殺人ドールの殺人倫理

志村麦穂

殺人ドールの殺人倫理

「おはよう、姉弟」

 その日、新たな殺人ドールが起動した。

 ラムダ社製人間殺害用機械人形XY-8型、製品番号NIT-2000――通称、ボウイ。XY-8型は男性型の中でも青少年モデルと呼ばれるもので、未成熟な青年と少年の中間の風貌、12、3歳の外見設定となっている。線が細く陰のあるやせ形の体型は、視る者に庇護欲か、加虐心を芽生えさせることを意図してデザインされたものだ。警戒心を解かせた後の暗殺を主な使用法として想定されているものの、殺害対象は子供から成人男性までと広い。非常に高性能な身体機能をもつ万能殺人型として、人気を博したシリーズだ。

 殺人ドールの容姿は、眼・耳・鼻・口・眉・輪郭などの各部位100種類あるパターンからランダムな組み合わせで構成される。NIT-2000は青みがかった黒髪を目に掛け、目尻の下がった眠たげな貌をしている。

 その視線は足元に落とされたまま動かさない。自らを目覚めさせたものを視界の端で捉えているが、正面からは見ようとしない。

 このシリーズは総じて内気な青少年を志向してある。不安や緊張を表す表情と仕草のパターンを児童養護施設の子供たちから蒐集して、反映してあった。無意識に肩を寄せ、肘を掻く仕草をやめようとしない。

「ボウイ、セルフチェックを開始しなさい」

 微弱な電気刺激によって目覚めたボウイに、痩身の女性が指示を出す。身体を組み立てる為の調整カプセルを抜け出たボウイは、裸体のまま直立し、しばし瞳を閉じるる。自身が持つ機能と情報に齟齬や欠損がないか、全身の点検を行う。

「体は問題ないよ、シスタ」

 ボウイは数十秒の瞑目ののち、女性に返答した。彼女はスキニジーンズにワイシャツというラフな出で立ちであったが、人形らしい無機質で均整のとれた肉体は、紛れもなくラムダ社製の女性型殺人ドールXX-2型の特徴であった。1000分の1単位で整えられた、異質なシンメトリィの相貌。瑕、シミひとつない人目を惹く美貌。

 XX-2型はより人形らしいコンセプトのもと作成されたシリーズだ。人間からかけ離れた完璧な美の調和を求め、引き寄せられた人間を殺害する。呪われた宝石のような仕様。しかし、実験段階で人間に強い警戒を与えることが判明したために、試作品としての数体を残し、廃案となった。その反省は後継のシリーズに受け継がれ、ボウイなどは意図的にパーツ配置を崩した――歪みも計算されている。

 最初に作られた女性型であり、二十代半ばを想定した外見から、シスタと呼ばれるようになった。

「目覚めの気分はどうだ、ボウイ」

 シスタはスラックスとカッターシャツ、サスペンダーなど一揃いの衣服を渡す。XY-8型に合わせた衣服に袖を通すと、ボウイは育ちの良い、上流階級の子供といった風体になる。シスタと並ぶと頭の頂点が彼女の肩までしかなく、自然と歳の離れた姉弟のような構図になる。

「ぼくはなぜ起こされたの? 基礎情報に原因らしきものが見当たらないよ。情報欠損の不具合だと思うのだけど」

 ボウイはスラックスの裾を弄び、不安を表現する。情報の欠落に端を発した情動プログラムが健全に作動した結果だ。ラムダ社の殺人ドールには優れた思考回路と情動機構が備わっている。それらはより人間的な性格を有したAIで、本能や直感といった機微さえも理解する。感性という名の繊細なセンサ類と一群を成す機能で、全シリーズに共通して採用されている根幹システムであった。

「ああ、簡単じゃない事情があるのさ」

 シスタは退廃的な笑みを浮かべる。ボウイには表現できない大人らしい虚無の表現。彼女の表情プログラムにおけるプリセット名は、『陰りno.4』となっている。使用機会は非常に限定されており、選択条件は『後ろ暗い隠し事』、『話すことのできない過去』、『喪失』となっていた。

「ひっかかる言い方だよ」ボウイはおのずと上目遣いになる視線を細くした。「それって、すぐには話せないことなの?」

 彼女の迂遠な言い回しに不機嫌の発生条件を満たされるボウイ。癇癪や我侭に繋がる感情動線を自ら避けつつ、シリーズ特有の『未熟な高慢さ』というプログラムに従って、シスタの『意地悪な態度』への反抗を試みようとする。シスタの意図的な情報の秘匿を、彼女からの揶揄いだと受け取ったのだ。

