12. ギフテッド

「リシオン並びにスピナ・アリスは当該護衛対象と同居し、引き続き警護すること」


 夕時スピナが読み上げなかった伝令書にかくあって、折衝幾分の後、山の家四人暮らしとなった。


『それまであなたが、レシーを助けるのでしょうね』

『俺たちの縁は今回の仕事限りです』

『そうですか。そう思っているのですね』


 リシオンは独り悪心を覚えた。




 ひと月を経て晩夏の候、ロードはこのころ寝起きに不調を来した。リシオンの主治医縁であたった医者曰く、「水分補給のままならない時期があったんだね」とぴたり言い当てた。

 「血管がひどく老いてしまってる、全部治るものじゃない、でも大丈夫、大禍はないよ。医薬を施すものでもない、しかし水はよく飲みなさい、水なしでも大丈夫ですなんて自慢にならないからね」と続けざまにして、追って事情を聞いてから「よく生きたね」などと言い、なるほど名医らしい。

 ロードは「よき人のところにこそよき人が集まる」と、心持ち楽しんだ。


 ふた月を経て夜長の候、レモンティーがよく醒ますのでロードは中毒になった。朝のティーポットふたつ干してしまうので、リシオンに拳骨され「いい加減にせんかい」と、茶葉を隠され肩を落とすなどした。

 甘いことをするのはレシーでなく、スピナだった。ションボリ顔にションボリとし、こそり持ち出し、ロードの破顔を横目にいけない取引のごとく淹れるけれどリシオンの目を誤魔化すことはなかった。


 み月を経て深秋の候、しかし、山嶺にあつく雪が降る。

 ロードはその日、殺す気のスピナに追い回された。以下顛末を記す。




「レシー、起きて、雪だよ」


 その白い、血色を疑う頬に指をつき、外とどちらが白いかなと比べる内にレシーは起き上がった。


「おはようレシー」

「……ロードがわたしより先に起きてる」


 欠伸、目頭目尻をぬぐい、ロードの右肩を支えにして立ちあがる彼女のとろんとした目が微かずつはっきりした。

 けれど毛布から抜け出た途端、肩先に寒さを見取り、ぱっと転じて窓の方を向く。気付いたらしかった。


「秋も終わりかぁ……ふッ」

「どうして笑うの?」

「ううん、ちょっとおかしくって」

「そうだね、夏だったのにね」


 レシーは頓狂の顔になり、ロードの瞳をまじと見てすぐまた、もう一頻りの抑え笑いをした。さらには顔を覆う手の隙間から、ロードがじきに不機嫌をするか否か鑑みて、けれど尚も、それこそが面白いので笑い続けた。


