(3)
「それで、眼は治してもらえたんですか?」
村を後にした依代と祥之助は、約束通り茶屋に立ち寄りおはぎを娘から奢られていた。
「残念ながら、眼を治してもらうことは出来ませんでした」
「あ~それは残念」
依代よりも落胆した様子で額に手を当て空を仰ぐ娘。
その声は単に合わせているというより、心底同情したものだった。
「でも、あんまり絶望しちゃだめよ。気をしっかり持ってね!」
「はい。元々ダメ元で向かっただけですから。お陰であなたのような優しい方と巡り合えましたし。それに」
と、思わせ振りに言葉を切れば、娘さんは「それに?」と依代の肩に手を置いて依代の顔に自分の顔を近づけた。
その耳に、依代はそっと耳打ちをする。
「実は、例の掛け軸を頂いて来たんです」
「え?」と、素直に驚く気配。
「本当に貰って来たの?」
「はい。ここに」
と、胸元からそっと掛け軸を覗かせると、
「え? え? え? なんで? どうして?」
慌てて周囲を見回して、何故か声を潜める娘に、依代はクスクス笑って答えた。
「実は少し前から掛け軸の効果が無くなっていたようなんです。それで、せっかく遠くから来てくれたのに申し訳ないと持ち主さんがおっしゃってくださって、お詫びとして掛け軸を下さったんです。もしかしたら、毎日お願いしていたら奇跡が起きるかもしれないからと」
「それが本当だったら凄いじゃない!」
「はい。それで本当に奇跡が起きて目が治ったら万々歳なんです。ですから、あまり落胆もしていないんです」
「あ~それは良かったね!」
まるで身内だとでも言わんばかりに、ギュッと依代を抱きしめて喜ぶ娘。
「沢山沢山お願いして、奇跡を起こしてもらってね!」
「はい」
と、満面の笑みで答えると、『お勘定』と告げられた娘は「は~い」と返事をして去って行く。
見えていないというのに、親しみを込めて片目を瞑って見せるのに、気配だけを頼りに手を振り返す。
その頭の上から、『よくもまぁ、すらすらと』と、感心したような呆れたような祥之助の声が降って来る。
「だって、眼を治せないと言われたことは本当ですから」
事実。依代は眼を治せないと《菩薩》に言われていた。
そうそう都合よく事は運ばないということは覚悟していたし、知ってもいた。
だからと言って、まったく落胆しなかったと言えば嘘になる。
思わず依代は、鬼に捕らわれていたものの生き残っていた人々を逃がした後、《菩薩》に訊ねていた。
「治せない原因は何ですか? 信心が離れたせいで力が弱まったせいですか?」
対して《菩薩》は答えた。申し訳なさそうに目を伏せて、
『力が弱まったせいと言うよりも、あなた様のその目は病によって視力を失ったのではなく、《眼》そのものを奪われているのです』
「そうですか」
『それでも、奪った者よりもワタシの力が上であれば、少しばかり取り返すお手伝いぐらいは出来たかもしれませんが、相手は格段に上です』
『当てが外れたな』
素っ気ない言葉を掛けて来たのは刀のままの黒雷。黒雷の言葉に、《菩薩》が申し訳なさそうに肩を竦める。
『せっかくワタシを取り戻してくださったのに、何のお力にもなれず……』
「いいのですよ。そう思ってくださるだけで私は幸せです」
『どうだか』
「本当ですよ! どうして黒雷はそういう意地悪なことばかり言うんですか」
『ふん』
と、刀の柄を掴んで抗議の声を上げる依代に対して、黒雷は小馬鹿にしたように鼻を鳴らす。
「そもそもあなたは寝るんじゃなかったんですか!」
『ああ。寝るさ。その前にお前の取り越し苦労を嗤ってやろうと思ったまでのこと』
「言うほど笑ってもくれていないくせに!」
『どうでもいいからな。だが、気は済んだ。後はもう話し掛けるな』
「今は私から話し掛けてなんかいませんでしたよ!」
堪らずと言った風に不満を爆発させるも、黒雷は本当に沈黙を守り無視をした。
「酷い《ヒト》だと思いませんか?!」
思わずと言った様子で《菩薩》に意見を求めれば、
『あなたは不思議な方ですね』
半ば呆然とした様子で《菩薩》は依代を評価した。
『ワタシたちのようなものが恐ろしくはないのですか?』
「恐ろしいですよ?」
『ならば、何故?』
「好きだからです」
『え?』
「好きなんです。付喪神(みなさん)が。人のことを好きでいてくれる皆さんが。人のために役に立とうとしてくれる皆さんが。報いようとしてくれる皆さんが。ですから、そんな皆さんのことが私も大好きなんです」
その答えに、《菩薩》は二呼吸分ほどの間をおいてから、
『そんな優しいあなたの《眼》を一体誰が奪ったのですか?』
一体どんな思考を巡らせたものか、《菩薩》が問い掛けて来たから、依代は答えた。
「人ですね」
『え?』
実にあっさりと答えれば、《菩薩》は言葉を失ったように依代を見た。
「人が生み出したモノが奪って行ったのですから、人ですね。どうやら私は、少しばかり見なくてもいいことばかり見てしまったようで、報いを受けたのだと言われました」
『報い……』
