12. それはロマンなのか④:彼の人と、献身的な兎
山の朝ぼらけは白明を霧が霞まして、太陽の一点すらぼやけていた。小屋は森のギャップに立ててあるため本来見晴らしがよいところ、霧でそうはいかなかった。
ローナは気の糸が切れず、外から響いてくる微かな物音ですら目を覚ました。外はいつもの霧、冷えた二の腕が脇にあたると肩があがるほど寒い。背筋がズズズと震える。サンダルを通して朝露が足を濡らし、この無頓着じゃあお兄さんと変わりやしないなと困った。
物音というのは、アクラとルークの仕合だった。
見ると二人とも殆どシャツ一枚の薄着で元気にやっている。ルークは剣でアクラは槍、間合いを争っていた。かつ互いに低い打撃を心がけ、ケモノを想定している。と思えば今度は高く、大型を相手にし出した。武器がただの金属製ではないのか、コォン、コォンと妙な低音が繰り返される。
「よし」
「はい、おしまい」
ローナは自然に拍手、しかけた。ただし感心も束の間、視界の端に二人の上着を見つけると青くなった。
「あ、おはようローナ」
「おはよう。どうした、青い顔をして」
「……」
拾い上げたものは朝露たっぷりの草原にうち捨てられていた。
「あちゃー」
「しっとりしてしまったな」
あのルーク・ヒラリオが「しっとり」なんて可愛らしい語彙を使って目を丸くするので、ローナは肩の力が抜けてたまらない。
「お洗濯するので待ってて下さいね」
ローナは昨晩の調子でプリプリしていた。小さいながらよくやるものだと、田舎者二人、寧ろ安穏として感心した。
家に入るとローナの行動はやはりはやく、二人から服を回収するとロードのお古であろうラフな部屋着を素早く見繕って「着替えです」と押しつけるように渡す。「ありがとう」と返す二人のそれは、若干気圧され気味だった。
「アクラ、先に入ってくれ」
「はいはい、何だかなぁ」
三人は結局、この山の家に泊まった。寝室の片付けでローナがまた不機嫌になったのはもちろん、さすがのアクラたちも苦笑いが出た。そこはゴミの押し入れだったのだから、本当にたまらない。本来今日から弟子入り四人が住むはずだったところ、どうしようと思っていたのか気が知れない。
それで癪なのが、通路と寝床はしっかりと確保されていたことである。
「この部屋を見る限り、先生は独特だな。いや、僕たちの言えたことではないのだが」
「ルークたちはずっとマシです。先生なんか、草も生えてない湿った土の上にも放るんですよ」
「お前も苦労するな」
ふと涼しげな匂いがして、ルークの目線が上がった。
「いい洗剤の匂いだ、これは?」
「気付きました? 先生が樹液を混ぜて作ってくれたんですよ~」
「森の賢者のような人だな」
「大先生ですから♪」
先生のことで怒ってすぐ先生のことで盛り上がる辺り愛らしいやつだな、という感想は秘めた。それより先に樹液の香を味わって、どうにも穏やかになってしまった。恐らくはこの辺りの木では無く、
ここでルークは「まずった」と思った。話題選びに失敗した。
「ローナ」
「あ、変な気遣わなくても大丈夫ですから」
ローナからの思慕を十分理解して、その言葉がとても冷え冷えしていたのを憂いた。
彼はこれを即座に清算せねば、自分の人生に乗せてきた期待と努力を破棄するような気がした。強迫的な衝動だったと、告白してしまうならそうなる。しかし言い訳じみた言葉を発してはならないのも同様の理由からだった。
彼はサンダータイガー討伐を誓った。
「ところでルーク、昨日はどうしてここにいたんですか?」
「いや、ある人と仕合をして、惨敗してな」
「仕合!? しかも、ルークが負けたんですか!?」
「ああ、多分にその人が運んでくれたんだろう」
嘘をつけないなりに細部を誤魔化した彼だったが、白金髪とルークに勝る技量、ついでにこの家を知っているという点で、ローナの心当たりは絞られてしまった。
かつ、どこかで事情を察してもいた。それはローナと当人が直接に話すことも数度あったためで、「世間は狭いな」と呆れてもいた。
「あがったー」
「服着てるんだろうなー」
「まだー」
「着てから来いよー」
ローナにはこの二人のあけすけぶりが、どうにも面白かった。
暫くしてアクラが「ふはーっ」と年配臭くリビングにやってきて、ルークが交代していく。
「本当にこんな……って言っちゃあれだけど、普段着でいいって言われたの? 大神アルゴルとの面会よ?」
「はい、まあ、そういう方ですから」
「会った事あるの!?」
ローナのそっぽ向く目を追いかけても、アクラは何かを見つけたりしなかった。寧ろ、アクラはローナ自身を見るべきだった。
と、扉を叩く音がする。
「リシオンさんですね。はーい」
そちらに駆けていくローナの後ろ姿を見ながら、アクラのもつローナ・マルセラン像は水を流されたアリの巣みたいに無残なやられ方をしていた。関わっている人間が、彼女の持つ力というものが信じがたい。
試験で別班になりその技量を見ることがなかったからか、ローナが確かに異次元のロードに認められた狩人である実感は今湧いた。まさか贔屓でもあるまいという信頼は、何故かあった。
それはそれとして、扉が開いて入ってくる光が眩しかった。
「やっぱり。おはようございます」
「おはようございます、リシオンさん」
「ホイホイおはよー。準備出来てるかー?」
「ルークが上がったらおっけーです」
「風呂か」
「はい」
そしてその後ろの人影に、何か柔らかいものを感じた。
「トウカ!」
「お久しぶりです」
