F先生の返信 Kー2

   後藤 和哉様


 確認事項の報告を受け取りました。

 あわせて「私のシロちゃん」の感想までいただき恐縮です。

 ミステリ書きの悪い癖で、伏線重視の構成に加え、二度三度と状況を反転させるなど、読みにくいものになってしまったのではないかと危惧していたのですが、昭一様に続き和哉様にも好意的な感想をいただき、そこそこ読めるものになっていたのだなと安堵いたしました。自作への感想というのは本当に嬉しいものですね。ありがとうございました。


 さて、本題に入りましょう。

 とてもくわしい報告をいただきましたので、和哉様の疑問にはほぼすべてお答えできると思います。ただし、それらはあくまでも私個人の推測です。そこをご理解の上、以下をお読みください。


 まずは和哉様の疑問を再度確認しておきます。


〇夜間の防犯カメラの片隅の映像で、片脚上げのポーズや巻いた尾の状態まで確認できるのか。

〇花に小便をかけたのは野良犬なのか飼い犬なのか、飼い犬ならなぜ夜中にうろついていたのか。

〇小森裕子さんに、花に小便をかけた犬の種類や性別、さらには防犯カメラに映っていた詳細な時刻まで教える必要はあったのか。

〇何を根拠に「今後は犬が小便をかけることはないから、またプランターで花を育てても大丈夫ですよ」と言えるのか。

(一つ目の疑問は和哉様自身によって解決済みですが、今回の推測に関連する重要なポイントであるため、省かずに記載しています)


 これらの疑問にお答えできそうな状況を考えてみました。


 その人は、終電の二本前の電車で帰宅する夫を駅で出迎えるために、夜の十時五十分過ぎに家を出ます。駅までは歩いて十分ほどの距離ですが、真っ直ぐ駅には向かわずに少し遠回りをします。出迎えは飼い犬の散歩をかねているからです。

 その日はふと思い立って、あの家に立ち寄ってみることにしました。万が一にもあの女とは顔を合わせたくないので、昼間は絶対に近づかないようにしているのですが、夜もこの時間ならもう寝てしまっているでしょう。

 大通から住宅街に入り十五分ほど歩いた先にその家はあります。その人は家の前に立ち門柱の表札に冷ややかな目を向けました。家屋は古くなってはいますがそこそこの庭もあり、交通の便もよく、それでいて閑静な住宅街の中という好立地にあります。本来なら自分たちが住み暮らしているはずの家です。その人は自分たちの貧相な借家暮らしを再認識し、胸の奥から湧き上がってきたどす黒い怒りに両手を小刻みに震わせました。

 その右手で持つ犬のリードがぐいと引かれました。足元に目をやると、飼い犬が片脚を上げプランターに小便をかけようとしています。「こらっ」と叱りつけそうになったのを喉の奥でぐっとこらえました。プランターにはあの女が大切に育てている花が咲きそろっていたからです。

 たっぷりとかけてやればいい。

 その人は周囲に誰もいないことを確認すると、飼い犬の行為を邪魔しないようにリードをゆるく持ち直しました。

 次の日も、犬の散歩をかねた夫の出迎えは同じルートが選ばれました。家を出てから二十分、あの家の前の昨夜と同じ位置で立ち止まり、飼い犬をさりげなくプランターの方へと誘導します。犬は周囲のアスファルトに鼻を寄せひとしきり匂いを嗅ぐと、片脚を上げてプランターの花に向かって小便をかけはじめます。

 さらに次の日も、その次の日も――

「そういえば、母さんの育てていたパンジーが全部枯れてしまったらしい」

 休日の遅い朝食のあと、朝刊を読んでいた夫がぽつりとそう告げました。

「花を育てるのは得意だったんだがな」

「最近、朝晩が冷えるからじゃないの。寒さに強い花にすればいいのよ」

「なるほどな。今度そう伝えておくよ」

 この話題はこれで終わり、夫は再び朝刊に目を落としました。

 しばらくしたらまたあのルートで様子を見に行こう。もちろん深夜に、犬を連れて。

 その人は夫に気づかれないようにそっと顔を伏せ、冷たい笑みを浮かべました。

 数日後、夫の出迎えのときにまたあの家の前を通ってみましたが、プランターは置かれていませんでした。もしかしたら花が枯れた原因が誰かの小便だと気づいて、通りに面した場所にプランターを置くことをやめたのかもしれません。なんだつまらないと思いましたが、あの女の楽しみを一つ奪ってやったのだからそれでよし、とその人は自分を納得させました。

 次の週末、休日の遅い朝食を食べながら夫がにこにこと笑いながら話しかけてきました。

「前に話した母さんの花が枯れた件だけどな、いろいろわかったらしい」

 あれから十日以上経っている。今になってそれをどうのこうの言い出すなんて、やっぱりあの女はちょっとおかしい。

 その人は心の中で嘲りながら、「あら、そう」と気のない相づちを打ちました。

「ご近所の後藤さんが気の毒がっていろいろ調べてくれたそうだ。花が枯れたのは寒かったからじゃなくて、誰かに小便をかけられたせいらしいんだがね、それを知った後藤さんが腹を立てて、あれこれ調べてくれたんだと。そうしたらお向かいの橋田さんが設置している防犯カメラに一部始終が映っていたらしい」

 その人は思わず「えっ」と声を出してしまいました。

「小便をかけたのは人間じゃなくて、犬だったんだって。カメラには二晩続けてその様子が映っていて、二回とも午後十一時過ぎだったそうだ。犬が小便をするときは片脚上げのポースだったのでオス、しっぽがくるっと巻いてたからおそらく柴犬でしょうって、後藤さんはやけに詳しく教えてくれたんだとさ」

 その人は、夫の口からいつ自分のことが語られるかと身を固くして話を聞いていましたが、いつまでたっても犬を連れていた人間のことには触れません。

「最近の防犯カメラは高性能なんだね。夜なのに犬の種類までわかってしまうんだからなあ」

 夫の話しぶりや表情から、飼い主に関することは何も知らないように思われました。後藤さんというお節介な人物は、わざと飼い主のことを伝えなかったのでしょう。

「その後藤さんがね、『今後は犬が小便をかけることはないから、またプランターで花を育てても大丈夫ですよ』って言ってくれたそうなんだが、なんでそんなことがわかるんだろうな。まさか犬を見つけて、『また悪さをしてもすぐにばれるんだぞ。カメラに全部映ってるんだからな』とか言って脅したわけでもあるまいになあ」

 夫は首をひねりながら、「まあ、そういうわけで、母さんはまたプランターで花を育てるそうだ」と言って、テーブルの上の朝刊に手を伸ばしました。

 その人は怖れと憎しみの入り混じった目で夫の横顔をにらみつけました。


 以上、和哉様の疑問に対する私なりの回答を小説風に書いてみました。

 くり返しますが、すべて私の想像です。会話部分などはほとんど妄想レベルです。

(あたかもそんな台詞が実際に交わされたかのように書いてしまうのは小説書きの悪い癖です)

 そしてこの妄想小説には一つ大きな弱点があります。小森裕子さんの長男夫婦が柴犬を飼っているというもっとも大事な設定の裏付けが取れていないということです。


 そこでお願いがあります。小森裕子さんの長男夫婦が、実際に柴犬を飼っているかどうかを確認していただけないでしょうか。柴犬を飼っていなかった場合、今回の回答はまったくの見当外れということになります(一からの出直しです)。柴犬を飼っていた場合は、概ね私の推測が当たっていると考えてもらっても大丈夫だと思います。

 ご報告をお待ちしております。


                             F拝

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