第9話:もう、良いの

 それから二年後。決行日の少し前。帆波の提案で、ビデオメッセージを撮ることになった。同性婚が法制化される未来が来ることを想定とした、美夜の結婚式で流すビデオメッセージだった。そのためのドレス選びに、海もため息を吐きながら付き合ってくれた。


「……なんか月子、凄いえっちね。胸元開きすぎじゃない?」


 大きく開いた私の胸元を凝視しながら帆波は言う。ちなみに、ドレスを選んだのは帆波だ。


「……帆波が選んだんじゃん」


「海がいやらしい目で見てるから着替えましょう。もうちょっと露出控えめなやつにしよう」


「いや、見てるのは君だろ」


「見るでしょ! あんなえっちな格好してたら!」


「選んだの君だろ。てか、結婚祝いなんだから、色と露出度考えろ馬鹿」


 言われて気づく。結婚式用ならこんな派手なドレスは相応しくないと。


「け、結婚式のご出席用でしたら、確かに派手すぎますね」


 店員も苦笑いだった。


「ですよね」


「えー。似合ってるのに」


「主役より目立つだろうが。馬鹿」


「むぅー。……わかったよ。月子、次探してくるから着替えててー」


「はーい」


「はぁ……僕も一緒に探す。帆波に選ばせてたらいつになるかわからん」


 いくつか試着をし、最終的に露出度の低い黄色いドレスを購入する頃には、外はもうすっかり暗くなっていた。帆波は一旦、自分のドレスを取りに家に帰り、私は海と一緒に海の家に向かった。

 着替えている間、彼女はこちらを見ないようにベランダへ行き、タバコを吸い始めた。


「……ねぇ、海」


「ん。何」


「タバコって、美味しい?」


「……月子も吸ってみる?」


「いやぁ、でも身体に悪いんでしょ?」


「もうすぐ死ぬくせに何言ってんだ」


「……そうだね」


「……迷ってんだろ。本当は」


「……迷いがないといえば嘘になるよ。けど……帆波はもう、誰にも止められない。私や君でさえ。だったら、私も一緒に行きたい。死ぬこと以上に、彼女が居ない世界に取り残されることの方が怖い」


「……そうか」


 ドレスを着て、彼女の隣に並ぶ。タバコの香りが鼻をくすぐった。けど、あまり不快ではなかった。


「……私、こんな国、大嫌い。大嫌いだけど……大好きなんだ。だから、変わってほしい。私達みたいに、同性を愛しただけの人達が迫害されない優しい国になってほしい。どれほど願っても、声を上げるだけじゃ届きやしない。人を殺しかねないことをしている自覚を持たせるためには、誰かが実際に殺されるしかない。そのために帆波が犠牲になるというのなら、恋人である私も一緒の方が、重みが増すでしょう?」


「……そうだね」


「……海は、私達を追いかけてきちゃ駄目だよ」


「……あぁ。君達の計画を引き継がなきゃならんからな。流石にここまでされたら、途中で投げ出したりなんて出来ない」


「……うん。ありがとう。……タバコ、一本もらうね」


「ん」


 彼女からタバコをもらい、咥える。すると彼女が火をつけてくれた。火がつき、煙が入ってくる。


「けほっけほっ!」


「はははっ。お約束だなぁ」


「……海は様になってるなぁ……流石


「そういうにはタバコより花の方が似合いそうだな」


「花かぁ……海は似合わなさそう。酒、タバコ、女って感じだもん」


 この頃の海は美夜と付き合っていた。とはいえ、実際はセフレのような扱いをしていたらしい。


「クズの代名詞並べんなよ」


「実際そうじゃん。バーテンダーだし、目死んでるし」


「バーテンダーに対する偏見酷いな……言うほどクズばっかじゃないよ」


「海が言っても説得力皆無なんですけど」


「まぁ、たしかに僕はクズだけども」


「自覚あるんじゃん」


「てか、そんなに死んだ目してる?」


「してる。生きた屍って感じ」


「……まぁ、それは違いないな」


 と、談笑していると、玄関の方からドアが勢いよく開く音がした。そして、紙袋を持って帰ってきた帆波かむすっとしながら「ちょっと海!私の月子口説かないでよ!」と海に言う。


