魔女の贖罪

清見元康

第1話:魔女の贖罪

 かつて厄災の魔女と呼ばれた私は、勇者によって討たれた。

 だが私は幾度となく転生を繰り返し、世界を焼き続ける。


 そうして殺し合いの輪廻を繰り返し――。


 百年近い闇の時代が続いたが、ついにその時代の勇者によって私は敗北を迎えた。


「私は再び蘇る。お前たちは永劫苦しむのだ」


 短い平穏の日々とやらを、恐怖と不安に苛まれながら過ごすが良い。


 不意に、勇者の手が朽ちていく私の体に触れる。

 勇者は、ボロボロと大粒の涙を流していた。


 一瞬、私の思考は止まった。

 その手の暖かさを、知らなかった。


 彼の瞳は、まっすぐに私を見ている。


「あなたの物語が、報われることを祈っている――」


 知らない光が、溢れた。

 この暖かさは、何なのだろう――。


 そして、私の何度目かの生涯は幕を閉じた。



 ※



 視界の先に、自分の小さな手が映り込む。


 ……人間の赤子か。


 また転生したのだ。


 くだらない。


 結局、あの勇者が何を願おうが我らの戦いは続く。

 あの暖かさは、まやかしだ。

 永劫殺し奪い続ける宿命なのだ。


 私の転生は完璧だ。

 記憶と魔力を一切損なわず次へと移行できる。


 勇者にそれは、無い。


 勇者の証である[光の刻印]を後継者に託しているだけだ。


 どうにかしてあの[刻印]をこの世から抹殺しなくてはならないが……。


 私は冷静に状況を分析していく。


 いくつかの綺羅びやかな灯りと赤い絨毯。

 大きく立派なベッドが見える。


 どうやらここは城のようだ。

 今回は、王家の姫君に転生したらしい。


 今までこのパターンが全く無かったわけでは無い。

 かつての王たちはどいつもこいつも搾取することしか考えていない愚か者だった。

 そういった者たちが奪われる側に回った時の顔は、いつ見ても心地いい。


 ならば、今回もそのカス共の顔を拝んでから殺し尽くしてやるとしよう。


 王妃様、と呼ばれた女が私を抱きかかえる。


 いつ殺してやろうか。

 いま、侍女たちの目の前で首を飛ばしてやっても良いが――。


 王が慌ただしくやってくる。

 王妃の名を呼び、目尻に涙を浮かべながら、よくやったと抱きしめる。


 ふと、王妃が言った。


「でもあなた、不安です……。もう何日も雨が振っていません。食料だって――」


 どうやら、この国は飢饉の真っ最中らしい。

 このパターンも、既に見たことがある。

 確かあの時の王は、ならば民にさらなる税を課せば良いと――。


「ならば、我々の食事を削ろう。民と同じものを食べれば良いのだ」


 ……………。


 王妃は、穏やかに頷く。

 ふと、王は天井の灯りを見上げた。


「少々明るすぎるのでは無いか? ここの灯りも削れば、皆に分け与える分もできるはずだ」


 そうして王は、ゆっくりとテラスに足を進める。


「ここからは、皆の暮らしが一望できる。全ての民家の煙突から煙が上がるようになるまで、城の富を分け与え続けようではないか」


 …………今まで見たことが無い王だった。


 だが、所詮は綺麗事だ。

 どいつもこいつも我が身がかわいいのが人間という生き物なのだ。


 そうだ、こうしよう。

 時が経てばこの王もすぐに音を上げ、略奪を始める。

 それこそが、この王の心の内にある醜い本心だ。

 こいつらを殺すのは、その姿を拝んでやってからにしよう。


 その日が来るのが楽しみだ。

 せいぜい苦しめ、愚かな王よ。


 ※



 三歳になった。


 私には教育係がつけられた。


「リミララ姫の教育係となれて光栄です」


 と、やけに幼い女騎士が緊張した様子で頭を下げる。


 リミララ・ジロッド。

 それが王と王妃によってつけられた私の名だった。


 正直なところ、興味無い。

 どうせ数年もすればまた、災厄の魔女と呼ばれるようになるのだ。


 ついでに言えば、格下のカスに何かを教わるつもりは無い。

 私は教育係の女騎士を無視して書庫で本を読み漁ることにした。

 各国の状況を調べ、滅ぼす順番でも決めておこうか。


「……お話は伺っておりましたが、姫様はもう文字をお読みになられるのですね」


 煩いな、殺すか?


