20. 正しくなれない⑧:彼女の残滓

 視線は一切トウカに惹き留められてしまって、細糸の張る静寂に唯だ、黒筒の機構が小気味よい鉄音かなおとを立てた。彼はそれらをホルスタに収めた、けれどルークは噛みつかず、根を張るように重く留まった。


 トウカの手が差し伸ばされる。巨きな何かを抱え持つようであった。


「サモン・鉄の籠手ヤールングレイプル


 すべて瞳は瞠られる。

 そのとき眩く烈しくなった。


「トウカ! 君は」

「よせ干渉するんじゃねェ!」


 熱と光と猛風圧が荒んだ。放射的・球形であるけれど、その方向性すら危うい。引き込む力と追い出す力と、すべてごた混ぜにかき混ぜて人為がない。

 しかし段々と押し込められていく。ロードはブライジンの傍らに引き留められ、別人のように血走りながら、その形成を凝視した。エネルギーの混濁と奔流が一点を目指さしめられ、無理の摩擦が火花を散らし、押し返しが大気と臓物を震わし、その爆心地にあってなお、トウカは巨像のごとく屹立していた。


 あるときグンと引き縮まる。

 いまだ瞠られた瞳たちは、そのうえ硬直せられた。


「……お待たせしました」


 黒鉄の鈍照、滑らかな丸み。手甲冑一対が編み上がった。


「ミラーシオン」

「もういいでしょう。そろそろ僕もやっていられません」


 ルークは黄金を以て審議した。トウカはそれが意するところを承知してジリとも動かない、しかしその新たな緊迫が暫くしたのち、白い手は柄に添えられもせず、寧ろ脱力して腕組みにされた。


 曰く。


「それだけではなかろう。もう一つだ、それも出せ」


 かくの如く言い晒すや、トウカはやっとまた微笑んだ。


「その時ではないですね」


 このときやっと真白の剣ノンカラーに手がかかる。


「舐め腐ったな。鉄と後悔の味を嗜むがいい」


 ゴウと太く鋭い跳躍音、それと呼吸を同じくして剣山が乱出した。韋駄天は跳ねまわり、停滞することなく、時には突出した剣山を蹴り進む、トウカは気付いてそれらに棘を纏わせるけれど無用であった。


 即断の抜刀がその証左たる。


「白磁円斬」


 横一文字、回転連鎖して三度、剣山森は水平一面で切り飛ばされた。


 唾を呑む一瞬間をおく。


 再生を命じるけれど、傷口というべきところに法力が纏わって黄金光沢とともに拮抗している。あるいは完封している。ルークはその上を渡った。


「毎度毎度、規格外な――」


 二丁須臾にして構え差し向け、一瞬間も置かず多方に撃ッ散らす、それらは一つ一つ丁寧にたたき落とされていく。時折指で千切られ、頬の疵一つ付かなかった。


「神妙」


 脈絡と前触れを置き去って彼は現れた。九割方瞬間移動で、刃は半ば首の肉に触れている。




――……トウカ。トウカよ。


 何だ、邪魔くさいな。


――儂を出せ。


 大丈夫だから。お前は心配性だな。


――儂の勝手にならぬことが嫌いなだけだ。誰も信頼しておらぬだけだ。


 お前って、ルークさんに似てるよな……怒るな。本当に大丈夫だから、任せて。


――トウカは非才だ。弱い。


 またハッキリ言う。お前だって危なっかしいんだぞ、スピナさんとルークさんが揃ってるのに、ひょこひょこ出てきたら隠しきれなくなる。


――あの坊主は知っていよう、だが言うまい。あるべき運命を曲げればが返ってくるからな……それでいて、


 スピナさんも、言わないか。


――左様。己の立場を定置できぬ臆病者であるからな。


 けどリシオンさんがいる。


――……あれか。


 とにかく、海底区画には全員で行かなくちゃならない。それまでは「待て」だ。




「……ほう」


 鈍色の手甲は黄金の軌道を捻止めて、しかもピクリとも動かなくなった。


「貴方こそ、舐め腐りましたね」


 ルークは心底驚嘆しながら、震えることもできない剣先にさらなる黄金を注ぎ込めど、あたりを絢爛豪華に彩り掻き飛ばすばかり、矮小なトウカの体だけはノミほども動かなかった。押しも引きも許さない。