 しかしロードは不機嫌をしなくなっていた。


「じゃ、行きましょ」

「ちょっとっ、レシー!」


 窓からひょいと抜けた。寝間着のまま、裸足のまま、飛び出して思い込みより深かった雪層に底まで嵌まり、「ぶっはぁ」と転がり出でたところ雪の妖精が成る。


「……僕もやろっ」


 寒いからと買った外套をポイ投げにして、彼もまた寝間着を晒し、レシーの妖精に落ちぬよう曲がりながら飛んだ。


「はぁっ」


 下手の一作が出来た。頭の辺り、ロードがおそれて逃がしたために、あまり深く埋まらなかった。首なし哀れの妖精となった。


「こういうところにも、やっぱり出るんだね」

「卑屈言わないの」

「そうは言ってもぬわばッ」

「かかった!」


 雪合戦を始めた、けれどレシーのあらゆる巧み・上手に押されてしまって、寝間着は内側までどっぷり濡れそぼる。交ざった草土が砂利つくと尚更に、心地悪しくなる。


 レシーが「わたしの勝ちぃ!」と雄叫ぶのを悔しみ、重いほどの寝間着でそのうえ、背中から雪に倒れてみたところ。


「オイお二人」

「あ」

「あ」

「まさか、その格好で朝飯食う気か?」


 代償のような話、その妖精はよく出来ていた。

 レディーファーストで浴室に投げられ、暫く。


「あの服あのまま洗濯機に入れんなよ、砂利も草も一粒一粒テーネーに落とせ……ったく、朝風呂ってのは夜より金がかかるんだ、ただでさえ山の水道代だってのに。

 よってこのホウレン草和えは抜きだ。俺とスピナちゃんで食べる。……スピナちゃん駄目。甘やかしちゃ駄目。馬鹿たれ相手には馬鹿たれ相手なりの処し方があるんだから」

「誰が馬鹿たれよッ」

「それが分からない方ですかねぇ」

「ひとの愛の巣に潜り込んでおいて、よくも抜け抜けと……」

「そういうトボけたご冗談は家事の一つでもこなしてから言って下さい。あと食事中に立たない」

「くッ……!」


 レシーは気勢をすぼめ座った。

 他二人、身を細めた。


「……ま、冬の訪れにはしゃぐ気持ちもわからんではないですよ」

「なるほどねェ」

「何ですか」

「いーえ何でも~♪」

「……やっぱ嫌いだ」


 ロードとスピナはこの口論に馴染み得ないので、斜めに見合わせ、こっくと首を傾げてわかりにくく笑み合い、美味を遅々と頬張った。けれどリシオンが「他人事かい」と睨み、説教は倍に連なる。ロードは墓穴感で、頭頂あたりに冷えを感じた。


「もういいじゃない、食べ説教なんて最悪よ」

「……そりゃそうですね、はい、気を付けます」

「だいたい言うでしょ。子供叱るな来た道だ、老人笑うな行く道だって」

「ナルホド、わかりました。あなたのことは決して笑いません」

「そうね、泣いたり笑ったり出来なくしてあげる」


 そのちょうど、視聴予約でテレビが点いた。


『次のニュースをお伝えし……ああっ、ええっ。速報です!』


 点くや、間抜けなキャスターが転びそうなほど叫んだ。


「お」

「あら」

「っ」

「ほんとにテレビってすご」

『本日八時より中継を予定していた『学生頂上決戦』ですが、先ほど、ルーク・ヒラリオ閣下の三連覇が決定いたしました!』


 椅子ひとつ、勢いよく転倒した。


『例年サバイバル形式で行われ、開始一時間後からの中継をお届けしている本大会ですが、中継開始前に終了となるのは三連覇とともに史上初のことです』


 壮大な決意でも得たようにスピナは、テレビデッキに向かうけれど不器用だった。レコーダーを見、画面を見、「これより優勝者インタビューとなりますので」を聞きながら無表情そのままに手先を走らせ、参って腕組みしたところリシオンが背後に立った。


「こう。で、こう。録画」

「……ありがとうございます」

「いーえ」


 画面の向こうに黄金、絶世の美少年が現れた。


『まずは閣下、史上初の三連覇おめでとうございます』

『ありがとうございます』

『しかし中継開始直前とは、狙ってなさったことですか』

『まったくの予想外です。バーバラ中央放送局の皆様には大変申し訳なく――』


 リシオンが額を打って笑い出すと、スピナが珍しく、恩知らず、彼を強烈に睨んだ。


「聞こえないです」

「……すんません」


 これをも耳に、目に留めず、ロードはかの十二才の闊達な語りに吸い寄せられた。

 閣下と呼ぶ記者らの口ぶりに子供相手の似非敬語はあらわれず、それをこそ自然としているので、少年的輪郭だけ見てようやっと、彼のあどけなさに気付き得る。武神をいずこかに宿す人の輝き、などと一時のみ思ってから、そのいずこなど瞳に決まっているので薄笑いを堪えた。


 画面の端に『ニューヒーロー誕生』の文字を見つけた。

 きっと将来、心に義の溢るる素晴らしい英雄になるのだろうと、小さな想起を心端に置いた。


『どなたかに伝えたいことは、おありでしょうか』


 スピナの肩が高くなった。


『今日まで支えて下さったすべての方に、一人一人感謝を申し上げたい所ですが、誰よりアク……アク……妖婦めがッ』

『閣下?』

『いえ……僕の大切な姉上に感謝を伝えたいと思います』


 このとき誰も何も言わずして、食卓が静まり返った。

 あのスピナ・アリスが満面の笑みを浮かべていた。


 泣くも笑うも表情筋運動の乏しかった彼女がしかし、常人並以上で、年相応よりひどく下回って、この上なく素直に破顔していた。

 ロードはひとつ妙な勘付きをし、画面の向こうの彼の瞳、次いでよく笑うスピナの瞳を見比べた。けれど無用のことで、カメラがルークの全身を映したそのとき、腰に佩く真白の剣ノンカラーの全容があらわれた。