 女騎士はやけに目をキラキラさせて私を見ている。

 人間からこういう目を向けられたのは、いつ以来だろうか。

 思い出せない。

 ひょっとしたら生まれて初めてかもしれない。


 ……まあ一応殺すのは王の底を見てからだ。

 我慢しておいてやろう。


「文字如きで一々騒ぐな。お前はただそこに立っていれば良い」


「言葉も流暢にお話になられる。姫様は神童なのやもしれません」


 いや本当に殺すぞ黙れ。


「…………私は読書に集中したいのだ。お前は私の邪魔をするのか?」


 決めた。

 返答次第で今殺す。


「いえ、姫様! ご尊顔を拝させていただきたく思います!」


 ……なんだか返答になっていないような気もするが。


 まあ、良いだろう。

 どうせ短い付き合いだ。


 私は読書を続ける。


 ……どうやら、最後の戦いから千年も経っているらしい。

 基本的に私は五十年から百年の間隔で転生していたため、この時間経過は少々驚いた。


 勇者が私に使ったあの輝きが原因だろうか?

 私の復活を阻害する何かが含まれていたのかもしれないが……。

 しかし、残念ながら私はここにいる。

 奴らの目論見は失敗したというわけだ。


 それにこの状況は好機だ。

 人々は千年もの間に、私との戦い方を忘れたと見える。

 その証拠に、書庫で何冊も本を読み漁ったが、私の名はおとぎ話として登場している程度だ。


 私への備えなど、ろくにできていないはずだ。


 今なら容易く滅ぼせるだろうが――。


 まあ、もうじきだろう。


 王はだいぶ痩せた。

 そろそろヤツも本性を曝け出す頃合いだ。

 どうやって殺してやろうか――。



 ※



 五歳になってしまった。


 王は城の宝物をいくつか売ることで、食料を得ているようだ。

 どこまでも醜く足掻く男だ。


 私は今日も今日とて本を読む。

 流石に千年も経てば、情勢は大きく変わっている。

 知るべきことは多い。


 女騎士は今日も本に飽きてウトウトとしている。

 こいついる意味あるか?

 建前上は私の教育係だろうが。

 せめて起きてろ。


 ふと、書庫の外が慌ただしくなる。

 誰かが来る。

 この微細な魔力は、侍女の一人だろう。

 私の艷やかな白銀の髪をやたらと褒めちぎる女だ。

 殺すのは最後にしてやろう。


 どうやら、やけに焦っているようだ。

 何だ?


 ややあって、書庫の扉が乱暴に開けられる。

 慌てて入ってきた侍女が私を見つけると、ぼろぼろと涙をこぼしはじめた。


「……シグルド王が、お亡くなりになりました」


 一瞬、私は何を言われたのか理解できなかった。


 シグルド、王。

 ああ、そうだ。そういえば王はそんな名だった。

 私は一々殺す相手の名前など、覚えないから――。


 ……死んだ?


 …………誰が、死んだって?


 シグルド、王、が……。


 嫌な汗が、全身に浮かび上がる。


 ――死。


 気がつけば、私は駆け出していた。


 理由は自分でもわからない。

 何故、こんなに焦っているのだろう。

 何故、私はこんなに必死になっているのだろう。


「姫様!」


 背中に女騎士の声が投げかけられる。

 かまっている暇は、無い。


 ただ一刻も早く、駆けつけたかった。


 走って、走って、とにかく急いで。


 途中で私は魔法を使うことを思い出し、速度を上げた。


 私は、シグルド王の寝室の扉を開ける。


 マリエル王妃が顔を伏せ、泣いている。


 シグルド王は、ベッドの上で動かなくなっていた。


 ひょっとして殺されたのか?

