女と海と映画と女(2)

 重たい音の塊がお腹から背中へと突き抜けていく。暗いフロアに無数の光の帯が走り、リズムの波を楽しむ人々の姿を浮かび上がらせる。私は一人、その波に乗りそびれている。クラブという場所に一週間ほど通ってはみたものの、楽しさはまだよくわからない。いや、私が楽しみ方を知らなさすぎるのだ。後方の壁にもたれかかり、紙コップのジンジャーエールを飲み干す。


(……今日はもう帰ろう)


 地下の店を出て階段を昇ると、今度は目の前の幹線道路を行き交う車の轟音が耳を休ませてくれなかった。静かな場所を求めてビルの路地裏へ逃げ込み、ようやく一息つけた。


「…………?」


 気配。振り向くと私の後ろに二人……いや三人の若い男性。店で見た顔だ。……ああ、そうか。一人になるのを待っていたんだ。私はそんな危機感も持たずに毎日ここへ来ていたのか。本当に自分の世間知らずが嫌になる。


「………………よう」


 先頭の男が静かに口角を上げた。逃げだそうにも、路地の入口は残りの男たちによって塞がれているし、路地の奥はゴミが積み上がっていて通れそうにない。胸の奥から嗚咽がこみ上げてきた。自分の情けなさと、これから起きることへの恐怖。その両方。震えながら顔を上げると、男たちはなぜか後ろを向いていた。瞬間、路地の入口に立っていた最後尾の男が頭からコンクリートの地面に倒れるのが見えた。フラついたり躓いたりしてもあんな倒れ方はしない。格闘技番組で見たことがある。あれは突然、意識を断ち切られた人間の倒れ方だ。


 男たちの向こうに女性が立っていた。通り過ぎる車のヘッドライトが、彼女の黄金色の長髪を美しく輝かせた。


「しゅっ!」


 呼吸に合わせて彼女は傾いていた半身を正面に向き直らせ、右拳を脇腹に、左腕を正面下段に構えた。……空手だ。半身の態勢だったのは、おそらく背後からのハイキックで男を仕留めたからだ。


「……何してんだオイ」


 標的を変えた二人の男がポケットから同時にナイフを抜いた。まずい。これは無理だ。男たちが距離を詰めると、彼女も同じ歩幅だけ後ずさった。二歩……三歩……背中が道路脇の街灯にぶつかった。男の一人がニヤリと笑ってナイフを構えた。対する彼女は大きく息を吸い込んで。


「キャアアアアアアアアア!!」


 突然、金切り声を上げた。通行人たちの視線が瞬時に集まる。彼女を追ったことで男たちの体は路地から通りへ出ていた。居合わせたOLが男の手にしたナイフを目にして、続いて悲鳴を上げた。さらに衆目が集まり、連鎖的に騒ぎが大きくなっていく。状況の悪さを察知した男たちは舌打ちし、倒れていた男の頭を足で小突いて起こすと、ナイフを懐に隠して慌てて走り去っていった。


「……だいじょぶ?」


 呆然としていたから、彼女のその呼びかけが私に向けられているのだと気づくのにワンテンポ遅れた。


「あっ、はい。ありが……」


「向いてないよ、あの店」


「……え?」


「家出か反抗期かしらないけど、無理して通ったって楽しくないでしょ」


「なっ……!」


「わかるって。いっつもすぐ隅っこ行ってソフトドリンク飲んでるんだもん。キミ、いいとこのお嬢様でしょ? 隠せないよ、そういうの」


「…………!」


 図星だから言い返せない。そうだ。私があの店に出入りしているのは単に親への反抗だ。今どき毎日のように華道に茶道に書道に日舞……それだけなら我慢もできたが、それらがすべて見たこともない許嫁のためだなんて時代錯誤も甚だしい。私にだってやりたいことがある。


 ……あると思っていた。


 外に出てみてわかった。結局、狭い世界の中で育った私は、自分のやりたいことすら知らなかったのだ。


「ね、だいじょぶ? すっごい震えてるけど」


 言われて、私は足が自分の意思とは関係なく揺れているのに気付いた。恐怖に体が遅れて反応していた。その場に崩れ落ちそうになったところを、彼女がすかさず肩を貸してくれた。