「えっ……えっ!?」

「いま気付いたの?」


 それと硝子の剣ノンフィルタと、輪郭はまったく同等だった。


「なんかそういうの多いなぁ、ロード君」

「いや、何というか……」


 ロードは歯切れ悪しげな顔をした。

 銘からして左様、とはたった今気付いたことで、真顔にかえり振り返る彼女とルーク・ヒラリオ閣下と、その横並びの比較がまたそれらしい。


「……そういうの、やっぱりあるんですね」

「そういうのって、何?」

「えっと……スピナさんや閣下がお持ちの、なんというか……生まれつきのものです」

「才能」

「はい。人生を決める生まれつきの能力っていうか」

「……」


 スピナは口を隠し黙考してから、小さく頷いた。


「すごく、あると思う」

「そうですよね」

「8割くらい、決まると思う」

「そうですよね」


 リシオンは息を吐いた。


「ロード君、最近どうなんだ」

「何がです?」

「訓練だよ、訓練。どうなってんだ。スピナちゃんが見てるんだろ?」

「……あー」


 ロードはいっそう、歯切れ悪しげな顔をした。




 その理由の知れたのは昼、山雪は綻び難く、なお白い野を二人駆ける。訓練であるので、スピナはそれを、木偶のようにじっとして見守っていたところ。


「よっ」

「あ」


 リシオンは急然として現れた。


「どうだ、二人」

「……はい」


 ロードは盗み聞きの意識に移ろって、前を見る体で前の横端を見た。

 スピナはリシオンに見えぬよう、剣柄たかみに手を掛け、伺いながら。


「……リシオンさんは、どう思いますか」

「いや、俺見てないし……最近いるんだよ。『師弟制適応者からの指導は合格者の特権だ』とかなんとか、うるさい界隈。お上もその方針で自粛しろってさ」


 ぼやき、枝の雪を二指で掻き、磨り潰して、手枕しながら天を仰ぐ。


「コネも一つの資産だってのに……ったく、平等主義者の侵略だね。

 スピナちゃんも再来年度から適応だろ、気を付けろよ」


 スピナはこの不意に抜刀、一閃したけれど、リシオンは巧くやった。先刻掻き取った雪を吹いて彼女の睫毛に飛ばし、反射で閉ざしたところ、ひょこッと背後に立っている。

 うなじに例の弓飾りを当て、冷感にヒクつかせた。


「別にもう弟子入りする気はねーだろ」

「……まだ勝ってないです」

「そうかい。負けず嫌いはいいねぇ」


 ついにロードは堪忍を忘れ、二人の間に駆け込んだ。

 ロードが行けばレシーも追い来る、レシーが来ればリシオンは渋顔する、ひとつよくできた装置のようにして集結した。


「お疲れ様です」

「お疲れ様でーす!」

「ヘイヘイ、お疲れさん……で、どうなんだ。まぁ何も言わんけど」


 レシーの得意と、ロードの歯切れ悪しげと、二つに分かれた。


「まぁまぁ、見てなさいって」


 と、左手は口、右手は招くようにパタつかせ、「チョット奥様聞イテ下サイ」の如くするのでリシオンは辟易を極めた。


 けれど「サモン・オムニス」の一声あるや、凝視した。

 レシーはそれはそれは可愛こぶって、回転スピン秋波ウインク棍棒クラブ回し、余計に余計を重ねながら水色の光を引き込み束ねた。

 結局リシオンは辟易の目にかえるけれど、極光の留まらざるを知ってのことだった。


「どうよ」

「変身ヒロインかよ……」

「それに他ならないけど?」

「自分を幾つだと思ってんだか」

年齢トシの話はあと一回よー?」


 たじろぐ彼の隣でスピナが物言わぬまま、見上げてきっと「どうでしょう」と伺っていて、何事も示さないわけにはいかなくなった。


「……まぁ何も言わんけど」


 よってそういう顔をした。


「じゃあロード、どうぞ~!」


 ロードは徒手の拳をグと握り締めた。


 かしこまり、集まる三対の視線に二・三度以上は見向き直す。リシオンはやはりこれを見取ったけれど、言わぬようにして、彼の指先が震えているのをつまらなさげに安穏に見守る。