「口説いてねぇよ。ただの世間話」


「どうだか。海、節操無いから」


「人の女に手出すほど飢えてねぇよ。むしろ女なんていくらでもいるし。そもそも月子は僕のタイプじゃないし」


 昔の海なら言わなかったと思う。やんちゃだけどピュアだった彼女はすっかりやさぐれクズ女になってしまった。


「最低! クズ!」


「うるせぇ。はよ着替えろ。撮影始めるぞ」


「まだ着替えてるから振り向かないで! えっち!」


「はいはい。急いでくださーい」


「月子ー。ジッパーあげてー」


「はいはい」


「月子。終わったら呼んで」


「はーい」


 ベランダの窓を閉めて、帆波の着替えを手伝う。


「……ねぇ帆波」


「ん?」


「……法律、変わると思う?」


「……私は信じてるわ。私達の死が議論を進めるきっかけになるって。海が、その他の心優しい人達が、私達の悲劇を希望につなげてくれるって」


「……そっか」


 私には信じられなかった。そんな未来は見えなかった。けど、帆波が言うなら信じてみようと思った。

 ベランダにいた海は、ボーっと空を見上げていた。呼びに行くと、振り返りもせずに「ん。行く」と返事をした。泣いているのかと思ったけれど、涙の跡もなく、涙声でもなかった。

 彼女は淡々と、三脚を立ててカメラをセットする。


「じゃあ、撮るよ」


「海は入らなくて良い?」


「僕は直接伝える」


「その頃には音信不通になってそう」


「……だろうね」


「ちゃんと渡してよ?」


「大丈夫だよ。僕、顔広いし。なんとかなる」


「なんとかって。もー」


 カメラの正面に置かれた、隣り合って並ぶ椅子に二人で座る。彼女は合図をして、一枚写真を撮ってから、ビデオカメラを回し始めた。撮った写真は式に出席する時用らしい。


「美夜、久しぶり」


「久しぶり。美夜」


 カメラに向かって手を振り、祝いの言葉を紡ぐ。この国で同性と結婚する友人へ。今はそれが不可能でも、いつか可能となる未来を信じて。


「結婚おめでとう。美夜。……どうか、幸せになってください。私達の分までとは言いません。私達は、私達なりの幸せを掴むための選択をしたから。後悔は、ありません」


 帆波が力強くそう言い切り一呼吸おいてから「以上です。それでは、さようなら」と締めくくった。そこには、迷いも怯えも一切無かった。


「……いつか、流せる日が来ると良いね」


 呟くと、帆波は「きっと、海が実現させてくれる」と返す。


「僕にそんな権力ねぇよ」


「権力はなくても、海は沢山の人に影響を与えたじゃない。私と月子が付き合えたのは海のおかげだし、美夜が自分を同性愛者だと認められたのも、同性愛は病気なんかじゃないって海が堂々としていたおかげでしょう? きっと、海に勇気をもらった人は沢山いるよ。ありがとう海。君に会えてよかった」


「私も。君に会えてよかった。君が居なかったら、私は帆波と付き合えていなかったから」


「……身近な人間数人に影響を与えたところで、国は動かんだろ」


「ううん。きっと、君からもらった希望を、別の人にあげる人が出てくるよ。そうやって、希望のバトンはどんどん繋がっていく。……だけど……差別が蔓延るこの世界では、誰もが殺人者になりうる。それを知らしめるためには、多少の悲劇が必要だと思うんだ。希望だけじゃ、世界は変わらない。だから私達は悲劇を作る。海は、私達みたいなマイノリティがこれ以上差別に殺されてしまわないように、希望を振り撒き続けて。私達の選択を、可哀想な二人の同性愛者の悲劇で終わらせないために。悲劇から続く希望の物語を描いてほしい」


