02. マスレイ先生の原罪観

 王都バーバラは、北側を山岳に囲まれている。居住地としては四流以下の峻険な山々である。よく濃霧がたち、惰弱ながらも林にケモノが棲む。人は貧しい狩人か修行の類いに限られ、他はたいてい王都の充実した居住施設を借り、至極快適に過ごす。

 それがどうやら三年前、事情を知らぬ大辺境の男がそこに、上京をする息子のため、一軒の小屋を建てたらしい。その子の名をロード・マスレイという。




「ン……」


 彼は美女と見紛う美男子だった。

 すらっと細長い顔立ち、体つき。濃い紫の長い髪は、朝日で透けて、さらりと流れていく。齢一八ほどながら、垂れた切れ長の目はまた涼しげで、穏やかで、眠たげで、見ているだけで眠気に呑まれそうな優しさをしていた。

 今呻いた声だけは、男にしては高いが、その麗らかな印象と比して若干低い。老成を感じさせる柔らかさだ。


「ンン……」


 朝日に襲われ、彼は恐る恐る、細く目を開けた。

 肩根の底から凝って重い。昔から寝返り下手で、朝は毎度こんな具合になる。


「お兄さん、おはようございます」

「……」

「おはよう、ございますっ」


 ぼやけた世界が映り、ぼやけた声が聞こえる。


「ジーナぁ……?」


 柔らかい手がペタペタ腹を叩いて、かえって寝かしつけのリズムに思える。


「もう。行っちゃいますからね」


 少女が視界から消えていく。

 意識は再び沈み、移ろい。


 鞠のようにまた浮き上がってくる。


「んん……あれ」


 また起きた頃には、彼一人だった。


 部屋は四畳半ほどをベッドと机で半分占め、東に窓・西に扉・南北に高く書架が積まれている。その他のない殺風景で灯りは弱く、土地柄故に日差し込みでも薄暗い。普段は濃霧ゆえに一層である。

 ロード・マスレイの部屋は、徹底して頓着を排したような、いわば巣穴だった。


「ふぁ……」


 身を起こしながら欠伸。起き上がる上体につられて、水に溶けていきそうな長髪がさらさらと流れていく。猫背のまま重い瞼を開くと、瞳に萌葱色の光が澄き通っている。

 窓からケープにかかる光と、森のさざめきにのろのろ醒まされていく。


「いぃち、にぃの……ふぅ……さんっ。と」


 瞼の誘いに辛くも勝ってベッドを抜け出すも、ベッドメイクする気合いには至らなかったらしい。ゆらり歩き出し扉を抜けて、眦と目頭をほじりながら、光慣れした頃にはリビングだった。そこもまた、物の種類と光に乏しい。


「朝ごはん……」


 冷蔵庫の作り置きをレンジにまとめて並べてスイッチ、その隙に顔を洗い、引き出しから箸を片手に。


 チン、と朝の音がする。


 のっそりとした動きで中身を取り出して、小さな円卓についた。中央には役所からの知らせが山になっている。


「いただきます」


 そろそろエンジンが回ってきた。瞳はより澄んで、眠たげながら醒めている。

 気力が高まってきたので、知らせをまとめて引き寄せて、朝食の片手間にめくっていく。



『狩人師弟制適用のお知らせと諸注意』

『狩人師弟制試験:申請者一覧』

『狩人師弟制試験:日程について』

『狩人師弟制補助について』



 エトセトラ・エトセトラ。


「来週、か」


 申請者一覧に目を通す。その数九八名。


「こんなに取れないんだけどな……ごちそうさまでした」


 今度は太い茶封筒から、各申請者の申請書九八枚をごそっと引き出した。それまでとは打って変わって熱心に(歯を磨きつつも)、紙背に徹する澄み様で読み進めていく。

 その内七枚ほど、顔写真がない。枠が空っぽで、内一枚なぞ似顔絵になっている。光学技術がない地方の学生にはありがちな話だ。


「田舎は変わらないのかね」


 ロードはひっそりと笑みを浮かべながら、左腕につけた金の腕輪を撫でた。


「よし」


 気合いを入れ直して棚を見やると、鞄一式・ハンカチポケットティッシュ等々、荷造りがしてある。よくみればあらゆるものが直角に置かれていて、端の線が揃えられている。


 パジャマを脱げば洗濯かごが利き手側に。シャツを取ればその下に上着が畳まれている。

 最後に、ハンガーから外套を外して羽織り、ハンカチとポケットティッシュを取って、下に敷かれていた八ツ折りの紙片に気付く。



『行ってらっしゃい。私も行ってきます。

 ところで、事務局に行く前に毛布は畳まれましたか? 食器のお片付けはされましたか? 資料を忘れずに持って行って下さい。一応、予備の印鑑を外套の懐に入れてあります。最後に、寄り道をされる時は苔で服を汚さないように気をつけて下さい。