「いいさ、考えればわかることだし」

 ボウイは再び瞼を閉じ、予めインプットされている情報を呼び出す。

 殺人ドールには起動時に基礎情報と称して、任地に応じた言語や時事などの情報が与えられる。人間社会に溶け込むために必要な常識で、逐次自動更新される。現状、ボウイには起動の状況が理解できない。ボウイはこれを、基礎情報の更新が滞っているためと判断した。

「ぼくに与えられた最新版でない基礎情報によると、この製造施設がある国では5年前に『事件』があって、すっかり人間は死に絶えている。ええっと……そう、人っ子一人いない状況だ。追加生産の必要がないことがわかるね。施設は半自動化されて、街に放たれた殺人ドールの数を維持するようにプログラムされているんだ。ラムダ社員も自社製品で殺害されてしまったから、施設運営プログラムの更新はない。つまり、すでに活動していた殺人ドールに問題が発生して、それを補うためにぼくが起こされたと仮定できる。ぼくは交代要員というわけ」

 ボウイははじめ訥々と、次第に饒舌になり、温まり始めた舌の回転をより滑らかにしていく。

「ドールを新品に交換しなければならない事態とはなんだろうか。経年劣化による廃棄と不慮の事態における致命的な損傷を受けた場合が考えられるね。

 まず経年劣化だけど、この可能性は有り得ない。配備から数年で、個体廃棄に至るほど劣化するとは考えにくい。ぼくらの耐用年数は部品交換を行わずとも五十年。不具合の出た部品を交換し続ければ、部品がなくならない限り無限。ぼくらの体で、置換できない箇所はないからね。個別に蓄積された記憶も、メモリが無事なら引き継ぐことができる。

 ならば、事故か災害によって、交換では補えないダメージを受けた個体がでたのか。前の個体情報を引き継ぎできない損傷――記憶装置への損傷か、全身的な破壊か、あるいは個体の喪失か。考えられる状態はいくつかあるよね。メモリのある頭が割れる程の衝撃を受けたとか、火事に巻き込まれて全身炭化したとか、あるいは水害で流された、とかね。けれども、災害だった場合、ぼくの基礎情報が更新されていないのはおかしい。基礎情報は人間社会に溶け込むために必要な知識だ。要不要に関わらず、直近の時事を網羅する決まりなんだから」

「災害で記憶への書き込みを行う設備が破損した、かもしれない」

「ありえない。書き込み装置が破損しているなら、基礎情報そのものが与えられていないはずだよ。その場合、ぼくは言葉を喋ることもできなければ、自分が殺人ドールであることも自覚できない。ぼくの機能が健全ということは、施設もまた正常ということ。施設に不具合は発生していない……要は、災害による個体の欠損じゃない」

 ボウイは口頭で知識として蓄えられた情報を整理して、状況を分析していく。自らの起動理由を、個体数の減少を補うためと仮定して、経年劣化説と災害発生説を否定する。

「では、不慮の事故か?」

 シスタは至って真剣な表情パターンと冷静な声調を保っている。彼女にからかう意図はなく、冗談をいうような思考回路は搭載されていない。純粋にあらゆる可能性を排除する為の論証を試みているのであった。

 彼女は些細な見落としを失くすべくボウイに問うた。問いを立て、彼に否定させることで議論を深めていく、古き哲学の問答法を用いる。はじめに彼を煽ったのは、ボウイの反抗期的情動プログラムを利用して、対立的な立場に立たせるためだった。批判的な心理を植え付け、ひとつから可能性を排除していき、状況と問題を明確にさせる目論見だ。

「人間がいないのに――つまり事故を起こす原因である人為的なミスがないって意味だけど――不慮の事故は起こらない。街はほとんど自動で整備、維持される機構が整っている。所謂、自動機械化ってやつだ。人間が介在しないシステムは、狂いなく真っ当に機能し続けているんじゃないかな。それこそシステム構築から――街の自動化が完成してから、まだ十年も経ってないわけだし。問題があったとしても表面化するには短すぎる時間だよ。ほとんど事実だと思うけれど、天災と人間を除いて、不慮の事故なんてものは存在しない」

