14. 正しくなれない②:ローナの堪忍袋の緒

 ジネイ半島は円形島たるガルターナのその半径の中間あたりにあって、三方湖に面するゆえ半島と言いうる。また、さほど外縁でないことが本王国にて意するは、文明発展の度合いが比例的に高いことである。


 こういうわけでジネイにはタクシーがあった。景観を幾分か鑑みて赤土色のタクシーは、いっそ痛々しい。


「先生、ちょっといいですか」

「ローナ、君はあっちのタクシーだろう」


 そのうち一台の側で師弟が睨み合った。


「どうしたの、カッカして」

「来て下さい」

「勝手なことを言わないの」

「いいから来て下さい」


 ロードは困った。聞かなければ、縄で引いてでも連れて行く気勢に見えた。


「連れてけ」

「ブライジンさん」

「ありがとうございます」


 早くも降参と相成る。ローナはさっさと彼の手を取って、いまだ無人でいる最後尾のタクシーまで引いていく。


 その時、スピナが立ち上がろうとするのをローナは見とがめた。


「私と先生で話があります」

「どうしたのさ」

「どうしたじゃないです」


 タクシーに乗り込み、出発してしばらくは沈黙でやりすごす。


 必要以上にクーラーの効いた車内でいっそ寒がりながら、むくれながら、ローナは説教の姿勢を整え始めた。ロードは不機嫌の予感を十分にしていたが、彼女はその予感よりよほど不機嫌にしている。

 けれどローナはローナであるから、鼻息をフンとあからさまに荒げるあたり愛らしく、ロードは胸元に温かさを覚えた。


「すみません、空調を弱めていただけますか」

「申し訳ございません。すぐお下げします」

「いえ、ありがとうございます」


 しかめっ面がよりしかめられた。


「このくらい自分で言いなさい、もう大人なんだから」


 一層になる。


「片付けも出来ない先生に言われたくないです」


 そっぽを向いてしまう彼女は未だに寒がって、特に手先を長々擦った。それも運転手に分からぬよう静かにして、とかく強いて気付かせない。


 そんな彼女の隣でハタと音がして、気付いた時には風が肌をこすり、外套は静かにかかった。


「……先生」

「なんだい」

「アクラの匂いがします」


 ロードは目を閉じ天を仰いで、非常に深呼吸した。


 けれどローナは体温の残る布に口まで埋まりながら、右斜め上の彼の顔を睨むだけの詰問を止めない。彼はあらぬ方を向いて後頭を掻き、ローナの「もういいです」を待っているけれど見透かされていた。視線を戻せば彼女はそのままでいる。


「スピナさんという人がいながら、どういうことなんですかね」


 ロードはひとまず黙り逃げに徹した。


「スピナさん、あれで気付かれてないと思ってるのすごいですよ」

「……」

「先生、今日は早起きでしたね。起こしに来られたら大変ですもんねぇ?」

「……」

「これ以上黙ってたらスピナさんに全部話しますよ」

「わかった、わかったよ」


 常ながら瓦解は早い。最後の気楽を堪能しようと、ロードは頬杖で砂漠を見た。


 ジネイ半島の砂漠は岩石砂漠であって、風が波打ち砂紋を残しただけの淡白な情景ではない。無論殺風景であるけれど、そこかしこの無骨な岩山が特徴となって、少なくとも四方は掌握しうる。轍もあるようだった。


「それで、君はどうしてそんなに怒るの」

「分かんないんですか」

「分からない」

「スピナさんのこと、するならちゃんとして下さいってことです」

「僕とスピナさんはそういうのじゃないよ」

「そこをちゃんとすべきなんです」


 そうして手が伸びてくるので、ロードは一瞬戸惑う。

 隙をつき、ローナにしては荒々しくも、彼の襟首をひっつかんだ。


「これ、何ですか」


 首筋の低いところに、赤いもの。


「キスマークでも残っていたかな?」

「そんな生易しい物じゃないですよ、これは」


 新しい傷痕だった。


 ただの爪痕に見えるけれど、ひと掻きどころかふた掻き・み掻き分程度には広く深く、ぷるっと光る浸出液が未だ生々しく残る。「服が擦れたら痛いだろうな」と想像をして、ローナの下瞼は仄かに熱した。


