第四章 神聖王の臣下と王の臣下
第16話 戦の神・金星はついにうつろう
「残念なお知らせがございます」
「まさか。この少なさは」
と女摂政ハーナルは呻いた。
実は、これほどの事態なら、将軍は四十人からが召されて集まろうものだった。
「ショーク将軍、ヤシュ将軍、クック将軍、カン将軍、キニチ将軍」
ティリウ将軍による名の読み上げは二五に迫り、締めくくられた。
「半数を超えます。一族郎党つまり家族と軍勢ごと、都から姿を消しました、裏切って」
慄然とし、顔を覆ってぐったりと座り込む女摂政など、見ることはないはずだった。
「待って。そのほかにあとひとかた、欠席があるようですね。ホル将軍は?!」
サクベの近くへ、ティリウ将軍の部下がまさにそのとき駆け寄った。
「ホル将軍も、屋敷がもぬけのカラです!!」
ハハ、とティリウ将軍が自嘲のように苦笑いした。
「そうと思っていました。むしろ、真っ先に裏切ると思ったものですが、先頭を切りはしないという意気地のなさも、ハハ、らしいといえば、らしい」
やがて女摂政から散会の号令がかかった。
バーツは、総団長アカバ将軍に呼びかけられた。
「バーツよ。お前はこのまま自らの屋敷へ帰ってよし。わしが訓練場へ戻るのは、戦士たちを一度解散するためである」
「アタシも、このまま都の自分の屋敷へ帰るしね」
ブルク将軍も言った。
告げられた再集合の時刻を、バーツはどこか他人事のように聞いていた。
サクベを帰るアカバ総団長やティリウ将軍たちと別れ、ブルク将軍がサクベを飛び降りて、石畳の道を歩き出す。
「どういうことっすか、でござる」
「これこれこうこうなったんだよ」
「これこれこうなったでは分からぬでござる」
だろうな、と嘯いてから、ブルクは笑みをぱったりと消した。
廃王がついに挙兵、現王への宣戦を布告。
女摂政は受けて立った。
戦支度の開始だ。
ヤシュチラン王国に、新時代的な統治機構を導入して国力を高めてきた、聡明にして偉大な女丈夫であるハーナルには、分かっていた。革新は、この決戦で廃神聖王を再度倒してやっと仕上がるのだと。
若王から後の王たちは、これまでの王たちとは正反対に、存在自体の神聖さからにじみ出る魅了の力ではなく、技術でもって、国を治めていく。
その時代を拓くために、前時代的な王の象徴として、廃神聖王は、倒してしまわなくてはならない。
民衆の眼前で、完膚なきまでに。
顔と顔を晒して。
「そんな女摂政殿の下知から直後といっていいんだがな、今、国の五割以上が、神聖王軍へと走っちまった。神聖王のはたらきかけだろう。三千五百年余の暦を遡る魅力。〈魅了の力〉恐るべし。女摂政殿と若王の軍は、危機に陥った。って、アタシの属する軍でもあるわけだけれども」
ブルクは、ええ、おい、とバーツの脇腹をこづいた。
「分かってるかバーツ。そしてアタシ。合戦前夜だ。そして決戦のときがやってくる!!」
そのとき、斬られたようなティリウ将軍の叫びに、バーツとブルクは同時、振り向いた。
駆け戻ると、ティリウ将軍は、痛恨の顔。
怪我ではなかった。
家中から、例の地図が盗まれました、と、呻いてふらふらと膝をつき、保管を任されていたものが、面目次第もない、と頭を垂れた。
「地図とは、あの、大地の神の地図ですか! 国防上の秘中の秘、攪乱の翡翠の位置が、敵に、し、知られたと……?!」
「ただ今の当家の者の報告では、地図は偽のものとすり替えられていたと。それが、水になって溶けて、発覚いたしました。つまり、
「なんと!! なんという騙しの奇計か! しかし、それを思いついても、できる者など、おいそれとは」
「そう、裏切り者は、犯人は、それだけ見事な造形をし得る、この世に二人とはいない能力者です」
「さては? まさか、そんなわけはないな。そこまでの造形能力は、いくら彼でも」
とブルクは言う。
しかし、バーツは見たばかりだった。
あの、今にも動き出しそうなコンゴウインコや咆え猿やペッカリーの小動物たち。
ドキリとするどころではなかった。
「それに、彼が裏切るわけがない」
とブルクは言う。
しかし、バーツはあのラカンと接触した『ウル』を見ている。
今、言ったほうがいいのでは?
迷う。
迷う。
あの夜のチタムはラカンの誘いを、つまりは廃神聖王の誘いを断るか還るか、揺れ動いている様子だった。
やがて、バーツの姿はそこから消えた。
一人になって、竜説蘭の書物に記す。
決断の期限が迫っている。
金星が太陽に重なるときが迫っている。
しかし判断しきれない。
読みながら、頭をかきむしる。
せわしなく頁を
夜更け、屋敷へカクパスが訪ねてきたときも、まだ頭をかきむしっていた。
今日も歌もない、機織りも誰もしない、晴れやかな笑い声もない、息をひそめているような広い広い屋敷。
出撃を前に、訓練場の戦士は一度、都の自宅へ一斉に戻されたが、
「集合の時間が迫っています。報告を聞かせて下さい、バーツ。チタムをあなたは信頼しますか、しませんか? 竜舌蘭の書物を、どうか一枚の報告書に、いえ、唯一行に、まとめてください」
「一行に……?!」
家族も集っている居間で会ったが、誰に聞かれようと構わない様子で、言ったカクパス。
地図のことを、問いただしに行きたい。
あの大男のことも、問いただしに行きたい。
何か言ってくれ。
吾を信じさせてくれ。
答えろ、チタム!!
……と、バーツはそれができなかった。
言ったら、不信を伝えてしまう。
不信を伝え、カーンたち皆にも疑われたら、チタムは?
今はこの軍にいるつもりだったというのに、この軍への好意から一転して絶望、自暴自棄になって、廃神聖王についてしまうかもしれない。
でも今も、裏切り者ではないフリをしているだけなのかもしれない。
「あなたが確証を持って、信じないというなら、決戦の前に彼を投獄します。出撃させません」
ならば言うべきだ。
チタムの造形。
そうだ、チタムに訊きにいくまでもなく、事実は、チタムが危険人物と告げている。
バーツの脳裏に、薬湯を運んできた継母の姿がいやましに鮮やかに甦った。
救えなかった兄たち。
今の幼いポポルよりも小さかったのに救えなかった、兄たちの最期の顔。
「もちろん、チタムは、全軍にとって今や勝利の神のごとき存在です。出撃しなかったら志気は半分になる。痛恨の損害ではあります。故に、投獄することも、実はまずい。だが、どちらかを選ばねばなりません」
カクパスがふとバーツの表情に気づいた。
「拙速でした。私はあなたを待つと言ったのに。反省します。最期まで待ちます。あなたが、判断がつき次第即座に、報告をしてくださればいい」
ホッと、バーツは肩を降ろした。
「約束する。判断がついたらすぐに」
「ただし、判断の遅れは全軍の全滅を意味するやも知れないということを忘れずに。あなたにも責任を負っていただきます」
「『も』って…」
「もちろん、あなたの心臓に処刑の黒曜石のナイフが突き立てられる際は、あなたを信じたボクも、一緒に責任を取って殺される所存ですから」
ゾッとした。
それほどのことなのだ。
チタムの戦力を考えれば。
しかし一体、カクパスは何故……?
一抹、カクパスがこれほどまでにバーツを信頼し、また試すようなことをする意味を、バーツはいぶかった。
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