13. 正しくなれない①:信仰の総算

『これより狩猟許可証の発行及び、テレポーター利用のレーションを行う』


 バーバラビル地下室にてブライジンが宣言する、このような言い間違いをクスリとも笑えない。十五の彼らは喉首と眼底あたりに高熱を感じながら、軽い力みで激しく震う手足に混乱しながら、「こんな自分は実地メンバーにならないはずだ」と絶望じみた希望をあてにする。そうして何も聞こえなくなる。


『時差利用の都合、早朝から事務局受付を開けて貰うんでな。迷惑かけずにチャッと済ませてこい』


 そこで返事が生返事になれば、国内最高の指導者が見落とすべくもない。強面が皺深く強ばった。


『声を張れ! 今も選別中だ!』


 そうして皆張り上げた。


『これからお前達に極秘情報を伝達する。最近流行りのエスエンネスだか何だかに投稿するなよ、国家の威信に関わるからな!』


 ここらで、この日程中酷使され続けたメガホンは「プツン」と限界を迎える。ブライジンが舌打って、それを後ろに投げればリシオンが取る。長年の付き合いだった。


 そんな彼がすぐメガホンを置き、耳を抑えると、横に控えるスピナとロードも追随した。


「六月一日より国家事業として二週間強の大遠征が策定されている! 人員が必要だ、有能であれば誰彼構わず連れて行く! この意味が分かるな!」


 二百人分を優に超え、メガホンの要不要を問わすに十分な大音声だった。


「本日行われる訓練はその選定も兼ねている! 胸に刻んでおけ、以上!」


 比喩ではなく実際的に、二百人分の返事は彼一人に劣った。


 しかし事務局に入ってすぐ、記録は更新されることとなる。


「ブライジンさん本当助かります! 本ッ当に―――!!」


 事務局員リリの朝は今日に限り早い。理由は先述の通り。

 けれど彼女は至極笑顔で、無骨に照れるブライジンとの握手をブンブン振り回した。


「毎年思うんだが、こりゃ、感謝されるようなことかね」

「大感謝ですよ! ホント……八年前まではどれだけ大変だったことか……!」

「よせよせ」


 許可証発行は新人の目の前で発行する。厳密性が非常に重視されるため、重役全員がその場で押印せねばならない。これは大神アルゴルの勅命を除き最優先とされる『ガルターナ憲法』に、その一節として明記されている。


 そこで、これほど重大な癖をして殆ど自由業であるという狩人の歪みがネックとなる。


 狩人を事務局開催の式典に強制参加させることは出来ない。特に引退済み高齢狩人と新人狩人ほど、その自由の気風を主張する。許可証発行式など以ての外、そのため、新人たちは各人の好きなタイミングで事務局に赴くのである。

 となれば混乱は免れない。許可証発行期間となる三週間強、常に重役は束縛され、しかも通常業務まで行わねばならない。


「『新人錬成最終日に纏めて発行する』ってのはシュトルムの発案だ。俺に感謝することじゃねぇよ」


 グリーン・シュトルムは、例えば最辺境の寒村の三年前の気候を聞かれたとして、すぐさま答えられるような大臣である。また、ガルターナの為政者たるもの誰もがそうあらねばならないと本気で思っている。

 そんな完璧主義者であるから、ブライジンの新人狩人錬成計画を耳に入れるや、すぐさま事務局との交渉を開始した。


『生存率向上が目的なら、新人は従うでしょう。何よりブライジン氏は人望があるようです。自立した狩人全員をまとめて行動させ伝達を行う、非常に骨折りだったことでしょう、しかしこれからはこの錬成計画を根拠に出来る。ブライジン氏が亡くなりその威光が失われたとしても、伝統が塗り替わっていますからね。新たな保守派が守ってくれます』


 興奮気味に彼は語った。関連する条文草稿を編み、全国で同様の計画をさせ、各地で直接交渉をする、これらすべてグリーンの一人仕事だとか。


 「一人一省大臣」との異名は、それ故付いた。


「あいつ、政治家としちゃぁ完璧なんだがな」

「まあ……一緒に仕事したい人ではない、ですね」


 また、リリはかつて事務局から派遣され、彼と共働したことがある。


『なんと! あなたもガルターナ神典千二十五頁ポッチの暗誦が出来ないのですか! 序文すらも!? ああ、ああ、嘆かわしい!