 そう言って、帆波はホッチキスで止められた一冊のノートを海に渡した。中身を見て、海は顔を顰める。ノートには帆波の遺書と計画の全容が綴られている。私の想いも、そこに少しだけ載せた。帆波みたいに上手く書けなかったけれど。


「今日はありがとう。海。計画書は海が保管して。映像は、時が来るまで誰にも渡しちゃ駄目だよ」


「……あぁ。大丈夫だ。隠しておく」


「あ、分かってると思うけど、この家は多分危ないよ。私達が最期に会うのは君なんだから。事件性があると判断されれば、必ず、警察が事情を聞きに来る」


「遺書の原本を渡さなかったのはなんで?」


 帆波に問うと、帆波は苦笑いしてこう言った。


「海の家から遺書が見つかったら、計画知ってたのになんで止めなかったのって、海が責められちゃうでしょう?」


「あぁ、なるほど……」


「だからあれは、私の家から発見されることにする。海、渡した遺書のコピーも映像と同じく、ほとぼりが覚めるまでは隠しておいてね」


「分かってる」


「海は何も知らなかった。この計画は全て二人で行った。そういうことにしないと、海が自殺幇助で捕まっちゃうかもしれない」


「直接手を下さなくてもそうなるのか?」


 海が首を傾げると、帆波はどうだろうねと苦笑いした。


「それは私も法律に詳しいわけじゃないからわからないけど……法が許してくれたとしても、きっと、世間が許さないと思う。何も知らない生きることが幸せだと信じて疑わない幸せな偽善者達に、海のことを悪人にされるのは嫌だし、その偽善者達にのせいで私達の死がただの不幸な死になってしまうことは避けたい。私達の選択を、可哀想な同性愛者の物語として偽善者どもに消費されたくはない。だから海、警察やマスコミに何を聞かれても『知らなかった』で通すんだよ。証拠さえ出なければ大丈夫。美夜には手紙書いたし、彼女なら私達の気持ちを汲んでくれると信じてる」


「……あぁ。分かっている。僕は何も知らなかった。知っていたら止めていたはずだ。大事な親友だからな」


「……うん。お願い。じゃあ、私達は一旦帰るね。また今度。次はXデー前日の夜に」


「おっさんに店を貸し切れるように頼んでおくよ。最期に乾杯しよう。……三人で」


「ありがとう」


 帆波と一緒にお礼を言って、海の家を出る。


「ね。月子」


 隣を歩く帆波の指が私の指に絡んだ。彼女の視線の先にはラブホテル。


「……女同士って、入れるの?」


「行ってみて断られたらお家でしよ」


 入店拒否はされることなく、普通に入れた。私はもうすぐ死ぬ。彼女と一緒に。そんなこと忘れてしまうほどに激しく、熱く、そして甘く求め合う。

 ああ、こんな甘く幸せな時間を否定する世界なんて、やはりこちらから捨ててしまうべきだ。 


「あっ……」


 彼女の両手が、私の首に回される。そしてそのまま、ゆっくりと絞められる。苦しい。だけど、そこに殺意はない。あるのは深い悲しみや絶望、不安。

 抵抗はしない。『このまま殺されたってかまわない』彼女は私にそう言ってほしいのだろう。分かっている。分かってるよ。帆波。目で伝えると、彼女はゆっくりと手を離した。


「げほっ、げほっ……絞める時は一言言ってからにして……」


「……ふふ。ごめん」


 悪びれる様子もなく笑いながら私を抱きしめる。狂ってる。分かってる。そんな彼女を愛おしく思う私も狂ってる。


「大好きだよ。帆波」


「私もよ」


 闇の海に、堕ちていく。沈んでいく。怖い。けど、良いの。海の底には彼女が居るから。だから、大丈夫。彼女が一緒に来てと望むならどこへでもついて行く。例え行き先があの世だとしても。彼女以外の知り合いが誰もいない世界だとしても。

 いいの。もう、良いの。

 彼女さえいれば、もう誰もいらない。

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