02. それは出涸らしのレモンティーに似て
師弟制試験とは、主に各地の狩人養成学校を卒業した学生たちが経験ある狩人に弟子入りし、3年~5年間の指導を受けるという養成プログラムである。
さて確かに、知識一辺倒にならぬよう経験ある狩人のもとで生活するという思考は名案じみている。しかし現実は机上論の如く運ばない、何せプロと学生の価値観断絶は尋常ならざるもの。また最たる所の問題として、指導する方もピンキリで、とても「強い狩人を大量生産」することは出来ない。
そこで毎年ガルターナ王国・事務局共催の『新人狩人錬成』が行われている。
朝日の差し込まない霧中の家、その中でも二人のいる寝室は特に薄暗い。
「アクラ、責任の取り方にはふたつあると知っているかい」
「あの、思いっきり鳩尾に入れちゃいましたけど大丈夫でしたか?」
「大丈夫さ。これでも王都三傑に数えられる僕だからね」
アクラは腹を抱えてうずくまる師、ロード・マスレイを見下ろしながらも気にかけた。それこそ手を伸ばし空に迷わせて背をさすろうかというくらいだが、彼に鮮烈なアッパーカットを見舞ったのは、シュウシュウと蒸気をあげるその左拳で間違いない。
しばらくしてロードは柔に立ち上がった。相変わらずの微笑み具合、とはいっても立ち上がりにぐらつくあたりが危うかった。
「さて、ふたつだが……切腹か結婚か、どちらがいい」
「結婚します? 先生に死なれたら困りますし」
「ふむ、ではバーバラブライダルに問い合わせなくては」
「先生、今頭回ってます? レモンティー淹れましょうか」
「ああ、頂こう」
ロードはとかく寝覚めが悪かった。
そして数分後、食卓に座り、理性の光が点った彼曰く。
「通報しても、いいんだよ」
アクラが答えて曰く。
「まあ今回は初犯ということで」
と、得意の不敵スマイルでおどける。
二人の会話は毎度軽々としていた。
それはそれとして、今日の朝食にはローナ特製ピザトーストが並ぶ。
仕上がり足るや朝食と呼ぶには本格的で、自家製ケチャップの上に熱くとろけきったチーズは湯気をあげ、焼き色の付いたピーマンと、チーズに潜るマカロニと、色艶のよい輪切りトマトと、そして贅沢に赤く透き通る生ハム、これらをトッピングに備う。
「はい、コショウです」
「ありがとうローナ、流石だね」
「褒めても何も……まあ、夕食のおかずが一品増えるくらいですかねっ」
ローナは鼻高だかな笑顔で、大げさなくらいに胸を張った。
「素晴らしい、ではもっと褒めておこう」
「そんなこと言う人はご飯抜きです」
「ああウソウソ、許して、お願いだ」
今日のロードはとかく、珍しくも、切り返される側だった。
「ところで、僕以外の男衆はどこに行ったんだい」
「ルークはさっき私と朝練してたのでお風呂中、トウカはまだ帰ってきてません」
「おはようございます」
「あら、噂をすれば」
ちょうどルークが、タオルを首にかけて湯気立ちながら顔を出した。ローナがすかさず目を逸らすのはいつものこと、しかし納得のいかない話でもなく、しっとりとした彼の金髪は大人しく垂れて、印象変化は著しい。リラックス気味の低い眦と、彼の象徴としうる黄金銀河の瞳が小さな雫で光を宿すのが一種の技法じみていた。
「おはよう、ございます」
「ピザトーストか。昨日の希望を聞いてくれたのだな」
「はい。野菜多めです」
「ありがたい……いやまったく、ローナには完璧に胃袋を掴まれてしまったな」
アクラとロードは、確かに撃墜音を聞いた。
「では、いただきます」
「はい、いただいてください」
と、
「ただいま帰りました」
「おかえりー。遅かったじゃない」
隠者の彼が戸を開けて、少しの寒気ともに現れた。
焦茶のローブとフードに隠れた顔は元来不気味なところ、彼、トウカ・ロト・ミラーシオンは、それを最大限の安心に変える奇妙な技量を持ち合わせているらしかった。寧ろフードゆえに微笑みと所作のみが強調されるあたりがミソかと、アクラはここのところ考察している。