 暗殺者が、いたのか?

 こんな小国の、王を?


 私は無言で動かないシグルド王に駆け寄る。


 ふと、気づく。


 ……こんなに、痩せ細った男だったか?


 何だ、これは。

 暗殺では無いのか?


 私以外の誰かに殺され、た、の、なら……。

 …………仇くらいは、討ってやっても良いと、思っていたのに。


 マリエル王妃は、泣いたままだ。


 彼女のお腹は大きい。

 妊娠しているのだ。


 もうじき弟か妹ができると、ララはお姉ちゃんになるのよと嬉しそうに話していたのを覚えている。


 シグルド王の傍らにいた治癒師が、ぽつぽつと語りだす。


 食事をまともに取っていなかった。

 王妃や、育ち盛りの私を優先するよう指示していた。

 そして彼は今日倒れ、そのまま起きなかった。


 ……馬鹿だ、この男は。

 本当に、馬鹿な男だ。

 殺す手間が省けた。

 愚かなこの男は、死ぬまで、与え続けたのだ。


 馬鹿で、馬鹿で――。


 マリエル王妃が、シグルド王の胸で泣きじゃくる。


「私を置いてかないでよ、シグルド……」



 私は、逃げるように駆け出した。

 あの場にいたくなかった。


 なんでこんな気持になっているのだ。

 たかが一人の間抜けが死んだだけだろう。


 そうだ、やつは望んで食事を取らなかった。

 ならばこれは自殺だろう。


 民のため、私と新しい家族のため、やつは命をすり減らし、今日それが尽きたのだ。


 私は展望台を駆け上がる。

 情けないことに、階段の途中で何度か転んだ。

 膝を打ち、頬を擦りむき、それでも私はがむしゃらに走った。


 展望台から外に出て、雲ひとつ無い青空を私はにらみつける。


「あああああああああー!!」


 私は絶叫し、天に向け魔力を解き放った。


 目の奥が熱い。

 喉の奥がぎゅっと締まり、吐く息に嗚咽が交じる。


 やがて青空は淀み、灰色の雲が覆い始めた。


 豪雨では駄目だ。

 嵐にしてはいけない。

 もっと慎重に、生まれたての赤子を撫でるように、魔力を操るのだ。

 優しい優しい恵みの雨が必要だ。


 ゆっくりと、静かに、雨が降り始めた。


 それは私が、生まれて初めて誰かのために使った魔法だった。


 頬を伝う雨粒に、温かい何かが混じる。


 私は、何をやっている。


 何でこんな気持になっている。


 人間なら山程殺してきた。

 男も女も、子供も赤子も、私の前では全てが肉塊となる。

 あの男だけが、特別なわけでは、無いはずだ。

 私は――。


 ……あの男は、私が殺したのか?

 そんなはずは無い。

 私はまだ、何もしていない。

 何も――。


 ……何もしなかったから、死んだ。

 雨なんていつでも降らすことができたのに。

 私には救う術も力もあったのに。


 何故今になって、私はあの男の手のぬくもりを思い出しているのだろう。

 思えばリミララになるまで、誰かに撫でてもらったことなど一度もなかった。


 …………私は、初めてできた父親を、殺したのか?

 もうじき生まれてくる家族から父を奪ったのか?


