20. 海底区画事件③:仲間外れは死んじゃえの歌
「一応、閉門まで含めて十二臣家の儀だから、それまでここから出るのは駄目だよ」
「あー……ロード君、それ、まあ、あくまでマナーとしてあるんだけどさ」
「いや、だめでしょ」
僕はちゃんと考えてる・みんなが空気に流されて言えないでいることを僕だけは言えてる・僕は品性と正義のある側だ・抑圧される側ではなくする側でよかった・ちゃんとあくまでルールとして指摘する人の攻撃的でない笑顔になっているはず・これは残念だけどしなきゃいけないことだ・僕はちゃんとしてる・うだうだうだうだうだうだ――・うだうだうだうだうだうだ――
「グリーン。『探邪』弾けや」
「では将軍」
「構えた」
りゃん、と鳴弦があって灯りはみな消えた。
「え、何」
「……『探邪神伝』だ」
彼は楽才があるので何が奏さるかすぐ判ったが、意味など、もとより考える習慣を持たない。ただ、いつか果たされるべき、「逃げ隠れおおせる邪神をひっとらえよ」との勅命を歌い伝える、そのための「伝」の字と知っている。
鞘走りの光がちょうど、ロードの瞳に差し込む。
鳴弦の静けさのもと、石江風流が『嗚呼』パン、と拍子を打つ。
「王勅、ありき、陰、そこらかき分けよ」
舞台裏から松明持ちがせっつき駆け込んでくる。
「おぉ、いずこやいずこや!」
風流の語り・煽りがあって、松明衆は舞台から降りたドラム将軍の周円をかたどった。彼は抜剣していて、剣身は青く
りゃん。
「やァ見たり!」
将軍は松明衆を剣先で、はらい、遠くへいかせ、明るさを増し、学生も観覧の狩人も遠ざけ、「やァ見たり!」と見つけたような目筋の鋭さで一方向を見とめた。Aだった。
「ぜい!」
語りは一切やんで、弾き鳴らされる。
Aが斬り払われ、追い立てられたとき、訳知りのもの殆ど、それこそ一名除いて洞察できた。それで、
「ぜい!」
みんなで叫ぶ。
「ぜい!」
宴場、みんなで叫ぶ。
ロードはよくわからないまま、目を丸くして、Aが払われ払われ、門のところまで追い詰められたのをぽかんと見ていた。
Aは。
「ありがとうございます」
「……ゆけ」
門を押して転がり出、最後の一閃を逃れた。
「今宵も捕らず!」
りゃん、そして喝采と歓声。彼らを称え彼を送る。
ああそっか、あれなら儀式として成り立ってるからいいのか。
――脳みその冷える気付きが訪れた。
でも僕の方が正しいから・僕はこの場で役者ですらなかった・いやでも僕は正しいから・面白みのない人間・普通抱くべきそんな感情も抱けない・そんな程度のことにすら気付いて気を回すことが出来ない・空気読んでない・僕正しいから・うだうだうだうだうだうだ――・うだうだうだうだうだうだ――
後頭を、豪傑の大きな左手が打った。
「野暮すんじゃァないよ」
「いえ、さっき実は彼が」
「理屈言うな糞餓鬼」
「ロード・マスレイ」
「……グリーンさん、あんなの」
「一緒くたにしないでいただきたい。完璧の望みかたを、あなたは履き違えている。すべてについて解決を試みないなら正義を語る資格などありません」
将軍は静かなものだった。
「うわ恥っず」
「あ、逃げた」
「……ねえ、アイツ鍵」
一応彼を送るにも喝采がふる。
このことについて後日、討論が行われた。こととは今回、開閉門を任された学生が、その終了を待たず退場・失踪したため、発見される一週間後まで広間の管理に支障をきたしたあげく、何よりも、十二臣家の儀を万全に完結させられなかったことである。
未熟な学生に儀式を任せてきたこと、これこそもとより問題だ。即刻内容を変更せよ。
いけない、そのような過程で設定されては、神性を損なう。
あれは美しかった、あの、演舞などは……ということで、どうにか収めては。