「さて、鉄と後悔の味ですか。もうその味には飽き果てました」


 スイと上がる銃口をルークは、空の弾倉に目をやってから笑った。


「エレメンタル・リロード」


 その彼に息を呑ませたとき、弾倉は法力を呑んで、撃鉄は高く打ち鳴った。


「神妙っ」


 至近距離六射。ルークは狡猾な軌道の網を、しかし鋭く軽く避け切った。


 少しの間があった。今度こそ弾切れかと思った、その時ついに掠める。例の法力充填を恩恵で隠したようだった。

 選択肢は剣を捨てるか、避けきるか、使い手無き真白の剣の惰弱さを鑑みて後者、むろん再度避けきった。しかし第三波は先刻より間を潰し、充填と発砲を同時にして、連射は止まなくなった。


 その不意に、トウカの腰元から光線がルークの肩を貫く。


「痛っ……!」


 不意打ちの意趣返し、息をついたトウカの肘を掌底で刺し、手先をゆるませた。


 後ろ跳びしてついに鉄の籠手を脱する。


「……各々六発と油断したが、そうか。法力で弾を練るのか」


 果たして、ルークは息も切らさなかった。


「目がよろしいのも……困りもの、ですね」

「ふん。手数の多い奴め」

「器用貧乏、なんですよ」


 片肩を穿たれてなお、ルーク・ヒラリオは手負いの熊に堕することすらなかった。


「るぅ…………ック!」


 呻きが差し挟まれた。


「……息を吹き返しおったか」


 見下す目で見下し、黄金の眼光を容赦なく差し向けた。アクラは回復した呼吸を再度過呼吸にして、瞠目は震えだし、ルークはなおも止めない。

 アクラはあたりに散った血漿を慎重に引き戻しながら、脂汗を焼きおとす気合でにらみ返した。


「きか、せて」


 黄金の眉が不愉快げにひく、とした。


「なんだ」

「ぜんぶ……ぜんぶ」

「……端的に言え。聞かぬぞ」

「ぜんぶ、ぜんぶ、ぜんぶっ!」

「もういい。出てこい、ミレント・アーラ」


 下知の如く言う。


「言われなくても出て来るっつの」


 煉瓦の向こう、小柄な黒影に光が差し色づく。伴って両刃槍ファラボリスの穂先を、反射光が水滴の垂れるように走った。


 ミレントは現るや、ルークに歩み寄って止まらなかった。


「何のつもりだ」

「お前の側につくんだよ」


 各人肺が跳ね、ヒュと音を立てた。


「ミレントさん正気ですか」

「正気だ」

「どうして……かてないっ」


 ルークの五歩分ほど前でようやっと両足を揃え、アクラに向けられていた眼差しは彼に向いた。目の合うことしばらく、それを誰もが数年に思い紛う。ミレントはいつぞやと異なって、かつアクラと異なって、汗一粒落とさなかった。


「こいつが独りだからだ」


 それが大気に広がっていく。


 また、さらにしばらく。


「独りだからなんだという」

「お前がそうなったのってそういうことだろ。お前の、当たり前だと思うんだ。周りで起こること全部自分で背負って、でも何も返ってこなくて、自分の期待はまるごと裏切られたんだから」