しかし、後ろ手に戸を閉めながら食卓につくまで一切足音を立てないあたり、そういった隠者性も鍵になってくる気さえするのだから際限ない。
「毎晩何してるの? 恩恵があるからって、あんまり動いてると体壊すわよ」
「心配をおかけしているようですね……体は全く問題ありません、そういう風になっていますから」
「で、何してるの?」
「日の高い時間には言えないことです」
「ふーん」
ルークはたった今飲み干したコンソメスープで咳き込んだ。
「どしたの」
「全く以て、何でもない、何でも……げはっ、げはぁっ」
トウカはそれを捨て置いて、常に浮かべる微笑のまま合掌した。
こう言った具合で、弟子入り以降の彼らの生活は運ばれている。
山奥の小屋、玄関戸の向かいの戸を開ければ薄暗い廊下、そこに左右三つずつのドアがずらして付けてあって、突き当たりにトイレと風呂がある。部屋割りは種々の都合で贅沢に一人一部屋ともいかず、弟子が男女別れて一部屋ずつと、ロードの部屋一つになっている。
そういう安定形をすでに得ていた。
「ああ君たち、今日の準備は万全かい?」
「一応、全員分確認しましたけど……みんな大丈夫?」
「そんなものは常に万全だ」
「私はポーチだけですけど、チェックバッチリです」
「僕なんかはほぼ手ぶらですから、あとは今から入浴するくらいですね」
「らしいです。あ、ご飯食べたら最終チェックするからねー」
「よろしい。新人狩人錬成はそこそこに有意義だから、存分にしごかれて来なさい」
「はい!」と返事が揃った。
しかしこんな朗らかなる朝は虚構じみていて、嘘混じりが透けて見える。万人葛藤の下にあって、その心情たるや小屋を囲む薄暗い白霧の情景に似て、煩雑問答に属するだろう。
「ローナ、ルークの様子はどうだい。漢文法を教えて下さいと頼まれたときは、頭を抱えたものだが」
ロードは、世界で二番目と評しながら決して告白はしない、ローナのレモンティーを飲み干しながらそう問うた。その秘匿は恥じらいの類いではなく、彼は彼女への無礼となることを案じた。
「熱心に書いてます。私が教えたのに、私なんかよりずっと上手いです」
「それは多分に李徴の才もあるだろうね。あの瞳は強い情念を刻み込まれるものだから」
選択の少年は混迷などしばしにとどめ、すでに選択を成した。その宣言はロードを仰天させるものであったが、曰く、「僕は祭壇と司祭を成仏させる」とのこと。
「まあ確かに、執念が根幹というなら理論上、成仏はありうる。前例はないがね」
「でもそれって、社会的に……」
「ああ。現代の正義、いや、都合に逆行するだろう。僕が一番辟易しているものが、僕の弟子にちょっかいをかけるんだ……だがそれは第一問題ではない。彼は時代を変えるに足る男だよ」
ローナは何も言われぬ内にレモンティーを注いで、甲斐甲斐しい。無論彼はそれを承知していて、沈黙とほんの小さな動きで謝意を伝えるあたり、以心伝心している。
また飲み干すやその理性をいっそう光らせ、ついに嘆息する表情になり、見た目通り嘆息した。退屈をはらんだ無表情は、彼に珍しい憂鬱さだった。
「永遠に終わらない司祭の地獄と、そうなることを望み信徒とまで呼ばれるケモノの狂気。彼は、それらを理解することを後回しにしたんだ」
窓が山風に震えた。硝子がガラガラガタンガタンとサッシに打ち当たって、音それだけで寒さを想起させるのは不思議な案件である。経験からくる判断と説明すればそれまで、しかし不思議とする彼らがいる。
すなわち、時分は春ながら寒々しかった。ただし寒くはない。
「君としては弁護したいところかな?」
「いえ、私もそうだと思ってます。でも、出来ることからしてるんだって信じてます」
「もちろん、僕もそう思っているさ。まさか放棄するまい……だが、取り返しのつかなくなった時、彼はどうするんだかね」
「どういうことですか」