……公園の遊具じゃないんだから。
雨勢転じ、額に弾け霞になっていた雨粒が、額をすべり延びていく大粒に変わって眉のうえに溜まってくる。夜は曇天に閉ざされていた。
どこまでも行きたかった、けれど通行禁止看板がおっくうで横のフェンスにもたれこんだ。雨音は遠くて、背から尻のほうまで露が、つたい降りて下まで湿ってしまう。気分の溶けていくのが、いつかの身投げの安楽な時間のことを彷彿とさせ、しかし今は闇中にあることが心持ち強意された。
「おい、すっからかん」
クレモントは傘と一緒に屈んで、彼のあごを荒っぽく引きあげた。
「リシオンさんに恥かかせたとか、全っ然、考えてもないんだろ」
ロードは悩むふりの目つきをし、息をつく。
「あれは僕の方が正しかったでしょ」
「だったらあの場に留まれよ」
「……だって」
「お前ガチでおもんないな」
痛いけど、真に受けたらきっと、笑われる。
「自分もルーク・ヒラリオになれると思ってるだろ」
多分そんなことないんだろうけど。人はわからない。
「みんなの中で一番すごくて、『理解できない、ああはなれない』って思われながら特別な人生を送れると思ってるよな。お前。絶対」
「ごめん」
「なんで謝ってんの? しかも俺に。
……何か言うたんびすっからかん晒してんの気付けよ」
「クレモントはどうしてそうなの」
「誰も言わんから言ってやってんの」
クレモントに肩を貸されて、傘をさされて、毛布をかけられて、ロードは「なんでそんなこと言うんだろう」とだけ思っていた。
「無意味に優しいくせして無意味に狭量だよな。気を付け方があべこべで、何にもなってない。で、今俺が言わんとしてること1%も理解してない」
「人に誠意求めすぎ。もう十五だろ。餓鬼じゃねんだから夢じゃなくて現実見ろ」
「されたら嫌なことは自分だけはされないように工夫するだけだ」
「無能な自分にゃ荷が重かったって言えないのはごめんなさいが言えないのとおんなじだ」
「お前、なんとなくで嫌われてんの気付いてるか?」
「妥当な理由ないのに嫌ったらまずいとかお前ルールじゃん。なんとなくよくわからん空気とかそういうので邪魔扱いされるもんなの。ノリの悪いやつは、万死に値するの。お前はお前のよくわかんねーもんで嫌われます、残念ながら」
「イヤなら関わりにいくなよ。そういうルールで楽しめる連中だけで楽しくやってるからさ。みんな仲良くしましょうじゃなくて仲良くしたいやつだけ仲良くでやろうぜ」
「好きなだけ外から『こいつら全員馬鹿だな』って顔しときゃいいしさ。一生そうやって賢いフリしてりゃいい。一人でやってくんならずっとそうしてろ」
「楽しいんだよ。それで楽しんでる。そりゃ人間関係だし、苦労するけどさ」
「依存がナントカドウトカさあ……じゃやってみろよ。誰にも頼らず一人で生きてみろや。食い扶持も家も生きがいも全部もらいもんのくせに」
「みんな本当いいやつだよ」
「お前がうまく話せないのは話す気がないからだろ。自己完結病って言われたこと……ないよなあ」
「みんなが色々考えてんの気付いてないんだなお前。自分が我慢してることしか考えていない。他の奴らが別のタイプの我慢とか気遣いとかめっちゃしてるのわからんわけだ」
「笑ってるから我慢とかしてないって思ってんの? まじ? 想像する努力しろよお前」
「なんとなく分かんねえかなあ」
「してねーよ。自分がどう思われてるかしか想像してねー」
「じゃあさ、ミッチとロンがしてた話覚えてるか?」
「っぱり覚えてないじゃん。自分にされてない話忘れてんじゃん。あのふたりが昔宿泊研修で会ってたって話、そんでどうせだから連絡先交換しようぜって話、あとギターやってる同士だったから今度一緒にやろうぜって話。で、割といい感じになってた。
