とある女性より 6通目
F先生へ
お返事ありがとうございます。
相談相手の件はご推察の通りです。そしてそれはF先生に謝っていただくようなことではございません。小山君の口から、ほんの少しでも担任のことが出なかっただろうかという淡い期待があっておたずねいたしました。誤解を与えるような質問をしてしまい申しわけありませんでした。
小山君のせりふや顔の傷、お祖父様の写真などは、実際にあったことだとのこと。なるほどそういうことがあったのかと腑に落ちるお答えをいただきました。
今回もよろしくお願いします。
質問5
熱中症になりかけた和馬が休憩によって回復し、その後、観音峠で少年に追いついた場面について。
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国道のすぐ近くにまで迫る広葉樹の森が太陽光を遮り、肌に噛みつくような熱気はいくぶんやわらいだ。しばらく日陰を走るうちに和馬の体調も徐々に回復しはじめた。
自然と視線も上向きとなる。
ん?
カーブの先に、青い何かがちろりと見えた。
何だろう。
和馬はペダルの上で伸びあがった。
あれは――
あいつのリュックだ!
ついに追いついたんだ。
和馬の脚に力が入る。
だが青い目標物は少しも移動せず、和馬が進んだ分だけ近づいてくる。
違う。
あれは壮太が背負っているんじゃなくて、リュックだけが路肩のアスファルトの上に置かれているんだ。
まさか。
和馬の腕に鳥肌が立った。
五十メートルほどの距離を一気に走った。
いた。
路肩のガードレールのすぐ脇で、少年が頭を抱え込むようにして横たわっており、自転車がそのすこし先で横倒しになっていた。
「壮太っ、大丈夫か!」
和馬は自転車から降りるのももどかしく、足をもつれさせながら少年に駆け寄った。
少年は和馬の呼びかけにゆっくりと顔の向きを変え、「にいちゃんか」と、口元をわずかにほころばせた。
和馬は少年の傍らにしゃがむと、その耳元に口を寄せ、そっと声をかけた。
「どうした? こけたのか?」
「頭が、痛いんや」
和馬の方を見てはいるが、なんだか目の焦点が合っていない。顔が赤くて呼吸が速い。
こいつも熱中症だな。
和馬はさっき買ったばかりのミネラルウォーターをキャリーバッグから取り出した。
ペットボトルの表面が見る間に細かな水滴で覆われる。
「おい、水だ」
上半身を抱き起こし、飲み口を少年の口に押し当てた。だが水はほとんど口に入らず、あごを伝って流れ落ちてしまう。アスファルトに黒い染みが拡がる。
和馬はもどかしくなり、ペットボトルを逆手に持ちかえると、少年の頭全体に水を振りかけた。透明な水滴がきらきらと周囲に飛び散った。
ペットボトル一本分の水をすべてを使い切ったとき、ようやく少年の表情に張りが戻ってきた。
少年はゆっくりと顔を横に向け、のぞき込む和馬と目を合わせた。
「やっぱりあかんわ。なんぼ頑張っても、観音峠は越えられへんかった」
そう言って、弱々しい笑みを浮かべた。
「まかせろ」
「え?」
「岩戸まで連れて行ってやる」
少年の目が輝いた。
「ほんまに?」
「夜はずっと野宿だけどな」
「ほんまに、一緒に行ってくれるん?」
「しつこいぞ」
「でも、さっきはアカンて」
「旅は道づれ、なんとやら、っていうのを思い出したんだよ」
「ありがとう」
少年は自力で上半身を真っ直ぐに立て、丁寧に頭を下げた。
「アメ、いるか?」
和馬の差し出したキャンディーに少年は首を横に振った。
「それ、レモン味やろ。オレ梅干しは平気やけどレモンのすっぱいのアカンねん。ほっぺたの奥がきゅうって痛くなるんや」
「なんだよそれ」と笑いながら和馬は立ち上がった。
少年も遅れまいとはね起きた。
「壮太はもうちょっと休め。それとこの水を飲んでおけ」
和馬はもう一本残っていたペットボトルを渡そうとした。
「オレ、自分のお茶持ってきてるんや」
少年は投げ出されていたリュックを拾って胸の前に抱え込むと、中から水筒を取り出した。
「冷たい水は、お腹壊すから飲まへんねん」
「お前、変なとこで神経質なんだな」
「あんたは小さいころからお腹が弱かったから気をつけなアカンって、母ちゃんに言われてるんや」
和馬は、少年が水筒のふたにお茶を注ぐ様子を見ながら、この小生意気な小学校三年生の中に同居する幼さとたくましさを、好ましく感じ始めている自分に気がついた。
「このお茶が飲みたかったんや。ああ、おいしいわ。もう大丈夫や。にいちゃん、行こ」
少年は足元に落ちていた野球帽をかぶり直し、リュックを背負って和馬の正面に立った。
目に力がある。
すっかり元気を取り戻したようだ。
「よし、行くか」
和馬の許可が出ると、少年は前方に倒れたままになっている自転車に向かって駆け出した。和馬も自分の自転車のところへ戻ろうとして、その前に忘れ物はないかと少年が倒れ込んでいた場所とその周辺を、最後にもう一度確認した。
あっ。
和馬は硬直した。
ガードレールの支柱にインスタントコーヒーの四角い空き瓶がくくりつけられ、一輪のユリが活けられていたのだ。
ここでもか。
今まで気がつかなかったのは、壮太の体の陰になっていたからだろう。
おい和馬、油断するなよ。
昨日の老ノ坂峠で見た献花を思い出し、和馬はゆるみかけていた気持ちを引き締めた。「責任」という言葉が重く心にのしかかる。
和馬は献花にそっと手を合わせてから、自転車にまたがり出発を待つ少年に呼びかけた。
「おーい」
「なんやー」
「まだ勝手に出発するなよ」
「わかってるって」
白ユリの少ししなびかけた花びらの先から、透き通った水滴が離れ落ち、ざらつくアスファルトに黒い小さな染みを描いた。
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この場面、小説としての創作は加えられていますでしょうか。
質問はこれだけです。
よろしくお願いいたします。
原田さおり
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