05. セカンド・コンタクト③:女神の恩恵
「さて、機嫌がいいね。それに免じて、集合時刻に間に合った者は改めて受験を認めるとしよう」
そう言った瞬間の学生たちの盛り上がりようと言ったら尋常ではない。彼らを叱咤し道を拓いたルークは、立派に英雄扱いを受ける。ひどい物言いをされた彼らは、それでもここにいるような人物で、憧れやすく好みやすい者ばかり。
ただし面白くない者は数十名いる。その遅刻組の筆頭は例のごとく、ミレントが務める。彼はアクラの側まで来て、一言。
「おい、アクラ・トルワナ」
アクラの振り向きよりもルークの構えが速い。
彼女こそ例の、ルーク・ヒラリオが騎士を務める女性だと誰もが気付いていた。
「お前、せめて何か言ったらどうなんだ。何も主張せずただ騎士に縋っているだけなんて、それこそ狩人としてどうかしてる。
お前の後ろめたい話をしてたんだから、お前が戦わないとおかしい」
「ミレント……これ以上は首の保証が」
と、彼の手に手を添える者があった。その不自然なまでに自然な無抵抗感で見当がつく。
「何故だ」
「これは質問返しになりますが、彼女はそこまで弱いのですか?」
「……」
誰よりも、無論トウカよりもその答えを知るルークには愚問を極める。
構えは自ずと解かれた。
「アクラは弱くない」
ロード・マスレイは祭壇からその様子を、目の和みを伴わない微笑で静観していた。様子というのは、アクラとミレントのやり取りに限らず、トウカとルークと、そしてもう一人。
「でも、やっぱり」
「ローナさん、ルークさんが動かないんですよ」
「……ルーク、強いって何ですか?」
「多くの意味があって一概には答えられん」
「んん……?」
閑話休題、しばらく黙っていたアクラはついに立ち上がった。
「聞いてるのか、アク」
「それは誰のための言葉? 皆のため? それとも、私を罵るための言葉?」
「え」
たじろぎは本能から。
今まで言われるがままであった少女が、唐突に強烈な印象を持った。
「いや、それは」
「質問に答えて」
「うあ」
卑怯なのは、ここにおいて最もミレントの苦になるのが彼女の言葉そのものではないこと。アクラはその容貌にして、しかしその扱いを理解していないようで、かつ平均的距離感が近い。
「こ、ここにいる全員のためだ! だって、この先の試験だって閣下のおんぶに抱っこなんだろ? 閣下の言うことは最もだ、けどそれは流石に酷い話じゃないか!」
「なら力を示せばいいのね? 私が自分で戦えるって」
「いや、まあ、そうだけど。力ってどうやっ」
続く言葉は遮られた。
祭壇に向き直る彼女の、翻す髪の流れゆく様。華やかなほどに彩やかで、花やぐような香を振りまく。少年には早かった。
「先生」
「はい、なんだい」
「あの霧、払ってしまってもいいですか?」
ガヤはガヤつき、彼の人は微かに瞠目し、すぐさま微笑み直し、そして楽しげに言う。
「これはこれは、挑戦状だね。ではひと手間、任せようか」
「ありがとうございます」
アクラがロードに背を向けて歩き出せば、その軌道にあったミレントは慄くように道を譲る。一人外へと歩いていく彼女の姿は、証明などそれでよいと言えるほど栄える。
誰もが、異次元のロードですら彼女から目を離せない中で、出口から注ぐ莫大な光が一瞬彼女を隠す。そのとき照り返す黒髪の神々しさと、天に差し出す右手の雄々しさ。
その手に収束していく光は、やがて一本の槍となる。
「青白いロンコーネ……ああ、これで間違いない」
萌葱色の瞳は珍しくも俯瞰をやめ、天与の宝物にただただ見ほれた。
「あいつ……」
後ろにルークが独り追随し、ロードは安らかな表情で祭壇を降り、その瞬間から続々と学生が立ち上がる。女神の槍を旗印に行進していく。
水色の瞳は霧を捉えていた。
「ルーク、離れてて」
「できるだけ近くにいる」
「何よ、過保護ね」
一瞬見えた少女らしさは、
「……
女神のような声音を以て、吹き抜けるように消えた。
「ありがとう」
霧とともに。
「いやあああああぁぁぁぁぁっっ――――――――!!」
この悲鳴は、そんな女神の声をしていた。
「だから近くにいると言ったろ」
彼女の立っていた場所からは、絶景が臨めた。王都の洗練された街並みは、所によっては山より高いが、大方見晴らす最高の展望台になっている。
ただ不幸にも、彼女は高所恐怖症を患っていた。
「はやくあっちにっ! はやくっ!」
「わかった。さっさと向こうに戻るぞ」
「ゆっくりよ!? ゆっくりだからね!?」
「下を見ようとするな。お前はそれで大丈夫だ」
ルークの腕にがっつりしがみつき、小鹿のように足を震わす様子はとても先ほどの女性と同一人物とは思えない。
そして戻るや否や、「ふーっ」と一息、一拍おく。
気丈になって、こんなことを言う。
「どう? これでも、私はルークに頼るだけの弱い女?」
「その状態で言うなよ」
「う!」
「ぶっ」
ルークすら噴き出したのを、アクラは目ざとくにらみつけた。
「ああ、ああ、それはまったく間違いないだだだだだっ!」
「つねるわよ」
「つねってから言うな!」
「いや、何やってんだお前ら……」
と、
「ミレント君」
「どわぁいっ!」
彼の背後に音もなく、ロードが現れて言う。
「せ、先生」
「君、浪人はするのかい?」
「あ、えと……いやー、うち、金ないんで。今年中に受かんないと」
