第18話 死闘

 直立不動で槍を構える兵士の中、ひとり飄然と座るブルクは、高い階段の上で笑った。ティリウ将軍と笑いあったらしい。

 ピラミッドからなら攻撃が有利だ。だが、一〇〇〇から削られて七〇〇となったが、勢いに乗じて走り込んだ敵軍勢に、狙ってくれと言っているようなものでもある。

 廃王の軍は一三〇歩にドドドと押し寄せると同時、スキンヘッドの大男を先頭に、水の刃を投擲。

 合計一千もの透明な刃が、階段上の三四〇へと引き寄せられていく。

「馬鹿め、軌道は変わるっつーの!! ケッケッケッケ!!」

 ガキ大将そのままに笑う、ブルク将軍。

「ピラミッド神殿の前の石碑は、なんと、巨大な翡翠よ!! バレたら変えよって思うのが人情だからな、敵を欺くにはまず味方から、位置を変えた後ティリウ将軍とアタシだけで、元に戻して、お待ち申しあげてましたとさ! ウケケケケケ!!!」

 唖然とするアカバ将軍。ホッとする。ラカンたちは地団太を踏むはずだ。 

「つまりどんな水刃も、アタシたちに到達することはできない。今のアタシらは完璧で巨大な透明な天蓋に覆われているようなもの。無駄だァア!!」

 その顔面を、まっぷたつに裂いて通り抜け、石の階段にまで創を残した水の刃。

 次々に、血しぶきを上げる、階段の兵。

「な、なぜ……!!」

と、絶命した兵に答えたのは、

「石碑を、さらにスリかえておいたのだ。ただの石に」

 ティリウ将軍だった。

 血潮の滝で上から下まで朱に染まりゆく真っ白な漆喰のピラミッド。その階段に足をかけ、無人の荒野を行くがごとくに登っていく。

 立っていた兵士たちはみな階段に転がっている。頭から胸元まで左右に分かれてY字になったブルクは階段にそっくり返り、瞳はちぐはぐな方を見て微動だにせず、壊れた人形そのものだった。

 血染めの耳の横を無造作に踏んで登る足の主・ティリウが、

「なぜ教えたのか、エブ、ティリウ、ブルクの我ら三将軍のみの秘密を? と、訊くまで永らえられなかったか。ブルクよ、悪く思うな。わたくしはやはり、ヤシュチラン神聖王の民。カトゥンの終わるその日まで、永劫続く約束のお血筋に、賭けてみたくなったのだ」

「ご苦労でしたね」

「なんと高貴な、甘露な響きの御声か」

 ティリウの声はうち震えている。

 ねぎらったのは、微笑する青年。

 神聖王だ。

 崇高というより神の造形というより不可思議な艶めかしさに内側から発光しているような生白い肌。透ける装束を羽衣のようにふわりとまとい、ひらひらと蝶のごとくに音もなく、ピラミッドを上っていく。