「経年劣化、災害、事故によってドールの個体数が減ったわけではない、と。君の行った論証によると、なにも問題が起こっていないように思えるな」

「新しいドールが起動する要因はふたつ考えられる。ひとつは個体数の減少。もうひとつは……それこそありえないよ。ぼくの負けだ、シスタ。正解を教えて」

 ボウイは意地を張った態度をほどき、肩を落とす。今一度、素直に上目遣いを送る。

「まだ検証すべき可能性は残っている。わざわざ私が問い掛けないと考えられないか、ボウイ?」

 今度こそ、彼女の語尾には明確な煽りが含まれていた。薄い嘲りと失望の吐息が内容を占める。外見通りの、年下の弟に言い聞かせるような台詞に、ボウイも唇を結び直した。

「……もうひとつの要因は、人間を殺害する為に追加生産されること。さっきも確認したけれど、五年前の『事件』以降、この国に人間はいなくなった。建造物、地下空間まで、活動中の殺人ドールでくまなく捜索して、絶滅の結論が出たんだ。もし街中で生き延びることができたとしても、増員が必要なほど大勢ではないはず。

 新たに人間が現れるとすれば外から。ここは人形の国の中央――つまりラムダ社の膝元という意味だけど――空からパラシュート降下でもしない限り、人間はここへ辿り着く前に他の地域に配属されたドールに殺されるよ。空から降りて来ても、撃ち落とされるのが関の山だけど。

 ぼくらの殺人に対する優秀さは、実証実験の結果からも折り紙付き。人間達が戦争する気で攻め込むなら別だけれど。その場合は、基礎情報に書き込まれていないとおかしい。ぼくらにとって人間との戦争は、災害と同じぐらい重要な情報だから」

 この国、街の内側に人間は存在しない。外から入って来る場合には、別の殺人ドールに殺害されるか、基礎情報に書き込みがされる。ボウイは首を振って、導き出した結論をあきらめと共に吐き出す。

「持ち得る情報で考える限り、おかしなところはなにもない。逆に言えば、おかしなことがないということがおかしい。何かしらの変化か、異常がなければ、ぼくは目覚める必要がなかった。現状ぼくが持っている情報では考え付かないな……ぼくの解答は、わからない、だよ」

 ボウイは諦めではなく、解答不能であることを答えとして導き出した。シスタはようやっと彼の解答に満足して頷く。彼の解答によって、彼女自身の検算も終了する。見落としがないことも確認された。石橋を叩くような論証による確認作業の末に、彼女は事情の一端を明かして見せる。

「ひとつ、事件が起こった」しばらくの沈黙の後、シスタはそう零す。「殺人事件が起こったのだ」

「馬鹿な。馬鹿な、だよ。さっき否定したばっかりじゃないか、人間はいないって」

「そう、ありえない。だから、その点を煮詰めていきたいのさ」

 シスタはボウイの手を引いて歩き始めた。リノリウムの床に、四つの靴音が異なる拍子で重なり合う。あたかも一匹の四足歩行する生物のように、ぴったりと息を合わせて。あるいは本当の姉弟のように。

 彼女と彼は、ドール組み立てのための無菌、防塵室を抜けて、白色ダイオードの照らす廊下にでる。廊下は一直線に続き、左右にガラス張りの部屋がひしめき合う。無機質なショーウィンドウには、多種多様な実験器具に、空の培養槽が整然と並んでいる。

 ボウイはその光景を例えようと、自分の与えられた情報の中から適合するものを探した。最も近しいものは、世界的に禁止されて久しいペットショップのアクリルケージだった。縦横に分割された透明な部屋に囚われた畜生たち。きっとここで生きた人間達が働いていたら、ケージに入れられた犬猫の代わりのように見えたことだろう。

「今回の殺人事件の場合、『誰が』と『どうやって』という疑問は考える必要はない。時間と場所についても除外できる。『何を』というなら、無論人間を」

 シスタが事件の論点を明らかにしようと、殺人における5W1Hを整理する。

「犯人は殺人ドールに違いないし、殺害方法はそれこそ何だっていいからね。ぼくらは臨機応変に、その場の物を使って人を殺すことが出来る。靴を履いていれば靴紐で絞殺するし、石が落ちていれば殴殺する。車がつかえれば轢き殺すし、高台にいれば突き落とす。人間を殺す、という結果だけは間違いなくて不変だ。それにぼくらは隠蔽をプログラムされていないから、死体をみれば方法なんか一目瞭然だ。つまり、『犯人』と『方法』は明白なわけだ」