 ジーナ』



 そういう気の回し方をする女の子が、いたのだ。


「これはまた……」


 かくも言い当てられる始末に、ロード・マスレイも思うところがないわけでもない。彼女の計算違いがあるとすれば、ロードがもう外行きの格好になってしまっていることだろう。

 彼が出て行った頃に、家でそういった家事をしているのは自分だと想定があるらしい。


「お世話になりました」


 ロードはずぼらをぐっと抑えて、外套をハンガーにかけなおした。




 普段より明るく照らされた山肌は、霧も払われてよく映える。急斜面に逞しく生い茂る緑たちは、露をまとってキラキラ照り返している。

 そういう山道を、ゆったり下っていく。


イャルーテ避けて下され


 ひとこと発する。すると、彼の行く手を遮る草木がざわざわいって横に逸れていく。


リトレンありがとうリトレン幸あれ


 森は応えるように騒いで、彼が通ったところから順に向きが戻る。そうやって外套を汚さないように降りていく。


 中腹に廃教会が建っていた。


 そこには屋根がない。扉がない。窓もほとんど何かしらのケモノか倒木にやられている。人に見捨てられた場所で、ステンドグラスだけ残っているのは、一種の神秘だった。

 教会の立地としては最悪ながら、ロードにとっては憩いの場で、よくジーナと来て宗教について教えたり、子供じみた遊びをしたり、シートを広げて昼食をとったり、ただ寝ていたりした。

 いつもの足取りで入っていき、いつも通り、ベンチ最前列の右端に陣取る。

 今日の用はぼうっとするだけ。それが一番の過ごし方だと熟知している。至極当然、睡魔に襲われる。


「ふぁ……」


 古聖堂に十時の光条が差していた。薄色のステンドグラスが淡く透けて、穏やかさと優しさをとかし込んでいる。

 それがあまりにも居心地よくて、すみのベンチのロード・マスレイは、瞼の重さに堪えかねた。人のでない優しさが有り難くて、気力がとろとろ溶けていく。


 軽く抵抗を試みながら、微かに夢想が見えた。


「……」


 湖の底。冷たく、光の届かない彼方。

 もがく度、だんだん軽くなっていく身体の感覚を今も覚えている。

 やっと止まった身体と穏やかになれた心と、そのとき湖底まで差した熱い光。



 出会ってしまった、あの水色の瞳。



 あの時出会わなければよかったと、何度でも思い返す。あれが運命の出会いなら、運命はろくなものではないのだ。あんなにも美しくて、優しくて、愛おしいものに触れるのなら、決して素手で触れるものではない。


 あの色彩を今も覚えている。あんなところにあっていい光ではなかった。気付かないまま朽ちることが出来たなら、どれだけ美しい終わりだったろう。それが今、こうして3年、永らえている。


 彼女からそれを奪いながら。


「お兄さん、罪って何?」


 鼓動が跳ね上がった。


「え、あ」


 カッぴらいた両目に真っ青な空の光が注ぐ。息が詰まって、全身から冷や汗が噴き出したのはその後しばらく。


 驚嘆が済んでから、背後に座る声の主に恐る恐る振り返る。


「おにいさん?」


 ニコニコ笑う、ツインテールの小さな女の子。夢の悪魔でも何でもない、子供の問いかけだった。


「こらエリー! 申し訳ない、うちの娘が……ああ、あなたは!」


 ロードはじっと、少女に意識を注いだ。決して子供を猫かわいがりする柔らかい、嘘のような目ではなくて、飾り気なく疲れ切った目で見つめた。悪魔を象徴する萌葱色の瞳に見つめられながら、少女は無垢な笑みのまま、恐れも暗さも罪も知らない。


 ステンドグラスと空の光だけでなく、それもあまりに柔らかくて自然と緩んでしまう。世界の優しさを享受していたロードはそれをそっと取り出すように、少女にあわせて腰を落とした。


「ロードさん、どうかお気遣いは」

「少し、時間を下さい……わざわざこんな所に来る、となるとエリーちゃんは基督キリスト教を勉強しているんだね」

「うん!」


 永遠にこうありたかったと、深く眼の奥で暗く想う。背負わず、自責せず、生の苦しみから無知なままに守られていたかったと。そんな、世間に一蹴される生き方をしたかったと。