 せめて序文だけでも暗誦できるまで謹慎なさい。非国民は部下に要りません!』


 謹慎は実際に成された。十二臣家当主たる彼に「職権濫用パワハラだ」と言える度胸者はなく、結局、彼女は序文四十頁以上を必死に暗誦した。しかし、


『なぜ原文ではないのですか』

『へ?』

『私が暗誦しろと言ったのはガルターナ神典、つまり旧音アルファベット原文の方です。現代翻訳版は神典訳書といって…………まさか』

『……存じ上げません』

『謹慎なさいッ!』


 彼女が業務に参加し始めたのは、その半月後のことであった。


「あの人は本当に……本当に……」

「リリ。おい、リリ」

「はっ! 今ダークサイドが……でも明日からは平常運転ですからね! もう大勝利ですよありがとうございました!」

「お前は休んだ方がいい」


 仕事を断れない女の闇が露呈していた。


「いいんです、私寿退社してリシオンさんに貰われますから。これで実家から文句言われずに……」

「俺が何~?」

「どわっちょっちょいッ!」


 そんな彼女の希望ことリシオンは、ミレントを連れてフラフラとやってきた。相変わらずラフな服装の上、銀色のネックレスが如何にも軽薄じみているが、今日は腰袋も備えて狩人らしくもしている。


 彼女の視線は素早く熱視線に転化し、ただし下向いた。


「あの、お久しぶりです」

「おう久しぶり」

「……」

「何、どうしたの」


 優しい笑顔を音にしたような声なので、隣のミレントは苦い顔をした。彼は凡庸だけれど凡庸なりに、理性も感情も欲望も人並み分過不足なく、スピナがどのような思いか気付くには十分に聡い。


 けれどブライジンは無骨不調法な男である。


「ヤリ捨てクソ野郎だったこいつが、丸くなったモンだよな」


 ヤリ捨てクソ野郎ことリシオンは硬直・蒼白・急発汗し、引きつり笑いまでした。


「いや、それ、昔の話だから」

「そうでしたねぇ、でも大丈夫ですよ」

「そうそう大丈夫大丈夫」

「リシオンさんは私を見捨てたりしませんよ」

「そうそう見捨てない見捨てな……ん?」

「私あの件で個人データに『人格不正・教養欠落』って残されたんですよ……シュトルム家当主名義で……失業したら再就職なんて出来ませんからね……?」

「グリーン名義なら同情して貰えるさ、全然大じょ」

「見捨てるんですか?」


 事務局勤務・独身女性の闇が露呈していた。


「私結構本気だったんですけど? 寿退社してリシオンさんはお婿に入って貰ってロードくんとスピナちゃんは養子に」

「いや、ロードはともかくスピナちゃん養子って。年齢的に無理あるだろ」

「えーっと、十八歳のマスレイ先生がアリで二十一歳のスピナさんがナシってことは」

「ミレント君?」

「すんませんッ」


 以降暫くミレントは視線を下げてやり過ごし、許可証発行順の点呼を受けてすぐに脱走した。

 サテ彼は凡庸であるから、感慨も凡庸なりにひとしおだった。彼の前に重役たちが居並び、押印しては隣に回していく。端に回るまで数十秒を、その十倍にも感じる彼だった。最後に封をする長官の蝋印が長い。


 蝋が乾くまでほんの数拍。長官はそれを、隣に立ち控える役員、すなわちリリに回した。そうして彼女が手渡しに来る。


「ミレント・アーラ君の今後の活躍を、心より祈念します」

「ありがとうございます。頑張りま」

「未来の、女将として」

「……頑張ります」


 煌々とする瞳の黒さを、拍手喝采が有耶無耶にした。


 そしてとどめ、テレポーターに入るや、以前なかったはずのアナウンスが入った。


【皆様、おはようございます。救世暦20020年度オリエンテーションにご参加いただき、誠にありがとうございます】

「リリさんの声だ……」


 ミレントは困り顔と想像をした。新人専用のテレポーター内アナウンスなぞ、事務局内で誰が担当するか決まっていなかったに違いない。しかしそういったとき、お鉢が誰に回ってくるか、これは決まっていたに違いない。