「オーラ」


 そしてその、基本と言っていい基本、接敵転換オーラのために詠唱する狩人を初めて見た。

 それでいて湯葉のごとく薄い。


「……まぁ何も言わんけど」


 よってそういう顔をした。




 例の「ロード・マスレイ市中追い回し事件」はその夜半、リシオン行きつけの飲み屋で起こった。


「その黒髪の御方がレシーラン様で?」

「レシーランでーす」

「レシーっ、声が大きいよ」

「あなたが」

「あ、ロード・マスレイです」

「なるほど。王国軍部指導教官ブライジンです、以後お見知りおきを」


 無骨な男、ブライジンはすぐレシーに右手を差し出し、しかしハとして引き戻し「失礼しました」と、急ぎロードの方にやった。


「あの、先に」

「親交を結ぶ身の程ではないんでね」

「別にいいのに」


 人格を察して、ロードはたいそうにそれを好んだ。差し出し返し握手するに、察したとおり、皮は厚く握りは強い。


 よく笑う店主が「そちらどうぞ」と笑うので、五人、木製円卓を囲む。肘をつくと油滑りのある、そういう店である。


「ブライジンお前、また老けたんじゃねーの?」

「うるせぇお前が老けろッ」


 この時レシーは静かに構えた。年齢トシ話の続きを睨んでいるらしい。

 リシオンは、「あと一回」を思い出した。


「でぇ、ああ、今日の用な」

「ンだよその顔。まさか無心じゃねぇだろうな」

「おかげさまで安泰だっての……今日呼んだのはスピナちゃんだよ」


 ブライジンは「ほォ」と下がり調子に驚き、当人を見やった。眼差しは低く伏せてしまって、卓上の虫でも追っているのか、たじろぐ。時間は必ず過ぎる。

 ブライジンは悪癖で卓に指を立て、拍動の倍速くらいで打ち、彼女の視線は幾ら待てども上がらなかった。


「私」

「顔上げて言え。友達でもやらねぇだろ」

「……」


 レシーが物言おうと立つのを当人が差し止めた。

 戻り、お冷やに手をつけ、氷を噛み砕いた。


「……」

「よし、上げたな。言ってみろ」

「ものの教え方を教えて下さい」

「ものの教え方ァ?」


 大剣豪なるスピナ・アリスの肩が跳ねた。


「火柄吾朗大先生の弟子に、ものの教え方をね……」

「はい」

「お前、誰ぞか教えてんのか」

「……はい」

「で、自分が下手糞だから上手くいかん、それで上手いこと教えてやりてぇと、そういうわけか」

「……」


 頷き答える彼女の横で、ロードは目を伏さるけれど、見取らぬものが居なかった。


「片手落ちだな」

「片手、落ち?」

「教え方なら簡単だ。思うこと全部言やぁいい。余計も何もあったもんじゃねえ」

「混ら」

「混乱どうこうは知らん。それが片手落ちだってんだ」


 ちょうど、あるいはこの会話の間を縫って、例の店主は酒瓶を持ち来た。それをブライジンが受け取るや、ロードは立つけれど「いい」と差し止められ戻る。


 レシー、リシオン、スピナの順にグラスを満たし。


「……」

「ロード君」

「あぁっ、はい」


 ロードが急ぎ、グラスを差し出したとき。


「これだスピナ」


 人を観る人の目、照魔鏡の瞳だった。決してあの銀河の色合いではないけれど、濁り酒のごとき深み、混じりけの有り余る精力の瞳に見据えられてロードは硬直した。

 なみなみ注がれた赤ワインもまた、含むすべてを見せながら見せなかった。


「お前がグラスを差し出さねンじゃ、俺はワインを注いでやれん」


 レシーは各人に見向かれ、嫌々顔をしたけれど、杯を掲げた。


「……乾杯」


 のち、ロードは恐々の顔で口を付けた。初めての酒だった。


「渋ッ」


 口にしてサァとし、誰よりもカッカしそうなブライジンを見たけれど、彼は一杯飲み干したのち、グラスの底の余滴の色合いを愉しんでいた。

 彼を無骨な男だと思っていた。


「飲みたきゃ飲め。飲めねぇならそれでいい」


 焦り飲み干す。

 途端、寒くなる。


「こういうことだ。まずは飲み方を教えてやれ」


 胸の底に滞るものが熱を発して、けれど寒いまま、視覚のみならず五感のすべて、怠け砕けて溶けた。


「それがお前の酒量だ。乾杯で乾杯するな、以後気を付けろ。……いい失敗だったな」


 解けたものを結びなおすまで、夢よりも微睡んで、水など含まされたことは覚えている。こういうのよくないですよなどと思い、思い止す。きっとその性分こそ、と、ただすような論考が酩酊にこぼれていく。