「ほう。では、他の希望は?」
ミレントにとって意外だったのは、彼に毒気がなかったこと。この場において自分は「打ちに打たれた出る杭」ではなかったか、と。だが彼は穏和を崩さず接してくる。
「リシオン先生とブライジン先生です」
「大ベテラン二人とは、賭けるじゃないか。それもリシオンさんとは……まあ、言葉にするまでもない。僕が第一希望でよかったのかい?」
「なるたけ早く強くなりたいんで」
「早く、ね」
ミレントの頭を、右手でわしっと掴む。また動揺する間も与えられず、そのまま乱暴に髪をかき混ぜて、最後にポンッと手のひらで叩く。
解放されたのを軽く整えなおすと、
「君、よく運がいいと言われるだろう」
「えっと……んー、まあまあっすね」
「そうか。うん、リシオンさんには気を付けなさい。あの人厄介なおっさんだから」
「え? ……あっ、うす。ありがとうございます」
ぼんやり話しているうちに、彼は激励を得ていた。
「二度と口を開くな」だの何だの、酷い罵倒にむしゃくしゃさせられていたはずだが、ミレントはすでに穏やかさの中にある。
「『単純』とかなら、よく言われるんだけどな……」
ともあれ、これを以て遅刻組は解散した。うまいこと通過組に混じろうとしたのもちらほらいたが、悪魔の瞳は誤魔化せなかったらしい。資料を見もせず通過者のみ点呼していき、それを整列させるので、段々仮面遅刻組が暴かれていく。
居たたまれなくなって皆出て行くというのが、滑稽ながら、顛末だった。
この手間を取るのに暫くかかり、全員並んだところで、ロードはアクラを呼び出した。
「利き手の平を出しなさい」
「私両利きなんですけど、どうしましょう」
「そうか、では右手でいい」
「わかりました」
差し出す。すると彼は、それを下から左手で柔に包み、アクラは目をぱちくりさせた。
構わず彼は言う。
「古い術なんだがね」
続いて右手人差し指の腹を弱く立て、アクラから読めるよう逆さ文字で、「人」と書き込んだ。アクラはと言えば、ロードの顔をほけぇと見つめたまま首をかしげるに留まる。
「『人間』と言う意味だよ。即ち理性、即ち法力の象徴だ……こう、書いて、飲み込んでを三回繰り返しなさい。法力を排出しては飲み込み、正常な循環を回復するという術理で、いわば理性の心臓マッサージだね」
実演してみせる彼に、
「回復、ですか」
やはりほけぇとしている。
「いやなに、君は先ほど大きな術を使ったようだからね、そういう不平等はお上に叱られてしまう。僕から君に、不足分の補給だ」
「あー……」
終に頷くかと思えばそうではなく、むしろ腕を組み天を仰いで思案に入る。
アクラの回答はこうだった。
「私、恩恵があるんです。水に絡む幻想なら、使った端から回復……ってことでして」
これどうしましょ、と困り笑いしながら右手の平をふりふりして言う。
ロードは何も言わず、その手をもう一度柔らかに取り、硬直した表情でジイィッと見つめた。厳密には掌底のあたりを、気で血流が止まるのではないかというほど強迫的に観察している。
萌葱色の瞳が、不意に穏やかな光を宿した。
「水と美の女神、レシーランの恩恵だね」
包む手の震えは、アクラ一人しか気づけないほど微かに始まって、短く止まる。
「はい。だから私、今が一番活きる時ですよね」
「……どうしてだい?」
「海底区画が閉鎖されてから、もう三年経つので」
悪魔の瞳が顕著に歪んだのは、この時が初めてだった。
「いろんな人が困ってるんです。私なんて、辺境の出ですから」
すぐ後ろで待っていたルークが、制止したいのだろうか、声を掛けようとしていた。これをロードは寧ろ制した。
「辛いことがあったのかい?」
「昔はたくさん来てくれた狩人さんたちが、あの日から急にいなくなって、売り物も全く捌けなくって、鱗や魚肉を売りに来る人も全然で。
……果物屋のおばあちゃんなんて、『狩人さん、次はいつ来るんかい』って、それが遺言になっちゃいました」
「それで君は、力と権利が欲しいのかい?」
「はい」
「そうか」
おざなりなくらい素ッ気なく返しながら、片膝をつき、包んでいたアクラの右手をゆっくり裏返す。
「君は、本当に愛する人を愛せているかい?」
「どういうことですか。よく、わかりません」
「それは誰のための願いかな? 皆のため? それとも、君を飾るための願いかな?」
少女の目元に刹那のひくつきが生まれ――それを掬い取るように、手に口づけた。
「あ……あの、今の」
「これで『人』の字は消えたよ」
アクラがほうけ終わった時にはもう、藍のマントは返っていた。
果実の房に似た肉感の跡は、かえって爽やかに冷えてゆく。
拭えば消えるその感触の位置を、アクラは薄らボンヤリ見つめていた。
「さあ、始めるとしよう」
彼らにとって今日これ以降、特段印象的なことはなかった。なにせ、試験はもう幾つかの問答と、数回の模擬戦闘で済まされてしまったのだから。
合否すら、さほど印象的でなかった。四人枠のところ、示し合わせでもあったかのように、ルーク、アクラ、トウカ、ローナの席次で決まった。彼らの力量は他を唖然とさせたが、やはり彼らに残した心象は浅く、結果の付記に留める。
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