19. 海底区画事件②:天候居士未満
それで君がリシオンさんの弟子のロード・マスレイ君だね、と十数名集まってきた時まではどうにかなっていた。
「うん、ありがと、ありがと、」
だんだん、お役所じみてくる。そして知る人ぞ知る話具合に汗ばんでいく。ロードは返答が長かった。長い返答の間の沈黙が彼を焦燥させた。熟考するようになる。すると今度は、異様に言葉が遅くなる。ンー、ンー、と間をもたせる。
次第に喋らなくなる、笑って返答に代えるようになる、思考がない人間であるように思って気が走る、笑って済ませばいいことに長く言及をする。長い言及の間の沈黙が彼を焦燥させた。
「クレモントって、アレ、あのー……ルーク君に場外まで飛ばされたっしょ」
「グ」
「あァそうなんだ」
「ロード君知らんの? ニュースんなっとったよ」
「全然知りませんでした」
「知らなくていんだよモー……!」
クレモントはひょうきんに額を抱えた。
「じゃね。二番弟子ガンバー」
「おまえ背中気を付けろよ」
「へーい。ロード君もまたー」
「はい、さよなら」
彼は平均的、あるいはちょうどよく平淡なもので、直後にロードの肩をこづくとき表情の変化が極端でなかった。
「トーク力皆無か」
「……どうやったら出来るかな」
「雑でいんだよ」
「それいいの?」
「キャパ超えようとすんな、馬鹿か。だいたい、結論出すために話してるわけじゃねえからさ」
「でも……」
「気持ち悪ぃ正義感してんな……」
「……」
「だぁぁウソウソ。ジョークだジョーク……っどくせー」
「……」
彼が離れると独りのロードは、騒音の真ん中の静寂になるのを怖がって、静寂のほうへ。
空のグラスを二指でもって腕をだらん、ロードは壁際で無心に時を待つことにした。誰とも居心地悪しく。掌底のあたりを、グラスのふちの、口をつけた部分が粘ついてはりつく。ロードには酒のにおいより、この酒の席のべたついた大気が、結局居心地悪しく思われ淀んだ。宴席の盛りは、夜のどこかの家の窓の向こうの明るい部屋のそれを垣間見るように隔てがある。
「あの」
ある少女が彼に話しかけた。
『大丈夫だって。バレないバレない』
「……」
「……いいですか」
「あっ、すみません、何でしょう」
ロードは頭をあげてすぐ、水色の瞳の奥ゆきとうるおいに、暫し口を1cmポカンとした。耳から胸にかけてゾク、と頭頂へと引きあげられるようで、レシーに叱られてしまうどうこうを思った。
「似てる」
『似てるなにも、本物よ』
「そうではなくて」
『わかってる』
耳鳴りが宴場を遠く感じさせた。差しのばされる彼女の手首の瑕ひとつない白さ、骨ばらないなめらかさが、それを中心に視野を搾る。ロード・マスレイ少年は、今後の生育によからぬくらいの胸の高鳴りを刻んでいた。
『ん! 流石わたしと全身同じなだけある!』
「……よかったら少し、こちらに」
「はい」
『何聞く? 次パート、あと六分だから』
「……」
ロードが彼女の手を取ったとき。
「先生」
「先生?」
「……ロード君」
「あぁはい」
「いきなりごめん。聞きたいんだけど」
「……」
「夢はなに?」
彼女は無意味に惨めな顔をしていた。
「夢ですか」
「うん、夢、ごめん」
「いえ。……すごい人になりたいです」
「リシオンさんって言うと思った」
「確かに」
「……」
「この質問、なんですかね」
「あのね」
「はい」
「これから大変なこと、多分たくさんあると思う。けど、やさぐれたり、くたびれて諦めたりしないでね。今の自分をすごく嫌いになっても、大事にしてあげて。
そうしたら、苦しいのが報われる……かも。それにそうしなかったら、まあまあ穏やかで幸せだけど、ときどき苦しくてたまらなくなると思う。乱暴な気持ちになって、大切なものをぐちゃぐちゃにしたくなって」
「……はは」
「ごめん。じゃあね」
『はいサン、ニィ、イチ、アクションっ!』
「えっと、そこ左……とにかく一番高いビルだから」
彼をAと呼ぶ。
Aは同期十数名に囲まれて、会場の隅の休憩室でごそごそとやっていた。
「うん、そう……あー……多分それ事務局。まじで1回外見て。めっちゃくちゃ高いから」
「もう迎え行った方がはやくない?」
「間に合わんって」
「いけるいける」
「……あの」
「あ。ロード君じゃん」
「待って、同期来た、一旦切る……何?」
「何かあったのかなって」
「お母さんが迷子なんだって」
「そうなんだ」
これっきり、会話が広がることはなかった――
「諦めたら?」
「いやー……母ちゃんマジで楽しみにしてたしさー……」
「いいやつ」
「会うの六年ぶりなんだわ」
「あー学校寮に入った人?」
「そ」
「きちー」
ロードは無のように彼らの困る様を立ち見する――
さっきの壁際にいるのとほとんど同じような、窓の中の方の明るみを眺める寂寞が、彼に刺激を求めさせ、爪で爪をパチパチ弾かせる――
背を打たれた――
「わ――」
「ロード何やってんの?」
クレモントはそのまま、肩を勝手に組んでロードを引き歩かせて、何とも思っていない――
「ちょっと、クレ」
「クレモントー、助けてー」
「私たちの話聞こえてた?」
「ガン聞こえてた。やっぱ迎え行くしかなくね? そんな遠くないだろ」
「かなあ」
「事務局ならまあ近いって。会い行け」
「……行くかぁ」
「私もついてく」
「俺もー」
両膝を支えによろけ立って、首をごき、ごき、Aはとろとろ去っていく――
「……おまえもなんか話せや」
血圧が変化して喉と頭皮のすこし下まで命のないくらいに感ぜられた――
「えっと」
「だらだら話してるときに結論出したがるクセしてこういうとき黙るのわけわからんわ」
「いや、なんか」
「……」
「なんかね」
「もうちょっと自分で考えて……せめて天気の話くらいしてみろよ。共感性羞恥エグい」
――これらのようなすべてが、善性への焦りをもたらした。
「あ」
「どした?」
「ちょっとはなして」
「おぅ」
彼に嗜虐心もなければ過激への欲求もなかったが、その足取りはかつてマルカ湖まで踏み上った彼のそれのごとく、尊厳の高揚によって早足で、気付けないひとでなければ気付く恥ずかしい歩き方、人格の様子を広く知らしめることをしていた。
道徳という玩具を元気に。
「ちょっといい?」
Aの一団の前に立ちはだかる。
「一応、閉門まで含めて十二臣家の儀だから、それまでここから出るのは駄目だよ」
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