そういう関係の線あるだろ。見とけよ。話噛み合わなくなるから。お前クラスの恋愛事情とか置いてかれるタイプ……そもそも通ってねーか」
「辛いのは無理、輪から出て行くのも無理、人の気持ち考えるのも無理、それじゃどうにもならんだろ。都合いい我儘ばっか言いやがって」
「話の表面なぞるくらいしかできねーくせにごちゃごちゃ言うな。ごちゃごちゃするから」
クレモントに肩を貸されて、傘をさされて、毛布をかけられて、ロードは「なんでそんなこと言うんだろう」とだけ思っていた。
『アクラちゃんはこころ若いね』
「見てられませんよ」
『そろそろ行くね。見てて』
「……ブライジンさん」
雨よけの下で煙管をふかそうとして、気分の問題でやめながら。
「ロード・マスレイ」
ふかす先のない息をふかして。
ロードは、睥睨から目を逸らしまたかとだけ思った。
「お前みたいなもんがおるから、紳士協定でうまくいかん。面倒なルールが出来る。世の中がつまらんようになる」
「お前みたいなもんは、天才の落書きを、下手くそがやったのと同じように消したりするんだろうな。世の中の価値を下げやがる」
「時代が冷たいわけでもなけりゃ、世間はお前の親でもなけりゃ……お前みたいなもんは人が必死に作ってきた世の中に混じるな。考え無しの、いらん善悪を設ける類いが」
「……お前みたいなもんがリシオンの弟子だと?」
みんなが楽しそうな話で、僕は傷つく。不適合なのだと思った。その場ではなく、そもそも生きるということに対して不適合なのだと思った。居ると苦しく、居られると迷惑で、結論は常時自明に出ているように思われた。
「……もう、わかりましたから」
「何がわかった」
「……」
「おい」
「なんもわかりませんよ」
毛布を地に打っつけた。ふちが水を含んでいてどしゃあという。
「もっと直接的に言って下さい。訳わかんないですよ」
「知るか。どうせお前みたいなもんには何言っても一生わからん」
「じゃなんで言うんです?」
「文句に決まってんだろうが。女神の伴侶だか寒村の奇跡だか知らんが、お前、自分が誰の弟子かわかってんのか」
「みんなどうしてそうなんですか」
「毎度、馬鹿は他人をいっしょくたに見る。あいつらはひどいだの、おまえらのせいだの。見てねーんだよ結局」
「質問してるんですけど」
「俺が先に聞いてんだろうが。大体なんでお前のペースに合わせにゃならん」
――――
「ケッ」
――――
「今回は頭冷やせ。お前、色々改めた方がいい」
「……間違ってないのに?」
「間違ってるかどうかで考えるとこから改めろっつってんの」
――――
――――
――――
「――ロード」
「……」
この世で一番美しい少女が、雨の中、白肌の白と屈折光でぼうと浮かび、まつげにわたる滴で瞳を湿らせ、彼の横にふらついて、ばしゃっと倒れかかって、強い人の微笑みを満足げにして、ロードには命のすべて白く消えるようで。彼女になじんで己を忘れてしまえばいいと思った。
「どっちがいい?」
「何かを選べるの」
「うん。わたし、ゆっくり付き合ってあげる」
「どっちって、何と、何? ……聞くのはやっぱりだめかな」
「ううん。諦めて生きるために生きるか、価値ある人になろうとするか。どっちがいい?」
「あんなこと言われないのはどっち?」
「んー」
「苦しくないのはどっちかな」
「へへ、わかんない」
「じゃあ、もう」
「諦める?」
「ううん。なりたいものになりたい。そうしたら、みんな何も言えないから」
すーっ、と。
少女は息を深く吸い上げた。
「ロード。わたしがあなたを偉人にしてあげる」
翌五月一一日、海底区画に二名の侵入者があった。
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