 突如意識のみ醒めた。


「スピナちゃん、おーい……潰れちまった」

「こいつも酒量のわからんやつだな」

「負けず嫌いなんだよ」

「俺らのザルに付き合おうなんざ百年早ェ」

「お前もそろそろやめとけ」

「足りるかよ」

「俺はもう飲めんわ」

「リシオン、お前……」

「おう。中身の方はボロボロだよ。歳食っちまった……」

「あの大酒飲みがな」

「俺も昔は~、とか言ってみるか?」

「やめとけ」

「ブライジンはいいよなあ、人間ドックまだ何も引っかかってねんだろ?」

「健康管理はプロの義務だ。綺麗な肝臓してるってよ」

「無茶言うな、健康なんて、人間に管理出来るもんじゃねえって……かーっ」

「んだよ」

「歳だけ食ってるわ」

「あ?」

「大人になったら勝手に心も、ってわけじゃねーんだなあと……」

「たりめェだ。酒飲んで頭冷やせ」

「飲む」

「冗談だ。もう飲むな」

「……けっ」

「ガキの夢から醒めるだけじゃ、大人とは言わんわけだな」

「……ガキの夢?」

「わかんだろ」

「……そうだな。

 醒めたから酒を飲むわけだ。夢は醒め、やってられねぇで、代わりに酒。酔って、醒めて、やってられねぇで、また酒」

「リシオン」

「あーあ、俺もお前みたいに真面目に生きてりゃよかった……」

「……帰るッ」

「何キレてんだよ」

「気付かねぇのかよ……そんだけ気分がいいってことか?」

「こんだけ飲みゃァな~」

「そうか、幸福ってのは安酒なのか」

「お、深いじゃあ~ん?」

「飲み過ぎだ」


 スピナが起き上がった。


「お、復活」

「……ワイン」

「駄目。もう駄目」

「ワイン……下さい」

「俺はもう飲めません。ブライジンも飲めねえってよ」

「おう、飲めん。まったく飲めん」

「……はい」

「こういうこった」

「なるほどな」

「ブライジンさん」

「ンだよ」

「ものの、教え方を……」

「だぁから、教えられる気になってるガキにゃなんも教えてやれん。どこからでも掠め取るハイエナにしてやらにゃならん」

「はいえな……」

「だがこいつの目は餓鬼の目だ。体よく振舞ってすっからかんを隠す、教えられる気の餓鬼の目をしてやがる。素養がねぇ。

 物事大体、八割が才能だ。いや。経験上、77%ってとこだな。だがこいつはまったくもって駄目だ、求めるという才能がない。

 あるいは……残念だが、こいつ、リシオンが物を教えりゃすぐかもしれん」

「……」

「酷なこと言うなよ」

「ったく、こんな尊敬出来ねえ大人、なかなかいねえってのに」

「言いやがる」

「ま、わからん。物の成果はみ月待てって言うしな」

「お、それ誰に聞いた」

「師匠だ」

「あぁ棟梁か」

「……じゃあ、私が」


 嫌な予感に呼ばれ、ロードは狸寝入りをやめた。


「おう、おはようさん」

「で、スピナ。じゃあ何だってんだ? ……おいそりゃ」

「まなばざるをえないように……」


 焦点に迷う瞳にそれは、透けているのでただ目映かった。


「……硝子の剣これで」

「アリだな。学ばざるを得なくなるわけだ」