「ある意味では、職業病ともいえる結果なので、仕方がないと言えば仕方がないのですが……。場合によっては命まで奪われることもありますからね。それを踏まえて考えれば、眼だけで済んで良かったということなのでしょうが。それでも時々無性に『見たくなる』ときというものがありまして。出来れば取り戻したいと思っていただけなので、あまり気にしないでください。あなたのせいではないのですから」
と締め括れば、
『本当に、あなたの気持ちに報いることが出来たらどんなに良かったか。ワタシを生み出してくれたあのヒトの魂を取り戻して解き放ってくださったというのに、ワタシには何もできません』
「だったら、一つあなたにお願いがあるのですが……」
『なんでしょうか?』
「あなたには手伝ってほしいのです」
『何を……ですか?』
と、《菩薩》は小首を傾げて問い掛けた。
故に依代はお願いした。
「どうか。その力を私に貸してください。私の店で、病に苦しむ人々を助ける手伝いをしてください」
相手の後ろめたさと善意に付け込んだなんとも傲慢なやり口だと、黒雷が刀の中で嘲笑したことに依代は気付かない。《菩薩》も同じく気が付かない。結果。
『是非。あなた様のお役に立てるのであれば』
《菩薩》は依代の元へ渡ることを良しとした。
「ですが、本当に彼をそのまま店に出して大丈夫なのですか?」
名残惜しまれながら茶屋を後にすれば、ずっと気になっていたとばかりに祥之助が訊ねて来た。
「あの村の二の舞になるのでは?」
「ええ。ですから、実際に店に並べるのは《写し》の方です」
「写し……ですか。では、あの者に頼むので?」
「はい。あの方しか出来ないことですからね。沢山の絵の具と紙を持参しなければなりませんから、後で紙屋さんにもいかなければなりませんし、顔料を仕入れなければなりません」
「そうですね。絵を描く道具以外は一切受け取ってくれませんからね」
とても気難しい絵師の顔を思い出して深々と息を吐く祥之助に依代は微笑みを返す。
「本体は保管して、写しだけを貸し出します。そうすることで沢山の人を救えますからね。勿論。《写し》でも約束を違えれば相応の報いがありますから、注意事項に関しては徹底的にしつこいくらいに言い含めないといけませんが。それを守って下さる限り、《菩薩》様は沢山の人の守り神になってくださいます」
「守り神……」
「あ、仏様なのに神様だと言ったと思っているでしょ」
「あ、いえ。別にワタシは」
と図星を刺されてしどろもどろになる祥之助。
「良い得て妙なだけです。守り仏でも守り神でもいいんです。人に寄り添って人に頼られて、人が信じてくれてより良い関係が続いてくれればそれでいいんです」
「はい」
「楽しみですね」
「そうですね」
心底嬉しそうに楽しそうに依代は声を弾ませる。
「そうやって、店で大切にして、沢山の人を助けて、沢山の人から感謝されたら、もっともっと《菩薩》様の力が強まって、そうなれば、もしかしたら私の《眼》も取り戻すことが出来るようになるかもしれませんし、私の《眼》が無理だとしても、咲助(さくすけ)の声は取り戻せるかもしれませんからね」
夢だけがどんどん膨らんでいくようだった。
それが本当になったらどんなにいいだろうかと、心から望んでいる声だった。
普通、人間はここまで強く思い続けることは出来ない。
力には縋るし、奇跡は求める。
期待通りにいけば喜んで。
期待が外れれば罵って。
自分に非があろうとも認めることは難しく。容易に目は曇り、責めるべき対象を見つければ容赦しない。
むしろ、あの村の人間たちの振る舞いが普通なのだ。責任は負いたくはないが結果は欲しい。
前を見続けることは難しい。
常に青空が広がっているわけではない。進むべき道が見えているわけではない。
それでも依代は前を向く。己が望むべき世界へ突き進む。
時に冷酷に。時に非情に振舞いながら、救うと決めたものを救うために突き進む。
自身がどんなに危険な目に遭ったとしても。その危険から身を守るためについて来る《身代わり人形》が傷つくことも恐れながら、遠ざけながら、守りながら傷ついて突き進む。
とてもではないが危なっかしくて放っておけるものではなかった。
夢を見ていると言われてしまえばそれまでだ。
そんなことなど分かってはいるが、祥之助はついて行くと決めていた。
「そのために、微力ながらワタシもお手伝いしますよ、依代様」
「当然です。期待していますよ、祥之助」
当初の目的は果たされなかったが、ただで帰らないのが依代だ。
《奇跡の掛け軸》を取り戻し、足取り軽く家路を急ぐ。
出来ればもう少しゆっくりと二人旅をしたいものだが、依代の頭の中は既に《菩薩》を連れ帰った仲間の反応がどんなものかという想像に入っていた。
店に人間は三人だけ。残りはすべて付喪神。そんな場所にいるのだから、人外の者に危機感が薄いかもしれないと思いつつ、だからこそ店の者は皆、依代のことが好きなのだと思いつつ、祥之助は依代の話に相槌を打ち、時に窘め、時に呆れ、共に笑い紅葉の始まったばかりの山道を進みゆく。
いつかまた、この景色をその目で楽しめることを願いながら。
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