F先生の返信 6

 原田さおり様


 回答がお役に立っているようでなによりです。

 例によって、まずは日記メモを書き写します。

 前回の続きになりますが、あらためてこの日の分をすべて載せます。


 平成〇年 8月9日

  三日前からコヤマ少年の母が失踪とのこと。

  祖父の住む鳥取の岩戸漁港までの同行を頼まれる。

  写真で見ると漁師のような風貌。

  怖そうだ。

  同行を断ったら怒って一人で行ってしまった。

  勝手にしろと思ったがやはり気にはなる。

  観音峠の中ほどでコヤマ少年に追いつく。

  熱中症のようだった。

  こんなのを見せられたら無視はできない。

  覚悟を決める。

  コヤマ少年の所持金は五千八百五十円とのこと。

  ビミョウな金額だ。

  夜は福知山市内の長田野公園で野宿。

  コヤマ少年はシャワーの代わりに噴水を浴びる。

  寝る前にコヤマ少年の家に電話をするが誰も出ず、母親はまだ不在の模様。

  二人で流れ星を見た。


 盛りだくさんな一日だったのでメモもかなりたくさん書いています。

 このメモを片手に、送っていただいた切り抜き部分を読みました。せりふの細かな部分まで正確に再現してはいないと思いますが、実際に起きた出来事の内容とその順番は、ほぼこの小説の通りだと思っていただいて良いと思います。

 あと、まだ質問はいただいていませんが、次回のお手紙でおたずねがあるのではないかと思いますので、この翌日の出来事についてもメモを書き写しておきます。


 平成〇年 8月10日

  出発直後に前輪がパンク。

  通りかかった地元の自転車青年に修理してもらう。

  道の駅「農匠の郷やくの」で昼メシ。

  昼メシの食堂のテレビでショッキングなニュース。

  今月6日にコヤマ少年の母と思われる女性がパチンコ屋の火事で死亡。

  コヤマ少年に母親の名前を確かめる。

  コヤマトモミ。

  間違いない。

  このことを伝えるべきだろうか。

  でも、いつ、どこで、どうやって。


 小説の以下の部分がこのメモの後半の内容に該当します。


 ----------------

 ――今月六日、亀岡市内のパチンコ店において三名が死亡した火災で、現場から発見され、最後まで身元不明となっていた女性は、亀岡市内の飲食店に勤務するトオヤマサトミさん、二十七歳、であることが確認されました――


 駐車場に停められた軽自動車のラジオから、そのニュースは流れてきた。

 そのとき和馬は軽自動車のすぐ横で自分の自転車にまたがり、膨らんだ腹をなでながら、刻々と輪郭の変わってゆく雲をぼんやりと眺めたり、鼻の頭を掻いたりと、完全にだらけきっていた。

 普段なら完全に聞き流してしまうようなニュースだったが「亀岡市」という地名が和馬の耳に引っかかった。

 今回の旅の初日に宿泊した土地ということで、知らないうちにその地名が意識の奥に刻みこまれていたのかもしれない。

 さらに、パチンコ店、身元不明 女性の身元というキーワードが並ぶにつれてアンテナの感度がどんどん上がり、最後の「トオヤマサトミ」の名前で背中に電気が走った。

 トオヤマサトミ?

 パチンコ店の火事で死亡?

 まさか?

 和馬があわてて振り返り、軽自動車の窓から車内をのぞき込んだときには、すでにニュースは別な内容に変っていた。

 確か、今月六日の火災って言ったよな。

 和馬は指を折って逆算してみた。

 今日は八月十日で、少年と出会ったのが二日前の夜、つまり八月八日だった。その次の日の朝、つまり九日、いつから母親が帰ってこないのかという和馬の問いに対し、少年はなんと答えたのだったか?


 ――ゆうべも、その前の晩も、前の前の晩もや


 あのときから見たゆうべとは八日の夜、その前の晩は七日、ならば前の前の晩とは六日の夜だ。その六日に発生した火災で「トオヤマサトミ」という名の女性が亡くなり、今日までずっと身元が分からないままだったという。


 ――なあ、おい。お前さあ、何年生?

 ――三年や。

 ――名前は?

 ――遠山壮太。にいちゃんは?


 遠山なんて苗字は珍しくない。

 だけど――


 ――母ちゃんの趣味はパチンコやけど、結構もうけてるんやで。


 これはもう、間違いないのではないか。

 和馬はうなじのあたりがざわざわするのを感じた。

 だったらどうする?

 どうすればいい?

 陽射しはあいかわらず強烈に突き刺さってくるが、まるで暑さを感じなくなった。

 神経を苛立たせるクマゼミの大合唱も聞こえなくなった。

 世界が厚みを失い平板になっていく。

 落ち着け。

 和馬は震えそうになる手を抑えるために、自転車のハンドルを思い切り握りしめた。

 まだ決めつけちゃいけない。

 母親の下の名前と年齢を確認して、それまでもが一致するなら、そのときは――


「にいちゃん、どうしたんや。顔が怖いで」

 待ち合わせの午後一時ジャストだった。

 声のする方に顔を向ければ、少年はすでに自転車にまたがっており、目が合った和馬に向かって白い歯を見せた。

 昼メシ、ちゃんと食べたんだろうか?

