13. それはロマンなのか⑤:彼女の世界誤謬

 整序されたカオス・ガルターナ王国の中央に屹立する巨塔の頂点にあるものは一体何なのか、それは六畳一間だった。


 畳の上にタンスと押し入れとちゃぶ台、冷蔵庫とレンジ、最低限の水回り、加えてテレビと種々のゲームマシンがそこら中にある。中途半端に綺麗で、しかしよく見るとそれほど綺麗ではない。その割に座布団を人数分並べて呉れる親切さが恐れ多い以上に奇妙な位だった。


「はあ……尊い」


 テレビが歯の浮く甘い声で歌い上げたその曲は、大神曰く古い国歌だと言う。そこで彼はアクラに「わかるか?」と問うけれど、アクラは正直者で「申し訳ございません、わかりません」と頭を下げた。


「アクラちゃん、こういう時はこうだ……ハイハイ尊い尊い」

「お前そろそろ不敬罪にするからなー?」

「やってみろよデブ国が傾くぞ」

「やめて下さいよいつもいつも」


 ここ暫くの会話定型として、アルゴルが一方的に語り、アクラとルークとミレントが気圧されたところにリシオン時々ローナが不躾なことを言い冷やっとさせる。例の如くトウカは語らずニコリとしている。新参三人もようやく事情が呑めてきて、若干大人の階段を上った。ローナの「もっとすごい」の趣を悟った。


「以上、これでお前らも信者だな」

「僕たちはもう貴方の信者です」

「やめろよ怖気立つわ。あとイケメン税払え」

「うわ、そういうトコ。やっぱそういうのが体脂肪率にあらわれるんだろ」

「関係ねーだろ」

「あるだろ。相関関係ありありだっつーの」


 ここらで流れが変わり、この妙な流れに田舎っ子もことができるようになった。畳の作法と教えられた正座を死守していたところ、慣れた者に倣ってあぐらに転じたのがその象徴的なところである。


「あ! 悪い悪い、ちょっと待ってなー……ホイお茶」

「そんなアルゴル様」

「アクラちゃんいいの。俺たちは客なんだから」

「でも」

「ありがとうございますー」

「ん。ローナちゃんはリシオンと違って愛嬌あるなー」

「お前に振りまく愛嬌はねぇ」


 改めて大神の姿を見るにアクラはどうしても尊い何かを見いだしたかったが、目に映るのは「尊い」Tシャツの肥満四角メガネな、愛嬌があると言えばそうなる程度の、とこれ以上は彼女にとって思うことに難がある。


 ただ一点、リシオンとアルゴルの語り口はよく似ていると思った。


「ねえ、神様にお茶いれてもらっちゃった……」

「俺たち夢でも見てんのかな」

「なんとも光栄な茶だな。一体どんな銘をお選びに」


 冷蔵庫に戻っていくアルゴルの方を一瞥して、ルークは硬直した。すぅーっと首を戻してくる。ミレントも見た顔で、同じくらいそっぽを向いて二人はこう言った。


「どしたの?」

「ペットボトルだった」

「ルーク?」

「その、つまりな、選ばれたのは綾」

「ミレントさん、それ以上は大きな力に触れますよ」

「トウカまでどうしたのよ」


 御神茶おみちゃとでも呼べばそれらしい。


 この具合で夢のようなものはガラガラ崩れていって、夢と言われても疑わない現実が酷く強調された。


「で、話よ話」

「おー忘れてた。デブがうるせーから」

「よし決めた。お前明日左遷な」

「もう面倒なので、そろそろ本題に入られては?」


 こう発したのは珍しくもトウカだった。例の新参三人はまた冷やっとした。気のほどけていたのがまたピィンと張った。薄汚れたローブで御前に参上の上、刺々しい指摘とは彼らしからず。

