第3話 特攻隊飛行帽
海軍特別攻撃隊。略称の方が有名だろう。神風特攻隊とも称された「あの」特攻隊だ。
爆弾を乗せた飛行機で、太平洋を超え、敵の母艦に自らが弾丸となって命を散らしていった人たちが最期に所属していた部隊。
その日も月曜日だった。珍しく猫の姿はなくいつもどおり、一人だ。
その人は静かにやってきた。
私の席は受付より一段高い場所にあり、ちょうど受付の窓に入館する人の姿が映って見える。
映りこむ緑の芝生に人影がよぎり、気配より先に来館者の存在を教えてくれる。
「すみません、今日は休館日なんです」
受付の窓を開けて言うと、見渡すように見上げ、ゆっくりと見回していたその若き青年は、それでこちらを振り返った。
大体がそうだ。建物自体が普通の博物館ではない。
だから入り口まで入って来て、大体の人はそこを物珍しそうに眺めることから始まる。
入館料がかかることを知って帰る人もいれば、たったの二百円かと喜んで進む人もいる。
だが今日は、休館日。お金の収受もできない。
「嗚呼、すみません。ここに僕の家族が寄贈したものがあると聞いて」
青年はとても物腰柔らやそうな微笑みを浮かべながら、静かに言った。
寄贈者の家族か……そのまま追い返すのは気が引ける。
田舎ゆえに、何度も面識のある関係者は通す、という扱いは見ていた。それを見に来たのなら通してもいいだろうか。
独断をすることには迷ったが、続きを聞いてしまい私は断れなくなる。
「遠くからいらしたんですか?」
「えぇ、とても遠くです。……もう来られないんだろうなと、つい」
顔だちも、物腰もこの辺りの人ではないなとは感じていた。どこか坊ちゃん然とした品の良い語り口。教養を身に着けた人の持つ空気。
まだ若いのに、不思議な雰囲気の人だった。
「あの……良かったらどうぞ。寄贈されたものを見に来たのでしょう?」
「良いんですか?」
「えぇ、休館日ですから全館の明かりは付けられませんが……」
「ありがとうございます」
当然に、入館料など取らなかった。
青年は静かに柱時計のかかった二つ目の古いドアを通ると、靴を脱いで赤いカーペットの敷かれた館内にあがる。
私も事務室から出て、すぐの彼を迎えた。
ナー
猫の声がする。ちりりん、と小さな鈴の音。わら細工の展示……つまりは猫やぐらの方だ。ちらと私はそちらを見たが、聞かなかったことにする。
「嗚呼、なんだか懐かしい感じの建物ですね」
「ふふ、不思議ですよね。お若くても『懐かしい』になるの」
昭和レトロな品物や建物は、昭和を知らない若い世代でもなぜだか「懐かしい」と言われることがある。古すぎて新しいというより、なんだか温かみがある、という意味なのだろう。
青年も展示品より先に、瞳を細めてその学び舎を内側から見渡した。
「きれいになってる。大事にされてるんですね」
「毎日掃除に1時間以上かけてますからね。掃除をするのは私ではないですけど」
それから彼は、廊下に雑多と並んだ民俗系の展示物を眺めた。
「寄贈品、わかりますか?」
私にはまだどこに何があるのかわからないので、それが何なのか聞いてみる。殊の外入り口から近い位置に、それはあったらしい。
私が確認するより先に、彼の視線はそれに落ちていた。
「はい、これです」
こまごまと密に並べられた展示品のどれを指しているのか。視線だけではわかりにくいが……
「……帝国海軍予科練……飛行帽、ですか?」
戦争関連のものが並べられたエリアであることは間違いなかった。書かれた寄贈者は咲田さんになっている。といってもここに勤めている咲田さんではなく男性の名前だ。
「ご親族のもの、ですよね。この辺りにも予科練の方がいたとは」
失礼な言い方になってしまうかもしれないが、特攻隊員は教養もあり頭の良い人たちだった。今のように全員が教育を受けられる時代ではない。識字率も高くはなかったろうし、その中で「パイロット」になるほどの人間はいわばエリート。
今だって空軍に限らずパイロットになるには相当の狭き門と言われている。
特攻隊員のほとんどは十代から二十代前半。まさに「未来を背負って立つ」人たちだった。
人の命を計ってはいけないとは思うが、正直、落命するには惜しい人物たちこそが、まっさきにその任を受けたという皮肉。
今でいう高等学校に進むことすら難しかった時代に、戦闘機なんてものに乗れるほどの人たちが、自ら弾丸となり、アメリカ軍を震撼させた「カミカゼ」特攻隊。
この辺りでそういう人がいたという話は聞いたこともないし、田舎まで教育の行き届いていなかった当時、ここから遥か遠くの予科練まで出る人がそうそういたとも思えなかった。
「いいえ、これは伊藤家のものですからもっと遠い場所に生きていた人間のものですよ」
青年は静かにそう言って笑った。
「伊藤家?」
「えぇ。咲田というのはそこから分家したり苗字を変えた先の苗字ですね。これ、触っても?」
年齢的には彼の祖父……いや、曾祖父くらいだろうか。あるいはその兄弟か。いずれ、感慨深いものがあるだろう。私は断るすべもなく、彼はそれを両手で丁寧に持ち上げた。
古い、革製の、ゴーグルもついた飛行帽だった。
「懐かしいなぁ……」
なーお。
その言葉に違和感を抱いたその時、「猫」が赤いじゅうたんの向こうからやってきた。青年はそちらを見、元の場所へ飛行帽を戻すと、足元にやってきた猫を抱き上げた。
「!?」
「ふふ、かわいいね。猫に触るなんてどれくらいぶりだろう」
あまりにも穏やかなその表情に、私はそれがどういうものであるか、触れることは出来なかった。「猫」を抱いたまま彼は少し、話し出した。
「まさかこんな生家とは関係のない遠い土地に、収められるとは思ってなかった。でも……」
そして猫を下ろす。なんでもないように喉を鳴らしていた猫は彼を見上げ、そして私の足元にすり寄ってきた。
まるで本当に「そこにいる」かのように。
「これが縁というものなんでしょうね。『咲田』は私とは血のつながりはありません。でもその娘さんは、私と同じ血が流れてる」
言われたことの意味を悟るには少し、間を置いた。ここに勤める咲田さんには娘さんが一人いて、彼女はこの資料館を管轄する教育委員会に勤めていた。時々だが顔を出す。
きっと彼女のことだろう。
「あの女性(ひと)には伊藤の血脈を深く感じます。どうか、よろしくしてやってください」
とても年下とは思えない物言いで彼はそう静かに微笑んだ。今時珍しい物静かさで。かといって大人しいというわけでもなく、ただ静かに。ひたすらに静かに。微笑んで。
「ナー」
「あ、こら!」
「いないはずの猫」が伸びをするように立ち上がって私のズボンに爪を少し立てた。当然、怒る。それでもマイペースに動じないので仕方なく爪が引っかからないように抱き上げる。
そして、顔を上げる、と。
青年の姿は、もう見当たらなかった。
帝国海軍予科練特別攻撃隊。
彼らの散り際の手紙は今もなお、保管されている。
特攻し、散った命の数は4160名。
しかしその手紙のどれもに泣き言一つ書かれず記された、笑って散ろう、蛍になって帰ってくる、といった数々の物静かな言の葉は、今も私の心に深く残り続けている。
そして彼もまた、そんな手紙をしたためた一人だったのだろう。
私はしばらく暗い館内に立ち尽くして、遠くに心を馳せていた。
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