 崇拝者たちである兵士に巨大な翡翠の本物を担がせて、ティリウの先触れを受け、廃神聖王が神殿へ、階段ピラミッドの正面を上っていく。

 王国の神殿ピラミッドは占拠された。しかも、あれほど巨大な翡翠で守護されたら、透明なドーム型の壁の中にいるようなもの。攻撃は絶対に効くまい。

 ただただ唖然呆然としているバーツたち。

 女摂政が、武具を身に鎧い、貴族姫だった頃の家の紋章のハチドリ神面の宝冠に頭を飾って、アカバの隣に立った。

「王宮の衛兵が全て、共に攻めいってくれるそうです。わたくしと」

「まさか!」

 ハーナルがしようとしていることに気づいて、アカバが顎を外しそうにする。目を剥く。

「我が子ムートバラムが残って親政をしてくれるから、突撃できます。アカバ将軍、わたくしが突破口を開いた後を、我が子ムートバラム王を、どうか」

「もはや止めません。ですが……」

「言うな。武運を、といってたもれ」

「ご武運を」

「うむ」

「ただ一つ。なぜ若王様は、親政を嫌がっておいでなのでしたか」

「さあ……。いいえ、最後ですから、伝えておきます。存分に親政するに十分な直属の家臣が揃っていないから、とか……言い逃れでしょうけれどね」

 フと笑って、たけだけしく、女摂政は出撃していった。

 だが、捕えられ、兵に腕ずくでピラミッドの中腹まで連れ行かれ、廃神聖王の無慈悲な黒曜石のナイフの一撃によって、割られた左の乳房から血しぶきをまき散らした。

 頂上までひきずりあげられ、廃神聖王の美しく優雅な作法で、血を振りまかれた。

 神聖な密林の最強の神獣ハグアルしか載ったことのない生け贄の祭壇に掛けられた、ハーナルの亡骸。

 祭壇からたらたらと流れ落ちる真紅の、吐き気のするような鮮やかさ。

 目を覆い、涙する武人たち。

 ピラミッドを遠巻きに、

「なぜ……なぜでござるか……」

 バーツはまばたきひとつできなかった。

「計算どおりです」

 ピラミッドの頂上で、女摂政が、うっすらと目をあけた。まだ死んでいなかったのだ。瀕死の身で、最後の力を振り絞って、フ、と笑う。

 よろめきつつも身を起こし、横に今し方ティリウとラカンによって据えられた石碑にすがりつき、どうにか立ち上がり、振り返る。

「見よ、我が愛した国よ、祖国よ、神々よ、そして誰より……我が王よ」

 自らの血潮にぬめる手の五指を、翡翠の石碑につきたて、低くしゃがれた声が唱える。

「活路はこの、わらわが拓く。冷刃エツナブ!」

 ゼロ距離からの、冷刃。

 粉々に飛び散ったペールグリーン。

 輝く緑が、きらきらと爆発して舞いあがったあと、階段をコンコン、コロコロコロコロ……と転がり落ちていく。

 思い思いに転がり止んで、落下をやめる。

 ティリウがゾッと、口々に廃神聖王の将たちと

「な……、どうやった!!」

「水などなかった筈なのに!!」

「いや……あったのか!!」

 ドシャッと血だまりに倒れる、女摂政。

「自らの血潮を、刃に使うとは……!!」

 女摂政は、倒れたまま、のろりともたげた細腕で、何度も、何度も、自らの血潮を弾丸に石碑にゼロ距離攻撃。残っていた石碑の根本まで粉砕する。

 駆け寄った兵の槍で十重二十重に串刺しにされたが、その前に、絶命していた。

 蹴り落とされた死体が、舞い降りるように、何度も何度も何度も回転しながら、ゆっくりと麓に到着する。

 ピラミッドを完全に転がり降りて、その死に顔は、満足げに微笑していた。

 壮絶な最期に、兵も民も、絶句し、震えて、涙を流し続けていた。

 バーツは、あの冷静なカクパスが涙を浮かべ、膝が抜け、座り込んでしまうのを見た。

 小刻みに震えて、呼吸困難に苦しみ、自分を自分で抱きしめたカクパス。

 声にならない慟哭は、大きく歪んだ顔をとめどなく濡らして止まらぬ涙が代弁している。

 アカバ始め将軍や指揮官たちは、若王ムートバラムに迫った。旗印に立つようにと。

「ご遺志でございます!! 王よ!! 今こそ、立つべきときにございます!!」

 だが、幕の内側から、返事はなかった。

 アカバたち将軍の後ろから高笑いがした。

 その笑い声は、神殿ピラミッドの神聖王の軍勢だった。

 敵の手に、すでに落ちていた若王。その姿が、見せつけられた。

 将兵たちはもう、最後の気力もくじかれた。

 王を殺すのは、廃神聖王にとってもタブー故に、廃神聖王軍は、若王を殺すことはしない。

 神なる王族を人間が殺していいという前例を作ってしまったが最後、廃神聖王自身もいつか、禁忌なく殺されてしまうことになるからだ。

 廃神聖王ワシャクムートは宣言した。

「腹違いの弟、ムートバラムは反逆罪によって幽閉する!! 臣よ民よ、余の勝利を認めよ!! 金星ククウルカン戦神のご加護は余にあり!! 聖なる数字五十二を数える間に、余に命を捧げて仕えると誓え!! これまでの反逆の許しを請うがよい!!」

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