07. 色はいらない②:無事澄然
大神アルゴルは体型通りの大食漢だが、チビチビ食う
「で、リシオン」
「ん?」
ゴクンと飲み込む音が重なった。
「アキ……じゃねえや。アクラちゃんは事情聞いてそうか?」
「間違いなく聞いてない」
「だよなぁ……もう話すか」
「駄目だろそりゃ」
「だぁーっ」
行儀悪く突っ伏すアルゴル、対照的に背筋よく啜るリシオン、珍しく噛み合わなかった。デブンと食い込むウエストでテーブルが少し押され、リシオンが軽く押し戻す。無気力無抵抗で押し戻されていく巨体が何ともくたびれている。
「お前今日の外出ってまさか……千川綾探しか」
「そのつもりだった。でもあいつらの事情ってさ、結局今井陽一の馬鹿のツケだろ」
「どうにかしてから、か。んなこと言ってたらいつまで経っても出発できんぞ~?」
「そう思って割り切ったはずなんだけどな……流石にこの状態じゃ行けんわ」
「半端かよ」
「半端に決まってんだろ。俺だぞ?」
自嘲笑した。
「ふッ」
新人錬成二日目、アクラ・トルワナは冴え渡った。
「おー、ありゃ凄いねえ」
模造のケモノを躱す躱す、素手でいなし肘で脊柱を穿つ。
肩口に跳びつこうとする猛犬を、水色のオーラで弾くや眉間にオムニスを突き立て、飛来する赤と緑の怪鳥には石突きを撃ち込む。とかく彼女は強靱だった。
「リシオン、ありゃどうした」
「ん?」
「昨日俺が見たときは、あそこまで冷静な動きじゃなかったぞ」
「吹っ切れたんだよ、色々と」
気合の一声が軽い。
常に量り常に合わせ、無用の力任せを意地なくらいしない。振り切らず、無駄を生んでいた懊悩もどこへやら、整然とした戦闘技術であり老練と言ってもよかった。ブライジンは顎髭を弄びながら、手元のバインダーに留めたA4をめくって「アクラ・トルワナ 実地参加点+5」と書き加えた。
遠目でアクラの様子を見ると、今度は指先に水の幻想を編んでいる。背後から影になる大熊に振り向きもしない。
「ポルカドット」
「!!!」
声調は、それこそ冬の硝子窓のように冷めていた。
指からケモノの鼻と口に水玉が飛びつき決した。
「グゥゥゥゥ!!」
「っと」
軽く距離をとり死ぬまで待つ。
立ち姿は可憐の要素を一切廃したような有様で、ポニーテールを手で流しながら水色の瞳は淡々として目的捕捉を止めない。表情も何もすべて伴って冷たく、けれど軽蔑も敬意もなくタダ在った。
「いいコトかはわかんねえけどな」
「いいコトだろ。割り切りの出来た戦い方だ」
リシオンは親友の横顔を横目で見た。一惑もなくニィとしている。
「そりゃそうだけどさ」
「あんだよ」
「寂しんだよ。気にすんな」
「……丁度いい時間だな」
メガホンのスイッチに指を跳ねて、密林にサイレンの大音響をさせた。アクラも応じて振り返る。「キョトン」というのか「ボケー」というのか、無表情で、スピナに似ていると思うと合点がいった。
「根っこは逃避……とかそういうこと、思いたくねーなぁ。偉そうでやだもん」
「何の話だ」
「こっちの話」
オムニス片手にヒョイヒョイ走ってくる。彼女の後ろにルーク、ローナ、トウカ、さらにはミレントが並ぶ。それでもアクラは真っ直ぐ前を向いていた、振り返らない。
『あー、あー……これより十五分休憩後、連携訓練に移る! 以上!』
「はい!」と返事が揃った。
例の五人はそのまま集まった。半ば楽しげあとは真剣に作戦会議をしている。アクラはその中心に在って、地理特徴を主として話し合っているらしい。この二日でよく観察していることは聞く限りでも分かった。
ただし珍しく黙っている者がいた。
「おーい、ルーク君。ちょっといいか」
「はい」
「ちょっと待っていろ」と断り、彼はすぐリシオンの元にやってきた。
「何で喋らない」
