眼の眩む夜#14



 灰色が降り積もる寂れた世界の中に、一切の汚れの無い白衣に身を包んだ女が、赤に塗れたアリスの前に立っていた。


「羽海野、有数……!?」


 掠れ切った声でアリスは目の前の人物の名前を呼んで小さく咳き込んで痛む喉に涙を滲ませる。


 少女の姿に、羽海野有数は微笑する。


「ふふ、必死だねぇ」


 微笑ではなく、嘲笑を向けて羽海野有数はアリスへとゆっくり歩み寄って少女を見下ろす。


「なんで……あなたが──!?」


 視界の中心にいる人物を目一杯開かれた瞳で捉えながら、アリスは先刻までの出来事を一時的に亡失していた


 驚く少女に手を差し伸べ羽海野有数は首を振る。


「私は羽海野有数じゃないよ」


「は……?」


 少女は差し伸べられた手を前に、呆然と音を漏らした。羽海野有数では無い“何か”はふぅ、と困ったように息を吐いて背伸びをした。


「私はねぇ、羽海野有数だけど羽海野有数じゃない。この違いをどう例えたらいいかなぁ……」


 アリスにも羽海野有数にも似た容貌の女は、しばし灰色の景色へと目を向けて考え込み始める。“何か”がうーん、と唸っている間にアリスは周囲へと視線を動かす。


 ここは、どこかの『駅』だった。

 ホームがあって、掲示板があって、灰色の積もった錆鉄の線路が僅かに覗けている。

 無機質な天井には配管が剥き出しになり、十二時を指したまま止まった時計が吊り下がっていた。


 延々と降り注ぐ灰色はホームの内側には積もっていないが、ホームの外側では山の様に降り積もっている。そのせいで、遠くの景色を見ても寂しさと空虚な白だけで構成された景色が広がるだけだった。


(なんて、空虚な場所────)


 ホームの外側に近寄って、屋根の下から手を伸ばした。灰色の空からは、その空が崩れ落ちていくかのように灰色の粒子となって落ちてくる。


 落ちてきた灰色に掌を広げようとして、不意にアリスはその腕を掴まれた。


「────!?」


「駄目だよ、それに触っちゃ」


 思ったよりも力強く引き戻されアリスが後ろに倒れるのを、その手が引き止めた。

 目を瞬かせるアリスに、羽海野有数に似た女性は微笑を浮かべる。その不可解な仕草にアリスは戸惑いつつ彼女と改めて向き合った。


「……キミはさ、ランド・オブ・ワンダーについてどう理解してる?」


 アリスは掴まれた手によって、立たされながら少し考えて、答えを返した。


「あそこは人の無意識が創る世界でしょ。人間の魂の循環と統一を司る、いわゆる死後の世界みたいな────」


「不正解」


 羽海野有数に似た女性は、アリスの答えを遮って告げた。


「ランド・オブ・ワンダーはね、この世界の規則。言い換えれば本質そのもの。時代と共に移り変わってきて、今は『統一と循環』を重きに置いた安定の規則が形成されているだけ」


「待って? そんなのわたしは知らないよ?」


 羽海野有数に似た女性の言う事にアリスがストップを掛ける。羽海野有数のクローンであるアリスが知らない事を何故、この羽海野有数に似ている女性が知っているのか、アリスの頭の中では様々な思考が巡っていた。

 しかし、思惟を巡らす前に制止をかけられる。


「考えるだけ無駄だよ、そんな余裕はもうないから。アリス、今がどういう状況かを伝えてあげる。今回はフェアじゃないと私が判断したから」


「フェアじゃない……? どういうこと?」


「まぁ聞きなよ」


 思惑は読み取れないが、そこに悪意は無いのだと判断して、アリスは頷いて、彼女の話に耳を傾けた。


「さっきキミは今回の〈犯人〉の正体──神に辿り着いたね。そして梁人は知らず鎌を振るった」


 先刻までの回廊の状況を思い出して、アリスが苦い顔を浮かべる。

 七つの絞首台に並んだ天使像と自殺する神の台座。そして今まさに、断罪されようとしている。

 神という概念を〈死神の鎌の柄〉で狩り取った場合どうなるのかは、正直アリスにも分からない領域の話だ。世界という物が神に創られた物なのかすら不明なのだから、神が死んだからと言って世界の終わりに直結するのかも分からない。ただアリスに分かっているのは羽海野有数の罠に嵌ったという事だけ。