「リシオンさん」

「皆まで言うな」

「ま、優しさは計画的にってことで……」

「……」


 転移するまでの十秒間は、ともすれば、先刻の受け渡しよりも長かった。




 ジネイ事務局は煉瓦造りで、外壁が半分以上崩れ落ちているため、転移するや外観に飲まれる。


「すっげぇ」


 青と白の空、黒と赤の大地が暫くミレントを黙らせた。


 乾固せる粘土質の赤土が形作り、隆々とした筋肉や化石化した大倒木を想起させる熱砂の山景は、古き信心トランスを脳・心・肺から呼び起こす。ところどころこぼたれた煉瓦建築すら色調を乱さず、街が天地に合掌しているようであった。

 また街は空を仰ぎ見て、その青さと日輪の白さを満遍なく受け止め、蜜の如く濃厚な精気を寛容と静的の内に秘する。ここにおいて神気は偏在していた。


「ジネイ半島に来るのは何年ぶりですかね……」

「わっ!」


 旅通のトウカは、隣にぬらりと現れ出でた。味わい方を知る人間のやり方で、あちこちを幾周も見回している。


「ここ知ってんの?」

「何度も来ていますよ」

「お前すげーな」

「来ただけですよ。何か得ているわけでもありません」

「へいへい」


 謙遜に軽く辟易しつつ、小ぶりに後ろ見すると、受付の列がすでに長くなっている。「しくじった」と心中で呟き、けれどトウカに伴ってゆったりと歩いた。


「じゃあ前みたく色々話してくれよ」

「そうですね」


 ミレントはこれを、順が回るまでの暇つぶしに決め込んだ。

 トウカがいつもの静穏さで口を開く。


「預言者モーセをご存じですか?」

「ん、まあ」


 常のことであるけれど、目を隠している彼の目は、しかし強い引力を持ってミレントを惹きつけた。


「海割った爺さんだろ?」

「はい。ただ彼の業績で最たるものは、神ヤーウェより十の戒律を授かったことです。それも一度叩き割ったそうですが」

「割りすぎだろ。更年期障害じゃん……で。それとココと、関係あんのか?」

「彼がその十戒を授かったシナイ山こそ、根源なんですよ」

「根源?」


 ここらでトウカは笑みを強めた。トリックスターがこれ見よがしにするような顔を、珍しくもトウカがした。わざとであろうから、ミレントは期待した。期待というのは当然ながら面白みの話だった。


「この地形を作り出した精神的エネルギーの根源です」

「は」


 こういったとき彼は不意を打つ。


「シナイ山を思い描く大衆の精神的エネルギーが寄り集まって、ついに地形変動まで起こしたわけです」

「おい、それってさ」

「この大質量を操作するほどの信仰とは、一体どれほど強力だったのやら。これから向かう岩山区画も、勿論それだけのエネルギーを蓄えているでしょうね」

「……やなこと聞いた」


 この時ちょうど受付順がきた。あらゆる面で打算尽くらしい、けれどミレントに恨めしい目をする心持ちはなかった。翻弄も鮮やかならば、人を脱力或いは喝采させるものである。いつものやり口だった。




「ありがとうございました。お気を付けて」

「あ、はい、どうも」


 受付を終えて、彼は一瞬の違和感を得た。

『ありがとう。気を付けてね』を求めていた。


「そうか、俺もう十五か」


 酒を飲むようになり、狩りをするようになり、煙草は吸わないけれど、実は結婚も考え始めた。そのために幾ら稼がねばならないか、付き合いをどうしていくか、あらゆることが枝分かれでのしかかる。


 あらゆることというのは、己の生の全責任を指し示していた。


「新人しゅーごー!」


 リシオンの声がかかるので、煉瓦の階段を広場まで下りていく。このとき、彼は無茶な段飛ばしをしなかった。うるさく着地したかつてを回想し、リシオンやトウカやロードに似る笑み方になっていく。


「へいへい、今からブライジン指導長の大事なお話がありますよー」


 新人が息を呑んでいる間に、ロードは桃色に光る指先で円を書き、魔力の輪を繋げてブライジンに渡した。


『あー、あー。こりゃすごいもんだな』

「即興なので一日程度しか持ちませんが、取り敢えずはメガホン代わりにしてください」

『おう、悪いな……よし新人共目線をキッと上げろ!』


 胸元をなで下ろすのも束の間に、よく慣らされた新人達は反応を素早くした。


『只今を以て移動訓練を終了し、岩山区画実地試験の選抜メンバー五十四名を発表する』

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る