 母は、泣いていた。

 ならばあの優しい母を泣かしたのは、私、で――。


「姫様!」


 女騎士が、息を切らしてやってくる。


 やがて彼女は空の様子に気づくと驚愕して私を見た。


 一瞬、私は怯えた。

 理由はわからない。

 何かが、途方もなく、怖い。


 女騎士は、私をぎゅっと抱きしめる。


「姫様は、ずっとこの魔法の研究をしていらしたのですね……」


 違う。

 私は、お前たちを、殺すために――。


「……そ、そう、だ」


 だけど、私は嘘をついた。

 罪悪感と、安堵感が心の内でせめぎ合う。

 私は縋るような思いで、更に嘘を重ねた。


「だ、だけど――父、には、間に合わなかった」


 違う。

 父を殺したのは私だ。

 私が、殺したのだ――。


 この城の者たちは、たぶん、良い人たちだ。

 私が父を殺したのだと知れば、彼らはどう思うだろう。

 悲しむだろうか。

 怒るだろうか。


 彼らに、その感情を向けられるのが、怖い。


 私は逃げるように嘘を積み重ねていく。


「騎士カレン、私は、研究を重ね……魔導を、極めた。だ、だが……」


 私は、何を言っているのだ。

 既に父の底は見た。

 ならばもう破壊してしまえばいい。

 滅ぼせばいい。

 さあ、殺せ。

 魔力を解き放て。


「……カレン、教えてくれ。私は何をすれば良かったのだ。どうすれば、正解だったのだ」


 頬を伝う雨粒が熱い。

 視界がゆらぎ、真っ直ぐに前を見ていられない。


「カレン。父、は――私に、何を望んでいたのだ……」


 カレンは、私を優しく抱きしめた。


「陛下は、姫様と、民の幸せを一番に考えていらっしゃいました」


 そうだろう。

 父は、そういう人だ。

 最期まで、ずっと――。


「貴女が幸せになってくだされば、陛下の願いは叶います」


 その言葉はまやかしだ。

 父の願いは私の幸せだけでは無い。

 皆が豊かにならねば、父の願いは叶わない。


「それがきっと、陛下の望みでございます」


 嘘を付くな。

 そうやって、私を慰めようとするな。

 お前は、嘘つきだ。


 私は思わず、カレンを突き飛ばした。


「お前は、私を馬鹿にするのか!」


 カレンは困惑した様子で私を見る。


「で、ですが、陛下の願いは――」


「私の力は見ただろう! だったら言えば良い! 魔力を使い、これからも雨を降らせと! 民を守れと!」


「それでは姫様の未来が曇ってしまいます! ただ尽くすだけの人生など、陛下は望んでおられません!」


「父はそうだったろうがァ!!」


 爆発した感情で声が震える。

 喉が掠れて、痛い。


 カレンは私を諭すように、優しく手を握り、言った。


「姫様には、もうじき新しいご家族ができます」


 知っている。

 父と母の、子だ。

 つまりそれは、私の――。


「姫様が未来に絶望しておられるのでしたら――守って差し上げてください。弱くて小さな、命です」


「……尽くせと言ったり、尽くすなと言ったり、何なのだお前は」


 教育係の癖して、私に何かを教えたことは無い。

 いつもいつも、ただ私の隣にいるだけで、何もしない女。


「姫様は、道に迷っておられるのです。誰かに尽くすことが、姫様の救いになるのでしたら、今は――」


「それはまやかしだ。誤魔化して、逃げているだけだ」


「逃げることの何がいけないのですか。つらくて、悲しければ、何かに縋ることだってございましょう」


「……この私に、他人に縋れと言うのか」


「それが家族というものです」


 私に、家族……。


 カレンが、私を優しく抱く。


「今は、このカレンの言葉に惑わされてください。姫様のお心は、きっと時間が癒やしてくださいます」


 不思議と、カレンの言葉は私の心を落ち着かせてくれた。

 他人に尽くすことが自分をも救うなどと、わけがわからない。

 だが、母ともうじき生まれる新しい命のことを思うと、なぜだか心は穏やかになる。


