眼の眩む夜#13
回廊に梁人の声が響き渡った。
「何かが起こるとは思ってたが、何がどうなってるんだ!」
事態は急変。回廊全体が赤黒く染まり、腐肉の臭気に満たされた肉肉しい空間へと変異。立ち並んだ絞首台の首無し天使像から奇声が発され、首の切断面から夥しい量の血液がどぽどぽと溢れる。
異変に困惑する梁人を、脳を焼く様な痛みが襲った。
「うぐっ!?」
ずきんずきん、と警鐘を鳴らすが如く周期的に痛む頭を抑え膝をつき、傍らのアリスに視線を移す。
白の少女も、大きな猫の様な瞳を潤ませ、強く歯を食いしばっている。痛みに耐えているのだろう。
◆
(意識が霞む、くそ。ふざけるなよ!)
「や、梁人……」
か細く発されたアリスの声。今にも掻き消えそうな弱々しい声だ。梁人は声に応え、回廊の奥に鎮座する存在を揺らぐ視界で捉えた。
石造りの模型は色も、感情も無い瞳で梁人を見つめ返す──というよりは睨んでいた。
まるで『やめろ』と訴えかけている様な強い眼差し。
◆
それでも、梁人は震える体を持ち上げた。アリスの
よろよろと、おぼつかない足取りで梁人は前へと進んでいく。絞首台の絶叫が怨嗟の様に渦巻く回廊を、足元を浸す血液の中を。
──能力核さえ破壊すれば、終わる。
視界のノイズが酷くなった。回廊の至る所から異形の気配がする。奥へと進むほど、頭痛も酷くなっていく。
最早、まともな思考など出来ていない。
それでも、梁人は前進した。
◇
びしゃり。生ぬるい感触に頬が濡れた。
口内に僅かに液体が入り込んできて、それが血液だと分かったが、咄嗟に吐き出せずに飲み込んでしまった。
「おぇっ……うぇ……!」
「なんで──っ!」
涙が滲んでくるが、それを拭う事すらままならない。全身が生ぬるい温度の血液に浸され、凄まじい臭気と、さんざめく奇怪な音で脳が破壊されそうだ。
「梁人……っ!」
一人、前へと進んでいく黒い背に向かって手を伸ばすが、彼は振り返らない。
耐性があるはずの私でさえ、思考が霞んでしまう程の精神波に晒されているはずなのに。
どうして、一人で進んでしまえるの?
私を置いてキミはどこまで行ってしまうの?
必死で伸ばす手が梁人へ届かない事を知りながら、アリスは手を伸ばし続けた。
七つの絞首台は唄う。無力な少女を嗤うかの如く。最奥に鎮座する首吊り石像の眼は梁人だけを捉えている。少女に一切の興味をくれず。
──だとしても、少女は梁人を止めなければと己に残された力を振り絞って、思考を回す。歪な音にかき消されそうな脳髄に意識を集中させ、合唱する怨嗟の声に耳を傾けた。
響き渡る奇声でさえ、何かしらの“意味”を有している。
(その意味を私が見つけ出す────!)
◆
主が──世界は主を赦さない──赦されざる者ども──創造の罪禍を──
空間を満たす音をアリスは己の耳で必死に拾い上げ、言語として再構築していく。
その言葉達はいずれも憎悪に支配されていたが、アリスは更に分析を深めていく。
(罪禍なんて重苦しい言葉、現代じゃそうそう使わない。犯人の精神は私が想像していたよりずっと自罰的って事ね──でも、創造の罪禍ってなに?)
生み出す事への……あるいは生み出してしまった事への罪悪感にこの犯人は苛まれている。だけど、創造の罪とはなんだろう?
この犯人の核となった人物は一体何を生み出したのだろうか。痛みすら亡失してアリスの思考は深くなっていく。そこに答えがあると確信していた。
(整理しましょう)
アリスは冷静にそう念じる。
◆
まず、犯人の心象風景は『無機質な石造りの神殿』だった。
人が景色に感動したり、芸術の中に秘められた意図を見つけ出すように、望むものを描き出す能力が人には備わっている。常に人は、無意識の内に自己の内面を心の内に描いている。
神殿の様な偉大さや荘厳さが現れるのは、己の中に確固たるモノがあるからだろう。
それは例えば傲慢に近い自信、信念、信仰の現れ。
アリスは第一として犯人を傲慢な人物であると仮定する。そして第二条件の策定へと移る。
心象風景に付随したオブジェクトは『石像と絞首台』だ。意味するところは、自罰だろう。しかし、問題が複数存在している。
首の無い天使像と、奥に据えられた男の像との違い。
絞首台が天使像の七つと男の像の一つで計八つある事。
(そうだ、数字だ。名前に意味はあっても、意味に囚われるのはダメ、考えるべきは──)
◆
少女は原始精神体の中から抽出した名前を思い返す。
名前の前半部分は意味が無いモノとして、後半部分は全員が共通した特徴を持っていた。
(シンスと数字の組み合わせ。シンス、恐らくは英語の『since』から来ている。過去の地点から現在まで継続している事を指す時に使われる前置詞だけど、その後に続く言葉は無い……だからこの場合は前に置かれた数字に付随していると考えた方がよさそう)
ならば、とアリスは数字の意味を探す。
数字にこそ大きな意味があるのは、アリスの中で確定した情報となる。
まず、アリスは七つと一つを分けて思考する。
(七の意味は色々ある……七つの絞首台は何を現している? 創造の罪禍って声が聞こえたのは? 七、七は曜日の数……神さまは七日間で世界を作った──?)
少女の中で嫌な想像が浮かぶ。
(まさかね……そんなの、あり得ないって、でも)
少女は思考する。
◆
(七つの絞首台は、七つの曜日に連動している? 絞首台に割り当てられた天使像は、曜日ごとの天使……七大天使ってこと? じゃあ、この〈犯人〉は?)
嫌な想像を形にするように少女は現実へと至る階段として思考を積み上げていく。
(創造の罪禍は……人類のことなの……? それじゃあ、奥にある男の像は────!)
神。神だ。この世界を創り出し、人を生み出した神そのものの精神がそこに鎮座しているのだ。
神は己を罰していた。しかし、罰する者のいない存在はこうして罪禍に苛まされ続けるしかなかった。
少女は理解する。この〈犯人〉の核を破壊すれば、世界を壊すのと同義であると。
だけど、現実でも〈犯人〉は世界に牙を剥いている。止まることは許されない。
打開策は、無い。
少女は梁人へと呼びかける為、自らの思考から飛び出して腐臭と血溜まりと狂気の空間へと意識を引き戻す。
「────梁人っ! ダメぇぇぇぇっっ!!」
◆
黒い背中が大鎌を振り上げていた。少女の叫びは狂気の合唱の渦に掻き消され、男には届かない。
少女は叫んだ。血を飲みながら、細い喉が潰れてしまいかねない声で、何度も。
届かない。届かない。声は弱すぎた。
少女は最早、意味にもならない慟哭をひたすらに叫んだ水面を叩いた。
「ああぁぁぁっっ!!」
それは世界の終わりを知って、止められなかった悔しさか、男を救えなかった悲しみか。
自らの慟哭だけが少女の頭に響く。
その時だった。
「あはは、我ながら情けない姿だねぇ」
聞き慣れた、自らのものであり、忌々しい存在の声が一滴の水滴の様にアリスの耳朶に波紋を落とした。
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