 即刻閃いた剣筋を躱した。きっと容赦3割、しかし殺意7割、酔いはまるっきり醒めてしまって、千鳥足するゆとりなく地を蹴った。




「はぁっ! はぁっ!」

「はくじざん」

「ヒッ!」

「はくじざん」

「ちょっ! ……スピナさ」

「はくじえんざん」

「死にます! 死にます!」


 この件で後日、「護衛対象を襲うな」と各方面から注意を受ける。


「ロード!」

「レシー!? どうしてここに」

「わたし酔えないんだもの。つまんなくて途中抜けしちゃった☆」


 この時たった一瞬足を止めたので、あった筈の5mがコロッとなくなった。スピナの方は殆ど千鳥足だけれど、一歩ふらりで疾走にあたう。

 ロードはキッと両眼を閉じた。月の光の剣先にすべるのを垣間見、輝姫かぐやひめの所以を見つけた。


「オブリビオンっ」


 それをレシーは至極さらりと、小さな寝かしつけの術でおとした。


「……ありがとう、助かった」

「いーえー」


 余力をなくした独楽コマのように、膝の折れるスピナの体を受け止めて、笑顔までも満点にしてしまった。


 水と美の女神レシーランはあらゆる文献で「才能の象徴」とされ、無形の水に不可能なし、技術と美とは道義なりとて、各聖地を若者がすし詰めにする。


「おかしいなあ」


 語るところのない、寂れて凡庸な裏路地で月を見上げた。


「それでどうしたの? なにこれ」


 スピナの真っ白が真っ赤になってしまった頬をつき、あの笑顔はそのまま、彼女はロードを横に手招く。座るのではなくて、ロードは、座ってしまっていた。


「……レシー」

「なぁに?」

「幻想ってなんだろう。どうやったら上手く出来るんだろう」

「幻想ねぇ」

「運動も、下手くそだし」

「アレよアレ、お風呂入ってるみたいな感じ。体の方はぜーんぶ流れるままにするの。ぼーっとして、夢見心地になって、現実から離れていって……妄想するみたいな? そしたらアレよ、魔法なんて簡単に出来るわよ。

 術は逆ね。ギッ! と緊張して目の前の全部見ようとして、判断しようとして、対処を考えて、それそのまま吐き出すの。やっぱり簡単でしょ?」


 感覚をかみ砕き、丁寧に伝えているつもりらしかった。


「そうねえ、魔力は妄想力、法力は判断力……というか、想像力……みたいな?」

「そう、なんですか?」


 これはレシーに問うていたけれど、丁寧語であったので、術で右に出る者のないというスピナが目を覚ました。悩み出し、成程、緊張は法力らしい。

 膝枕の上で首を傾げ、目をつぶって眉間皺まで寄せ、考え考えること暫くののち、スピナは小さく「こくり」と頷いて、また寝こける。


「幻想って、突き詰めた嘘だもの」

「わかる人にはわかるってことなのかなぁ……」


 レシーは天を仰いでみて、けれど半拍しか悩まなかった。


「ロード」

「何?」

「わたし、ロードのこと好きよ」


 時が止まったかと思われた。


「どう? 心動いた?」


 このときどのような動作をしたかロードは覚えず、知らず、ワインよりも酔った。解けたものはなかなか結ばれず、彼女の笑みはアルカイックスマイルで、静かな幸福で、先刻満点の笑顔などと考えた己の感性は、結局のところ浅い二元論であり、嗤った。