 理屈はわからなくとも。

 理解できなくとも。

 微かに溢れたこの暖かさだけは、事実だった。



 ※


 私は、嘘をつき続けた。

 幼いころから書庫にこもっていたのは、父を救うため。

 家族を救うため。

 民を救うため。


 ……自分が嫌になる。


 だが、その嘘に救われている自分もいるのだ。

 同時に、真実が暴かれることへの恐怖も日に日に大きくなっていく。


 この国では七歳になると、[祝福の儀]が行われる。


 ならば、そこがタイムリミットだ。

 二年後の[祝福の儀]で、[闇の刻印]が私に発現する。

 そしていずれ、[光の刻印]を宿す勇者に討たれるのだろう。


 ……死ぬのが、怖い。

 こんな感覚はいつ以来だろう。

 殺されるその時を想像するだけで、怖くて怖くて眠れなくなる。


 魂は不滅だと言うのに……。


 私は、『今』が失われるのを恐れているのだ。


 私は恐怖と不安から逃れるようにして、魔導書を書き続ける。

 これは、この国の治癒師のための教本だ。

 既に魔導師向けの魔導書はいくつか書き終えている。


 私の魔導書は、非常に好評だった。

 私からすれば児戯たる魔導書に過ぎないのだが、国の魔導師からすれば未知の魔法が記された偉大な書となる。


 ……私がいなくなった後、私以外の誰かが、母と、もうじき生まれる家族を守るのだ。


 時間は待ってくれない。

 少しでも多くの知を、後世に残さなくては――。


 書庫の外が、慌ただしくなる。

 私は父の死を思い出し一瞬怯えたが、近づいてくる侍女の魔力が喜びを讃えているのを感じ、安堵する。


 ならば、あれしかあるまい。


 私は筆を置き、傍らで机に突っ伏し寝ているカレンの足を蹴る。


「ふあっ!? な、なんですか!? 誰ですか!?」


 慌てふためくカレンを無視して、私は扉に視線を向ける。


 と、慌ててやってきた侍女が私を見つけると、ぱあっと笑顔になる。


「姫様! お生まれになりました! 元気な双子の赤ちゃんです!」


 既に、魔力の感覚で双子なのはわかっていた。

 男の子と、女の子だ。


「ン、わかった。良く伝えてくれたな、マーサ」


 侍女のマーサを労ってから、私は椅子から立ち上がる。


「母の元へ行く。カレン、お前も来い」


「は、はい!」


「……よだれはちゃんと拭け。皆の前では真面目な騎士を気取っているのだろう?」


「うっ……。し、失礼しました」


「良い。今更だ」


 私はカレンを連れ、母の元へと向かう。

 足取りが少しばかり軽やかになっているのは自覚している。

 浮かれている自分が情けない。


 きょうだい、か――。


 私は寝室の扉を開ける。


「リミララ、参りました」


 母はベッドの上で、二人の小さな赤子を抱いていた。


 ……私は、父の死以来、母の目を見れない。

 心の内を見透かされるのが怖い。

 この人にだけは父の死の真相を知られたくないと、思ってしまっている。


 ……本当に、情けない。


 赤子は、小さく愛らしかった。

 血を分けた、家族。

 誰よりも弱く、守らなければいけない存在。


 男の子がアシェル、女の子がセラフィータと名付けられた。


 後どれだけ一緒にいられるのだろう。


 魔導書だけでは、足らない。


 ……そうだ、魔道具だ。

 魔道具を作るためのルーン文字を皆に残そう。

 これならば農具にも使えるし、剣や武器にも使える。


 それから、それから――。



 ※



 少しずつ、国は豊かになっていく。


 私が直接ルーン文字を刻み込んだ[土のゴーレム]は、国の魔導師でも何とか製造可能になった。

 おかげで量産体制に入り、各農村に配られた。

 簡単な農作業や、害獣の駆除に役立ってくれているようだ。


 だが、魔狼や怪鳥と戦える[石のゴーレム]の製造は苦戦している。

 なるべく簡単なものを手本として数体作って見せたのだが、魔導師たちには難しいらしい。