「……無用の考え事をしていまして」
「スピナちゃんと試合出来ないのが不満か?」
「そんな勝手な……いえ、まあ、勝手な理由ではあります」
「ほう、どんな理由だ」
算段がついた。けれど、不要とわかってなおも、リシオンは問うた。返ってくる言葉を待って、嘘をつけない黄金銀河の瞳を見つめた。
「具体的な話は伏せますが、僕の問題です。押し付けです」
「イんじゃない? 付き合いって押し付け合いだろ。多分、字面的に」
そう期待した。
「……そうですね。そうかもしれません」
ルークが会釈して去って行く、瞳が向こうに行く、そのときリシオンという男は己の安堵に気が付いた。嘘をつけない黄金銀河の瞳、その輝かしすぎることを恐れているのだと考察し、かつ最もそれを恐れているのは持ち主、彼自身でなくてはならないことを省みた。
けれどその彼はおくびにも出さないし、強がりなら目に出るはずだった。
「ブライジン」
「あ?」
「ルーク・ヒラリオは強すぎねえか」
「そりゃそうだろ。あんな理想、同世代の餓鬼からすりゃ毒だ。憧れでも嫉妬でも同等にな、考える気が失せちまう」
そうぼやいて十五分のサイレンを響かせる。彼らはまた忠実な犬のように戻ってきた。その中に、遅いような早いような、目立たないテンポで駆け寄ってくる少女がいる。アクラ・トルワナだった。
『時間だ。これより連携訓練を開始する。ロード!』
「はい」
彼からブライジンへの返事を聞いたリシオンは、スピナに似ているという例の考察を撤回した。寧ろ真逆で、ロードに似ている。情熱を、泥酔を嫌う
メガホンを受け取るロードの手仕草は無気力で、それらしかった。
『今日から行う訓練は、どうやら君たち学生にもおなじみらしい『エンカウント』だ』
真顔で見回し、何か合点したように目を閉じた。
『ブライジンさん、いいですか』
「おう、頼む」
『では』
指を弾く。直後に大激震が足元を揺さぶった。
彼らのいる四十メートル四方が床から切り離され、立方体の浮島となったのである。
新人狩人達は流石王都に来るエリートだけあって、周囲確認を怠らなかった。しかし浮島の下を見て確認できたのは超常現象だけだった。物理と別法則で扱われる力・幻想を扱う彼らにとっても、訓練場の大地が方眼に裂け、スライディングブロックパズルよろしく組み替えられていくのを浮島から見下ろすのは超常だったらしい。その上に音がない。樹木の葉や根や土壌の擦れる音もなく、巨大なものを動かしている様態ではなかった。まさしく手元の小さなパズルを遊興で操作しているかそれ以下である。
『さあ降りるよー』
警告が余りにも不足だった。落下事故というものを勘定していないらしい。
すぐさま浮島は降下を始め、各人震えながら、不時着と共に胸をなで下ろした。
「いやぁ助かる。去年まではリシオンと駆け回って、複数会場借りてたんだぜ? しかも無給とはありがてえ、なぁ、ロード?」
「馬鹿やった甲斐あったなー、ロード」
「馬鹿野郎お前も同罪だ」
「げ、バレた」
「その話はお腹いっぱいですから、リシオンさん、お願いしますよ」
「ういういー」
絡みをいなしながらメガホンを渡した。
受け取って咳払いするリシオン、メガホンに響くので「わりいわりい」とおどけ、クッと背筋を伸ばした。
『この訓練な、みんなが知ってる『エンカウント』じゃねーんだわ。まずは近所の森じゃなく、よく分からん地形でやってもらうとこから……で!』
彼はその驚嘆の間に、後ろに目配せした。
すぐにロードが人差し指を、それこそ魔法使いのように振る。すると指先から桃色の光が溢れて、放射線上に分岐して飛んでいく。学生全員の元へ精密に降っていき右腰に着弾した。
並行してブライジンがプリントを渡し、回させた。
地図及び指導官指定のチーム分けだった。
