緑のたぬきとお父ちゃんのお迎え

森下 四郎

緑のたぬきとお父ちゃんのお迎え

僕が小学校に上がるくらいだったので、昭和50年代の半ばだっただろうか、その頃、両親は頻繁に夫婦喧嘩をしていた。

時には父親の投げた、日本酒の入った湯のみ茶碗が壁にぶつかって壊れ、罵声が飛んだこともあった。

そういった時、母は泣きながらも僕たちをかばっていた。はっきりと記憶は無いが母は殴られたこともあったように思う。

父は酒癖が悪く、酔うと歯止めが効かなかったようだった。

喧嘩がなんともならなくなると、母は自分の実家に僕と兄を連れて避難生活をすることも一度や二度じゃ無かった。


僕が大人になった今、それは結構悲惨な風景だったということがわかるが、実はその当時の僕は祖父に先立たれて一人暮らしだった祖母の家に行くのが、かなり楽しみだったように記憶している。


それは、学校が近かったことと、自宅では食べられなかったインスタント食品やお菓子、アイスとかをふんだんに食べられたことが理由だった。


母がメソメソとしているその隣で僕と兄は、祖母の出してくれるカップ麺を貪っていた。

祖母の口癖は「食べにゃあいかんで。食べんと元気にならんからね。」だった。

ある意味、一時期はそれがお楽しみのイベント化していたようにすら思う。


しかし、あるときの喧嘩はそれまでとは違っていた。

いつも通り父が酔って怒りだすと、母親は毅然と言った。

「わかりました。もうええです。ここに離婚届を書いておいたけん、あんたの方で出しておいてください。長らくお世話になりました。」

と言って、僕と兄の手をとって、父の返事も聞かずに家を出たのだった。


子供心に、またカップ麺が食べられる。と思った。


しかし、その時の喧嘩は尾を引いた。おそらく半年近くは祖母の家にいたからだ。

母の強情さに根負けした父が何度も祖母の家を訪ねたが、祖母は家に一歩も入れなかったし、母も会わなかった。

僕と兄は少し不穏な空気に怯えながらも、なんだかんだとその暮らしを満喫していた。


ある日、いつものとおり学校に行き、下校しようとすると校門のところに父が立っていた。

「おい、隆。お母さんは元気か?ちょっと呼んできてくれんか?話があるんよ。」

猫なで声という単語はその当時知らなかったが、なんだか怖いと思った私は全力で駆け出して父から逃げた。


後ろから何度も父が呼ぶ声が聞こえたが完全に無視した。

そしてそのことを母にも言うことはなかった。


しかし、次の日も、その次の日も父は校門に立っていた。

日に日に父の顔が悲しい感じになることだけは子供にもわかった。


多分5日目くらいだったろうか、私は父に言った。

「今日はお祖母ちゃんがおらんけん、鍵を開けとく。」


その日、父は泣きながら母に謝っていた。地べたで土下座もしていた気がする。

そして母はため息をつきながら、奥にいた兄と僕を呼んで、こう言った。

「明日、学校終わったらお父ちゃんのところに帰るけんね。」


僕は嬉しいような気もしたが、圧倒的に残念だった。

そのことを祖母に言うと、僕と兄に優しく言ってくれた。

「いつでもここに来たらええけんね。ここはお前たちの家じゃけんね。」

そう言って、その当時新商品として発売されて、まだ食べたことが無かった緑のたぬきにお湯を入れてくれた。初めて食べたその味は、僕たちの中では祖母の家の味になった。


それからもう40年以上が経った。


祖母は僕が大学生の頃に病院で亡くなった。最後の頃、病院に見舞いに行くと、僕を見ても兄の名前を呼んでいた。


父は70歳を過ぎた頃から入退院の繰り返しになった。ガンだった。


母は、若い頃はあんなに喧嘩していたのに、晩年は父の看病に明け暮れてた。

でも、その頃の母はむしろどの時よりも輝いていたとすら感じる。


そんな父が10年前に80歳でガンで亡くなった。

母と一緒に寝ていて、朝起きなかったという安らかな死に際だった。父は本当に好きなように生きた幸せな人だった。


僕は地元から遠く離れた地域で妻と一緒に暮らしていた。

会社に行く前にシャワーを浴びていると妻が風呂場に駆け込んできた。

「お母さんから電話。お父さんが死んだって。」

妻の顔は蒼白だった。

慌てて電話に出ると母は冷静だった。

「お父さんが死んだけん。隆は仕事が忙しいと思うけんど、帰ってこれるかよ?」

僕は慌てて会社や上司にメールを送り、すぐに実家に帰った。


母が冷静で気丈だったのは葬儀までだった。

葬儀の翌日からは、何も食べずに酒ばかり飲むようになった。

いくら食べる事を勧めてもほとんど箸をつけようともしなかった。


兄は比較的、実家の近くで家を構えていたので一緒に暮らそうと何度も言っていたが、お父さんのいるこの家で死ぬ、と言ってきかなかった。

もちろん遠い地方の僕の家には一度も来たことが無かった。


やむを得ず、兄が定期的に顔を出し、僕は年末年始とお盆、ゴールデンウイークは必ず実家に帰るようにした。

そういう時に、色々なものを買って行っても手をつけようとしなかったが、何故か緑のたぬきだけは少しだけ食べた。


「お母さん、緑のたぬきが好きかよ?」

そう聞くと、母は

「隆がお祖母ちゃんの家で食べよったのを、何でか知らんけど思い出すのよねえ。お父ちゃんが、私らを迎えに来てくれたときのやつよねえ。」

と言って嬉しそうに笑った。


両親はまだ若い頃、死ぬほど喧嘩したが、そんなことはどうでもいいくらい、お互いが離れがたい存在だったのだろう。


その後も、母は低血糖で何度も家で倒れたり、徘徊しているところを警察に保護されたりして、兄と僕は相談して、少し無理やりに施設に入れることにした。

少なくとも母の命の危険は去った。


それから数年が経つ。


僕も兄も立派なおじさんだ。

母も少し惚けてはきたが、なんとか元気で施設で暮らしている。


今年、母が初めて、年末年始を僕の家で迎えることに賛成してくれた。

おそらくは何かの終わりが近づいてきていることを母は、そして僕も兄もわかっている。


今年の年末は、お父ちゃんとお祖母ちゃんの話をしよう。


緑のたぬきで年越しをしながら。

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