第2話 人生音痴
人に運動音痴や方向音痴があるのなら、俺は人生音痴だった。
数年前に内臓の癌で死んだ母親は、今わの際に「お前は昔から要領が悪かった」と泣きながら言った。
58年の人生の集大成として遺す言葉がそれかと思った。
歳のわりに髪に色艶がなくシワの多い母親だと思っていたが、それもこれも要領の悪い俺が苦労をかけたせいだった。
小学3年の夏に同じ病気で親父を亡くし、母は女手ひとつで俺を育ててくれた。
小学生の頃から俺は、勉強といえばノートに文字を書くことだと思っていて、5冊380円のキャンパスノートに漢字や数式を書き連ねていく一方で、肝心の脳細胞にはまるでそれがインプットされなかった。
けれど、表紙の裏までびっしりと小さな文字で埋め尽くされたノートを眺め、それが何冊も机の下に積みあがっていくのを見るにつけ、俺は震えるような達成感を得てしまった。
目的の履き違えだ。
将来のためでも、テストで良い点をとるためでもなく、いつしかノートを文字で埋めることが目的になっていた。
学生時代のほとんどは黙々とその作業に費やした。
漫画やTVも見ない。ゲームだってしなかった。
ずっと勉強をしていたと言えば聞こえはいいが、やっていたのはただの作業だ。
そんな俺が、生き馬の目を抜く就活レースで転倒するのは火を見るより明らかだった。
大学は猛勉強して偏差値は平均より少し下ほどの地方大に入れたが、そこでの成績は相変わらず地を這ったし、身につけたものもほとんどない。
就活レースに出走すれば、頭の出来がまったく違う駿馬もいれば、そもそも出走する必要すらないサラブレッドもいて、俺は当然のように彼らの後塵を拝した。
時代はいわゆる就職氷河期という重馬場で、俺はまともに走ることさえできなかった。
そこで出会ったのがローキックだった。
封書やメールで不採用通知を何度も受け取り、鬱々としていた夜にTVでたまたま見た総合格闘技の試合。
小石川という日本人選手が屈強な外国人選手と対峙していた。
黒い肌をした、岩のような体の外国人選手に対し、小石川選手の体の線は細く、上背はあるものの、とても勝ち目があるようには見えなかった。
俺はチャンネルを変えようと思った。
愛国心など大してないが、同郷の選手が無様に負ける姿を見たいとも思わない。
公然と負け姿をさらすのは俺だけで十分だ。
リモコンに手をかけたが、ゴングの直後ワッと聞こえた歓声に動きを止めた。
炸裂したのだ。ローキックが。
きっと小石川選手を舐めていたのだろう、体格にものを言わせて突進してきた外国人選手を、彼はローキックひとつで封殺した。
小石川選手のフットワークはまるで蝶だ。
全身を竹のごとくしならせ、「バチィッ!」と相手の太股の肉が弾ける音を響かせる。
当初は「効いていない」というジェスチャーをして、薄ら笑いさえ浮かべていた相手選手の顔がだんだんとゆがんでくる。
相手を食い殺さんばかりの獣のようだった形相が、子供の泣き顔のようになっていく。
試合は3R途中で決着した。
すっかり足の止まった外国人選手は小石川選手の足技の餌食だった。
最後は命乞いをするように「やめてくれ」と合掌し、背中を向けて何歩か片足跳びをすると、ごろりとマットにもんどりを打って倒れた。
高らかにゴングが鳴り、レフェリーによって小石川選手の右手が高々と挙げられた。
しかし勝者は快哉を叫ばない。
彼は自分のローキックを信じていたのだ。
俺はTVの前でぶるっと震え、「これだ」と思った。
この映像を見たのがこの時でなかったら、これほど響かなかったかもしれない。
気づいたら立ち上がり、1K6畳の狭い部屋で、息を切らして何度もローキックのまねごとを繰り返していた。
それから俺の人生は変わった。
まわりの同年代と比べて俺は相変わらず劣っていたし、人間関係だってうまくやれなかった。
けれど、俺にはローキックがあった。
ローキックはいい。
なぜなら誰にでもできる。
格闘技未経験者はもちろん、不格好さに目をつむれば、どんな運動音痴だってできる。
脚を高く上げる必要はない。歩くことと大して変わらない。
器具はいらない。センスもいらない。地味だが鍛えれば刃になる。
つまり、ローキックは弱者の武器だった。
だから俺にもできた。
問題は継続できるかどうかだけ。
それは唯一俺が得意とするものだった。
俺はamazonで一番いいサンドバッグを注文し、毎日ローキックを繰り返した。
くる日もくる日も。
すると身体に変化が表れる。
駅の長い階段もすいすい昇れるし、姿勢が悪いせいで痛めていた腰も完治し、風邪も引かなくなった。朝だってすっきり起きられる。
歯車が噛み合った感覚。
まるでローキックの一発一発が、生まれてずっと空回りを続けていた俺の人生の歯車を矯正してくれたようだった。
やがて俺は内定通知を手に入れた。
いよいよ就職戦線の窓が閉まる3月上旬のことだった。
誰もしらない地元の中小企業だし、初任給は17万円だし、年間休日は100日を切っていたが、内定は内定だった。
そのことを報告すると、まだ存命だった母親はとても喜んでくれて、俺の大好きな鶏の唐揚げを山のように作ってくれた。
腹一杯になるまで食べた。うますぎて涙がでた。
そんな俺を見て、母親はまたシワの深い顔で笑った。
ローキックは俺だけではなく、俺のせいで不幸になった母親までも幸せにしてくれた。
やがて俺は呼吸するようにローキックを放つようになった。
家ではもちろん、移動中も当然だ。
本来歩いて5分のコンビニへ行くのにも片道で1時間半かかったし汗だくになるのでTシャツの替えが必要だった。
安物のスニーカーは3日で穴が開き、ジーンズも1~2週間でダメになった。
やっと内定をつかんだ会社が想像以上のブラックで、歯の黄色いクズの鑑のような上司から理不尽な暴力やパワハラを受けても、「俺にはローキックがある」と思えば耐えられた。
同期や後輩がどんなに優秀で、若い女性社員と一緒になってうまくやれない俺を鼻で笑おうと、やつらより俺のローキックの方が充実していた。
ローキックは俺に無限の勇気をくれた。
だから俺はますますローキックに没頭していった。
そして気づけば14年がたち、俺は35歳になっていた。
日々積み重ねたローキックは8億回を超えていた。
蹴り出しから残心までの時間は日々高速化し、もはや肉眼では捉えられなくなった。
蹴り高を求めて、金属バット、石壁、鉄塔、何でも蹴った。
格闘技への挑戦も考えたが、ローキックしか能のない俺の出る幕ではない。
仕事は辞めた。山奥に住んだ。
魚や鳥を捕って食べ、ただローキックを蹴るだけの人生を送るようになった。
『お前は昔から要領が悪かった』
山の頂上に寝そべって、星を見ながら死んだ母の言葉を思い出した。
着ている服はボロボロで、口ひげは生え放題だった。
俺はまた目的の履き違えをしていた。
執拗にノートに文字を埋めることが勉強だと思っていたように、俺はローキックを蹴ることが生きることだと思っていた。
そして蹴るものを失った瞬間、俺は絶望し、生きる意味さえ失った。
そして俺は自殺を決意し、自称・女神に出会ったのだ。
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