「俺はそれを正常に思うぞ」

「現ルーク・ヒラリオはそうだろうよ。そういう風に作ったんだから」

「そうだな。根本性質であることは確かだが……」


 彼は母が子を撫でるような徐ろの動作で、小さなルークと背中を合わせた。


「俺が可哀想だから俺につくというわけか」

「おう。弱いものいじめは嫌いだ、でも、頑張ったやついじめは一番非道い」

「……」


 アクラは散らばった四肢を血で寄せ集めつつ、馬鹿を睨み上げつつ、歯を軋み鳴らせ、けれど意識を下降させていく。絶望感だった。


 けれど何か、正しい気がした。


「道理でお前、あの試験で逆上したわけだ……ミレント」

「おう」


 ルークは少し笑った。


「お前に背中を預けた」

「……おう」


 ミレントも笑った。


「ミレント」

「ンだよ」

「俺を呪ってくれてありがとう」

「……よし、行くぞ」


 そして、



「ッ!?」



 その腹が縦に裂けた。


「ミレントさんッ!」

「期待したな」


 血濡れた真白の剣を抜き取って、唾棄の顔をして、要らぬ人形よりも不躾に王冠を奪った。


「ルーク……おい」

「貴殿、俺が友情劇に心打たれてくれると期待したな」

「やめろ……それをやったら、本当に、戻れなくなるぞ」

「どこかまだ何か共有できると期待したな」

「ちょっと待て、なあ、な」


 それを横に裂いた。


「この状況で斬らぬ馬鹿がいるか」

「……ルーク!」

「だから、何だ」

「全……部っ」

「いい加減に」

「全部! 演技、だったの!」


 彼は眉間に少しのシワを寄せ、それを拇指と食指の腹で捻じ返しながら、肩の落ちる溜息をつきながら、吐く。


「この世に真実と虚偽があるというなら、そうだ」


 切れた。


「裏切り者!!」


 そこら中の血が大泡噴いて沸騰した。巧みに集めていたはずのそれをかなぐり捨てて、血の池は火花の音を立て、刃に形成されてルークを射貫く。

 アクラは失恋のような、失恋よりずっとひどい激情で泣いた。その涙すら血の刃の雨に混ぜて串刺した。あれもこれも全部嘘だったのと、苦悶のなか、いくつも思い返した。


『僕は、万が一にもお前を見失うわけにいかない』


『アクラ、起きろ。朝練の時間だ』


『アクラ、僕はお前が好きだ』


『一曲歌ってこい。この手の舞台は美少女が歌えばどうとでもなる』


『……痛く、なかったか』


『しっとりしてしまったな』


『具体的な話は伏せますが、僕の問題です。押し付けです』


『気分は大丈夫か……先生の魔法だ。突然浮島になっただろう』


『そういうお前が好きだからだ』


 嘘ではないのだと、喚きながらわかった。そのときのルークにとって、屹度本当だった。


『世間の事物に受動的で居ていいのは餓鬼の内だ』


 何度となく思い返したそれをまた繰り返す。


 彼が少しも破綻していないことくらいもう呑めていた。目的を置いて、それに応じた人格を設定する、その人格を仮面ペルソナと呼び、使い分けることを分人という。彼のしていることは間違いなくそれだとわかっていた。


『美しかろう』


 ただ人間味がないほど徹底的であるだけ。

 それを生来続けてきただけ。異常であるだけ。


「オール、オブ、ヒール」


 呻きながら、ルークは唱えた。


 黄金光が身を包み、半拍もなしに、その体は無傷として開帳された。


「うそ……こんなの、わたしたち」

「どうした」

「いらないじゃない」

「そうだ。俺にお前たちは、要らない」


 そしてアクラは一度死んだ。




『はいどうも~!』


 ……なによあんた。人の夢に上がり込んで。


『アクラちゃんの中に眠る才能ってヤツ?』


 何それ。


『ホラ見て、私の目! あなたと同じっぽい目だけど、青が濃くて縁が赤いでしょ。山際は夕焼けて空は深い青、まるで黄昏みたいじゃない?』


 知らない。


『黄金銀河みたいでしょ?』


 ……。


『ねえ欲しくない? 勝ちたくない? あなたの欲しかったもの、実はずうっと魂の中に眠ってたの!』


 ……。


『夢じゃないわよ~、あなた今すぐ強くなれるんだから!』


 ……いらない。


『……そ。つまんなくなったわね』

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