「そう、だね。わたしは梁人を止められなかった」


 悲痛な表情で告げるアリスと、対してあっけらかんとした雰囲気で羽海野有数に似た女性は答えた。


「その通り。ちなみにこの場所は時間や空間とも切り離されてるから外の事は気にしなくていいよ。まぁ戻っても梁人を止めるのは間に合わないけど」


 残念、と付け加えて羽海野有数に似た女性は続ける。


「神の死は、世界の終わりじゃない。キミたちはまだ負けてない。人間にとって神は大して重要じゃないのに、キミは何をそんなに怖れているのか分かんないな」


「まだ?」


「そう、まだ。この世界は終わらない。キミたちの戦いはまだ続くと言う意味でもある。今回が完全に仕組まれた事件で、彼女の遊戯の次段階へと進む為のモノだったって事」


「次の段階……? アイツは何を考えてるの?」


 羽海野有数に似た女性へと詰め寄りながら、アリスが彼女の白衣の襟元に掴み掛かる。焦燥感に駆られたアリスを、彼女は嘲笑する様な笑みを浮かべて、目線だけで見下ろした。


「それは、キミ自身も分かっているんじゃないかな?」


 その返答に、アリスは彼女の襟元から乱暴に手を離して歯噛みした。あどけない少女の顔に似合わない苛立ちの色を滲ませ、アリスは『敵対する相手』の考えを理解させられる。


「わたしから梁人を奪おうっての……? そんなの、絶対許さない……!」


 この世界が滅びようと、無関係な人間が何万、何億と無惨に死に絶えようと、梁人だけは絶対に渡さない。アリスの中に黒い感情が渦巻いていく。

 そして、確固たる『悪意』を持って、少女は問いかけた。


「羽海野有数はわたしが殺す。元々その為の遊戯ゲームなんでしょ?」


 問われた白衣の女性は両手をポケットに入れて少女を揶揄う様に覗き込んだ。


「そうだよ、これは私による私のための生存競争なんだから。私が私を高めるために、この世界の先を見るために、私を洗練をするんだ」


「わ、わたし? あなたも羽海野有数なの……?」


 白衣の女性の瞳が真紅に染まり、狂気の色を見せ始める。彼女もまた、アリスや羽海野有数と同じく『真紅色の目』を持っていた。

 しかしアリスは「わたしたちとは違う」と、すぐそばで狂気に目を見開く女性の事を認識していた。その正体について思考を巡らせ、ある人物に行き着く。


「〈レッド・クイーン〉、わたしを元の場所に戻して」


 赤の女王レッド・クイーン。あるいは導いた女王レッド・クイーン、と呼ばれた女性はニィと歪んだ笑みを作って少女に答えた。


「せいかぁぁい」


 ゾッとする程の黒い気配を伴ってレッド・クイーンは笑う。彼女が、自分と同じ原典を持ちながら全く違う存在なのだと、アリスは実感を持って理解する。


「それじゃあ、始めてもらおうかな」


 悠然と駅のホームの天井を見上げながらレッド・クイーンが呟き、アリスが息を呑む。

 そして、灰色の世界が崩壊を始める。降り注ぐ灰色が次々に炎を灯し、世界を赤色へと染めていく。至る所で炎が生まれ、火の粉が舞い散る。その景色はさながら煉獄の様に苛烈で禍々しい。迸る熱の渦と黒煙の中心でレッド・クイーンは燃え盛る灰の上に腰を下ろして、アリスを見据えた。


「さぁ、星の覇権を争おう」


 

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