 まだまだ、やるべきことは。

 私がいなくても、飢饉を乗り切る力が必要だ。


 探知魔法の改良も行った。

 おかげで地中の奥深くの水源を探し、井戸を増やすことに成功している。


 先月から、国が所有する山脈の水源から川を引く作業を開始した。

 土魔法を駆使し、少しずつ、少しずつ治水を行っていく。


 どうやら山脈には非常に危険な魔獣が多数生息しているので、一帯は手つかずだったらしい。


 無論、被害を一切出さずに全てを制圧した。

 私にかかれば容易いものだ。

 一部に調教が可能な魔獣がいたため、拘束魔法を施してから魔獣使いに任せた。

 家畜化ができれば、より多くの富を国にもたらしてくれるだろう。



 ※



 私が六歳になる頃には、山脈から流れる大河は荒れ地に繋がり、かつての枯れた大地は大きな大きな湖へと変貌を遂げた。


 時間が無い。

 あと、一年――。


 嫌だ。家族と、離れたくない。

 アシェルもセラフィータも、あんなに可愛いのに、もうじき会えなくなってしまう……。


 私は逃げるようにして、日々の業務に没頭した。


 魔導師たちは、[鋼のゴーレム]までなら何とか量産できるようになった。

 だが一体の製造に時間がかかるため、基本は[土]と[石]がメインだ。


[鋼のゴーレム]は、主に拠点防衛用として運営することになりそうだ。


 魔道具も増えた。

 今では城の灯りも、魔法の灯りになっている。


 流石に全ての民家にはまだ行き届いていないが、量産体制は整いつつあるため時間の問題だろう。


 ――時間。


 時間、時間、時間。


 後一年しかない。


 恐怖と不安で、筆を持つ手が止まる。

 一刻も早く、次の魔導書を完成させなくてはならないと言うのに……。


 ふと、隣で恋愛小説を読んでいたカレンが言う。


「来年が楽しみですねぇ、姫様っ」


 蹴るぞこいつ。


「きっと姫様には[刻印]が発現しますよ! 私が保証します!」


 強大な魔力を持つ者には、様々な属性を宿した[刻印]が発現する。

 だから、普通の人々は[祝福の儀]を心待ちにするのだ。


「教会も注目してるんですよ! わざわざ[祝福の儀]に教皇様が来るなんて滅多に無いことですしっ!」


「……憶測でものを語るな馬鹿者」


「教皇様が来るのは事実ですのでっ!」


「[刻印]の話だ」


「なんですぅ姫様? ひょっとして気にしていらっしゃるんですか? んふふー姫様ったら、可愛い――痛ったあ!?」


「これ以上蹴られたくなければ私の仕事の邪魔をするな」


 そうは言ったものの、私の手は止まったままだ。


「……カレン、は……私に[闇の刻印]が宿ったら、どうする……?」


 すると、カレンは優しく笑って私の頭を撫でる。


「私も七歳の時はそうでしたよ。自分に[闇]が宿ったらどうしようって。けど、そうはならなかった。千年もの間、ずっとです」


 ――だが、私はここにいる。


 結局、私は不安を抱えたまま日々を過ごし――。


 七歳の誕生日を、迎えた。



 ※



 [祝福の儀]が、執り行われる。

 聖堂には、七歳の子どもたちが集まっている。

 私は我儘を言って、儀式の順番を一番最後に回してもらった。


 子どもたちが、それぞれ教皇に祝福され、それぞれが身に宿す[属性]を明らかにしていく。

 子どもたちは、皆親に抱かれたり、撫でられたりしながら自分の[属性]を自慢しあっている。

 彼らの未来は、これから始まるのだろう。


 だが流石に[刻印]を発言させるほどの子はいなかったようだ。


 そしていよいよ、私の番となる。


 さあ、と教皇に促され、私は足がすくんだ。


 体が動かない。

 この場から、逃げ出したくてたまらない。


 ふと、傍らにいた母が私の肩をそっと抱いた。


「大丈夫。ララに[闇]が宿っても、母は貴女を愛しますよ」


 それは気休めだ。

 実際に宿れば、世界は許さないだろう。

