眼の眩む夜#9



 〈ゴースト〉はゆらり、ゆらり、と一歩ずつ梁人へ向かって歩き出した。その足音はぺたぺたと石畳を素足で踏みつけており、名前とは違い実体のある存在だと梁人に知らしめていた。


(何をしてくるのか全く想像がつかないな)


 VIAを構えてはいるものの、〈ゴースト〉の動きが予想出来ず、梁人は待ちの姿勢で備える。依然、正面の幽鬼はゆっくりとしか間合いを詰めてきていない。一見の不気味さに反して、コミカルな幽霊にさえ見えてくる始末だ。これで、危険な存在だと言うのだから予想がつかない。

 遭遇時の緊張感が一分以上続き、梁人の集中が僅かに乱れる。


(アリスは時間を稼げと言ったが──)


 一瞥すると、アリスは赤い目を光らせ、眉根を寄せて〈ゴースト〉を凝視していた。

 名前の抽出とやらがどういった方法を取るのか梁人には知る由もないが、その表情は険しい。


 梁人の視線が少しの間アリスへと移った、その時だった。  


 ぺた……ぺたぺたぺた!


 〈ゴースト〉の足音の間隔が速くなったのを聞いて梁人が視線を戻す。


 そういうタイプか!


「ちっ!」


 僅かに視線を外しただけで、〈ゴースト〉は一気に距離を詰め梁人のすぐ正面まで迫ってきていた。咄嗟に梁人は〈死神の鎌の柄〉を横薙ぎに振るって、〈ゴースト〉の膜に覆われた中身に漆黒の杖が直撃した。


 ……かに思えた。


 直撃と同時、VIAを引き戻そうとした梁人が違和感を覚えた。その違和感が危険信号に変わるのは速かった。


「掴まれた……!?」


 〈ゴースト〉の胴体部にめり込んでいるかに見える漆黒の杖が梁人の膂力持ってしても引き戻せない。よく見れば、膜の内側に手の様な形が浮かんでおり、梁人のVIAをがっちりと掴んでいた。


 次いで〈ゴースト〉は、そのままの姿勢でVIAを伝って梁人の眼前へと迫る。頼みの武装が無力化された以上、残る手立ては──。


「来いよ。死なない程度に嬲ってやる」


 梁人がVIAから手を離し、右腕を持ち上げ、肘を曲げ、握り拳を作る。紛れも無い近接戦闘インファイトだ。物事はシンプルな方が良い。常々、梁人はそう思う。


 正面の怪物を見据え、梁人はごきりと首を鳴らした。


 ──戦闘開始だ。


 〈ゴースト〉が大きく梁人へと詰め寄り、膜の内側、頭部の部分が形を浮かび上がらせた。人間の形に似た幽鬼の頭部だが、実際に梁人の目の前にあったのは動物の頭蓋骨……近い物で言えば“牛”の頭骨だった。


 自らのを晒した〈ゴースト〉は、その凶暴性すら曝け出して梁人へ牙を剥く。────が、直後〈ゴースト〉の頭部が、後方へと弾かれる《ノックバック〉様に大きく揺れて、VIAが梁人の手に戻る。


「返してもらうぞ」


 のけぞった視界の外から、〈ゴースト〉は自らに向けられた言葉を聞きながら、本能イドを加速させる。そこへ更に頭蓋を打ち抜く様な側面サイドからの打撃フックが〈ゴースト〉を打った。


「どうだ、少しは効いたか?」


 一連の出来事に、歪んだ知性を持つ原始精神体プリミティブ・マインドである〈ゴースト〉ですら、何が起きたのか理解に至るのに数瞬の間隙を生んだ。


 そうして、理解へ到達した〈ゴースト〉が再度、視界に梁人を捉え反撃に出る──しかし手遅れだった。


 梁人は〈ゴースト〉に体勢を整える暇を与えず、その膜に覆われた実体へと猛打を浴びせる。打ち込む度に、肉を打つ確かな感触が梁人の拳に伝わった。精神体と言えど、L.O.W内では実体があるのだと実感して、梁人は更に拳を打ち出す。


「ぐ……っ!?」


 ごりっ。肉では無い固い感触が梁人の拳を伝った。直後、追いかける様に右腕に痛みが奔る。捻り上げられる様な鮮烈な痛みだ。

 

 だが、それよりも────


「……が増えやがった」

 

 梁人の打ち出した拳を受けた〈ゴースト〉の腹部から新たな顔が膜の内側に浮かび上がり右腕に噛み付いていた。

 幸い、歯は鋭くないのか、食いちぎられる様な心配は無いものの、ぎりぎりと右腕を締め上げてきており、このままなら梁人の右腕は潰されるだろう。


「ちっ」


 舌打ちをして、右脚を大きく持ち上げて突き放す様に蹴りを放つ。〈ゴースト〉の新たに生えた顔面を思い切り打ち抜くが、梁人のスーツの右腕部分と皮膚が抉り取られ、鋭い痛みに表情をわずかに歪めつつ、梁人は〈ゴースト〉から距離を取る。


(変異の予兆……か? ダメージの与え過ぎ──加減が分からないな)


 右腕の傷は浅い。前腕の皮膚が剥がれて空気に触れるだけで激痛が奔る程度で済んだ。

 問題は、〈ゴースト〉が変異しかけている方だ。あれが何に成る、、のか知らないが、成れば手に負えない可能性がある。


 梁人は、アリスを見やり再度舌打ちをする。少女の目から赤い光が消えており、薄紅の大きな瞳が梁人へと向けられていた。


「梁人、準備できたよ」


「……やっとか」


 悪態を吐いて梁人は、その右手に携えた黒い杖状の武装をがんっと床へと突き立てる。幾何学的精神紋様の具現化であるVIAに具体的な質量は存在しないが、使用者の精神によってそれすらも変動する。


 そして────


ソウル転写っ!」



 アリスの声に呼応する様に、梁人の左眼に赤い光が灯る。同時に右手に携えた黒い長杖は、その先端部から新たな部位を現出させ、漆黒の大鎌へと変貌する。

 まさしくそれは、人々の想像する“死神の鎌”そのものであった。


「エスティカレン・セブン・シンス──それがお前の名前か」


 梁人は〈ゴースト〉を見据え、警句エピグラムを唱えた。


「墓碑は欲する、刻むべき名を。

 世界は反証した、死者のあるべき場所を。

 お前が死を忘れても、死はお前を忘れはしないだろう────」


 その言葉によって、梁人のVIA幻想兵装死神の鎌の柄ワンズ・オブ・ハーミット〉は原始精神体及び歪形の精神を狩り取る形態とその能力を解放する。


不可逆概念:死ザ・デス────」


 大鎌が〈ゴースト〉に向けて振るわれる。

 獣の顎門を思わせる湾曲した刃、漆黒に染まった死の権化そのものたる不可逆概念:死ザ・デスの能力は絶対不変の死だ。


 刃がゴーストに到達すると同時、原始精神体〈ゴースト〉の体が淡い光の粒となって霧散していった。


 原始精神体を一体始末して、梁人はため息を吐いた。  


「たかだか雑魚一匹始末するのに時間がかかりすぎてる」


 ぼやく梁人の傍らでアリスは申し訳なさげに口を開いた。


「そうだよね……」


「これはやり方の問題だ。お前に責任はない」


 しょぼくれるアリスを慰めるつもりなど梁人には無かった。


 現状のやり方では効率が悪いというだけの話だ。




 

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