第17話 翡翠の一枚岩

 カクパスの帰った後、家族が、バーツを取り囲んだ。

「どうして、あなた、バーツの〈存知〉は、絶対よ」

 おっとりした姉の張りつめた顔。

 女召使いも手をこまねき、

「バーツぼっちゃんが疑うなら疑うだけの何かがきっとあるはず、〈存知〉を翻すほうが危険ですわ。そうですとも、取り返しのつかないことになってしまいますわ」

 召使いのフーンは、力強く励ました。

「バーツ様の〈存知〉は確かです! チタムを信じないと言い続けて、いろいろうまくいかなくなったようですが、よいではないですか。責任は軍も誰も取ってくれません。いざとなったら、武勲でなく別のことで身をおたてになってもよいでしょう。そうできるご身分なのですし、足をひっぱる者たちと一緒にいることはございません!」 

「バーツよ。我が孫息子よ」

 はっと、皆が振り向いた。

 そこに現れた者の顔に、声に、皆が集中する。

「わしがあれだけ諭しても、お前は変わらなかった。チタムを信じないという顔を、頑としていた。それには何か、芯があったのだと、感じたぞ。伝わったぞ。故にわしも、お前を信じよう。チタムを危険人物と判じた〈存知〉、存分に、貫くがよい……」

「祖父殿……」

 バーツは、信じると言われているのに、何故か見放された不安な気分に、胸を押さえた。

 薬湯を運んできた継母の姿。救えなかった兄たちの、毒薬に苦悶した最期の死に顔。そのほんの数日前、ござる言葉で剣劇ゴッコ遊びにはしゃいだ、最高の笑顔。

 バーツは首を振り、立ち上がって、身支度を始めた。

 武具を、剣を、槍筒を身につけていく。

「判断を遅くしてどうするの!」

「遅れたら、命とりなのだぞ!!」

 バーツは、視界がにじんでいた。

「わかんないのでござる。吾は、〈存知〉ではなくこんなに長く時間をかけて人を判断するのは、人生で初めてのことでござる。始めたはいいが、どこまでで終わりにすればいいのか、どこで期限を切ればいいのか……今なのか。もっと後なのか。もっと前でよかったのか」

 あまりに時が短い。

 このようなときに下手な考えをするよりは、〈存知〉をそのままにしておいた方が。

 いやしかし、それでは何故、自分は書物を受け取った?

「これは、ひどい命題なのでござるな……今、気がついたでござる。まったく……勝手が違うのでござるのに、間違うわけにはいかぬのでござる。だが、やりとげねばならぬのでござる。人にやってもらってはならぬのでござる! それまでわかっている故に、つらい…… なんということで、ござろうか……!!」