 思えば彼らとトウカが出会ったのは一度きりだった。あの時が奇跡的に、彼の内面を感じられない一瞬だったのかもしれない。彼はそういう人間、なのかもしれない。


「なぁ、お前」


 正座するトウカの目の前に彼の人が屈み、緊迫を最高潮にした。


「はい」

「どっかで見たことあると思ったら、ギャルゲ主人公だわ。目隠れ系の」


 それで沙汰が終わるのだから拍子抜けもいいところ、アクラたちは一気に脱力した。


 また、本題に入っても彼らは一切変わらなかった。


「ほーん、こいつらが狩りにね」

「けどこいつらまだ新人なんで、許可証を貰ってないんだわ。事務局窓口で申請してたんじゃ間に合わねーんだよ」

「あー聞いてる、ロードがやばいんだろ?」


 とどのつまり、「手続き諸々が面倒だから一番上から宜しく」という意図になる。アリを殺すためゾウを連れてくるような真似に、アルゴルは一分も怒る様子がない。


「で、俺に勅命出してくれと」

「そ」

「なーんでお前とスピナちゃんで行かねーの?」

「馬鹿、バーバラビルで毒殺事件だぞ? 警備強化だろ、しばらく俺たちは王都」

「まあ、俺もそれにノーとは言えんわ」


 例の茶をちゃぶ台に置き、頬杖をつくアルゴル。つまらなそうな顔で背筋はだらしなく曲がり、あぐらも崩れかけで、「ふえー」とでも言い出しそうなくらい気が抜けている。


「じゃ、他の連中は? 俺が今日中にって依頼してやるよ」

「一応言っとくが、こいつらは今動ける狩人の中じゃダントツだぜ」

「お。お前スゲーこと言うな……ま、お前が言うならいいか。

 ローナちゃん、そこに裏紙あるから取ってー」

「裏紙じゃ駄目です、ちゃんとした紙があるはずですよ」

「あーまーそれでもいいや」


 ローナはまるで我が家のように、それこそあの山の家でしたように熟れた歩き様でタンスの方に向かった。正しく第二の家なのか、迷うこと無いピンポイントで大きな引き出しを引き、中から紙の入った袋の束をどっさり持ち上げた。


 それを畳の上に広げて、「あった」と発し、手早く片付けてしまった。


「どうぞ」

「ほい、どうも」


 非常にそれらしい羊皮紙だった。


「えーと、何だっけ」

「臨時狩猟並びに採集許可証明書、五人分」

「エー、アクラ・トルワナ、ルーク・ヒラリオ……っし出来た。ローナちゃん判子ぉ」

「はい、こちらにありますよ」

「用意がいい美少女だなー」

「褒めても何も出ませんよー」


 十五の少女が何の気なしに持っていたのは王命印だった。


「完成、ホレ持ってけ」

「ん、どもー」

「ほいほい、お疲れ」




「師匠、あの人と師匠ってどういう関係なんですか」


 ついにミレントが、聞かねばならないと思っていたことを聞いた。


「……ローナちゃん、俺とアイツの関係ってなんだ?」

「お父さんと子供ですよ」

「マジ? おれアイツの息子なの」

「殆どそうだと思いますよ」

「ハー、綺麗な夕陽だなー」


 ミレントは閉口してしまって、その話題をもう終いにしようと決めた。


「ミレント君、次景色を話題にしたらスネ蹴るから」

「あ、悪い」


 エレベーター降下中のところ、相も変わらぬアクラの震えようは、しかし以前よりましだった。というのも、ルークがついに耐えかねて背中を貸した。アクラはそこに必死でしがみついて、何も見えないようにしている。


 彼女はそれを憂鬱に思いながら、ローナの表情を気にしつつ、背景の空を恐れて決して見ることができなかった。


 少しの涙でルークの上着が濡れた。「いっちゃえ」と言った自分ほどの嘘つきはいないと思った。依然ローナの顔を見ないので、語調だけが判断材料であって、その心情はやはり知れない。


