F先生の返信 S-1

   後藤 昭一様


 お手紙ありがとうございます。

 いただいた感想の中あった「その余韻に、私は文学を感じた次第です」の一文がとてもうれしくて、この部分だけでも十回以上読み返してしまいました。「私のシロちゃん」を書いて良かったとしみじみ思った次第です。もし後藤様からお手紙をいただかなければ、このような感想を持っていただいた方がおられたことを知らないままでいるところでした。感想の内容もさることながら、それを手紙にしたためて送って下さったことに深く感謝いたします。


 以下、蛇足となりますが、いくつかお伝えしたいことを書かせていただきます。しばしお付き合いいただければ幸いです。

 後藤様のお手紙にありますように、冒頭部分ではシロちゃんを猫だと思わせるような書きぶりとしています。さらにはシロちゃんが犬だと判明した後も、ぬいぐるみの犬であることをしばらく伏せています。これは後藤様のお孫さんも触れておられたように、読者をだます(誤読を誘う)という狙いがあってのことでした。ですがこの狙いは、あくまでも手段であって、だますこと自体が目的ではなかったのです。

 今作が純粋なミステリー小説であれば、読者の方には「ああ、だまされた」「まんまとやられた」と思っていただければ一定の目的を達したことになります。しかしながら「私のシロちゃん」は、いわゆるミステリー小説ではありません。「読者をだます」というミステリー的な手法を使った純文学――のつもりで書いた小説です。


 これは私の持論なのですが、およそ小説というものには、必ず謎があり、それが先へ先へと読者を誘う牽引力の源となっています。「この登場人物は何者なのか」「なぜこんな行動をとるのか」「誰がやったのか」「過去には何があったのか」「今何が起きているのか」「どうすればこんなことができるのか」等々の要素を一つも含まない小説などあるでしょうか。「味方だと思っていたのに敵だった」「嫌なやつだと思っていたが良いやつだった」「嫌われていると思っていたが本当は慕われていた」「Aだと思っていたことが実はBだった」といっただまし要素の展開もしかりです。つまり、謎やだましの要素があるものをミステリーとするならば、すべての小説はミステリーであると言っても過言ではないのです!


 申しわけありません。少し力が入りすぎました。

 世間的には、私はミステリー作家として認知されており、私自身もその自覚を持って小説を書いています。そんな私に、純文学系の文芸誌である文芸季報さんが、短編を一つ書いてみませんかと声をかけて下さったのです。あの文芸季報に私の小説が掲載されるのです。ならばきっちりと「文学した」小説を書いてやろうではないかと気合いも入るわけです。ですが、ミステリー作家である私に求められているのは、ありきたりな純文学ではないはずです。私が書くべきは「ミステリー作家が本気で純文学に挑戦したらこうなった」的な小説でしょう。たとえるなら「フレンチのシェフが本気で取り組んだ和食がこれだ!」といった感じ、といえば伝わるでしょうか。


 文芸季報が発売となり、「私のシロちゃん」はどのように読まれたのだろうかと気をもんでいるところに一通の手紙が届きました。手紙の最後に見つけた「その余韻に、私は文学を感じた次第です」の一文に、ああ、この方には伝わっている。書いて良かった――と、なったわけであります。


 やはり蛇足でした。いや実にお恥ずかしい限りです。

 これ以上恥をさらさぬよう、このあたりで退散いたします。お孫さんによろしくとお伝えください。

                             F拝

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