自由の刑#6
戦闘体勢を取った梁人を正面から攻めるのは不利だと本能で理解したのか、黒蜘蛛は宙空に張った黒糸を伝って空を這った。黒蜘蛛の移動を目で追いながら、梁人は“敵”の観察を行う。
黒蜘蛛は全長五メートルはある巨体でありながら、移動の初速は梁人の目算でも八十キロ以上は出ている。真正面から衝突するだけ軽自動車に撥ねられるのと変わらない殺傷能力があるはずだ、と梁人は考える。
(だがヤツは“それ”をしない。何故だ?)
先刻とは変わって距離を取ってきた黒蜘蛛を見据えて、大鎌の柄を手繰り短く握る。大鎌の利点は薄くなるが、梁人が持っている武装は通常の武器とは違う。幻想を束ねて凝固させた超常の力〈VIA〉だ。やりようはいくらでもある。梁人が思考を戦闘用に切り替えると、黒蜘蛛が動きを見せた。
チキチキと計器じみた音を鳴らし、黒蜘蛛が八つある脚の内の前方行二本の脚を梁人へと向けて伸ばす。
(あれは──)
いつか見た事がある、あの動作は蜘蛛の、しかもとある小さな蜘蛛が行う予備動作だ。梁人が思い出そうとしている間も蜘蛛は二つの脚を標的を定める様にぐるぐると動かし、急停止。その瞬間、一帯の空気が吸い込まれる様な感触を梁人は感じ────
ぴんっ。と糸が跳ねた。
直後、凄まじい風圧が正面から梁人を襲った。構えていた大鎌ごと体が後方へと吹き飛ばされ、背後の瓦礫へと強かに打ちつけられる。
「がっっ……はッ!?」
吐血。更に意識に空白が生じていた。しかし、梁人はすぐに思考を復帰させ、正面の視界を取り戻す。さっきまで自分が立っていた場所を見やり、梁人は苦笑する。
「体表が赤熱化してやがる……ああ成程、“音速”で突っ込んできたのか……」
口内の血を吐いて、瓦礫から立ち上がる梁人を黒蜘蛛は静かに待っていた。それは優位から来る余裕の現れではない。だが次は確実に仕留めに来ると、体に奔る痛みが物語っている。
(今ので肋骨が、何本折れたかも分からない。それに内臓もイってるな……はぁ)
心の内でため息を吐き、額から滴ってくる血液を拭う。腕が動くのを確認して、大鎌を握り直した。問題ない。策もある。立ち上がるまでの短い時間で梁人は次の行動を定めて前へと踏み出した。
黒蜘蛛は
チキチキと黒蜘蛛の脚が鳴る。音速による“衝撃波”を発生させる予備動作が始まった。距離にして二十メートル前後。梁人にとっては絶望的な間合いだ。しかし、梁人は黒蜘蛛の動きを無視して前へと駆けた。現在の負傷した梁人の足力では黒蜘蛛との距離を詰めるにはまるで足りていない。それは梁人自身も理解している。
──ちきちきちきちき。
黒蜘蛛が梁人への的を絞る間に十メートルの距離まで詰める。
────停止。
周囲の空気が吸い込まれ、熱を帯びていく。大鎌を握る梁人の指に力が込められる。
直後、梁人の視界の漆黒が巨大化。漆黒の塊が尋常の速度を超えて梁人へと迫っていた。
紛れも無い“死”そのものの圧力を纏っている。
そしてその行動が、黒蜘蛛を死に至らしめる事となる。
黒蜘蛛は音速を前に、静かに立っている梁人を認識していた。
「墓碑は欲する、刻むべき名を。世界は反証した、死者のあるべき場所を」
黒蜘蛛の抱いた違和感は不穏へと変わり、全ての脚を用いて急制動を試みる。だが八つの脚はどれも地面を捉えることは無かった。
違和感は増大し、不穏は絶えず溢れる。許容量を超えた不穏は本能的恐怖を生む。そうして黒蜘蛛は本能のままに絶叫する。
「Kriiiiiieeeee!!!!」
警句が唱えられる。死を与える者の、死を代行する者の為の警句が。
「お前が死を忘れても、死はお前を忘れないだろう」
最後の一節が唱えられた後、黒蜘蛛は気付く。
自らが、『もう既に死んでいる事を』
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