18. 正しくなれない⑥:ペルソナ
粉砕された司祭の残骸を踏まぬよう、悼むよう、ルークは砂埃からゆったりと出でた。
「アクラ、ここからどうする」
予想通りルークは高台から跳んできた、しかし同様にアクラの算段は丸ごと読まれているようだった。
「何それ」
「何のことだ」
「頭の上にめちゃくちゃ浮かんでるそれ」
「他の連中から奪った冠だ」
「全部?」
「ああ」
アクラが目算するに四十はあり、屹度五十近い。それらは幾何学的に無数の円形を成して舞い、隠密性の観点からクレームをつけるべきところとなった。また、三人は息と唾を一度に呑まされ、視線は硬直された。
明らかな埒外である。
ルーク・ヒラリオにとって、岩山区画の司祭はもはや相手にならなかった。むろん、ゴレムが司祭の中でも下等である等々の理屈はない。彼は踏み込みを革命的に進化させたけれど、またそれは武の根幹たりうるけれど、彼の進展は本来それが与える以上であった。
「……」
アクラは指仕草で合図をした。背後でトウカが蠢く。
銃声が死せる石造の街に反響した。
「アッ」
「ローナ早く!」
爆ぜるほど跳ねた胸を制し、アクラはすぐさまに逃げの合図をして、目を覆うローナの手を容赦なく引いた。どこを穿ったか確認する暇もなく、どうか目を潰していてくれと狂気じみた願い方をした。これが最後の戦いに違いないけれど、ほんの少しでも何か楽になった心地はない。
「アクラっ」
「ローナ!」
「いや、だから、アクラ!」
「なに――」
けれど呻きがあがらないと、そう気付いたとき汗腺が拡大した。
「これは火器か。その黒い筒に入れて使うのだな」
指先でジャリと四発を磨り潰し、粉と化したそれらを見下ろしながら彼は判じた。
「……嘘」
「初見殺しというのはな、如何にもそれをしそうな奴にさせるものではない。ローナがやったなら頬を掠めるくらい有り得ただろう」
手のスナップと拍手数回で鉛粉を払い落とし、その間ひとときもアクラたちから目を逸らさなかった。「狩人」という単語が真っ直ぐに浮上した。
「アクラ。その憤慨を含む瞳はどうした。その感情は狩りを妨げうる」
「……うるさいわね」
「場を切り替えろ。うっかりと殺すぞ」
「その前に」
「何だ」
「お互い最善を尽くすために、話をしましょう」
「……わかった」
互いに敵と味方の目をして、これから一瞬もそれを弛ませぬように力んだ。見つめあうだけで心持ち熱を帯び、瞳の空に吸い上げられていく心地だけれど、分離した。ルーク・ヒラリオの作法を「知らぬ」と一蹴しえなかったことが嫌になる、けれど「元よりそのつもり」と、ハリボテじみた心中言にしがみついた。
「私、ルークの言うような何かにはなれない」
「そうか、わかった。理由を聞いてもいいか」
「理由って、無茶だからよ。馬鹿言わないで」
「言葉が足りないか」
「選ばなかった理由を聞きたいんじゃないってこと?」
「ああ。何を選んだか、何故選んだかを聞かせて欲しい」
「ん」
このとき、アクラはもう平時の調子に戻っているのを感知した。
無茶をやめた。
「正直、別れてあげるんだからこれくらいはあっさり呑んで欲しいけどね」
「アクラ」
「わかってるわよ。理由を聞いてるだけだって言うんでしょ。でもそれだって本当は勘弁して欲しいの、『詰』『問』って言葉知ってる?」
「それは、すまない」
「まあ話し出したから勢いで言うけど」
何を言い出そうか迷った。思えば纏まったものが何もない。
例えば『私の情熱は、恋慕と尊敬に見せかけた嫉妬心の誤魔化しだった』。嘘になる。『私はルークの輝きを恐れて正しくあろうとしていただけ』。半ばしか本当でない。そもそも結局どちらも、選ばなかった理由でしかない、アクラの話ですらない。
『ルークにむかついた・跳ねっ返り気分になった』。最も本当だけれどより悪い。
