第一章 『奇跡の掛け軸を求めて』

(1)

「おはぎとお茶、お待たせしました~」

「ありがとうございます」

 緋毛氈の敷かれた床几に腰掛けた十六、七の娘が軽く頭を下げて応じた。

 一体どこからやって来たものか、紅葉柄の小袖に臙脂色の袴に脚絆姿。傍らに杖と編み笠を置いた人形のように綺麗な娘だった。艶のある黒髪を背中でゆったりと赤い布で一つに束ね、ニコリと微笑まれれば、同じ女でありながら、茶店の娘も思わず見とれるほど。そして何より印象的なのは、これまで一度として見たことのない銀色の瞳だった。

 本来であればあり得ない色だ。物の怪か異形のモノだと恐れられても不思議はない。

 ましてや、その腰には本来不釣り合いな一振りの刀。

 見事な螺鈿細工が施された黒い鞘はとても美しいが、少なくとも娘にはものすごく不釣り合い。

 だが、それを補ってなお、その娘は美しかった。

「依代(よりしろ)様、どうぞ」

 と言ったのは、月代を剃り、髷を結った青年だった。

 月代を剃ってはいるが武士ではない証拠に、その腰に刀はなく、青い旅装束に身を包んだ青年は、とても優しい顔つきをしていた。

 決して美男子ではない。十人並みと言えば十人並み。ただ、その優しい眼差しがとても魅力的だと茶屋の娘は思った。

「ありがとう、祥之助(しょうのすけ)」

 と、娘――依代の手を取っておはぎの乗った小皿を持たせた祥之助に微笑み返す依代。

 随分と過保護だなと茶屋の娘は思ったが、二人の醸し出すなんとも温かな空気を目の当たりにすると、そんなことはどうでもいいかと思えてしまった。

 代わりに、むくむくと沸き起こって来たのは好奇心。

 一体二人はどんな関係なのだろうかと興味が湧いた。

 二人の会話から見るに、兄妹と言う関係ではないということは分かっていた。

 どちらかと言えば、依代が主で祥之助が従者。

 徐々に徐々に色づき始めた木々が立ち並ぶ街道の一角。足を止めて腹ごしらえをする旅人は数知れず。一人旅もいれば二人旅もいる。行商人も芸人たちの団体も。皆それぞれの事情で持って旅をする。

「お二人さんはどこまで行きなさるんですか?」

 こんな詮索をしていれば父親に怒られると思いながらも、聞かずにはいられなかった。

 下手に詮索をして不興を買い、大ごとになったことがあるからだと口酸っぱく言われていたため、常ならば黙って会話に耳を傾けるだけだったが、何故か無性に興味のある組み合わせに、気が付くと心の声が漏れていた。

「ん?」と小首を傾げて振り向かれ、一体どうしたのかと思ってから気が付いた。自分の問い掛けが口を吐いていたことを。

 しまったと思い慌てる娘に対して、依代はふわりと微笑んで己の眼もとに手を添えると、

「この先の村に《奇跡の掛け軸》があると聞きまして、是非とも私の失った目の光を取り戻してもらおうと思い、ここまでやって来た次第です」

 何ということもないとでも言わんばかりの軽い口調で答えてくれた内容に、浮かれていた気持ちが一気に冷めた。

「あ、あたしったら、なんて無神経な」

「いえいえ。どうかお気になさらず。眼が開いていれば見えないとは誰も思いませんからね」

「ごめんなさい」

「大丈夫ですよ。それより、あなたはご存じですか? その噂」

 年下であるはずの依代がさりげなく話題を変える。

「一撫でするとたちどころに病が治る掛け軸があるという話です」

 娘は依代に見えていないにも拘らず、力強く何度もうなずいて答えた。

「その話ならよくよく知ってます! 先月も先々月も、それを目的に旅人さんが沢山ここを通りましたから」

「そうですか。では、本当にあるのですね」

「はい!」

 ふふふと嬉しそうに微笑む依代に、力いっぱい頷く娘。しかし、

「でもよ、神隠しが起きてるって話もあるぜ」

 依代たちの反対の床几に腰掛けていた薬売りの男が突如口を挟んで来る。

「神隠し……ですか?」

 不穏な単語に眉を顰めたのは祥之助。

「ああ。嘘か本当かは知らないが、その村に行ったまま帰って来ない輩もいるって話だ」

「まぁ。それが本当であれば大変なことですね」

「ああ。あんたみたいな別嬪さんは、それこそ神さんに気に入られて戻って来られなくなるかもしれねぇぜ」

「「そんな」」

 と、声を揃えて上げたのは祥之助と娘。

 攫われると言われた当の本人は、

「それはそれで貴重な体験かもしれませんね」

「どこがですか! そんな危険な噂があるなんてワタシは知りませんでしたよ!」

「私も知りませんでしたよ?」

 取り乱す祥之助に軽く微笑んで返す依代。

「存外娘さんの方が肝が据わってるねぇ」

 薬屋はくつくつと喉の奥で笑って見せた。

「これでもいろいろな経験していますからね。それより、もっと詳しく神隠しのお話を聞かせてはくれませんか?」

「おっと。さらに詳しくかい?」

「はい」

「そいつァ困った」

「何がですか?」

「俺も神隠しが起きてるように人が消えてるって話を小耳に挟んだだけだからさ」

「じゃあ、嘘ですね」と言ったのは茶屋の娘。

 対して薬屋は大して気を悪くした様子を見せず、肩を竦めて苦笑い。

「嘘かほんとかまでは調べようがねぇからな。単にそんな話を聞いたってだけのこと。ただ、何かおかしいと思ったらさっさと逃げることをお勧めするがね」

「はい。御忠告ありがとうございます」

「ほんとに素直な娘さんだね」

 素直に頭を下げる依代に、苦笑を深めた薬屋は、

「さて。そろそろ行くとしますかね。ああ、娘さん。そちらの娘さんの分も含めてお代だよ」

 よっこらせと小さな薬箪笥を背負って立ち上がると、気前よく自分と依代の分のお代を置いて去って行った。

「どうせならワタシの分も払ってくれれば良いものの」

 と、不満げに呟く祥之助をよそに、

「でも、面白い話が聞けましたね」

 依代は心底楽しそうに口にして、まるで見えているかのようにおはぎを一口、口にした。

「全然面白くなんかないですよ」

 眉尻を下げて情けない声を上げる祥之助。

「ついでに神隠しの真偽のほども確かめて来ましょうか」

「本当に勘弁してください」

 真顔で忠告する祥之助を見て、茶屋の娘は確実に依代が主なのだと確信した。

 嘘か本当か分からない噂話。

 どんな病も治してくれる掛け軸と、神隠しが起きているらしい村。

 話は聞いても出向いたことのない村に行く二人に対し、娘は願った。

「どうか、帰りに村でのこと教えに来てくださいね! おはぎ奢りますから、絶対寄って下さいね!」

 ある意味それは、自身の知らなかった不穏な噂話になど捕まらずに、無事に帰ってきて欲しいという願掛け。

 それが伝わったのかどうなのか。

「はい。是非立ち寄らせていただきたいと思います。こちらのおはぎ、とてもおいしいですからね」

 ふわりとした笑みを浮かべて約束してくれた依代からは、娘は察することが出来なかった。

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