「先生達のしてることは自傷行為です。相手に任せてるだけの自傷行為なんですよ」

「ひとに任せたら自傷じゃないよ」


 はぐらかしじみた返答は、ローナを最も苛つかせた。


「歪です」

「君から見たらそうなんだろうね」

「どう見ても歪です」

「どう見てもなんてことはないさ。僕たちには、あれが最も自然体なんだ」

するのはいいんです、防音してらっしゃるようですから。でもせめて普通に」

「それだけじゃ難しい人もいるんだよ」

「異常性癖です」

「君から見たらそうなんだろうね」


 人が歯を食いしばっているときに、ロードは微笑を一厘も揺るがさない。襟首を捻り握り絞めても、静止像のようにしている。ただひとつだけ、そろそろ襟が伸びるなと彼は考えていた。


 ローナは沸騰した。どうにかこの過ちを正さねばならないと思った。


「それでも、どうあっても、スピナさんにまで同じ怪我をさせるのは酷すぎます」

「お互い望んでいるんだよ」

「あんなに白くて綺麗なお肌をこんな風にしちゃ駄目だって、分からないんですか。時々殴ったり、首を絞めた痕もありますよね」

「ローナ、覚えておきなさい、傷が欲しいこともあるんだよ」


 小気味いい音が、ならあげましょうと言わんばかりに彼の頬を打った。




 『岩石区画入場口』と、まるで商店街ゲートのような看板が立っていた。赤土まみれである。またその向こうは風化を迎えんとする石造建築の群れで、きっと元来は人里だったに違いない。ゲートが封印であるなら、そろそろ換え頃だった。


 その直前に新人五十四名、加えて指導官四名が整列した。


「ロード」

「はい」


 彼は件のダイヤの冠を高く掲げ、放した。冠はふぅと水平を保って浮き上がり、回転を始め、薄桃色の光を内包した。

 光は拡大し、巨大な冠を見せる。やはり水平・一定速で下降し、彼らを丸ごと包囲してしまった。


「君たち、目を閉じなさい」


 五十四対の注目は冠に集わされて、指示が行き渡るのに十数秒かかった。


「うん、いいね。オール・アクティベート」


 引き絞るように収束していく。光の輪が彼らを通過するとき、目を閉じていても目映いのか各人動揺し、瞬時に終わるので混乱に転ずる。


 そしてロードが「もういいよ」と声をかければ、それぞれがそれぞれで左上腕の桃色の腕輪に気付いた。


「それを奪い合いなさい。いつも通りだよ。ただケモノがいるというだけのことさ」


 返事がドンと弾ければ、ロードは小首傾げの微笑だけ返して、ブライジンに目配せした。そのまま立ち位置を譲り、大いに息を呑ませる。


 ブライジンの深呼吸が視野狭窄をさせた。


『三十分後の開始とする! 行けッ!!』


 これに返事はない。ただ駆け込んでいくばかりだった。


「……」

「今年も始まったかー」

「感慨深げだな」

「お前ほどじゃない」


 兵どもが夢の跡というのか、あとには静けさだけが残る。スピナとロードとリシオンとブライジンと、砂漠の沈黙を埋めるには不足な面々だった。特に数名、好んで物を言わない。


「ロード、例のモニターはどうだ」

「はい、今出来ますよ」


 好んで物を言わない彼は、しかし声かけされればよく喋る。ロードは例の冠に念じてから、シャボンのように吹いた。


 正しくシャボンのような球体が吹きだし、総計五十四、表面には走る若者達が映った。


 「ほう」と機嫌のよいブライジンにロードはまた微笑だけをし、球面に触れてスイと回した。像は伴って回る。また、更なる息を吹き込んだ。像は伴って膨らむ。老武官は呆笑し、真似して数度試し、ついにロードの背を「ドン」と叩いた。