「如何なる形であれ、信仰対象を滅ぼされる信徒のケモノはルークをどう思う? 翻って、彼自身が信仰の理由を知った時どうするか、それが最も恐ろしい。どうせケモノにも込み入った事情があるだろうからね……彼は潔癖だし、そうなったらどうなるか」
そういって彼は嬉しげにする。ローナはそれを言わなかった。
「ルークの話はここまでだね。問題はアクラだ」
「あー、アクラは……大変そうです」
最初のレモンティーは赤々としていたのに、ローナが淹れるたびに透き通ってしまって、中毒の如くまた注がせると、また少し薄くなっている。
それを半分飲み、もう半分を余したまま、器を卓上に置いた。
「だろうねえ、あの子、完璧主義者だから。その
ロードの姿勢がふっと変わった。前のめりになって足の上に肘を載せ、両手をぐぅと絡ませて、小さくなるように軽く力んでいる。ローナはそれも言わなかった。
先ほどと打って変わって、苦笑くらいは浮かべていた。
「彼女、できる限りフラットでありたがるよね」
「そうですかね。結構コロコロ変わると思いますけど」
「ある場合に対してこういう方針をとる、という機械的思考はずいぶん発展していると思わないかい?」
「それは、確かに」
「かつ、そうでないことは許せないんだろう。向上心と言えば聞こえはいいがね」
弟子達の部屋が騒がしい。アクラ主導の声出しで荷物を確認し、今はルークの番らしい。朝の活気と評するに十分な明瞭さ、しかしそれも霧中の出来事と思えば嘘じみて、相も変わらず窓の外は寒々しい。
ロードは組んだ手を少しも動かさなくなった。
「向上心というやつは、どちらが上かも決めていないときに掲げるものじゃない」
ローナを呼ぶ声がする。彼らの中で、アクラ・ルーク・ローナ・トウカという配列は妙な効力を持っているらしかった。合格席次というわけでもなく、不思議な話と言えばそうなる。
「先生、ルークのことはそれほど心配してない感じですね」
「なんだいなんだい、妙なことを言うじゃないか」
「だって、ルークのお話してるときはシリアス顔でたくさんおかわりしてました」
「そういうクセがあるのかい、僕は」
「はい」
「それは参った」
吐き出すように降参を口にしながら、背もたれにのめりこむロード。手の甲で目を隠し、口元が作為的への字になるのでわかりやすい。いかにも何か喰らいましたというだらけ具合で、ローナはクスクス笑った。品があるもので、そっと手を口に添えて笑うのである。
「多分に彼は、君とミレント・アーラがいれば壊れないだろう。なんだろうね、君たちのバランス良さは」
「エネルギーカラーが、結構きれいにトライアド配色なんです」
「三点安定だろう、それは見たさ。
精神性こそ幻想の基礎……幻想学者垂涎のモデルケースだ」
ローナは口に添えた手をゆっくり下ろし、片手で脇に持っていた茶盆を両手持ちに直した。手持ち無沙汰に丁度いい。
「ミレント君、お弟子に取ればよかったですね」
「いや、君とルークがリシオンさんの弟子になればよかったと思ってる」
「そんなこと言って……あ、そろそろ行きますね」
「ああ、行っておいで。僕も準備しなければ」
くるんと茶盆を返し机に置く。慣れたものだった。
「そうだ、ローナ」
「はい?」
彼女の振り返る様の愛想よいこと、フラットもしくはダウナーテンションで固定されているロードには考えられなかった。けれど彼女は間違いなく、彼の育てた子なのが不思議に思われる。これは、ロードの常々思うところで、かつ即座に答えの出るところだった。
一人で育てたかと言えば全く以て否であると、そんな回答に終止する。
「アクラの件について、僕は何かクセを出したかい?」
「えっと。レモンティーを飲みさす、無理に笑う、手を組んで動かない……」
「もう十分。結構なお点前で」
「はい、お粗末様でした」
少なくとも彼にとって、間違いなく、ローナ・マルセランは立派な娘だった。
得意気爛漫の笑顔たるや、ヒマワリの例えを最適とする。
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