 ふと浮かんだ考えの方向に話題を進め、あたりさわりのない会話でごまかしたいという誘惑に駆られた。

 駄目だ。

 ここで逃げてはいけない。

 和馬は下腹にぐっと力を込めた。

「なあ壮太、お前の母ちゃんの名前、なんていうんだっけ」

「なんや急に」

「いや、よく考えたら、いろいろ聞いてないことがあったなと思ってさ」

「サトミや、里山の里に、美しいで、里美」

 里美――トオヤマサトミ。

 すっと周囲の気温が下がった。

 和馬は鳥肌の立ったむき出しの両腕をさすった。

 もうこれ以上のことを聞くまでもないとは思ったが、最後の望みをかけて「母ちゃんは今何歳だ?」とたずねた。

「にいちゃんやから特別に教えたるけどな、絶対に人に言うたらアカンで」

「わかった」

「二十七歳やねん。若いやろ。オレの歳と母ちゃんの歳を聞くとな、いろんなこと言うヤツがいてうっとうしいんや。そやから、にいちゃんも内緒で頼むわ」


 ――トオヤマサトミさん、二十七歳、であることが確認されました――


 決まりだ。

 少年の母は、四日前に発生した亀岡市内のパチンコ店の火災に巻き込まれ、死んでしまったのだ。

 そうとは知らない少年は、一人で母の帰宅を待ち続けた。

 一日目。

 二日目。

 三日目になり、少年は、唯一の親類であるイワドのじいちゃんに母の異変を知らせるべく、自転車で出発したのだ。

 だが真夏の過酷な暑さの中、観音峠を越えることができなかった。

 そしていったん戻った亀岡市内で和馬と出会った。

 和馬の自転車旅行の計画を聞いた少年は、再度の挑戦を決意したのだ。

 そして――

 少年は、和馬とともに国道9号線を一日半、泣き言一つ言わずにひたすら走り続け、間もなく兵庫県に入るという位置にまできている。このペースなら、明日の午後には岩戸漁港へたどり着く。

 だが母の身に生じた異変――焼死――の知らせは、自転車で走る壮太を今まさに追い越して、イワドのじいちゃんの元へと届いているはずだ。

 少年は明日、イワドのじいちゃんの口から母の死を聞かされることになるだろう。

 知らせに行くつもりが、逆に知らされることになるのだ。


  ―― 略 ――


「なあ、壮太」

「ん? そろそろ休憩すんの」

「ああ、そうだな。次にコンビニがあったらちょっと休もう」

「ええよ」

 自転車で走りながらの会話は、正面からぶつかってくる風に負けないよう、お互い大声になる。

「あのさ、ちょっと聞きたいんだけど」

「なんや」

「お前んち、テレビあるよな」

「そんなもん、あるに決まってるやん。にいちゃん、うちの家のこと馬鹿にしてんのか」

 やっぱりあるのか。

「壮太は、テレビをよく見る方か?」

「そうやな、家にいるときは、ずっとつけてるわ。母ちゃんもオレもな、家の中がシーンとしてるの嫌いやねん。って、どーでもええけど、なんでそんなこと聞くんや?」

「うん、まあ、なんとなくな」

 まさか火事のニュースを見たかとは聞けない。いや、聞くまでもない。

 絶対見てるな。

 ああ、だから――

 和馬が定期的に自宅にかける電話に対し、少年はずいぶん醒めていた。

 和馬が電話の呼び出し音を延々と聞く横で、少年は気のない様子でぼんやりと空を見上げたりしていた。

 どうして関心を示さないのか。

 和馬は受話器を耳に当てながら、そっぽを向く少年の横顔を不思議な気持で見ていた。

 しかし、もう母が帰ってくることはないと、あの時点で、すっかりあきらめていたと考えれば納得がいく。

 壮太、お前――

 心の中でさえ、かける言葉が見つからない。

 自然と自転車のスピードが落ちる。

 うつむくな。前を見ろ。

 和馬は顔を上げた。

 視界の中心にある青い小さなリュックの下で、二本の足がせわしげに上下している。こちらが声をかけない限り、休むことも、ペースが落ちることもない正確な動きだ。

 和馬はそのサポート役として同行しているはずなのだが、実際は、少年に先導してもらっているようなものだ。今だって、こうして考え事に気を取られ、少しでも足の動きがおろそかになれば、どんどん後れを取ってしまう。

 なあ壮太。

 その強さはどこからくるんだ。

 自分がイワドのじいちゃんへ知らせなければならないという責任感からなのか。

 それとも普段からの覚悟の違いなのか。

 和馬は空を見上げた。

 ぼくは何のために国道9号線を走っているのか。

 ----------------


 以上です。

 少年の母親の焼死を知ったのは、小説ではカーラジオからのニュースとしていますが、実際は昼食をとるために入った定食屋のテレビでした。なぜそこを変えたのかについては記憶が曖昧ですが、たぶん重要な出来事に関しては屋外を舞台としておきたかったのかもしれません。

 他の場面ではほとんど脚色はなかったはずです。

 質問をいただく前に先走ってしまいましたが、参考になれば幸いです。


                             F拝

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る