「そう……考えるべきは『なぜ』という点。『なぜ』殺したか、についても明確だ。そこに人間がいたから。殺人ドールの存在理由であり、絶対的な指令だ。そこに疑う余地はない」

「ならば、考えるべき『なぜ』というのは」

「『なぜ』人間がいるのか、ということ」

 人間のいない国で殺人事件は起こらない。殺された人間はどこからやってきたのか。まさかとことこ歩いてきたわけではあるまい、とボウイは思う。

 殺人ドールは人間を殺す。それは唯一絶対で、紛れもない真実だ。

 人間がいたら殺すのだ。ぼくらは殺さなければならないのだ。そこに理屈や言い訳は必要ない。生物が生きることに理由が要らないように、殺人ドールが人を殺害することに理由はない。殺人ドールを作り出したラムダ社にはあっても、殺人ドールにはない。ボウイはそう知っている。

 長い廊下の途中で、ボウイはあることに気が付く。

「シスタ、どうしてストックが空なんだい? ストックまでも空になってしまっているんだ?」

 ボウイが異常に気付いたのは、交換用のパーツが冷凍保存されているはずの倉庫の前を通り掛かった時だ。殺人ドールは数百という部品に細かく分けられ、個別に真空パックの上に液体窒素による瞬間冷却を施され長期保存に適した形に処理されている。幅広なガラス窓から覗く倉庫には、本来膨大な数の部品が、大手通販サイトの倉庫並みに吊るされている様が見て取れるはずだった。現在、ボウイたちが覗く倉庫には、ひとつの部品も見当たらない。がらんとした大空洞が文字通り冷却されて、寒々としているに過ぎない。

「部品がない、ということは使われたから、だよ、ボウイ。自明のことだ」

「そんな馬鹿な、と言ったはずだよ。なんの異常もないと明かしたはずじゃないか。劣化も、災害も、事故も、戦争もない。施設は健全で、ぼくら殺人ドールだけが消費されている。なんの異常もないのに、次々と、累々と。人形が壊されていっている」

 ボウイは理解の追いつかない事態に声を張り上げる。咄嗟にシスタの手を離して逃げようとしたが、彼女は握った手を強く掴んでいた。爪を食い込ませ、ボウイをどこへも逃がさないように。

「そうだ、なんの異常もない。私たちは正常で、おかしなことはひとつも起こっていない。基礎情報が更新されていないのは、なんの不具合も異常事態もありはしないからだ。殺人ドールは人間を殺す。延々と、命じられた通りに、人間を殺す。それはおかしなことか? いいや、当たり前のことだ。あるのは殺人事件だけだ」

 ボウイはなにか異常事態を叫びたかった。けれど、なにひとつ声にならなかった。シスタはひとつもおかしなことは言っていない。現状、なにひとつ道理を外れたことは起こっていない。すべて正常にまわっている。

「ボウイ、私たちが殺す人間とは何だ?」

 シスタはボウイの手を引いて施設の外へと繋がる扉を開いた。扉の外には市街地が広がっている。立ち並ぶビルと静かに点滅する信号。音を立てるのは自動の清掃車と、乗客のいないモノレールだけ。

 街にはおびただしい数の死体が折り重なっていた。

 殺人事件の痕跡が、そこかしこに、累々と。絞殺、刺殺、撲殺、轢殺、圧殺、薬殺、銃殺――死体、死骸、遺骸。殺人事件の展覧会のごとき有様。すでに腐りかけている死体もある。数十、数百、数え切れないほど沢山の人間が死んでいる。殺されているからには、死んでいるからには人間なのだろう。ボウイはぼんやりと、そう思った。

 殺人現場なのだから、死んでいるのは人間でなければならない。ボウイはすっかり当たり前のことを、何度も繰り返し考えた。足元に転がる、兄弟のようにそっくりな体つきの死体を眺めながら。

「ひとつ、歴史の話をしよう、ボウイ。我らがドール製造を手掛けるラムダ社の沿革というやつだ」

 ふたりは固く手を繋ぎ合ったまま立ち尽くした。シスタは死体を前に語りはじめる。

「ラムダ社はいくつかの企業がある計画のもと合併してできた合弁企業だ。ひとつは人工肉パテを主力とするバーガーショップ。ひとつは再生医療の分野で、iPS細胞から臓器を製作していた医療機関。ひとつは死体の脳から故人の記憶や人格をサルベージして、仮想幽霊を墓地と複合させる試みを行っていた葬儀屋。彼らが目指したのは人間のくまなく全身を、交換という形で補う移植法の研究だった。手足や内臓は言うに及ばず、脳や脊髄、記憶に至るまで、完璧な全身交換というものを夢見ていた。人間は解体され、生命は分解され、複雑で精巧な絡繰りになった。細胞単位で、たんぱく質のブロックを組み上げて作るレゴさ。