「原罪の話がいいかな。昔、アダムとイヴという最初の人間が作られた」

「それがわかんないの。リンゴ食べただけなのに、なんで神様そんなに怒るの? わかんない。モヤモヤする!」

「エリー……本当にすみません」

「大丈夫ですよ……なるほどね。君はもともと原罪のお話が疑問だったわけだ。それでそもそも罪って何、と。そういうわけか」


 こくこく頷くエリー。本当に、この子には邪気がない。


「じゃあエリー、質問だ。君は、神様にとってリンゴが何だったか知っているかい?」

「ううん。何だったの?」


 少女は天使のようなまま、首をかしげる。ずっと真っ白であって欲しいけれど、ロードはごまかしをしたくなかった。いつまでも罪の穢れを知らずにいることはできなくて、その覚悟を少しでもさせられるなら、この子の人生に何かあげられるかもしれないと、年長者じみたことも考えていた。


「僕も知らない。だから、そうだね、大事な友だちだったとしよう。おしゃべりな友だちだ」

「え! リンゴしゃべるの!?」

「そう。とってもおしゃべりなんだよ」

「どんなおしゃべりさん?」

「例えば彼は気さくでね、神様だって彼のジョークには大笑いなんだ」


 かたいところをみんな溶き落とした暖かな光の中で、二人は優しい言葉を紡いで柔らかな笑顔を浮かべ、水面のように静穏な所で慈しみあう。ロードはふと現れた隣人が、やはり、生き方を拒まれない天使に見えた。


「さて、そんな友だちを食べてしまったアダムとイヴだ。どうしてくれようか」


 目に見えて少女の表情が曇った。凍てついた湖面を音もなく割るようだった。

 優しい女の子に、チクッと針を刺した。こんなものは見せたくないけれど、この子は天使ではないから、いつかこの針を刺されなければいけないのだから、罪の痛みを知らなければいけないのだから。


「……アダムとイヴ、酷い」

「ふたりのしたことは、悪いことかな? ふたりはリンゴが神様の友だちだったなんてしらなくても……罪かな?」

「うん、絶対、罪」


 きっとこの子は強い子だと、少しうれしくなる。


「よく言えたね、エリー。では本題といこう、罪というのは、向き合い方を誤ることなんだ」

「向き合い、方?」

「そう。罪について考えるなら、向き合う相手のことを、自分の事情より考えなければいけない。自分がそうだと知らなくても、いつの間にか相手のルールや願いに背いていたら、それは向き合い方を誤っている。罪だ」

「……そうなの?」

「ああ。……どうしたんだい、そんな悲しい顔をして」


 この場所を濁らせているんじゃないかと、ロードは唇を強く締めた。温かくて、穏やかで、心地よい場所だけれど、この女の子の不安げな表情ひとつで何もかも台無しになる気がしてしまう。

 暗くなって下を向くエリーはかわいそうだけれど、ロードはもう一度顔を合わせた。


「怖いよ」

「どうして?」

「私、たくさん罪しても、気付いてないかもしれない」

「……なんて賢いんだろうね、君は」


 きれい過ぎたその場所が、若干陰ってきた。どうすればいいかわからないような、内にエネルギーがこもるような、陰鬱さを少しずつまとった。


「そんな時は選ぶんだ。罪を犯す覚悟をするか、何もしないかを」

「エリー!」


 割り込むようにやってきたのは、元気な少年の声だった。


「リアス!」


 陰気は爆風でするように吹き飛んだ。

 エリーはここ一番の元気で喜んで、何もなかったかのように彼の方へかけていく。


 ロードはぽかんとしてから、安心したように笑って、本当に何もなかったかのように、光に溶けて消えてしまった。


「おにいさん! 私のともだち……あれ? おにいさん?」

「エリー、もう行くよ。リアス君もおいで」

「……はーい!」


 優しい父親が呼ぶと、エリーはすぐに柔らかな光の中を抜け、朽ちて倒れた扉から、鮮緑の森に飛び込んでいった。父親は青年のいた場所に笑みを送って、二人を追いかけていく。