 そんな風にも笑えるんだと、簡単な言葉に絞られていった。


「つまり幻想っていうのはね……」

「おかしいな」

「何が?」

「才能の女神様に愛されているなら、どうしてだろう」

「わたしにも出来ないことってあるのよ。お酒酔えないし」

「それって才能じゃないかな」

「酔わないんじゃなくて、酔えないの」

「どういうこと?」

「美味しいからってだけで飲むわけじゃないもの」

「そうなんだ……長所は短所でもあるって、父さんが言ったっけ」

「そうなの。酔いたいときがあるの」


 例えば、と言ってレシーは、ロードの肩に額を預けた。


「こういうの、ホントはすごく恥ずかしいもの」


 夜風が路地を吹き通って、ロードは間近で、深黒い髪の天に巻き上がるのを見た。いつもの陶器じみた白ではない、彼女の頬があらわになった。


「ロードくん、幻想というのはですね、あらゆる精神表現のことを言うのですよ」

「何その口調。博士?」

「ちゃんと聞いてくださーい」

「はい」

「ではオホン……幻想というのは、想いの発露です」

「想いの発露」

「左様です」

「左様って」

「ンンッ」

「ごめんなさい」

「はい、左様ですから、火を付けたり水を出したりするのはあくまで一端。想像の具現化に過ぎません……言葉だって、想いを伝えるんだから立派な幻想なんだよーと、そういうお話でした。はい」


 言葉は幻想。

 ロードはまるで寂しいような心地を覚えた。


「ねぇ、歌って」

「何で?」

「歌も絵もみんな、芸術は想いの表現だから。歌も幻想になるの」


 肩の上で動かない額に、試されている気がした。てんで腑に落ちないけれど、ロードは


 その感覚をロードはそうとしか呼べない。きっと科学的別称があるのだろうと思いながら、けれど触れようと思わず、境界線なく靄つくようなを込め、足裏より下からつむじより上までスンと


「Twinkle twinkle, little star,」

「ハウアイワンダーワッテューアー……」



Up above the world so high,


Like a diamond in the sky.


Twinkle twinkle little star,


How I wonder what you are.



 歌い上げてロードは、夜の音がよく聞こえるような気がした。


「歌うのは久しぶりだったかも」

「きれい」

「ありがとう」

「じゃ、そのままオーラをまとってみましょう」

「関係があるの?」

「多分、すっごくある」


 気分をひきずって唱えようとする。


 けれど唱えるまでもなく、あっさりと、肌に桃色がまとわった。


「……レシーはすごいね」

「ロードが持ってたものよ」

「じゃあ、世の中よく出来てる」

「なんで?」

「何だか、僕みたいのにも何かしら才能はあるんだなって。世の中よくできてるなって」

「そうかしら」

「違うの?」

「才能がないことなんていくらでもあるけど、ロードには偶然あったっていうそれだけじゃない? だから、ロードは持ってる側でよかったね」


 街の隅でのことだった。語るまでもない寂れた場所で、しかし暗いので星と月が揃って見える。

 微かにまぶたを開いたスピナが小さく、「綺麗」と呟くのでレシーはその額を撫でた。




 ひと月を経て初冬の候、雪は苛烈になり、しかし強いて訓練をする。ロードは幾つかの上手を得、例の空間の魔法を会得した。

 廃教会はこのころ、ロードとレシーの憩いの場になった。草木を魔法で避けていき、昼の光条が肌を温めるので座り込んだ。冬のベンチは冷えるけれど、次第に温感へと移ろう、眠気に誘われていく。「そりゃ体温奪われてんだよ」とリシオンが叱ってもそうし続けた。


 ふた月を経て大寒の候、さしもの二人も雪曇ゆきぐもりを見てお籠もりを決めた。元旦を祝うけれど、初日の出すら見ず籠もり呪文など編む。

 編むのついでに編み物を始めたところ、レシーとリシオン、ロードとスピナで明暗が別れた。編みぐるみやコースターが増える傍らに、名状しがたい毛糸くずが山積していく。スピナの負けず嫌いはむろん発揮され、巧くやろうとするだけ絡まっていく。ロードはそれに付き合って、結局、両者巧くなることはなかった。


 み月を経て浅春の候、雪の早かっただけ、春風も早くおとなった。春風は虫を運ぶ。しかし、追い出すのはリシオンだけだった。

 珍奇な話、三人みな虫を好んだ。慣れのみならず、ロードは「かっこいい」、レシーは「かわいい」、スピナは「色がきれい」などと言い、アリの行列を見つければ連れ立って追う。アリどころかカメムシも、毛虫も楽しむ。リシオンは幾度も警句を発した、けれど距離を置くようになったのは、ロードが刺虫症をもらい、左肩一面ぶつぶつに腫らしてからだった。


 よ月を経て早春の候、師弟制試験前日となった。

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