「リシオンさん、この世界って本当に平らなんですか」

「ん?」


 アクラがその古い問いを彼に投げたのは、答えを知っている気がしたからだった。


「どしたよ、急に」

「世界が平らだからいけないんです。なんだかいつだって底が抜けそうで」

「薄っぺらいって?」

「はい」


 リシオンは鷹揚で、すぐ手を顎に当てて続きを聞く気でいた。他もどうにか彼女に相づちを打つ気でいて、どうにか高所の気紛らわしになろうと健気に準備している。


「そのくせ、季節だけはあるんです。平らなんだから、なくなったっていいのに。都合悪いことばっかりです」

「ん、そりゃ違くね?」


 けれどやりとりは彼らの思わない方へ転がった。アクラに見えないことだが、リシオンは目を丸くしてからすぐに説明を思案しだした。


「どうしてですか」

「えっとな、世界回転軸が中点で太陽中心の球と接しないんならー……ダァメだ、俺に教師は向かん。兎に角季節はありうる、この星が平面でも。

 しっかしそこらへんの教育ってやっぱ曖昧なんだな。特に田舎ともなりゃ……こういうこと考えるとやってらんねーわ」


 アクラはこの時あの桜の土手、王都に続く鉄橋の上でルークに問うたことが恥ずかしくなった。かつ、その時彼が「こいつは変な勘違いをしているな」と気付いて流すことにしたのだと分かるや否や痛い。

 あの「美しかろう」という答えが、その中心にいた彼の映えが自分の愚かさに塗りつぶされる気がした。


「何故平らなんですか」


 自分の無教養が辛いのは、アクラにとって久しぶりの思いだった。知らねばならない気がした。せめて『何故』まで知って、ただそうであると知っているよりはよい状態にならねばならないと、アクラがアクラを強迫した。


「ン? いや、その話すると、割とダーティなんだけどな? そのうえ中途半端な施策なのよこれが」


 彼は頭をボリボリかいて、平らな星の景色を眺めた。


 そこに地平線はない。くっきり分かたれたものなどありはしない、ただ不可解な靄がどこからか先を見えぬよう覆うのみで、本来果ての万物を視線の高さに見ることが出来る世界に見えぬものがある。太陽と空だけはハッキリと見えて、大地の光景は小狡く覆い隠されて、閉塞感を持たぬ心が激しく気持ちの悪いものと思われる。生来景色はこうだった。


「とりあえず世界が平らなのは確かだぜ。果てに行ったことがある」

「果て?」

「二十年前の調査だったな。誓って、もう二度と行かねぇ」


 エレベーターがコンクリート壁の層に入ってアクラが顔を上げると、リシオンは回想しようとして断念しているところだった。失ったものはなんだったのだろうかと、若干跳躍した発想を彼女は押し込めることにした。『何故』が彼女を責め立てた。


「で、理由の話な」

「はい、何故ですか」

「んー、ちょいとぼかしてもいいか? 色々事情があるんだ。

 ……まあ付き合ってくれよ、大人ってのはガキに宿題を出したいもんでさ」


 このまま煙草でも吸い出しそうなくらいの黄昏顔ながら、黄昏れる景色はなかった。それは彼の中にだけあって、それが無限性であるかのように、リシオンの瞳は遠くを見ていた。


 彼は突然に黙していたルークたちの肩を一気に引き寄せてしまう。正に突然のことで誰も声をあげずに、引き寄せる腕を丸い目で見るしかなかった。


「なぁお前ら、例えばだ。もし突然友だちが遊びに来て、部屋が散らかってたらどうする」


 彼の悪戯顔はより戸惑わせるに十二分だった。


「はいミレント」

「でぇっ……外で遊ぼうぜって言います」

「うお、俺の弟子賢いな」

「いや、そんなもんでしょ」

「じゃあルール変更だ、どーしても中で遊びたいらしいぜ。どうするロードの弟子軍団」


 ルークは潔癖に、


「そもそも散らかしません」


 アクラは潔癖のように、


「まず散らかってるからごめんって謝って、次から前の日に約束してもらうようお願いします」


 ローナは少し外れた風合いで、


「片付けて下さいーっ! って、先生を叱ります」


 トウカは、


「……すみません、そういった友人をもったことがないので分かりかねます」


 答えたように見せて黙した。


「お前らどいつもこいつもいい子だなァ。でも、もうちょっとこすいやり方覚えた方がいいぜ。片付けるとかな……ったく、所詮小利口は何も出来ねぇのに」


 リシオンのわざとらしい含ませかたを、トウカだけ嘆息して、他に気付く者はいなかった。


「もう一問な。世界の中心にあるガルターナ、そのまた中心になんでこんな馬鹿でかいビルを立てる? ヒント、権威とか発展とかそういう立派なやつじゃありませーん」


 ところが今度こそ回答すら出ないので、リシオンは早々に諦めた。


「ま、しゃーなしだよな。取り敢えず答えになってない答えは、『一番遠いから』、だ」


 結局アクラになぞかけの意味は分からずじまいで、あの桜の景色は自意識に汚されたままだった。彼女にあの景色をあの美しいもののまま見ることは、もう出来なくなってしまった。最新で最良の情景が至極淡泊あっさりと嫌な思い出になった。彼女はそういった精神病理を抱えている。