 それから数拍おいて、温かい教会の光が綻びながらずれていく。姿を現したロード・マスレイは、消えていく背中を見送りながら、笑顔を寂しげに移ろわせた。


「選ぶ時が来るよ。罪だと分かっていても、向き合い方を誤っているとしても、誰かの世界を踏みにじるとしても」


 意地悪な予告は、萌葱色の瞳も相まって、まるで悪魔の囁きだった。それをロードはよくわかっている。ある種の悪意だったと、向き合い方を間違えたとわかっている。


「さよなら」


 目を伏せたくなる想いを払うように右手を広げた。その瞬間桃色の光が生じ、いくつもの真円になって彼を囲い足下に集まった。


「生き方を選ぶなら、どこかで誰かの生き方を否定してしまう。いつか向き合い方を誤ってしまう。なんと厄介なことだろうね」


 光はコイントスのように浮かび上がった。するとロードからみた世界の姿はなんとも異様になっていく。真円を境にして、上は森の中、下は大理石に足をついているのだ。

 境界線は高く上がり、直径を小さくしていく。しまいに天使の輪の如く彼の頭頂に辿り着く。


 輪が消えた頃にはもう、一面大理石の立派な建物だった。


「やっぱり、えらく混んでるな」


 そこは第一の特徴として、一切の仕切りがない。奥には横幅を取れるだけ取った広いカウンターと、壁際には円卓が点在しているが、他には柱すらない。王都には珍しい「低い建造物」で、立方体であることが内側からも見て取れる。

 そんな寂しい建物で、普段は混んでもそれほどではない事務局だが、今日という日は黑山の人だかりができている。


「ロードくん! あっ」


 カウンターから呼ばれた瞬間、あらゆる視線が彼に向いた。


 ロードは右奥の小柄な受付嬢を見つけて、面倒な注目を浴びせる人混みを抜けていく。


「こんにちは、リリさん」

「ごめんね、こんな日にこんなところで名前呼んだりして……」

「いえ、まあ、大丈夫ですよ」


 背後には未だ群衆が構える。その多くは学生だろうか、平均して若々しい。


「あの人ロード・マスレイだよな」

「間違いないよ、俺雑誌で見たもん、ゴレム討伐の後日談のやつ」

「後で一緒に話しかけよ、すごい幻想とかみせてもらおうぜ、なぁ」


 二人は視線をつきあわせて、苦笑を浮かべる他になかった。


「いつもの部屋、空いてますか?」

「うん」


 ロードが一歩踏み出し、ざわつきの輪が波立つ。それを尻目にカウンターを抜けていく。リリはどうにか騒ぎを収めたいのだろう、急ぎ気味に背後の戸を開けて彼をせかした。


「失礼します」


 そこは客間と呼ぶには広すぎて、それにしてはシンプルなつくりをしていた。白いカーペットの上にソファふたつとテーブルだけの部屋だが、一点奇妙なことに、温かそうなレモンティーが前もって置かれている。二人は慣れた様子でソファに腰掛けそれをあおる。


 ティーカップが小さく、チン、と皿を響かせる音が揃った。

 瞬きののち、カップはいつの間にか満たされていた。


「お忙しいところ、すみません」

「ううん。それでどうしたの? ロードくん人混み嫌いなのに、受験受付の学生でいっぱいな日に来るなんて、びっくりしちゃった」

「実はリリさんに急ぎでお願いしたいことがありまして」


 と、懐から取り出したるは例の七枚。写真のない辺境学生たちの資料に、リリの方はあからさまに仕事顔になって、けれど仕事人である以前の、リリ自身の特性なのか、若干の不安が押し込めきれず表出している。


「この時期だから、ちょっと対応遅れるかも……結構大変なやつ?」

「いえ、別段なことではないんです。ただ、受験者の人相を知っておきたいというだけで……試験前に直接会う事は望ましからずとの規約ですから」

「わかった。ちょっと待ってね」


 リリはそれらを手に取るやいなや、タブレット片手に素早く丁寧にチェックしながら、渋い顔をしたり、安心したり、真剣に読み返したりと、見ているロードは思わず「百面相」と口にしそうになる。