『そのマーク、どんな理由でも取るなり壊されるなりしたら負けな。はい、一時解散!』
一同不思議に悩みつつ、相方を見つけるのにやや苦労した後に散開していく。それも見事なくらい同じタイミングで、幾何学的なくらいバラバラに散った。というのも、各々他組との接近を恐れる常識くらいは弁えているためである。
エンカウントは狩人養成学校の由緒ある訓練法で、それにおいては学生達にグループ「群れ」を作らせ、訓練用の森や山(特異な場合は海底など)で対人訓練を行う。それぞれの群れは自分たち以外の群れをケモノとして扱う要領で、実地的環境下にて基礎体力・戦闘能力・コミュニケーション技能を高め、かつ遭遇を避けるカンも覚えられるという優良方法論として知られる。
そこにきて、プリントを見ながら、ルークは面白げに笑った。
「とどのつまり、同門で組めないというわけだな。即興連携が試されているわけだ」
ただすぐに面白くない顔をした。
「……しかし何故お前と僕で二人一組なんだ」
隣ではミレントが素直な苦笑をしていた。
「そりゃ変な運だろ」
「僕たちは連携したことがあるだろう。何でよけられないんだ、おかしい」
「師匠違うのにこの時期から連携したことある学生とか、そういうの、上の人もいちいち考えらんないって」
「上の人は僕たちの師匠だ……」
「事務的処理なんだろ。しゃーなし」
ついに項垂れるのが、ミレントにはもういっそ面白いくらいだった。あからさまに背筋曲がりのルークときたら、顔を見せるトウカの次に珍事件ということになる。後者を見たことはないけれど。
「それより、なんで地図配られてんだよ。地形分かんなくするためにあんな大がかりなことしたんだろ?」
「多分にそれは違う。土地勘のない場所で地図だけ持って動けるか、試されているのだ」
「あ、そゆことね……って、それお前に全然関係なくね?」
直接指さそうとする、途中で礼儀の問題から「おっと」の声が漏れて、誰か紹介する時のように掌を上にした。紹介先、黄金銀河の瞳はパチクリパチクリした。しかし察しが早いので否定も早い。
「土地勘には遠く及ばない。地図があるなら変わらん」
「何だよつまんねー」
と、師匠譲りの手枕を組もうとして、組まれないまま滞空した。
それをひょいと腰にやって、白天井を見上げていた視線は寧ろ腐葉土に落とす。むやみに溜息をつけなかった。
「……やっぱなし。そういう力に便乗するのって、マジで小狡いもんな」
「もういい。ありがとうな」
「気持ち悪ッ。止めてくれよ頼むから」
と、腰元に青い光が点った。
「わっちょ!」
その腰元に手を当てていたミレントは大いにビクついて、直後大音量のアナウンスにも、師の声と分かっていながら騒々しい仕草で動揺した。
『アナウンス! もー始めるから準備しとけぃっ!』
「作戦どうする?」
「見敵必殺、あとは知らん」
「うへぇ、ヒラリオ的脳筋」
「家名侮辱だな、あとで覚えていろ」
体表を黄金に輝かすルークは、
『最後に! マークが青く光ったチーム、二十組居るよな?』
「ん?」
「僕たちだな」
『そいつらが狩人で他はケモノ扱い! 仲良く狩人を倒そうな。以上、開始!』
切断特有の音がする。
ルークはプリントを握りつぶし、やけくその気合で
フッと笑いながら。
「理不尽すぎて燃えてきた」
「むっせー」
言うや並走で駆け出した。
以降彼の見敵必殺は、その見敵があまりに卓越しているため、かつ高名なる剣筋のために無双の勢いをなした。そこにおいてミレントが活躍の機を得ることが出来たのは、彼の効率を上げる補助に全精力を尽くしたためらしい。すなわち、英雄的活躍を割り切って彼に譲った。
「出た! 閣下が出た!」
「袋叩きにするぞ!」
遭遇すればこのような始末になる。
「よいせ」