「やるじゃねえか」

「まあ、これくらいなら」


 幻想制御の観点において、これ一品で大発明たりうることを明記しておく。


「こりゃいいな。こういう監視システムがありゃ、この訓練は無用かもしれん」

「というと?」

「この訓練の意味を話してなかったか」

「生存率向上では?」

「……そうなんだがな」


 ここらでリシオンと目配せをするので、どうやら年長が詳しくしているらしかった。


「ナルホド。ロードもスピナちゃんも、その憂き目に遭う機会がなかったわけね」

「憂き目、ですか」

「新人狩人の死因トップツーは知っているか」

「ええ、まあ。資料は一読しましたから」


 スピナがそろそろとやって来るので、若い二人は見合わせてから、順序を決め打った。


「一位はケモノとの直接交戦が八十五パーセントですね」

「二位は、遭難八パーセント……ですか」

「おう、データ上はそうだ。殆どこの辺りの理由であいつらは死ぬ」


 熱砂の中、ブライジンは煙管を取り出した。気分の問題らしい。

 指先から小さな火の術を発し、灯せばヒョウけむが立つ。


「だが本当の死因第二位は遭難じゃねえ」

「というと」

「故意のフレンドリーファイアだ。要は戦果の略奪だな……誰も言わんがしょっちゅうある、殺したってどうとでも誤魔化しがきく」


 ロードは思考法の根本が算数であるから、リスクリターンの勘定をして、すぐ自分がその憂き目に遭わなかった理由を見いだした。多弁を嫌って一言で済ますなら、リスクの天秤皿に英雄が乗っていたからに違いない。英雄は背後で退屈げにしている。


「俺たちのことは誰も守っちゃくれん。守るのは俺たちの仕事だ」


 ブライジンという軍人の意気、その生き様の真骨頂的一句を聞いてなお、ロードは曇った。ブライジンのかくあることを思うより、それを自省に用いた。


『世間の事物に受動的で居ていいのは餓鬼の内だ』


 胸にしこる自己嫌悪がその責苦に凝縮されて、鮮明であった。


「……あの」

「どぁっ! ……なんだスピナ」

「一つ、聞きます」

「おう、聞け」

「何故この訓練は全員参加でないんですか」

「馬鹿、金に決まってんだろ。岩山区画の1ブロックを一日貸し切るので精一杯なんだよ」


 そういった命の選別を、誰も責めなかった。


「……そろそろ三十分だな」


 ブライジンは腕組みしてから、五十四面を俯瞰できる位置に立った。隣のリシオンが片膝立てに頬杖し、つまらなそうにしているのを見れば、なんとも対照的に移る。

 しかし対照的といったら、ロードとスピナ、リシオンとブライジンの立ち位置がより適している。幻想的なシャボンの中に立つ二人と、それを離れて俯瞰する二人、つまりはそういう対照だった。


「さて、僕たちも」

「私たちも?」

「一応指導員ですから」

「……うん」


 頷く彼女を伴わせて行く。


「げ」


 そこでリシオンが苦い顔をするので、ロードはすぐ立ち止まった。下を向いていたスピナはといえば、不意の停止で背中に頭を打ち付けてから、無言でその視線を追う。


「どうされましたか」

「いや、ちょっとマズいもん見つけてな?」

「何だマズいもんってのは」

「いやまあ、個人的なヤツよ……そろそろローナちゃんも限界だよなあ」

「つまり昨日の件は解決してねえんだな」

「おう」


 ブライジンの溜息は長く伸びた。




「……アクラ」

「ローナじゃない」


 互いに残り時刻を意識しだした正にそのとき、遭遇した。

 しばらく真顔で見つめ合ってから、アクラが先に笑う。


「今日、どうする?」

「どうしましょうかね」

「ちょっと話さない?」

「いいですよ」


 互いに小綺麗な笑顔だった、けれどアクラはローナの抑揚なさに気が付いて、これはまずいなと薄ら直感した。また、ローナ・マルセランからは長らく目を逸らしてきたものだと思い返す。また、常ににこやかで世話焼きで愛らしい、そんな人間がいるのであれば、アクラは必ずやそれを目指した。


