読まれない書き手の負け惜しみ

遠蛮長恨歌

第1話

 はじめまして、あるいはご無沙汰しています、遠蛮と申します。


 普段は「黒き翼の大天使(くろてん)」あるいは「古今統帥者列伝」を書かせていただいており、またカクヨムさんの外ではくろてんのゲーム化企画を進行中ですが、今日は少々趣向が違います。というか現在慷慨しておりまして、そのためこの先の文章が荒れる……または攻撃的になるかも知れずその点、予め謝罪しておきます。その上で自分は間違っていないと確信してはいますが。


 まずこのエッセイを書くに思い立った契機。先日、「読まれないから引退しようかな」という方の作品を読ませていただき、この人の作品非常に秀逸で面白いわけですが、どうにも読者数が増えないらしい。それで少々やさぐれておられるのを見まして、世間には同じように読まれることなく諦めかけている方々がたくさんおられるのだろうなぁと、そういう人たちが本当に諦めなくていいように、ささやかながら一臂の力になりたく思ったのがこのエッセイの本旨です。


 そもそもからして「読まれる」「売れる」=名作でつなぐことはあまりにも早計に過ぎるというもの。個人的な体感ですが、はっきり言ってしまうと現在出版されているライトノベルの9.5割くらいは駄作です。何巻続いていようとアニメ化されようと、これはもう、トールキンとかムアコックとかラヴクラフトとかに比べればホント、箸にも棒にもかからない作品がほとんど。名著と言われる作品も漱石や鴎外、武者小路や宮沢賢治、あるいは司馬遼太郎といった過去の名筆家に遠く及ばないでしょう。それに比肩しようという気概を持ったラノベ作家さんというのを、遠蛮は見たことがありません。個人的にはそのレベルを目標としてほしいのですが、なので今、売れている人が凄いとか、才能溢れているとか、そんなふうには全然思えません。100年後に残ることもないでしょう。


 そしてむしろ読んでいて素晴らしいと思える作品は、あまりひとが目を向けないところに転がっているもの。「読まれない」=駄作ではなく、ただひとの目につくところにないというだけです。長いとかとっつきにくいとか難しいとか、そういうことを言って敬遠する輩はほっときましょう。いうなれば「服部半蔵より加藤段三」あるいは「ナポレオンよりテュレンヌ」です。半蔵やナポレオンは超有名人ですが、半蔵って上忍であって本人は忍びのわざとかたいしたことなかったはずなんです。対するに飛び加藤こと段三は忍術の達人。ナポレオンとテュレンヌも同じ。ナポレオン知ってるけどテュレンヌ子爵アンリ・ド・ラ・ツール・ドーヴェルニュというおっさんを知ってる人はそうそういないでしょう、ルイ14世時代の大元帥でナポレオンが最も尊敬した将軍ですが、知名度はない。でも実力はまったくもって劣っていないわけで、なにが違うかというと宣伝力の差のみです。服部半蔵は徳川家が政権取ったので公儀お庭版の頭になれましたし、ナポレオンはセルフプロデュースの大天才。埋もれてたジャンヌ・ダルクを引っ張り出して復活させた手腕からして宣伝家です。その点が段三やテュレンヌとちがう。宣伝力、発信力=実力ではないでしょう? いやまあ、実のところゲーム作りをやってる自分としては宣伝力も実力に含めないと命に関わってくるのですが、ひとまずそれは置きましょう。今読まれていない方々も、そういう思いを支えに頑張ってほしいもの。これはいつも人に言っています勝海舟の有名な言葉で「わかるひとには、わかるからね」。あるいは「天網恢々疎にして漏らさず」……これは本来天網が罪人を見逃がさないという意味で、使い方が逆かも知れませんが、見てくれる人は確実にどこかにいます、腐らず行きましょう。


 以上、やはり文章が攻撃的になりましたが、まあ大丈夫でしょう。それでは、失礼します。

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