 体長は長い尻尾を含めれば10m近いだろう。


「あれは……馬か?」


 四足歩行していて、馬に似ているが、頭蓋が極端に大きい。

 首から下もずんぐりとしていて重量感がある。

 背中からは肉厚の短い翼が生えていて、全身は金属質の鱗に覆われている。


 これはまるで、現実には存在しないはずの……竜のようだ。

 しかしそんな生き物は存在しないので、馬と表現するしかなかった。

 俺たちの走ってきた山道は通行用に舗装されていて2mほどの広さがあったが、そんな幅ではまったく足りず、その馬もどきは道の両脇の木々をなぎ倒しながら進んでいた。


「あれが山のヌシ……馬頭竜(ばとうりゅう)ですの! 下級でも竜種! 襲われたらひとたまりもありません!」

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