「家まで送ろっか?」


 その言葉とは裏腹に、あまり心配そうな表情ではない。きっと、これまでに酔いつぶれた友人を何度も介抱してきたのだろう。


「……帰りたくない。あんな家」


「じゃ、ウチくる?」


 軽々しい女。羨ましい。


※ ※ ※


「うち、ミキ」


 彼女は歩きながらそれだけ言った。しばしの沈黙。少し考えて、自己紹介を促されているのだと気付いた。


「私は……小夜子」


「じゃあサヨだ」


「なんで」


「うち、美紀子だからミキだもん」


 思考回路が違う。ため息がでた。


「二階の一番奥ね」


 ミキが指さした3階建てのアパートは、恩人の贔屓目で見てもオンボロだった。鉄むき出しの階段は昇ると足音がやかましく、防犯を兼ねているのか単に作りが悪いのか判別がつかなかった。ミキは玄関扉に鍵を差し込むと、何かに気付いた様子で顔をしかめた。


「…………あいつ」


 バン、とわざとらしく大きな音を立てて扉を開くと、ミキはテレビの音が漏れ聞こえてくる奥の部屋に向かって一人でずかずかと歩いていった。


「……おじゃまします」


 脱ぎ捨てられた靴を揃えて、私も後を追って部屋に入る。


"だからね、宇宙人はもうこの地球にやってきてるんですよ! それをあなたがたは……"


 居間には先客がいた。寝転んでくだらないテレビのUFO特番を眺めている男性。「なんでまだいんの?」というミキの怒気のこもった声で、元カレかそれに近い何かなのだろうと理解した。


「ええ〜ミキちゃんひどくない? だから、こないだのことは何度も反省してるって……」


 そこで振り返り、彼は初めて私の存在を認識した。


「……あれ、お友達?」


「そーだよ。てか今日泊まるから」


「まじ?」


「だから出てって」


「まじ……?」


 しぶしぶ立ち上がり、玄関へと向かう。靴べらを使いながら、揃えられた私達の靴に目をやった。


「へー、いい子じゃん」


「いいから早く出てってよ。……あ、それから合鍵返して」


「えっ! なんで!」


「だってサヨいるし。うちが留守にしてる間に勝手に入られても困るし」


「……はぁ。しゃーなし」


 しぶしぶ鍵を返して、元カレ(?)は出ていった。なんだか申し訳ない気持ちになった。


「よし! とりあえず風呂沸かすわ!」


 私の胸中とは関係なくミキはマイペースだ。けれど、今はそのペースに身を任せるのが楽だった。


※ ※ ※


 私がお風呂から上がるとミキは居間でテレビを見ていた。字幕が表示されている。


「映画?」


「そだよ」


「なに?」


「アンブレイカブル」


「知らない」


「見始めたとこ。一緒に見る?」


 私が頷いて隣に座るとミキはリモコンで部屋の灯りを消した。なるほど、この方が気分が出る。


「あ、このヒト知ってる」


「ブルース・ウィリスね」


「こっちの変な髪型の人も何かで見た」


「フフッ」


「…………」


「…………」


 二人、暗い部屋でじっと物語の行方を見守った。不思議な映画だった。何が起きているのかは理解できるけれど、それが何を意味しているのかは最後までよくわからなかった。


※ ※ ※


「えっと……どうだった?」


 ミキは部屋の灯りをつけると少し歯切れの悪い尋ね方をした。……ああ、たぶん私があまり楽しそうに見えなかったのだろう。もともと、あまり表情に出ないだけなのに。


「面白かった……と思う」


「そっか!」


「でも、よくわからないところもあった。特に最後」


「あー……」


 ミキは一度言葉を切って、少し考えてから話を続けた。私に説明するために頭の中を整理してくれたのだろう。


「サヨ、スーパーマンとかスパイダーマンとかって知ってる?」


「なんとなく」


「じゃあ、そこからだね」


 それからミキは順を追って教えてくれた。私の知識で理解できる範疇で、丁寧に言葉を選びながら。説明が上手いのか、それとも声や話し方に惹きつけるものがあるのか。彼女の話に耳を傾けているうちに、一つ一つ謎が紐解かれ、頭の中にかかっていたモヤが綺麗に晴れていった。


「……っていう話かな? まあ、だいぶうちの主観入ってるけど」


「…………」


「……どした?」


「なんか……」


「なんか?」


「世界が広がった」


「ぷっ、大げさぁ」


 ミキは笑ったが私の言葉は本音だった。私と彼女は違う人生を生きてきた。だから同じものを見ても感じ取るものは違う。人の数だけ世界はあるのだ。生まれてからずっと親の見せたい世界だけを見てきた私にとって、その事実は新鮮だった。