煮詰める。己の選択はきっと、価値の先天の否定であって、よってその設定の任を自ら負うと誓い、しかしその実如何なる設定をするかどうとも決まっていない。それを罰する思慮すら厭うのだから、好き放題でしかない。その都合良さを卑下する力もない。
堂々と言いがたいものだった。そもそも何故言わねばならないのか、やはり先刻の主張に則って中断してしまおうか、彼女はこのように胸をむかむかさせた。
いっそ煮詰まった。つまり、理想は
「やっぱり消去法かも。必死が
「そうか」
「結構切実なのよ」
「……今、あの養母の物言いがよぎっているのか」
「ん、そう」
アクラは自ら「敗残兵のようだ」と思ったけれど口にしなかった。「ようだ」とぼかしたことを心奥から恥じた。
「もう幾つか、聞かせてくれないか」
「どうぞ」
「なりたいものはあったか」
「ルークになりたかった。他にも色々あったけど、多分そういうことだったと思う」
「何かに意義を感じることは痛かったか」
「最終的には、まあ、そう。いろんなすごい人が『それを捨てるな』って言うし、それこそルークだって言ってくれたけど、やっぱ駄目。ごめん」
「別にいい……怖いか」
「怖い。ルークは『弱々しいこと言うな』って言うかもしれないけど」
「いや、人の限度は人こもごもだ。だが、僕を頼りにしても駄目か」
「私の問題だからね」
「そうか、それがお前の生き方の選択か」
ルークはこのとき笑った。リシオンやトウカやロードがするように笑った。
「ルーク、ちょっと。何考えてる?」
「いや何、いくつかの無意味を悟っただけだ」
「どういうこと」
「僕自身のことだ」
「変なことしないでよ」
「まさか。僕はお前の言うことに納得させられている」
「……ルークの、話を聞かせて」
無意識だけで放り投げた言葉は、ルークを少しも揺らがせなかった、むしろ彼はピクリともしなくなった。アクラは唐突に、数十度目の回想をした。
『アクラ』
あの変調を覚えている。関係と呼び名の終焉でしかなかったその時、彼は声音の優しさを少々以上削り落としてそう言った。アクラにはその有様が別人格のように思え、彼女はそうやって世界の転倒を感じたのである。
「姉上のことは埒があかない。司祭のことはどうにもならない。アクラのことは出来ることがない……ふむ」
ルークは無感情に言った。感情を切り離す例の声調だった。冷淡ではなく平淡かつ、悲観ではなく静観かつ、絶望ではなく絶念である。
何時ぞやのトウカ・ロト・ミラーシオンは「切り離しすぎ」と評した。
「また、あの人は」
「トウカ、どうしたんですか」
アクラはとぼけたように問うことが出来なかった。ルークの立ち尽くすのを攻めもせず、待って、怯えた。
「アクラさん、僕はあなたがこうならなくてよかったと思います」
「何言ってるの?」
「アクラ、すまないな」
「何!」
「恐らく僕では役に立たない。今突き当たっている問題に、一切の貢献が出来ないだろうな」
「何よ……何卑下してるのよ!」
卑下という語彙がどれだけあたらないか、アクラは少しの間も置かずに気が付いた。すべて選ぶルーク・ヒラリオの慟哭じみた告白が、しかし慟哭味を露ほども含まぬと看取して、霊障があったかのように身震いした。
「ではまず総ての根本として、この人格を棄却すべきだな」
「……どういうこと。わけ、わかんない」
その意するところを知らぬうちに、ルークの掌がその両眼を覆った。
「あっ待っ」
トウカの歯ぎしりがあった。
そして、
「……」
「ルーク、今の」
「……よし」
彼はあまりにもいつものように、けれど急激かつ唐突に、それでもなお彼らしい有様で
「今日からは俺がルーク・ヒラリオだ」
アクラは彼をすべて知っていた、けれど、その性質の根源ははるか以前に遡る。
すなわち知りもしなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます