06. 色はいらない①:お節介だとわかっている

 バーバラ大学大講堂の舞台に立ち、眩く照らされるロード・マスレイは淡然を努めた。


 照明が熱い。汗が露走る。彼ともあろう者が所謂緊張というやつに襲われていた。

 座席に居並ぶ大人達は彼よりひとふたまわり年上で、爛々と輝く瞳はそれこそ虎じみている。「嗚呼これだから群衆はイヤだ」とする嘆息を肺に押し込め、そのまま止まる前に深呼吸した。


 数十本一斉の挙手がそれをねじ止めた。


「……では」


 中でも若い方の青年が係からマイクを受け取り立ち上がった。彼ですらロードより八つも年配である。そろそろ半端厭世家は、舞台に上がったことを後悔してきた。

 絞り出すように作り笑い、気取られぬよう、頬の汗は拭わない。目を逸らさないのは師の教えだった。


『マスレイ君、一つだけ確認しておきたいんだけれど』

「はい」

『この案、私情は入っていないよね?』


 すぅと心拍が落ち着き、喉元が楽になる。

 なんということもない、答えの用意してある質問だった。


「回答について要点は二つです。

 一つに、私情はありません。本案はひとえに復興と国益を企図するものであり、それ以上でもそれ以下でもありません」


 質問があまりにも無為に思え、ロードは呆れ半分に安心もした。

 このように落ち着いたところで、例の若手がそれほど愚かでないことに気が付く。何せ、若くしてガルターナ中央会議に招集される才人である。


 察して口をつぐんだ。、「だいいち私情があっても問題ではない」と言い漏らすところだった。つまるところアピールタイムを提供されたわけである。


「もう一つに、どうにも証明が出来ません……それこそ、ルーク・ヒラリオ閣下のご協力を仰ぎ得ないこともありませんが」


 クスクス笑いもなかった。というのも、当の閣下は座席中央におわす。

 上手から石江風流、グリーン・シュトルム、そして彼という並びになっている。弟子である彼は、しかしこの場において彼を睥睨する。弱冠十五歳の青年とは思えぬ、十全の気迫だった。


「一種の宣誓を求めていらっしゃるのであれば、そのように致しましょう。誓います」


 例の若者はニッコリと笑い返した。


『ありがとうございました』

「いえ、こちらこそありがとうございました」


 議長グリーンがギャベルを打つ。


 かくして、海底区画遠征計画は可決された。




「ご苦労さん」

「リシオンさん」


 純白廊下で、馴染みの遊びっぽい声が背後からかかる。首根が下がった。


「今日も午後から指導とは、考えたくもないですね」

「チョーわかるわー……は?」

「先に行かせました」

「ワルだねぇ」

「何もワルじゃあないでしょう」

「ノリだよ、ノリ」


 バーバラビルの広い通路で、だらけた手枕のリシオンは如何にもリシオンだった。洒落ッ気のない格好がまたむやみなほどに彼らしくて困る。そこで漏らした苦笑いを見とめて、素っ頓狂な表情をするのだからいっそ徹底的なくらいだった。


 背後に足音があった。


「よう」

「デブ!?」


 どこか愛嬌のある肥満体、四角い黒縁メガネ、彼こそが救世の大神アルゴルである。


 そこでリシオンはいつにもない動揺をした。葉巻を咥えていたなら落とし、ソファがあったなら倒れ込むくらいの動揺だった。けれど周囲を確かめて、跪かねばならないか確かめる余裕はある。アルゴルは右手をふらふらし、つまらなそうな顔をしていた。


「デブデブうるせえよ。我大神ぞ?」

「いやお前、外」

「出たよ悪いか」


 リシオンの驚嘆はむろん、大神御来訪の騒ぎではない。生粋の引篭り、大神アルゴルの御外出だった。


「引きこもりが外に出たら誰でもビビるだろ……何年ぶりだよ」

「六年ぶりか」

「あんときがラストならまあ、そうだな」


 ロードは立ち入らないことにした。彼元来の静かさも一要素として、自分と居るだけ、リシオンが歳を食う気すらしたらしい。翻って、アルゴルと対峙するに彼の話し口調はになる。感傷的になって、いつぞや聞いたリシオンの略歴を思い出した。


 九歳、王都に泥まみれで転がり込み、野良狩人結社「龍狩の遊牧民」で口に糊した。

 十三歳、訳あって大神アルゴルと面会し側近を拝命し、長らく供をする。

 十五歳、狩人として正式登録し、活躍を極める。


 以降省略。ともかくも彼とアルゴルとは、左様の縁だった。


「どしたよ」

「いや、お前らに用。あとグリーンにも伝えといてくれ」

「うい。で?」

「例の毒殺事件な、もう一人の犯人ってやつ、捜査やめにしていいぞ。無駄だから」

「ほおン」


 果たして青年の気遣いは無為になった。リシオンはロードに目配せして、「何か知ってる?」ととぼけ顔をしている。輪に引き込まれたロードは素直に「いえ」と首を振った。


「まさかそんだけのために出てきたのか」

「他にも用があんだよ。最近発掘された旧世界の遺物が何と……」

「知らん知らん。で、何で無駄なんだよ」

「神のカン。多分相手は隠者の恩恵持ちだ」


 ここに来てロードの眉がヒクッとする。アルゴルは気付かない。リシオンは気付かぬわけがない。あとで問い詰めようと決めた。むろんロードも気付かれたことには気付いていて、展開が読めたために息を漏らした。


 静かな視線の交錯を経て、リシオンの口が開いた。


「護衛は」

「だりぃ」


 その勢いのまま、大神の頭頂をスコンと叩く。


「馬鹿」

「お前不敬過ぎん?」

「三年前『貴方を必ず殺す!』と宣言した糞餓鬼君がここにいるでしょーが」

「忘れて下さい」


 もう一つスコンと叩く。


「バカチン覆水盆に返らずだ……デブ」

「あ? お前そろそろ」

「俺から口添えしてスピナちゃんを護衛に付ける」

「仕方ねーなぁもぉ特別だぞ!! 関係ねーけど昼飯奢ってやるわ!!」


 そう言って大股に歩き出すのだから嘆息は免れなかった。最重要護衛対象が前に出ているのだから仕方ない。


 少し離れていった背中を、とりあえずは警戒しながら進むことにするけれど、リシオンの本命は喚問だった。ロードの肩にガシッと腕を回し逃げられないようにする、こういった時ロードですら小さく見えるほどリシオンは長身である。


「隠者の恩恵について、心当たり。吐け」

「トウカです」

「だよな。あからさまに隠者だからな」


 あからさまな隠者という奇妙な単語に両者眉をひそめた。

 それをすぐさま休題とする。


「例の毒殺、ありゃもういい。犯人は捕まったんだからな」


 ロード・マスレイ毒殺未遂事件の犯人は、彼自身が目覚めてすぐに特定した。給仕に所謂狂信者が混ざっていて、大神アルゴルの覚えめでたき王都三傑を殺してやろうという思考回路だったらしい。人間何を考えつくか分からない。


「で、脅迫状と例の影……ありゃどういうことかなと」


 しかし狂信者ときたら、「脅迫状なんて出していない、影なんて知らない」と主張する。そこで筆跡鑑定等々試したところ、どうやら本当らしかった。そこで困り切って現在に至る。


「もしトウカ君が一連の犯人だったとしよう。そうするとまあ、俺たちは彼に近しいから、見方が変わってくるわな」

「というと?」

「脅迫状とあの影がなきゃ、俺もスピナちゃんも宴会抜けなんてしなかったわけで……どォなってたかなーっていう話よ」

「……なるほど」

「仮説だぞ? 真に受けんなよ?」


 警告をしたがリシオンは、無駄かなと天井を仰いだ。ロードは信用という状態を好かない割に、彼の言葉に限って易々と信じ込むきらいがある。口では「マア所詮ひとつの考え方だけれど」とでも言いながら、内心疑うところのない様子がありありと浮かぶ。


「さて、今日の昼飯は何食うか……ありゃ」


 と、弟子への呆れを紛らわしたところで、目の当たりにした光景に驚嘆した。


 スピナ・アリスとルーク・ヒラリオの相席だった。


「ルーク君大胆だねえ」

「遭遇するよう仕向けて正解でした」


 スピナの方が二人に気付き、いつもの死んだ表情で視線を当てに来る。付き合いの長い彼らの見解は一致した。


「助けを求めていらっしゃるんでしょうか」

「助けを求めてるんだろ、そりゃ」

「どうしますか?」

「行くわけねーだろ。俺たちこれでも、超重要護衛任務中だからな」

「そうでしたね」


 当人はフードコートにまっしぐらだった。六年級引きこもりとしては破格のフットワーク、店主も彼の顔など知らないのだから気軽目に「あぃよっ」と返す。


 そういうわけで、二人は笑顔を添え、スピナに手を振った。


「ま、経緯はあそこのチビらに聞こうや」

「あ、リシオンさーん!」


 ローナの声だった、しかも大神は既にその隣をガッチリキープしていた。円卓を時計回りにミレント、アルゴル、ローナ、トウカ、アクラと囲む、彼らはもう動揺を忘れて引きつり笑いしていた。


「よう」


 入口脇の蕎麦屋で注文を済ませ、ロードはアクラの右隣、リシオンは更にその右隣に席を取る。いい塩梅だった。


「デブ、何頼んだ」

「デブ言うな。十種のチーズ牛丼ギガ盛りだよ」

「デブじゃねえか」


 ケラケラ笑いが起こる中で、リシオンは彼の注文タイマーを掠め取った。ロードはこういう所を見て彼に敵うべくもないと思うらしい。


「で、ありゃ何だ」

「ルークが誘ったみたいですよ。騎士様ったら手が早いんだから」

「マジでそうだったら笑えねー」

「その時は僕が根元から引きちぎりますね」

「私は、えっと……グーでたくさん叩きます!」

「酷いこと思いつかないローナちゃん萌えの化身かよッ……!」

「モエ?」

「ローナは知らなくていいんだよ。旧世界の業だから」


 ロードはここらで、アルゴルとローナが横並びしているのを危うく思うようになった。


「さて、一端静かにするか」


 リシオンの合図で一同ニヤつき、例の姉弟相席に目を向けた。


 それはかくのごとし。


「姉上」

「……」

「スピナさん、お茶を入れます」

「……ありがとうございます」

「いえ、姉上」

「……」

「どうしても駄目ですか」

「……」

「スピナさん、今日も時間があるときに試合をして頂けますか。少し身につけました」

「……はい」


 ローナの「むむむ」が始まった。周囲の笑顔がどうにも生温かい。




 弟子達のアラームが鳴った。

 しかしアクラの分だけ鳴らない。


 アクラ、ロード、リシオン、アルゴル。

 妙な構図になった。


「ロード、外せ」

「え……はい」


 今までに無い、それこそロードもそうそう聞かない厳格な声音だった。厳格というのは攻撃的を意するわけでなく、寧ろ冷然として、強調の作用をもつ。

 丁度二人のアラームが鳴った。例の蕎麦屋は呼び出しが早い。ロードはリシオンの分を預かって、さっさと歩き去って行った。


「なぁアクラちゃん」

「はい?」

「デブのことどう思う?」

「え……えっと」


 アクラは数秒思案して、曰く。


「世界を救った大英雄、ですかね」

「デブだってよ」

「あ」


 アルゴルの顔を見る。別段感情なく、アラームが鳴るのを手持無沙汰げに待っている。ともすれば聞いていないかも知れない。


「リシオンさん卑怯ですよ」

「うん、そうだよなあ、そうなるよなあ」

「どうしたんですか?」

「いや、きっと少し前までのアクラちゃんなら、もうちょい焦るだろうなーって」


 小さな肩が小さくヒクつく。その時アクラとアルゴルのアラームが殆ど同時に鳴った。かつ、先行組四人も帰ってきた。


「あ、師匠、俺が取ってきます」

「熱い食いもんは熱い内だろ」

「いいですから」

「いーの、俺はキャワイイ女の子とおデートだから。ほら行こ、アクラちゃん」

「はい、お付き合いしますよ」


 アクラは良妻賢母的振る舞いで、リシオンの三歩後ろに伴った。遊びであり癖でもあり悪癖とも言える。


 リシオンからトレーを渡されて、彼女は「ありがとうございます」とニコニコした。やはりこういった時、彼の目には映るらしい。茶髪を掻こうとして食事前の遠慮をし、頭だけ後ろを向け、優しい微笑みで言った。


「それを成長と取るも諦めと取るも、君次第だな」


 アクラの変調は彼だけが見た。すぐに目を逸らした。彼の美学では彼の負けになる。


「ロードはアクラちゃんについて何か言ったか」

「私に死んで欲しくなくて血を飲まなかったって話と、完璧主義が過ぎるって話と、世界は素敵な構造をしてないとかなんとか、ですかね」

「他には。例えば君のそっくりさんの話とか」

「え? ……いえ、特には」

「あいつもそろそろしばかにゃ聞かん年頃か……マァ思ったよりゃお話出来てんな」


 そう言い切ったところに巨大な丼が届いた。係が笑顔で渡すので辟易すらする。


「コレ食うのかあいつ。マジでデブだな……」


 アクラは苦笑だけして何も言わない。よくある反応だった。けれど、こういう反応をする誰かを見る度、リシオンは心根がすっと冷めるのだった。そうするしかない場面でもない時にする苦笑が、彼にとっては何とも痛ましかった。


 彼女はそうするしかないのではなく、別にそれでいい心持ちになってしまっている。己が無用なる鋭敏さを嘆こうとして、リシオンは、自惚れ臭くてやめた。


「君はまあまあ良い狩人になるよ」

「はい、頑張りますね」


 彼女の笑顔はこんなに控えめだったか。


 今度こそリシオンは、己が無用なる鋭敏さを嘆き疎んだ。






・オマケ


 人口の割に人気無いバーバラビルの純白廊下で、姉弟は


「……」

「……」


 つまるところ、二人は剣戟以外の交わり方を知らなかった。


「姉上」


 こういった時、先だって何かするのは彼の性分らしい。勿論スピナ・アリスは返事をせず、ルークは挑戦を諦めた。そこで「スピナさん」と呼びかける、綺麗な瞳がルークの方を向いた。


 けれど彼女は木偶のように何も言わない。


「新人錬成まで、まだ時間があります。昼食でも如何でしょう」

「……」


 小さくコクンと頷くので、思い切り手を取った。そこで初めてスピナが「ぁ」と漏らし、次の瞬間は呆けぶって、手を引かれるのに逆らわなかった。横目で見るルークの悪巧みな笑顔は少年じみていて、ヒラリオ全権代理として気迫十分に静観していた青年が未だ十五であることを思い出す。


 唇の端あたりを引き締めた。

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