 チェックは早々に終わり、流石プロと言ったところで、結論はその場で出た。


「こっちの5人は大丈夫。今日連絡してみるよ。だけどこっちの2人……トウカ・ロト・ミラーシオン君とローナ・マルセランさんは無理かな」


 渋い顔の理由だろう。この2人については素人目にも「やはり」と思わざるを得ぬところで、というのも、申請書の大半が空欄で提出されているのだった。


「ごめんね。この子たち、王都での宿泊所希望先も連絡先も無記入だし、探そうにも情報が足りないの」

「いえ。……ああ、2人だけならどうとでもなります。性別も違うようなので」

「そっか、よかった」


 胸をなで下ろす彼女を前にして、また「百面相」と心中で微笑するロード。リリはそれに気付いたのか、今度は少しむくれてしまって、かえって百面相のレパートリーが増えた。


「ではこれで」

「ちょっと待って」

「他に何か? ……っと」

「見て」


 むくれついでに、リリは傍らのタブレットを卓の中心において、立ち上がったロードの腕を引き寄せた。


「ロードくんのトコ、確かヒラリオ家のご子息も試験に来るんだよね」

「はい、実は」


 検索エンジンに「ルーク」、とそれだけ打つ。検索結果一覧は、学生選手権と、金髪金眼の青年の画像で埋め尽くされた。


「なんとまあ、凄まじい」


 彼の母校・ニルシア養成学校の戦績ページを開くと、ものの見事にルーク・ヒラリオで埋め尽くされている。

 学生選手権、学生頂上決戦、奉神戦、剣王祭、その他あらゆる大規模競技大会において6連覇。即ち学生期間中無敗。見たところ、公式戦で黒星をもらったことはないらしい。武に留まらず芸道に学業に、至上の勲章を欠くものがない。


「うちに来るとわかった時はひっくり返りそうでしたよ」

「ロードくんがそんなに関心を持ってるなんて、なんだか意外」

「『十二臣家に武のヒラリオあり』ですよ? 万が一にも無礼を働いて、敵に回したらと思うと……明日首が繋がっているか心配で」


 と、茶番めかして首の皮を愛でるように撫でてみせる。


「それと、ジーナが大ファンだったので」

「ああ、あの小間使いの子ね。彼女も弟子入り?」

「小間使いと言うと少し違いますが……ジーナは一人で手続きを済ませてしまって。行方知れずです。どうやら遠くの狩人に弟子入りするようです」

「なんだか薄情な話だね」

「思うところがあったんでしょう」


 思わずして思い浮かべるのは、かつて二人で王都のコロシアムに行った記憶。そこではじめてルーク・ヒラリオを見たジーナはひとこと、「好き」と漏らした。以来彼がらみの動画を繰り返し見ていたし、彼が出る試合を見つけては見に行きたいとねだってきた。

 数時間前まで小間使いだった少女の面影は、感傷が深すぎた。ロードはひとつため息をついて、それを心の奥に追いやった。


「それで、彼がどうかしましたか?」

「えっとね、に弟子入り志願する他校の女の子がいて、ルークくんはその子のナイトとして王都に来るってことでしばらく話題になったの」

「ほう、それはまたロマンスですね……なるほど」

「そう」

「しかもニルシア養成学校は、名門ながら精神修養の目的で大辺境サンラーナに置かれていると」

「そこで他校と言ったらひとつしかないのよね。サンラーナ養成学校っていうんだけど」


 例の七枚に目を落とす。

 学歴に「サンラーナ養成学校卒」とあるものが一枚。


 アクラ・トルワナのものだった。


「それでもしかしてと思って調べたら案の定でしたっ、と」


 今度は「アクラ・トルワナ ルーク・ヒラリオ 狩人」まで絞り込む。

 すると無関係そうなページの中にいくつか、戦績らしきものが紛れている。


「ルークくんと共闘して結構入賞してるみたい。地方大会だけど、動画あるんじゃないかな」

「名探偵ですね。こういう調べごとは、やはりリリさんに限る」

「プロですから♪」


 エヘンと胸を張るリリをよそに、ロードは何かしら画質のいい動画を探していた。戦績によれば、彼女は後衛を務める水の幻想使いらしい。これを映す動画はなかなかない。

 が、無きにしも非ず。


「……あった」


 直後、ロードは硬直した。


「ロードくん?」


 表情は至極冷静にしている。しかし思考の限りを尽くして、一向に動かない。

 資料を見返し、「軽微ながら高所恐怖症につき、宿泊所は一階もしくは窓のない部屋を希望」とあるのを見て目をカッ開いてしまう。


 一端冷静になろうかと決め込むようにレモンティーに手をつけ、一気に飲み干して置き直す。再びカップが満たされることはなかった。


「ありがとうございました」

「え、ちょっと」


 リリに資料をまとめて押しつけるやいなや、踵を返す。道を開けるが如く、戸はひとりでに開いた。


「出てきた!」

「マスレイ先生! おれ、先生のとこに弟子入りします!」


 見れば大観衆はカウンターの中までなだれ込み、彼の登場を待ちわびていた。しかしロードの眼中にない。

 どうせ阻むまいと踏み出せば、案の定道が開けていく。左右に割れながら騒ぎ立てる少年少女たちはみな暫くして彼の怒気に気付き、静かになっていく。


「……舐めてくれたな、隠者の女神」


 誰にも聞こえぬように漏らしながら、右手を広げ、再びあの円を呼び出す。それは来るときと打って変わって感慨もなく、高速で彼を消してしまった。

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