※ ※ ※


「これ合鍵ね。じゃあ、うちバイト行ってくるから。お腹すいたら冷蔵庫の中のものテキトーに食べていいよ」


「うん。いってらっしゃい」


 翌朝。ミキを見送り、さっそく手持ち無沙汰になった私は居間のテレビを点けた。


"……れにしても、不可解なのは封鎖のスピードですよ。言っちゃなんですが、この国の政府はいつも後手後手じゃないですか。それが今回に限って異常な早さだ。あらかじめ把握していたとしか……"


"いや、だから以前よりこういった有事の際に備えてですね……"


 人の口論を見ていると気が滅入る。視線を外すと、テレビの脇に木製のDVDラックがあった。三段に分かれたその棚のほとんどが埋まっている。昨日見たような映画が他にもあるのかな。興味をそそられた。


『バッファロー'66』

『初恋のきた道』

『CUBE』

『バグダッド・カフェ』

etc…………。


 知らない映画ばかりが並んでいる。もっとも、私の知っている映画の数なんてたかが知れているのだが。


「これ……」


 ひとつ気になるパッケージを見つけた。二人の男性が海をバックにタバコをふかしているモノクロ写真。惹かれたのは彼らが自由に見えたからだ。私が決して得ることのできない、すべての鎖から解き放たれた自由。タイトルは『ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア』。裏面の説明によるとドイツ映画らしい。


"……いずれにしてもですよ、告知当日にいきなり物流まで止めて完全封鎖するというのは人道的見地から見ても……"


 まだやってる。起動したDVDプレイヤーは現実の醜い罵り合いを遮り、作られた映画の世界を映し出した。どうやら私はこちらの世界の方が好きみたいだ。昨日、それを教えてもらったのだ。


※ ※ ※


 ドン、と扉を叩く音で目を覚まし、テーブルから顔を上げた。窓の外はもう真っ暗だった。


「お〜い! 開けて〜!」


 外からミキの声。立ち上がって玄関扉を開けると、彼女の肩に泥酔して眠っている例の元カレが寄りかかっていた。ミキはずるずると彼の足を引きずりながら居間へ入ると、よいしょ!と床に転がした。


「はぁ〜重っ!」


 その場に座り込んだミキの頬も紅潮していた。


「ヨリ戻ったんだ」


「違うって! ちょっと飲みすぎただけ……」


 と、ミキの視線がテーブルの上に移った。御飯、肉じゃが、味噌汁、サラダ。私が作った二人分の夕食。


「わ……ごめん。遅くなるって連絡しなかった」


「ふふっ、連絡先交換してなかったのに?」


「あ、笑ったとこ初めて見た」


「そう? で、ご飯食べられそう?」


「よゆー」


 彼氏を転がしたまま、二人でテーブルに向かい合って箸をとる。


「……うんまっ! この肉じゃがどこで買ったん?」


「作った」


「えっ!? うち食材の買い置きなんて無かったんだけど!」


「近くにスーパーあったから」


「てか料理うますぎない? プロじゃん」


「褒めすぎ」


 普通のことをしただけでこんなに褒められると、なんだかくすぐったい気持ちになる。


※ ※ ※


「そいつ、ほっといていいからね」


 昨日と同じように私が居間に布団を敷いて、ミキが寝室のベッドを使う。ちょうどその中間にはいびきをかいた彼氏が転がっている。この熟睡ぶりなら朝までコースだろう。部屋の灯りを消して目を瞑る。


「…………」


「…………」


「……今日さ、サヨのこと凄いなって思った」


 ミキがベッドから呟いた。


「急になに」


「だってうち、料理なんてレンチンしかできないもん。あと人の靴まで揃えるなんて気も回らないし」


「……親に教えられただけだから」


「でも、やってるのはサヨでしょ。うちはそういうこと教えてくれる人いなかったから、全然違う世界にすんでるんだなって思った」


 違う世界。私と同じことを考えていたなんて意外だ。……なぜだろう。耳のあたりが熱い。見えないはずの顔を見られたくなくて、私は頭から布団をかぶった。


※ ※ ※


 さっきまで見ていた夢の内容はすっかり忘れてしまった。突然、何か重いものが腹の上にのしかかってきたせいだ。みぞおちに衝撃が走り声が出せない。暗い。まだ真夜中だ。上からぬるりと伸びてきた腕が私の左肩を押さえつけた。顔のすぐ傍で激しい呼吸音が聞こえる。誰かが馬乗りになっていた。


