ヴェルサス・サルトゥル#1



 闇の中で表示灯が明滅する。それは天から射す光とは対極の、時限爆弾のカウントに似た焦燥を煽る破滅の光だ。

「降りてきてる……」呟いたのはスミレだ。その声を聞きながら、梁人はこの場を離れる事を決めて動き出した。

「戻るぞ」

「は、はい!」

 あのエレベーターから何が齎されるのかは梁人にも分からないが、既に梁人達は標的にされているのだろう。二人は早足でエレベーターホールから離れ、エントランスへと戻る。しかし、そこで立ち止まった。

「出口が……!?」

 スミレが驚愕する。対極に梁人は落ち着いた様子で周囲を確認していた。

「誘い込まれたか。仕方ないな」

「仕方ないって、まさかまた戦うつもりですか!?」

 梁人はその問いを無視して背後の通路に向き直る。

「最上さんが頑丈なのは知りましたけどさっきの今で傷が完治してないでしょう!? 今度こそ死んじゃいますよ!」

 スミレに言われずとも梁人自身その事を理解しているだろう。だが、梁人には信念──あるいは自縛とも言える誓約があった。それは誓約を守れなければ自身の死を厭わないほどに重い。

「……クソ」覚悟はとっくの昔に出来ている。けれど力が伴わない事に梁人は歯噛みする。通路の奥からは無数の足音が響いてきていた。

 遭遇まで、一、二、三────。

 ゼロのカウントで梁人が飛び出すと同時、梁人の直感が不穏な空気を感じ取った。

「なんだ?」

 聞こえていた足音の主の形は梁人の見据える先には無く、直後景色が明転し、周囲は深い緑色に覆われた空間へと変貌する。湿った空気と青い匂いが一瞬にして梁人の鼻腔に伝わりここが鬱蒼と茂った深い森である事を悟らせた。

「スミレ、いるか!」梁人が振り返らずに叫ぶとすぐに「います!」と声が返ってくる。続け様にスミレは「なんで急に森の中にいるんですか私たち!?」と混乱した様子で叫んだ。

 瞬間的に景色が塗り替えられる現象。梁人はこの現象を、感覚をよく知っている。

(これは紛れもなく〈犯人〉の力。羽海野有数の二十二の因子そのものだ……!)

 つまり、羽海野有数に纏わる存在がこの空間を創り出している。梁人の額に汗が浮かんだ。間断なく梁人は幻想兵装を顕現させ、臨戦態勢へと移行し周囲に意識を向けて警戒する。木々の間、木陰、樹葉のさざめき。静かだが確かに風の流れがあり──梁人が気付いた時、梁人は風の流れる先に勢いよく振り返って・・・・・叫んでいた。梁人の直感が警告している。死の予感を。

「スミレ、今すぐこっちに飛びこめッッ!!」

 死の気配はスミレのすぐ後ろから放たれていて、今にも彼女に届かんとしていた。だが、まだ辛うじて間に合う。梁人の声にスミレが「は、はいっ!」と緊張した声音で答えたが、彼女は初めて見る梁人の必死の形相に一瞬硬直してしまった。

「あっ、え」

 驚いた表情を浮かべたスミレの体が傾いた。そして梁人の顔から血の気が失せていき

、彼は目の前の現実から目が離せなくなった。緩慢となった彼の視界の中で、スミレの上体はゆっくりと前へ動いていき、本来それ以上は行かないはずの部分までズレて────とうとう腰の上から滑り落ちると、どちゃりと泥が跳ねるのと似た音を立てて生者から屍へと変質する。

 梁人の全身に冷や汗が一斉に湧き出す。苔むした緑の土の上にスミレの赤が広がっていく。認めたくない現実が侵食していく

かの様に赤は梁人の足元まで伸び、むせ返る程の鉄の臭いが彼に現実感を齎した。

「う、ぐ……!」

 込み上げてきた胃液を飲み込み、止まらない吐き気と全身を包む悪寒に耐えて梁人は視界を持ち上げる。

 ダラダラと血液を漏出させ続けるスミレの下半分の向こう側、そこには濃紺の外套と音楽記号の刻まれた面で顔を隠した奇抜で得体の知れぬ人物が立っていた。梁人は瞳に憎悪の色を宿し鋭い視線を向けてソレへと問いかけた。

「お前は、誰だ……!?」

「おお死に祝福を与えられし死神よ、なぜ私に憎悪を向ける??」

 濃紺の外套を揺らし、そこに立つ人物は両手で自らの顔面を覆って歓喜の色が滲む声音を漏らす。声色は男だが、くねくねと悶えるこの男がスミレの命を奪ったのだと、梁人は激情のままに叫ぶ。

「お前は誰だッッ!」

 二度目の問いかけで、仮面の男は一転してしんと静まり返り社交界の紳士の如く腰を引いて恭しく一礼を披露した。

「私に名前はありません、ですが──」

 仮面の男は頭を垂れたまま、男の眼下にあるスミレの下半分から溢れ出した血液を白い革の手袋の上に掬い取り言葉を続けた。

「名乗るのであれば〈吐き気ウォメレ〉。死神よ、私の事はそうお呼びください」

 そう名乗り、ウォメレは自らの仮面に赤黒い血液で一筋の線を描いた。


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レッド・タイズ〈警視庁特務専任部署心理課〉 ガリアンデル @galliandel

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