俺はまだ異世界をしらない ~ローキックを極めすぎた男、お約束がわからず聖剣を蹴り折る~

石原宙

第1話 この女、AV女優か


「……蹴り高だな」


 俺は興奮を抑えきれず言った。


「ケリダカ? 何を言っているのです?」


 自称・女神は不思議そうに、整った小作りな顔を歪めた。


「要は蹴りがいがあるということだ」


「け、蹴る!? まさかこれを蹴ると言っているのですか!?」


 俺の前には、地面に剣先を深く突き立てられた西洋剣があった。

 まるで根を張ったように、大地と一体化しているように見える。


 それを背後から見守るのは、古びた玉座。

 ここは西洋風の廃城らしい。

 石造りの床。豪奢な装飾の施された柱。巨大なウェディングケーキのようなシャンデリア。

 しかしそのどれもがひび割れ、錆びつき、無残に欠け落ちていた。

 なぜ日本の山奥にこんなものがあるのかわからないが、金持ちの道楽かバブル期に作られた無計画なテーマパークが廃墟化したものだろう。


 どうして俺がこんなところにいるかと言えば、古トンネルだ。

 自殺を心に決めて、山の頂上に向かった俺は、その途中で見慣れない古トンネルに出くわした。

 それをくぐるとここに出て、このニナニーナと名乗る自称・女神に出迎えられた。


 ニナニーナが“これ”と言ったのは、玉座の前の地面に突き立てられた西洋剣だった。


「この聖剣をですか!?」


 俺はこくりと頷いた。


「見れば見るほど立派な剣だ。きっと由緒ある剣だろう」


 おいそれと形容しがたい荘厳なる威容。

 この剣が切り結んだ長大な歴史が透けて見えるようだ。

 この廃城が作り物だとしても、この剣だけは本物かもしれない。


「あ、当たり前ですわ! これは世界を救った先代勇者さまの聖剣ですよ!? ひと振りで海を断ち、ふた振りで魔獣の国を更地に変えた、今代最高位列の聖遺物! その名も『1000年の孤独』!」


「ほう、少々修辞が大袈裟だが、名のある業物なのは確かなようだ」


 この剣は普通ではない。オーラでわかる。

 女の言葉は意味不明だが、今まで俺が蹴ってきたあらゆるものを超越する存在感がある。


 ……この剣なら、俺のローキックに耐えられるかもしれない。


 胸の高まりを抑えきれない。

 なぜなら、ついさっきまで俺は絶望の淵にあったからだ。


 もうこの世に俺の蹴るものなどない、と。

 こんな山奥の切り立った断崖に足を運んだのも、自ら命を絶つためだった。


 大人の男を5~6人束ねたような大木も蹴った。

 アフリカゾウもかくやという巨岩も蹴った。

 廃ビルの剥き出しになった鋼柱も蹴った。

 しかし、木は折れるし、岩も砕けるし、鋼材は油粘土のようにぐにゃりと曲がった。

 山奥で旧日本軍の戦車を見つけた時は目を輝かせたものだ。

だが、一蹴りでそれをスクラップに変えてしまった時、俺はもう生きる意味などないと悟ったのだ。

 もはやこの世に俺の蹴れるものは残されていない、と。


「どいてくれ。怪我をする」


「本気で蹴るつもりですか!? これは先代勇者さまの聖遺物ですよ!? 恐れ多い! 頭変なんですの!?」


「頭は変じゃない。だが蹴る」


「変じゃないですか! わたしは抜いてくださいと言ったんですわ!」


「抜く?」


「そう! 抜いてくださいと!」


「すまない。下ネタはやめてくれ」


「なんでですの!?」


 この女は出会ってすぐで下ネタをいけしゃあしゃあと。

 こんな誰もいない山奥で二人きり、女が男に「抜いてくれ」だと?