「うあっ……」


 かろうじて吐き出したのは小さなうめき声。暗がりにぼんやりと浮かんだ顔は……ミキの彼氏だった。一瞬で頭の中がぐちゃぐちゃになった。襲われる。路地裏での恐怖が蘇った。しかしそれはすぐに別種の恐ろしさに変わった。突然、左肩に激痛が走った。鋭く長い爪が肩の肉に食い込んでいく。出血の感覚。たすけて……!声を振り絞ったが、自分の耳にかろうじて届くほどのかすかな音しか出なかった。が、その声に合わせて体が軽くなった。


「何してんだてめえ!」


 ミキが渾身の体当たりで彼氏を突き飛ばしていた。そしてすぐさま起き上がった彼氏を見てギョッとした。赤く光る眼。異様に伸びた鋭利な両手の爪。不自然なまでに背骨を折り畳んだ前傾姿勢。ひと目でわかった。……人間じゃない。


「……!」


 私のすぐ横で風が吹いた。気付いた瞬間にはもう、ミキの姿は消えていた。振り返ると、彼氏だったバケモノによって寝室のベッドに押し倒されていた。


「うっ……!」


 ミキが声を上げる。その白い首筋に鋭い牙が突き立てられていた。牙から緑色の液体が滴り落ち、傷口へと染み込んでいく。……まただ。また私を助けてあんな目に。何かできることは……違う、なんでもやらなきゃ。彼女が助かるならなんだって。発作的にベッド脇の長いスタンドライトに手をかけた。重い。でも両手なら。


「うわあああああ!!」


 全力で振り抜いた。手にふたつの感触。ブチリと電源ケーブルが外れる感触と、ゴチャリと割れた頭蓋と脳漿とが混ざる感触。彼氏だった何かはそれきり動かなくなった。


「う……うあ……」


 ミキがベッドに倒れたまま呻いた。首筋を抑えた手指の隙間から緑色の液体が漏れ出ていた。


「ミキ!」


 私はその手をどけ、傷口に唇をあてた。バケモノの残した体液を何度も吸い出し、吐き捨てた。


「や……やめ……」


 ミキはそこで気を失った。そのあと、私の意識もいつ途切れたのか覚えていない。


※ ※ ※


"……い取った血液からDNAを採取。体組織を被害者そっくりに変化させて成りすまし、代わりに傷口から流し込んだ体液で本人を溶解して隠滅する。この手口により……"


 テレビの音で目が覚めた。コーヒーのいい匂いがした。体を起こすと、自分で掛けた覚えのないタオルケットが肩から落ちた。


「おは」


 あぐらをかいてテレビを見ていたミキがこちらを振り向き、コーヒーカップ片手に言った。


「……夢?」


 ミキは返事の代わりに視線を動かした。その先にはビニールロープでぐるぐる巻きにした布団があり、中に詰められた元カレの土気色の足先だけが外に出ていた。


「今テレビでやってるよ」


 促されてニュースに耳を傾ける。


"……成りすまし後は被害者の記憶のみを使って生活しており、覚醒するまではエイリアン本人にも自覚が無いため、まず発覚する恐れがなく……"


