私のシロちゃん
S氏から 1通目
拝啓
F様、初めてお手紙を差し上げます。私はM市在住の一読者で後藤昭一と申します。
過日、文芸季報の秋号に掲載されていた読み切り短編「私のシロちゃん」を拝読し、深い感銘を受けました。その思いをお伝えしたく、慣れない筆をとった次第であります。
主人公の老女は最後まで名前が出されないままでしたが、読み進めるうちに我が家のご近所にお住まいの小森裕子さんという女性が頭に浮かび、気がつけば「老女」と書かれている箇所を「裕子さん」と心の中で読み替えておりました。ご近所の裕子さんは主人公の老女と同じく七十代半ばで、長男夫婦との関係があまりうまくいっていないという点も同じでした。それ以外にも主人公の老女と裕子さんの境遇には重なる部分が多くあり、御作を裕子さんの物語として読まずにはおられませんでした。
さてここからは拙い感想です。小説の冒頭で、「膝の上でおとなしく頭を撫でられているシロちゃんは、いつもぴんと耳を立てています」とあり、私は子どもの頃に飼っていたチヨという名の白い雌猫を思い浮かべながら読んでおりました。しかしながらさらに読み進めると、「シロちゃんのくるりと巻いた尾が」「散歩に連れていってやれない」「どんなときでも吠えることはありません」と書かれており、そこでようやくシロちゃんは猫ではなく犬であることに気がつきました。
それにしても紛らわしい。犬であるなら最初にそう書けば良いのではなかろうか。どこをどう読んでもシロちゃんの毛並みの感触や抱き心地、大きさ、重さしかわからない。なぜか外見に関することが一切書かれていない。いや、引っかかるのはそれだけではない。そもそもいくらおとなしいとはいえ、ほとんど一日中老女の膝の上で過ごす犬などいるだろうか。
などと再び首をひねりだしたあたりで、シロちゃんが本物の犬ではなく、犬のぬいぐるみであることが明かされました。
正直に申しますと、このとき私は少し腹を立てていました。このFという作家は、こんなまわりくどいやり方で読者をだましてなにが楽しいのだろうか、と。
(失礼な書き方になってしまいましたことをお許しください)
たまたま近くにいた高校生の孫にそのことを話しますと、ああこのFさんはミステリー作家だからねと当たり前のように受け流されました。孫が言うには、ミステリー小説というものは、だまされることを楽しむために読むものなのだそうです。私は、ミステリー小説とは殺人事件の犯人当てをする小説のことだと思っておりましたので、裕子さんの日常が淡々と綴られる「私のシロちゃん」がミステリー小説だとは考えもしませんでした。でも孫の言うように、だまされたくて読むのがミステリー小説というのであれば、「私のシロちゃん」という題名にも大きな意味があったということが、今ならよくわかります。
そして読者をだます仕掛けはこれで終わりではなかったのです。本当の驚きは最後に準備されておりました。いや、見事にだまされました。最後の一行を読んだ直後はなんのことだかよくわからなかったのですが、少し時間をおいてその意味が理解できたとたんに、これまでに見えていた世界がすべて反転し、あちらこちらで引っかかっていた違和感の正体がすべて明らかになり、なるほどそういうことだったのかと深い納得が得られました。それと同時になんとも複雑な読後感がやってまいりました。
その余韻に、私は文学を感じた次第です。
感想は以上となります。
読み違いや勘違いをしているかもしれませんが、できるだけ言葉を飾らずに、思うままを書かせていただきました。
F様におかれましてはますますの活躍を願っております。
敬具
後藤昭一拝
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