 チン、と音がした。「2階」と表示がある。


「お、着いた。さっさとあいつに顔見せて帰るぞー」


 万事拍車は押されるもので、その目線を駆ける医師たちが横切った。


「……あの、今の」

「お医者の先生方が走ってんだ。悪い予感どころの話でもねえや」




 数時間、手術室は地獄の奔走だったという。


 本来生きられない者を生かす難行に付き合わされる彼らは、恐らく外で両手を強く絡み合わせている人たちを思ってなんとか気力を繋ぎ止めている。患者は案の定ロード・マスレイだった。


 苦行はとりあえず、一段落までいったらしい。すべてあの老医師の談だった。その憔悴を見て、リシオンは語勢を抑えた。


「取り敢えずは大丈夫だよ。凄い子だ、麻酔がなかなか効かなかった」


 ローナが真っ先に病室へ駆けていって、追随三人、彼の隣にはミレントだけが残った。


「先生、あいつは持つんですか」

「今は、問題ないよ」


 リシオンにはその態度が、多くの患者を見送ってきてそれに慣れた男の軽々しさに思えてならなかった。この衝動を、己の同類性が引き留めた。


「確かに四日持つんですね」

「確かに、なんて無責任なことは言えない。あくまで経験上の数字として、八割五分を保証するよ。それを君がどう取るかだろう。

 それと例の薬とやら、あれは私の目に付かないところで使ってくれ。不認可なんでね」


 愛想のない顔のまま彼は言う。リシオンは彼を殴りたくもなったが、それは彼を殴りたいのではなく誰かを殴りたいのだと気付いたとき拳の震えは緩やかに収まった。かわりに奥歯が軋んだ。主義の都合上発揮してはいけない憤怒すべてを噛み殺す心地がある。


 ミレントが袖を引いて、正気に返った。


「師匠、俺たちも行きましょう」


 「子はかすがい」という言葉を、彼は最近よく想起するようになった。しかし子とするにミレントの目は壮健すぎるという親馬鹿心が、ほんの少々胸中に漂わせてある。


「そうだな。多分あいつ、起きるや否や地雷踏み抜いてるぜ」


 彼の強靱な悟性がこのとき復活を迎えた。医者は後方で「はぁ」と息をついていて、しかしリシオンの気に障るところではない。

 また彼にとっての「あいつ」はロードに他ならず、その論理の型を見抜いているだけ、アクラ・トルワナに対して何を言うのか未来予知の如く分かっていた。彼の気力なら直ぐ様に目を覚まして、間に合わないかもしれない。


 案の定、駆けつけた病室は冷え冷えしていた。


「どうして駄目なんですか」


 リシオンは頭を抱えもしなかった。ただ肩と息を落としてへの字の口になり、腕を組んで状況を見下ろした。


「私の血を飲めば、少しは延命できるかもしれないのに」


 ロードは珍しくつんとしていた。その頸は濃い紫に染まっていて、脊髄を責め立てようとしている。堪らないのを誰もが堪えて、何も言えない。


「君には、『鳴かなかった犬』に類する洞察が不足しているよ」

「何ですか、それ」

「前の見舞い、僕がそこで君に言わなかったことを思い浮かべるといい」

「そんなの無限ですよ」

「あるべきであって、しかし言わなかったことがあるだろう。洞察とはかくあるものだ」


 誰も答えなかった。沈黙すべきとする圧は言うまでもなく、ロードの問いはしばしば難解で、付き合い長年のローナすらそうそう答えない。こういうとき答えるのはリシオンの割り当てだった。