「うち、しばらく前から宇宙人と付き合ってたんだって」


 言葉の重さに反して、物言いはなんだかカラッとしていた。ミキは急に私の目を見つめて言った。


「うち思うんだけどさ。宇宙人でもなんでも、本人の記憶があるんだったら少なくともその間は本人と変わらなくない?」


「…………ごめん」


 その彼を殺したのは私だ。


「えっ!? あっ、そういうつもりじゃないよ! 今のは別の意味!」


「別の意味?」


「っていうか、多分うちじゃ殺せなかったよ。さすがにアイツと同じ顔してる奴にあんなフルスイングできないもん」


 と苦笑した。罪悪感を和らげようとしてくれているのはわかる。でも……。


「必死だったから……別に殺すつもりはなくって……」


 手の中に嫌な感触が蘇る。皮膚が粟立ち、震えた。


「……ありがとうね」


 ミキは優しく私を抱きしめた。震えが少し収まった。


「ま、お嬢様は殴り合いのケンカなんてしたことないだろうから、力の加減がわかんないのはしょーがない!」


「ちょっと! 私だってあるから!」


「誰と?」


「うちの……猫」


「…………ぷっ」


「…………ふふっ」


 こんな時にバカな会話。二人でひとしきり笑い、それからミキが立ち上がって言った。


「んじゃ、行こっか」


「どこ?」


「うちゅーじんあのままにしとけないでしょ。あれでも一応元カレだし」


※ ※ ※


 アパートの外は人気がなく閑散としていた。近隣の住民たちは封鎖が完了する前にこの地を出ていったのか、それともエイリアンに襲われて殺されたのか。


「……まだかな」


 秋風が肌寒い。ミキからスカジャンを借りておいてよかった。……私に似合っているとは思えないけど。しばらく待っていると白い軽自動車がやってきた。助手席側のサイドミラーがぽっきりと折れていて、ボンネットもへこんでいる。きっと、そこらへんに乗り捨ててあったのを拝借してきたのだろう。車の窓が開き、色違いの赤いスカジャンを着たミキがこちらに手を振った。


※ ※ ※


「せーのっ!」


 息を合わせて元カレの入った布団を後部座席に放り込んだ。


「さて、行きますか」


 ミキは運転席に乗り込むなりバックミラーを上げて隠した。やっぱり、元カレのあんな姿を目に入れたくないのかもしれない。


「埋めるならやっぱ山が定番?」


「定番って」


「他にある? 行きたいとこ」


 行きたいところでいいのなら。


「……海が見たい」


「オッケ」


 ミキがキーを回すと、エンジンが今にも壊れそうな音を立てて動き出した。


※ ※ ※





※ ※ ※


 降り立った砂浜は海風の匂いがした。冬の迫った海は激しく白波を立てていた。


「せーのっ!」


 再び息を合わせて、車から運び出した元カレ入りの布団を海へと放り投げた。海と砂浜の境界線に落ちた布団は、波が打ち寄せるたびに少しずつ遠くへさらわれ、幾度目かでついにその姿は見えなくなった。


「……じゃあね」


 小さくミキが呟くのが聞こえた。


「…………」


「…………」


 私達はその場に並んで体育座りをして、静かに波の音に耳を傾けた。冷たい風からお互いを守るように肩を寄せあった。


「……もう他に誰もいないのかな」


「かもね」


 カーステレオで聞いたニュース番組では、エイリアンの出現した近隣の地域はすべて封鎖されたと言っていた。残っていた住人の大半は殺されたらしい。おそらく外の人々がこの封鎖を解除することは二度とないだろう。私たちの世界は一晩で小さくなってしまった。


「ふたりいればいいじゃん」


 ミキがあっけらかんとそう言って微笑みかけてきた。まったく、無神経なほどのポジティブ。でも、今はそれが嬉しい。私もミキに微笑み、見つめ合った。彼女の瞳の中に私がいた。そこに映った私の瞳が赤く染まっていることを、そのとき初めて知った。


「…………いつから?」


「今朝だよ」


"うち思うんだけどさ。宇宙人でもなんでも、本人の記憶があるんだったら少なくともその間は本人と変わらなくない?"


 そっか。優しいね。


「じゃあ、ここでお別れだね」


 立ち上がって砂を払う。自分でもいつ覚醒するのかわからないから、なるべく早く彼女の傍を離れないといけない。それなのに、ミキは私のスカジャンの袖を掴んで離さない。


「一緒にいてよ。最後まで」


 言ってすぐ彼女は咳きこんだ。砂浜に赤い染みが広がった。除ききれなかった体液が彼女の内側を冒していた。


「……うん」


 ミキの手を掴み返して立ち上がらせる。お揃いのスカジャンを着た二人は、お揃いの足跡を残して砂浜を後にした。


※ ※ ※


 車窓は全開。吹き込む風はまだ少し塩の味が残っていた。


「次どこ行こっかぁ!」


 風の音に負けないように大きな声でミキに尋ねた。


「どこって言っても、行けるとこ限られてるもんな〜。テキトーに流すよ」


 窓を閉めてシートにもたれかかり、「じゃあ」とミキにお願いする。


「『ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア』の話、聞かせてよ」


「え〜、ネタバレになるよ? ……って、もう観ることもないか。いいよ」


「やった」


「まずね、マーチンとルディっていう二人の男が出てくるんだけど……」


 私はミキに嘘をついている。あの日、私は彼女の部屋でこの映画を観た。でも、私が観た映画とミキが観た映画はきっと同じ景色じゃない。だから彼女の観た景色が知りたかった。


 サヨの世界とミキの世界。


 ふたりいれば、世界は広い。



-おわり-

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女と海と映画と女 権俵権助(ごんだわら ごんすけ) @GONDAWARA

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