「総勢、なんと、四千余?!」

 早朝、湿地に集結した軍勢は、双方、互いの規模の報告に、言葉を失った。

 相手も総力戦をしようというのか。後先全く考えていない。

 廃王からの正々堂々たる合戦の申し入れの後、都の宮廷と廃王の隠遁宮廷とは合議を成し、この地に白羽の矢がたった。

 合戦場になったのは、当然、バーホ季節的な湿地だ。

 使える開拓地はすべて、国の命の農地に使っているし、他は密林。

 都からの道のりは時間にして五時間ほど。

 重傷で動かせないエブ老将軍に代わり、総大将はティリウだった。

 どちらにせよ信頼厚い将軍だったが、兵たちは皆、じっとりと汗。

 ここはどこでも水がある。緊張が高まる。使う冷刃エツナブ使いが優れていたら、厄介も厄介。

 特に、ラカンというのが敵には居る。

 兵たち皆の背中を、厭な厭な汗が伝い落ちていく。

 東の空に薄れていった明けの明星が遂に消え、合戦開始のホラ貝が吹き鳴らされた。

 朝霧の中から飛んでくる槍。

 槍の射掛け合いの開始だ。

 総大将ティリウも、投擲の合図。

 圧倒的多数の槍が、打ち込まれていく。

 太陽の昇りそめた黄金色の霧の闇の中、広い谷の向かいの稜線の緑が、霧の上に見えるだけだ。

 姿は互いに、幻想的な壁のごとくに横へとずらずら連なって、はっきりしないまま揺れている。

 その中から飛来する槍、飛んで行く槍。

 何度、ティリウ将軍の合図で指揮官たちの腕が振りおろされ、列が交替しただろう。

 互いの投槍がつきたようだ。

 味方に出た死傷者は少なく、意気はあがった。

「順調すぎるでござるな。何か敵の、策略では?」

 つぶやくバーツに、カクパスがはっと振り向いた。

「次、冷刃エツナブ隊!!」

 ティリウ将軍の命が復唱され、いよいよバーツたち新ハグアル団二十八隊を含むハグアル団と鷲団の冷刃の戦士が前線へずらり。

 これからが恐ろしいラカンの水使いを警戒すべき一刻。

 さらに先まで見通すならば、この投擲合戦で敵が降伏、講和を申し込んでこないなら、双方、入り乱れての白兵戦へ突入、大将の首を取り合うのみとなる。

 バーツはちらりとチタムに視線。

 妙な動きは、そぶりはないか。張りつめた顔だが、これから何か起こるのだろうか?

 折りよく朝霧が晴れだしたとき、ティリウ将軍が、

「しまった!! してやられた!!!!」

 敵は、わずかに数十名の戦士が、全滅覚悟で、旗ばかり無数に立つ陣地に、残っていた。

 全軍に動揺が走った。

 敵はどこだ!!と痛恨に絶叫するティリウ将軍の元へ、報告の使者が破裂寸前の心臓に足下のぬかるみに転がって、やっと止まった。

 報告に、顔色の変わったティリウ将軍の直属の軍勢四〇〇と、精鋭隊二団の四〇〇は、即座に都へ駆け足。

 五時間を一時間余で走破の強行軍に、脱落者は実に半数以上、しかしそうせねばならなかった。

 敵の主力は、既に都の大門突破を果たしていたからだ。

 都での戦闘は、悲惨な様相を呈した。

 バーツたちの隊も、他の隊も善戦したが、いかに非情になれと指揮官に旗を振られようと、住みなしてきた愛しい街々を破壊するのに、抵抗皆無の兵などいない。

 盾にとられているかのように、撃つのが辛かった。

 落雷のような破砕音と、血肉の飛び散る湿った音、断末魔、逃げ惑う女子供。

 それもまた盾にして、敵の軍勢一〇〇〇はいいように都を蹂躙、殺戮の風そのもののごとく走り抜け、神域へ。

 ティリウが、将軍たちが最も恐れていた場所、若王と女摂政の座す王宮へ。

「く、くそ、頼むでござるぜ、ブルク将軍!」

 高い高いピラミッドと対をなす、エの字にくぼんだ巨大な神聖球技場。

 石造りのその中央で、球技の石のポールの付近に、

「な、なぜいない!! なぜピラミッドに展開している、ブルク将軍どの!!」

と、アカバ将軍。

 地図を奪われた後に変更した安全圏は、球技場だった。

 特殊な能力で変成した水といえど、飛び方は普通の物体と同じく、重力に従って弓なりに飛んで落ちる。

 だが、ある種の鉱物、つまり翡翠がその軌道の下にあると、なぜが水の刃は、その翡翠を中心にした弧を描きなおして落ちる。

 敵に水の刃を投擲しても、翡翠を敵が持っていて、十分に大きければ、水の刃は大きく跳ね上がって敵を中心とした透明な球面の上を滑りあがるように飛び、敵の頭上を超えて反対側へ着弾する。

 逆に敵の前の地面に、十分に小さな翡翠が置いてあれば、水の刃は飛び過ぎることなく、翡翠の上を通過後すぐに着弾して、これも敵にあたらない。

 水刃を力場に捕らえて自らの周囲を適度に回し、落下させる、そんな力が翡翠という特殊な石にはあるらしいのだ。

 そして翡翠の大小と、円弧軌道の半径の大小は比例する。

 しかして、ヤシュチランの王国は二年前、ありうべからざる質量の翡翠の一枚岩を掘り当てた。

 この最強の国防の礎を、その発見自体を極秘とし、敵を欺くべく漆喰を塗りこんで漆喰彫刻に偽装、ピラミッドの麓の石碑と人知れず交換して、安置した。

 しかし地図の盗難によって、その欺瞞は敵に知れたものと覚悟、突貫工事で球技場のポールに偽装し、置き換えていた。

 しかし都に残した、ブルク将軍の三〇〇の兵と四〇の冷刃戦士は、神殿ピラミッドに。四面の階段に居並んでいる。

 見る武人の顔がみな、歪んだ。

「決死の覚悟でござるか!! 防累もない、敵からの視認もすばらしくよすぎる。そ、そんな、しかし、なぜ、ブルク殿!!」

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