「『ありがとう』だろ」

「リシオンさんですか、驚きましたよ」

「うわ、俺気付かれてなかったの」


 軽口を叩きながら、それで場が緩和することはなかった。


「さて、君は君の献身を素晴らしいものだと思っているらしい。しかし僕の心象が、それと同等であると思い込まないことだね。正義は無限分岐の総算として多様なんだから」

「もっと直接的に言って下さい。訳わかんないですよ、いっつもいっつも」


 また、アクラの返しの構成語句は全句ロードの嫌いな言葉だと、リシオンにはわかった。


「あれは僕にとって最も憎むべき案件だったということだ。僕に吸血鬼のような真似をさせて、冗談じゃあない。すぐ帰りなさい」


 ついにロードは子供のようにかけ布団をかぶり、そっぽを向いてふて寝してしまった。


 それでアクラの堪忍袋が度を超えて、以前のローナ宜しく大音を立てて出て行った。ルークが「おい待て」と呆れ気味に追っていく。病室は静かになった。リシオンの腕組みが高くなった。




 空は夕焼けと夜の狭間、明瞭とするには暗く暗夜とするには明るい頃合いだった。バーバラは人混みばかりで、アクラはそれが鬱陶しくて、酒と排煙臭い裏路地に飛び込んだ。


 ルークに限って、彼女を見つけるのにそう手間を取らない。


「アクラ」


 アクラもそれをよくよくわかっている。

 髪を解こうとしてやめた。これは彼女の癖で、ルークの前に限りそれを解いて楽になってしまいたい心情は、しかしもう彼女が彼女自身に許せない。そういった特別を彼に配してはならないと、自縄自縛を課した。


「だいじょーぶ。走ったら大分冷静になったから。アクラ・トルワナは冷静でーす」


 おどけてみせて、しまったと思った。


「僕相手に嘘をついてどうする」

「あちゃー。ホントその目」

「目がどうこうでもない」

「分かってるわよ。分かってるでしょ」


 アクラにはこの時間が一番楽だった。ルーク・ヒラリオを必要としない自分の体系を想像出来ず、その想像が出来たところで現実逃避の妄想だと、今悟ったわけでもなく前々からの自覚だった。


 この黄金の果実が欲しいと、何かがざわついた。


「耳くらいは貸してやるから、そんな目で見るな」

「舐めていいの?」

「馬鹿、聞く耳までだ」

「冗談だって」

「だから、僕相手に嘘をついてどうする」


 二人の会話はわざとらしく浮遊していた。浮遊というのは、共有できる地面がありながらそこを離れる遊びのようなもの。分からない振りをして、必要としないはずの言葉をただ発しあいたいだけの理由で発しあって、理解の極限にありながら理解を弄んだ。


 それが二人にとって最後に残された、許し合えることだった。に自分たちがいることを胸に刻み合う遊びだった。


「ねぇ、私は先生に屈辱を与えたの?」

「かもしれないな。だが、お前に憎悪や嫌悪あってのことではなかろう」

「そうなの?」


 ルークの理解とルークへの信頼がなかったなら、懊悩の病はアクラを滅ぼしていたかもしれない。


「お前なんかの血に生かされるとは屈辱だと、そう言われたと思っているのか?」

「思ってないわよ。そうかもとは思ってるけど」

「毎度のことだが、可能性を恐れるやつだな」

「可能性が一番怖いわよ」


 空はこの短い間に暗くなっていく。淀みない暗夜は寧ろ穏やかで、二人の睦言じみた何かに静穏を纏わせてしまう。


「だがそれは信頼の欠如だと、わかっているのか?」

「わかってる、でも信じるって怖いのよ」

「最低限の信頼は払えと、これも毎度言っているんだがな……そこで僕なんだろう?」

「駄目なの?」

「ありがたいが、もうそこから出る時間だ。暗くなってくるからな」


 ルークが振り返ることで、アクラにそれを促した。足音がする。二人で立った。


「二人ともここにいらっしゃったんですね」

「トウカか。やはりお前が来るんだな」


 胸に手を添えて恭しい彼は、いつも通り微笑を浮かべて穏やかに、屈む様子も柔らかに、気に障るところを一切見せずに目線を合わせた。


「隠れん坊は鬼でも逃げでも自身があったんですが、アクラさんに限って貴方には敵いませんね」

「簡単だ。こいつはな、気分の明度に場所の明度を合わせる珍奇なやつなのだ。心象風景に合う場所を探してしまうらしい」

「何それ、私ロマンチストじゃない」




 救世暦二万と二十年、彼らは初めて狩人をする。

 痛苦で長い物語の第一は、こんな事件だった。

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