 並び歩きつつその横顔を見、すぐ目を逸らした。


「ねえ、ローナ、ずっと言いたいことがあったの」

「なんですか」

「ごめん」


 このような流れで、アクラはローナの目も見ずに謝罪をした。


「何が『ごめん』なんですか?」

「何がって」

「何について、謝罪をしてるんですか?」

「……森林区画で酷いこと言ったから」

「そうですか」


 そうしてアクラは、隣にローナがいないと気付くまで数秒かかった。数秒前に立ち止まったらしく、振り返れば顔を伏せていた。


 息を二、三回呑む程度の時間が経ってから、ローナが顔を上げるので、アクラは視線を合わせてから唇を噛んだ。見たことのない暗澹の目つきだった。


「そうですか、それだけですか」


 冷ェッと息が漏れる。


「言ってもらっても、いい?」

「言わないとわかりませんか」

「ごめん、わからない」


 低音の嘆息が長く、それ以外を沈黙させる。山景と風鳴りと皮膚感覚とを強意せられ、心臓は早鐘というより、寧ろ縮こまって停止したように感じさせる。すべて次の一句を待つ刹那のことである。


「アクラはお台所に立ちません」


 アクラはやはり目を逸らした。


「……ルークと鉢合わせしたくなくて」

「アクラは気分が落ちるとすぐ籠もって、他の用事をないことにします」

「何も出来ない時があるの、本当に」


 アクラは精神的打擲を完全に覚悟して、すべて受け容れようと試み、ただせめて目だけはと、斜め下に見逸らし続けた。


「アクラは物をはっきり言いません」


 しかし、この一言で転調する。伏せた目元が軽くヒクついた。


「ねえ、それってローナも」

「アクラはそんな風でも、必死に頑張らなくても、昨日一日無断欠席しても選抜メンバーです。不思議ですね」

「……ねえ」

「アクラはそんな風でも、ルークに好かれます。何でですか?」

「……」


 ハラワタの熱塊を思い出した。ルークが目覚めさせ、一度は逃げた熱塊が再度、彼女の全身を煮えたぎらせた。全身仰々しく力み、ついに視線が前を向く。端的にいって堪忍袋の緒が切れていた。元はと言えば自分のせいだと自制を試み、しかし無為となる。


「私が一番、ルークのこと好きなのに」

「本当に? それって畏怖とか憧れとか、その程度でしょ」


 対する愛らしい瞳が震えた。


「……何ですか、それ」

「好きの度合いで話がしたいなら、年季が違いすぎるんじゃない?」

「私の方がずっと好きーとか、そういう甘ったるいこと言う気ですか」

「もっと甘ったるいこと言うわよ」

「どうぞ」

「私とルークの分かりあい方は全然他の人と違うから。出会う前から色々決まってて、出会った時から将来結ばれるなって想い合った関係なの。そういう風に生まれついたんだけど、見ててわからない?」


 彼女はもう二度と信じまいとしたことを、実際今もなお信じていない虚言をつらつらと並べた。論理を跳躍して、ただ熱塊を吐き出す。後々必ずや悔いると警鐘する理性は黙殺した。


「好きだとか愛してるだとか、私のルークを取らないで」


 薄桃色の腕輪がそのとき光を増した。


「三十分経ちましたね。どうしましょうか。共闘します?」

「……」


 静然が暫くする。


「サモン・オムニス」

「サモン・ロングボウ」

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