21. 正しくなれない⑨:公平世界誤謬、平均以上効果

 トウカをぼろぼろに刺し貫いてから、ルークは息をつく。脇を見ればブライジンともう一人、ロードが乾いた拍手と穏和な笑みで勝者を称えていた。彼はこれに関心を示したけれど、礼の要素を含めたりはしなかったし、無礼の要素を含めたりもしなかった。ただ『スピナ・アリスと距離的・関係的に近い何か』が彼らの定義だった。


「姉上」


 彼女がふっと視線を半寸、意識を底から現実まで引き戻したところ、ちょうど彼が目の前に立っている。


 かと思えば跪いた。


「……」

「……」


 胸に当てた手、彼は微かにも揺れず声や衣擦れをなさない、静かだった。


 それが暫くして立ち上がる。スピナは追う瞳を止めることが出来なかった。その先で突き合った両眼は合わせ鏡になって、真理を現出しながらほんの刹那間に終わった。


「失礼致します」


 ジネイの砂をじゃりと踏みならしながら彼は歩み去ってゆく。スピナは硬直していた。常日頃より何も言わない性分であるし、氾濫して結局硬直する思考であるけれど、今度こそ汎用の意味でスピナの心身は硬直した。


「……マリア・キュア」


 白金の光、とどのつまり、義務に逃げる常套手段を選んだ。


「ああ、蘇生してしまわれるのですか」


 ブレた力み。


 逃避が最もに近づいた。


「……どういうことでしょうか、閣下」

「実際の戦闘であれば、そやつらは死んでいるところでしょう。それを蘇生してしまってはリアリティがない。こんな話が知れ渡って、万一養成学校まで伝わってしまえば、屹度来年度以降、新人狩人錬成は緊張を欠くでしょう。どうせ死なぬ訓練だと」


 指先がものを引き裂くようにギィと内巻いた。


「確かにそやつらは優秀で、価値はありましょう。しかしここで死ぬ狩人です。先々のためにも、死んだままにしておくべきではありませんか?」


 ルークは悪辣調でも興奮調でもなく、井戸端会議ほど平然調で、ロードに例の冠を返す片手間でこれを語った。そのロードを見るに、無動揺でいる。もののついでで聞き流しているようだった。


「公平世界誤謬と平均以上効果に酔いきった連中です。役に立たないでしょう」


 スピナのどこかがキチと言った。


「馬鹿ッ!!」


 それがあまりに突然であったので、男衆みな目をやって固まった。スピナの呼吸が落ち着くまで、四呼吸ぶん、固着せられた。


「……姉上」


 それがスピナに返ってきた。ルークの表情がやっと人間味を取り戻したからだった。瞠目と震えと上体の仰け反り、影に覆われてみえるような絶望の振舞い、奈落に落ちていくときの顔をしている。


 スピナは自分が一本の軸線であることをようやっと理解して、ルークよりさらに酷い度合いで、真に驚愕した人間の無音顔になって、立ち尽しをした。


「……閣下」

「いえいいのです」


 ルークは異様に素早く踵を返した。丁度、呼び出しておいたタクシー数台がやってくる。ルークはその一番乗りに、殆ど死体のような脱力で乗り込んだ。

 スピナ・アリスの手は、風に吹かれた紐のように弱く伸びる。届きはしなかった。


「スピナちゃん、ちょっと厳しいこと言うぞ」


 ぞくりとしたけれど、優しい人の優しい言葉だと覚悟した。


「強いことは悲しいことなんだ。だからこれ以上、ルーク君を強くしてやるな」

「……」

「ルーク君がああなったのは、大方スピナちゃんのせいだ。背負える人間に全部背負わせた結果だよ、ありゃ」


 伏せた顔。ルークは少しそれを伺っていた。


「……駄目なお姉ちゃんでごめんね」


 ルークは嗤った。


「なるほど、こう振舞えば姉上はのか」




 アクラは病棟で目覚めた。


「……ここ」

「おはよう」

「先生」

「君、四日死んでいたんだよ。スピナさんがいてよかったね」


 いつぞやの毒殺事件で訪れたような、あの白い病棟だった。ロードは殊勝にも彼女を見守っていたようで、傍らにて洋書を嗜んでいるようだった。『Frankenstein: or The Modern Prometheus』と、黄ばんだ表紙に題してある。


「あの、ルークは」

「知らない。もういなくなった」

「いなくなった?」

「卒業させたんだよ」

「……何ですか、それ」


 きりりと瞠目するアクラに、ロードはその萌葱色を向き合わせて、悪魔的な光を注ぎ込んだ。冷然として攻撃性も侮蔑性もなく、ただ見つめるだけでいるのに、アクラは急激な緊張から汗をぼたぼたと落とした。


「前々から特例申請をしていたんだよ。お上は今回の新人錬成の結果を見ると言ってね。そして結果はだった。彼は晴れて飛び級卒業だ」

「……そうですか」

「どうしたんだい。なぜ、酷いことでもされたような顔をするんだい?」


 ロードはいつものように、正義を嗤う顔をした。かつ、正義のふりをしてみせる。


「狩人なら訓練でも殺し合う、優秀な弟子は早く外に出す、ああそれと、目的を達成するにあたって、どうしても相反してしまって妥協できない相手は倒すしかない。

 それでいて彼は、人類救済に向けて尖りきっているよ。その道行きに文句をつけるとすれば、君たちこそ悪で、酷いことをしている加害者だ」

「……」

「むろん、試みに、人類の立場でものを言ってみただけさ。君たちは君たちの立場でどうこうするといい。君は君の我儘で生きるといい。他のやり方なんて出来ないんだから」

「そんなの」

「ルークの裏切りが痛いかい。彼からすれば君も同じ事をしたろうに。自己矛盾は、いけないな」


 アクラはもう何ごとも言えなくなった。


「トウカは君のあとでコテンパンにやられて隣の病室だ。ミレント君も一緒にいる。ローナは回復したから、看病を手伝っているよ」


 そうやって彼は言い訳をやる。


「ありがとう、ございます」


 アクラが従って去って行くのを後ろからみて、面白がるのである。


「さて……公平世界誤謬と、平均以上効果ね」


 彼は例の洋書を一番前までめくり戻して、うっすら来る風を楽しみ、最序盤なるウォルトン隊長の手紙を読み返した。ロードにとって、本書の面白いのは怪物以外である。優れていて努力を尽くした自分なら成功すると陶酔し不安をひどくこき下ろす隊長、対してそれは破滅を招くと怯え苦しみ才智と経験を以て警句するフランケンシュタイン青年。


「自分も、自分以外のものも、何というのかな、無情だね」


 己の有能・世界の公平互酬性について、これほど基本的に、かつ深く激しく論じたものはそうないとロードは思っている。よく場所を忘れる癖をして、まあまあ愛読書だった。


 片手で垂直に本を閉じ、小気味いい音を立てる。


 愉しげな顔をして開口した。


「何もままならないねえ」




付記:ガルターナ新聞にルーク・ヒラリオ活躍の文字が躍り出すのは、それからすぐのことだった。

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