ルークと別れたミレントがまず背撃し、言ってしまえば煩いハエになる。それでヤッパリこちらを手早く倒そうという判断を誘った。両端刃の魔槍・ファラボリスは、多面の受け流しについて高性能だった。
ケモノが集合したところに黄金の閃きが目映くなった。
「白磁斬」
スヮンと一文字に斬る。極光が視界を眩ませた。
「なあ、俺たちなんだかんだ」
「言うな。気分が悪くなる」
「へいへい」
撃墜組数は三十五にのぼる。破格もいいところ、これで開始五十分なのだから手が付けられない。
「お」
その時青い光がすぅと止んで、
『狩人交代~』
間抜けたアナウンスで締めになった。
「やっとか……」
「いや。これではこれから五十分で、たったの二十組しか倒せない。効率が悪い」
「お前が敵じゃなくてよかったわ、マジで」
ルークはほんの少しも気怠げでなかったし、足場のぬかるみ波打ったところを歩いても体軸を揺るがしたりせず、唇はキッと引き結ばれていた。ミレントは(彼と比較すれば)凡人であるからそのようにはいかない。
こういった時ミレントの立場からして、ルークの振舞いは暑苦しいものがある。そこにきて彼は、この貴公子の言に適当な相槌で済まさなかったあたり誠実である。
「……」
「どしたよ」
「三人来た」
ルークは腰元の柄に手を添えもしなかった。
「何となぁくわかったぞ」
「そういうことだ」
葉を踏みやぶる微かな音が近づいてきて、けれど身構えない。
まずひとり現れた。
「大暴れされたようですね」
「だがお前は見つけられなかった」
「隠者の本領発揮です。辛くも、ですがね」
常ながら老隠者のような振舞い、けれどくたびれているわけでもない。トウカは平生通り口元の微笑だけで社会的態度を済ました。ついでに後ろを向きながら、伴ってきた彼女に目をやった。
「うわ、ローナ泥だらけじゃん」
「くたくたです……でもその分お風呂が楽しみですっ」
妙なプラス思考にルークが笑うと、ローナは嬉しくなって彼よりもいっそうに笑った。
人間自分と同じ表情をされると、照れるなり喜ぶなり肯定的な心持ちになるもので、そんな己に気付くや彼は嘆息しかけて抑制した。これは彼の病質だった。
「相方はどうした?」
「トウカも私も、一緒くたにやられちゃいました。敵になると怖いです」
彼女の視線を追いかけて、むろん分かっていた彼女の姿を捉える。
三人目、アクラ・トルワナだった。
「……成程」
浮いた心持ちを抑えるには相応しい感傷が彼に被さって、頬が下がった。面したアクラも同様にしている。長く顔をつきあわせるものではないと、すぐに目を逸らしたが、距離は近づけてくる。
五人の輪が出来たとき、三秒未満深々沈黙して発語が面倒な状態になった。こういった時の第一声を務めるのは誰か決まっている。それを恐れる刹那だった。
「アクラ、今日はどうして朝練に来なかった」
「今関係ないでしょ」
「そうだな」
「うん」
険悪と言うのは違った。平淡だった。喜怒哀楽何れも枯れた様子で居る。
「……僕たちが合流しては趣旨が崩れるだろう」
「そうね」
「アクラ」
「何」
「気分は大丈夫か」
「何で」
「先生の魔法だ。突然浮島になっただろう」
「……今関係ないでしょ」
「そうだな」
アクラとルークは芸事のような機敏さで踵を返した。
トウカとミレントは苦笑で見合わせそれに従った。
ローナは、胸を押さえてうつむくことしかできなかった。
以降新人錬成は、この訓練と個人指導と繰り返すことになった。ブライジンの手練手管は大したもので、各々カンを身につけつつあるのは言うまでもない。中でも件の五人は磨き方を過たず、卓抜の成績を残す。
ただし頑として合同しなかった。
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