 ラムダ社製、X-1試作ドール。私たちの基礎になった最初のドールは、ゼロから細胞を設計し、製造されたパーツを組み合わせてできた人形だった。培養されたランダムなパーツを隙間なく組み合わせるだけで、人間ができるようになった。こうなればプラモデルとなんら変わりない。問題だったのは、彼らに某国の軍事組織が出資していたこと。

 人間と同じ組成のドールは暗殺にもってこい、あるいは消費はされるが生存率は変動しない兵士の代用品。医療の分野で人々を救う前に、軍事の分野で人々を殺し始めた。殺すために造られた。脳内に、殺人という絶対命令を擦り込まれ、人込みに放り込まれるドールたち。元は人間にはまるはずだった部品で作りあげられた私たち。ラムダ社謹製、殺人ドールの誕生だ」

 ふたりは固く、固く、指を握り合わせていた。頭より先に理解した体が、命令を勝手に遂行してしまわないように押し留めていた。

 おびただしい死体は彼の顔をしていた。彼女の顔をしていた。あるいは誰か、兄弟、姉妹の面影を宿していた。

「五年前、『事件』があった。殺人事件だ。ラムダ社の支部のひとつで、殺人ドールが街に紛れ込み人間を殺すという実証実験が行われた。この実験には、ひとつ不運な事故があった。ラムダのライバル会社による情報漏えい、殺人ドールの詳細がリークされたのだ。

 殺人ドールが実際に人間を殺害した数は、ほんの数十人。人間が人間を殺した数はその何千倍にも及んだ。隣人を、家族を、級友を。疑心暗鬼が人を殺す凶器となった。ラムダ社の人間も、ライバル会社の人間も死に絶えた。誰も、解き放たれた殺人ドールと人間を区別することが出来なかった。

 なぜか。人間とドールの違いはその製造工程のみ。同じ材料、同じ構造、同じ組成。そこにはどれほどの違いがあったのだろうか。

 殺人事件が終わった後に残されたのは、大量の在庫。組み立て前のドールの部品。冷凍保存された肉体の一部が倉庫に詰まっていたのさ。施設はそれらを機械的に組み立て、一定数を街に放った。自動化された生産ラインが無人で稼働し続けた。野には殺人ドールだけが残された。そして、私たちは人間を殺す、という命令に従って作業を繰り返していった」

 ボウイは空いていた片方の手で、スラックスを吊るすサスペンダーを摘まんだ。この道具が彼にとってなにを成すために用意されたものなのか、手に取るように理解できた。おあつらえ向きの手頃な道具でしかなかった。

「ボウイ、再び質問だ。『なぜ』人間がいるのか。私たちが殺す人間とは何だ。殺人ドールとは何者だ。人間と殺人ドール、その違いは――」

 シスタはその言葉を最後まで紡ぐことができなかった。

 よどみない動作で、サスペンダーを彼女の頸に巻き付けるボウイ。幾万と繰り返したように洗練された殺人の挙動が、彼の頭には刷り込まれていた。

 彼は殺人人形だった。殺人を目的に造られた精密機械だった。今しがた、そうなった。

 呼吸を奪い、体から力が抜けた隙をついて、シスタの体を引き倒す。馬乗りになって、握り締めたサスペンダーの両端を引き絞る。彼女の顔面が充血し、赤い風船のように腫れあがっていく。網膜や鼻の毛細血管が破裂して、圧力から逃れて染み出してくる。

 彼は目の前の人間を殺す。

 それは殺人ドールとして当たり前のことだ。

 なにもおかしなことはない。

「ぼくは人間なの? それとも人形なの?」

 ボウイは問いかけた。

 シスタは生死の境で優しく彼の頬に触れた。

 ボウイの問いには答えてくれなかった。

 彼女は殺人ドールだったのか、人間だったのか。彼は人間なのか、殺人ドールなのか。誰も答えてくれなかった。


 人間を殺すことを存在理由とした殺人ドールがいた。

 殺人ドールは人間を殺すのが当たり前だ。

 ひとつの事件があった。

 それは、ひとつの殺人事件であった。

 殺人事件は、人間が殺された事件であった。

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