焦げ茶のローブを見間違えやしなかった。彼という人間性がそうさせる。そこにいるだけで全体のバランスをよくして、全不自然をならしてしまうような、暗い影にとろかしてしまうような彼だった。
「どうしたの。歓迎会にも来なかったじゃない」
「野暮用がありまして。事情は粗方聞いていますよ」
相も変わらず穏和で、冷たく温かで、いるだけで丁度良い人物だった。
そんな彼が靴を脱いで歩み寄ってくるので、応じてアクラも立ち上がった。その立ち上がったタイミングで会話にいい距離に止まるトウカは、やはりトウカらしい。
「弟子入りして最初の狩りがトンでもなく大変になりそう、気ぃ引き締めなきゃね」
「おや、油断は禁物ですよ」
「え」
「雰囲気です。背が反っているというか。
『私たちならきっと何でも出来る』なんてことでもないでしょう」
「ひっ……はい、気を付けます」
また見抜かれた。アクラもこれには参った。
まさか自分たちがしくじるまいという心持ちがないでもなく、ロード・マスレイの試験を突破したのだからサンダータイガーの一匹くらいどうということもない、辛くも勝利でコロッと倒す、なんていう脆い矛盾のビジョンは無きにしも非ず。
彼はやはり調整者だった。アクラの上昇した精神を「すぅ」となだめてしまうのだから達者なもの。その上に心情句が一言一句違わないのだから背筋が凍る。
その凍った背筋に暖気が流れてきた。
「お、ルーク君じゃねいの」
湯気だっているのを見たローナは目を逸らし、その微笑ましい姿をアクラたちが見る。ルークの薄着はひどく色気があって、金髪が濡れてきらり、チラリと見てすぐ真っ赤になる少女。彼は中性的少年のエロスを極めている。
ともあれ全員が揃うこととなった。
「んじゃ準備して……昼食ってから行くか? 奢るぜ」
「いいんですか、あり……待って下さい。トウカ、本当にその格好で行くの?」
「はい」
「それはまずいんじゃない、顔見えないのよ」
そこにもう一人、戸当りからひょこっと小さな影が出てくる。
「あー、頼むから、俺を放置しないでくれ」
ミレント・アーラだった。
「あーっ!」
ところで、神経質になっているローナが彼を毒殺犯として疑っているのはもちろんのこと。すぐさま駆け寄って睨みに行った、それでも「むむむむむむ」と、どうしても可愛らしい声をあげずにいられないのか、睨んでも睨んでも迫力はなかった。
「あとこいつどうにかしてくれ。俺救命活動までしたんだけど」
「むむむむむむ――」
助け船を出したのがルークだったのは、誰にとっても意外になる。
「ミレント、疑いを晴らしたいか?」
ミレント自身も呆気にとられた。
「え、お前」
「こっちを向け」
「わぶ」
ミレントの頭をひっつかんで自分の方に向かせ、その腕力足るや少年にはどうしようもない。頸もついて行かせねば折れるところだったほどの、細腕に信じがたい膂力を彼は発揮した。
かつ、男のミレントですら直視しがたいルークの容貌もよくなかった。
「おい、やめ」
「ルーク、何で薔薇の花咲かせてるの?」
「ホントにやめろ!」
「曲解するな」
視線が真っ直ぐ奥底を突き抜くような視線に変わると、
ミレントは意味を察し、眼光に眼光で返した。黄金銀河と比べれば卑小なものを、ルークは「ほう」と感心してみせた。
「お前は先生を害するようなことをしていないな?」
「……誓って、ない」
「よし」
解放の途端にミレントはまた冷や汗を噴き出してフラついた、けれどかじりつくように倒れなかった。
「こいつは嘘をついていない」
「ありがと、な」
「僕が確認したかっただけだ」
「……そうかよ」
ルークのミレント・アーラに対する嫌悪は相変わらず、根に持った物はそのままにそっぽを向いている。それが(もしくは他の数多含めて)ミレントにも気にくわなかった。
それはそれとして、彼らが乗っているバーバラビルエレベーターは、建設中区画に入ると硝子張りしかされていなかった。
「はは……ちょうちょ」
「アクラ? アクラ!?」
アクラは非常に真面目な性分だった。ルークにしがみつかぬよう我慢に我慢を連ね、途中トウカが腕を貸さなかったなら泡を吹きながら最上階を待ったかもしれない。帰りを如何にするかを問題にするのが一番億劫な話だった。
「もうじき着きますよ」
「うん、あ、ありがと」
アクラは見なければ問題のない高所恐怖症だったが、一度見てしまった。怖い物見たさに視線を遊ばれ、気付けばトウカにしがみついていた次第である。
彼女は今床が抜け落ちて放り出されやしないか等々と想像力を豊かに働かせ、ルークが助けてくれるかというお花畑のような道筋がやはりお花畑だとわかって絶望し、なんらかの希望と結局至る絶望を交互に彷徨した。絶望の方ばかりヴァリエーションを増やすので加速的でどうしようもない。
「着きましたよ。壁もコンクリートです」
「や、やった……あー、んんっ!」
ここでアクラは咳払いをして、決してへたれ込むわけに行かなかった。
エレベーターの階層表示の下に「アルゴル部屋」とある。
「あのデブ、多分すぐそこにいるからな」
「え」
心臓がドクンと言った。
永世君主、救世主、大神、すべての呼び名が彼に通ずる。世界の形も以降のありようもすべて決めてしまった御仁が今日の時間を割いて下さる過分、後ろでルークすら息を呑んだ。
ただしアクラとルーク、それにミレントだけだった。
「え、デブ?」
「よっすー」
現れた彼は、四角メガネに肥満体。
シャツには一言、「心ぴょんぴょん」。
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