 そんなことを言われたら考えるのは一つしかない。


 見れば、服もやたらと煽情的だ。

 女の服は複雑怪奇な代物だが、この女の服は輪をかけて難解だった。

 胸元や腰布の辺りに大小さまざまな宝石(おそらくイミテーションか安い石だろうが)が縫い留められていて、どこか異国の装束だろう。


 そしてとにかく露出が多い。

 肩や両脇、太ももは大胆に露出している。

 意外に胸は豊満で、中につけた申し訳程度の胸当てではその深い谷間を隠せていない。

 しかもところどころ布地は土で汚れ、破れてるときた。

 さっきからずっと、裂けたスカート部分からチラチラと下着が覗いている。

 俺に劣情をもよおせと言わんばかりだ。


「地面に刺さってるすごそうな剣を見たら、抜こうとするのが普通でしょう!? しかも女神のわたしまでいるのに!」


「女神……なるほどそういうわけか」


 この美貌。

 扇情的な衣服。

 そして健康な男子に対する『女神』。


 息をするように下ネタを吐くことから考えると。


 ……この女、AV女優か。


 間違いない。

 この人気のない廃城も撮影用セットだ。

 合点がいった。

 現代日本にこんなものあるはずがないからな。


 彼女の見た目も西洋人風だ。流ちょうな日本語を話すから、ハーフなのかもしれない。

 最近のAVはシチュエーションに凝っているが、これだけのセットを用意して女優も衣装も抜かりがない。これはなかなかの力作だ。

 荒廃した西洋風の城で行われる大人の秘め事……乙じゃないか。

 レンタルにあったら借りてもいい。


「……なんですの? わたしをじっと見て」


「いや。恥じる必要はないと思ってな。職業に貴賤などない」


「どういう意味ですの?」


「俺もずいぶん世話になった。胸を張れ」


「……??」


 不思議顔の自称・女神。

 デリケートな話だ。俺も深くは突っ込むまい。


 ニナニーナの見た目は幼く17~18歳くらいに見える。

 まぁ、やっている仕事が仕事なので20歳は超えているだろう。

 

 見間違いかとは思うが、彼女の全身が常にほの白く発光しているように見えた。

 これほどの美貌と若さを持ち、品もいい。

 それでAV女優をしているということは、何か事情があるのかもしれない。

 もしくはかなりの好きモノか。


「それにしても、おかしいですわ? 今の日本では異世界ってだいぶ一般的になっているはずですのに……。あなた小説とか漫画とか読みません?」


「読まない。それはローキックよりも楽しいのか?」


「知りませんわ!」


 ニナニーナが「もう!」と頭を振ると、繊細な銀糸の髪が踊るように揺れた。


「ともかく、蹴るなんて言語道断! 不敬以上にあなたの足が千切れて飛びますよ!」


「刃の背を蹴る」


「それでも足が砕けます! 聖剣をなめないで!」


「構わない。むしろそれこそ本望だ」


「はい??」


 言ってみて、確かにそれこそ俺の理想の死に様だと思った。

 もう14年、寝る間も惜しんでローキックを蹴り続けた。

 俺はローキックとともにあり、最期の瞬間もローキックとともにあるのが筋だろう。


 きっと運命だ。

 たまたまこんな山奥でAVの撮影が行われ、たまたまいわくつきの業物が撮影用の小道具として持ち込まれ、死を覚悟した今それに出会ったのだ。


 蹴るしかない。

 蹴る以外に選べない。


「それに俺のローキックもヤワじゃない。心配するな」


 俺は剣の前まで歩を進め、ゆっくり腰を落とした。

 するとニナニーナは呆れたような、不気味なものを見るような目になった。


「なんなの? なんなんですの、あなた? 普通じゃない! わたしはここで数え切れないほど転移者を見てきたけれど、あなたのような人はいなかった!」


 何者か、か。

 テンイシャ、というのはよくわからないが、確かに俺のような人間はそうもいないだろう。


「俺は武術家でも格闘家でもない。ただローキックに魅入られ、その恩寵で生き長らえた冴えない無職童貞だ。彼女もいないし、夢もない。俺には文字通りローキックしかない」


「ローキック?」とニナニーナはいぶかしげな顔をする。


 俺は腰を落とし、剣をまっすぐ見つめたままで、「なあ」と彼女に問い返した。


「ローキックに人生を救われたと言ったら、君は笑うか?」

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