 例え母だろうと……。


 それでも、私はどこか安心を覚えてしまった。

 母のまやかしに、縋ったのだ。


 私は、足を一歩踏み出す。


 教皇が聖杖を掲げ、祝福を、と述べる。


 私は内側に潜めていた魔力を無理やり引き出された。


 バチン、バチンと魔力が爆ぜ、聖堂内の燭台の炎が魔力を帯び、青白い輝きを放つ。


 教皇が驚愕し、後ずさった。


「な、なんと……」


 溢れた魔力が目も眩むほどの閃光となり、全てが私の中に収束していく。


 そうして、淡い光を讃えながら私の左手に[刻印]が現れた。


 私は、言葉を失った。

 知らない現象。

 知らない輝き。

 暖かさを感じる、不思議な魔力。


 教皇は私の左手を見ると、目を見開いた。


「[光の刻印]――」


 周囲から、困惑した様子の声が漏れる。


「……聖女様だ」


「千年ぶりの、本物の、聖女様……」


「[光の刻印]の……、あ、あれが――」


 頭の中が真っ白になり、私はある男の言葉を思い出す。


『あなたの物語が、報われることを祈っている』


 ……彼は、預言者たちの間で[最後の勇者]と呼ばれていた。

 かつての私の配下は、彼の代で勇者が途絶え、私が完全勝利するからだと息巻いていた。

 人間たちは、彼の代で私が終わり、永久の平和が訪れるのだと捉えていた。


 ようやく、私は理解する。

 ――彼は……勇者は、私に[光の刻印]を託したのだ。


 理由はわからない。

 もう千年も前の話だ。

 彼が何を見て、何を感じ、このような判断に至ったのかなど、わかるわけがない。


 ただそれでも、私は今、救われた。

 ……救われてしまったのだ。



 ※



 [祝福の儀]を終えた後は、大変だった。


 [光の刻印]を宿した[本物の聖女]という肩書の力は凄まじく、結果として私は七歳にして帝国の貴族や教会を相手取り、政治に明け暮れる羽目になった。


 カレンは同情しているようだが、私は自分が不幸だとは思っていない。


 国はどんどん豊かになっていく。

 幼い聖女として子供のような綺麗事を述べながら、[石のゴーレム]を労働力として帝国に販売し、国庫の金貨は莫大な量となった。


 傍ら、私は配下の騎士団に[対ゴーレム用戦術]を新たに学ばせる。

 見ず知らずの他人など、信用できるものではない。


 海を挟んだ遠い国からも、聖女として迎えたいと誘いがあった。

 帝国の王子からの婚姻もあった。

 全てを蹴り、私は国を豊かにするために奔走した。


 やがて彼らは、私が国を捨てるつもりが無いことを理解し、条件を変えてくる。

 中には、私が飲まざるを得ないものもあった。

 喉から手が出るほど欲しいものもあった。


 奪ってしまえればどんなに楽なことかと考えるが、結局私は大臣らに助けられながら、姫として、聖女としての最善を尽くすだけにとどまった。



 早朝、私はテラスに立ち街の様子を見下ろしてみた。

 人口はかなり増えた。

 街並みはレンガ造りに様変わりし、道も舗装された。

 大都市、と言っても過言では無いほどに発展したのだ。

 やがて全ての民家の煙突から煙が上がり始める。


 父の死から五年が経ち、私は十歳になっていた。


 弟妹は、もう五歳になった。

 明るくて賢くて良い子たちに育ってくれたのは、カレンを始めとする教育係の努力の成果なのだろう。

 だけど二人には、父親がいない。


 ――私の、所為で。


 二人を健やかに育てることが、私の償いなのかもしれない。


 そこまで考えてから、ああそうかとようやく理解した。

 ……私はずっと、許されたかったのだ。

 奪ってきた命に、あるいは見殺しにした父に――。


 私が聖女なのは嘘だ。


 だけどその嘘を貫き通せば、いつかは本当の聖女になれるかもしれない。


 ……許されるかもしれない。


 私は眼下に広がる街並みに一度ぺこりと頭を下げてから、踵を返す。


 まずは朝食を食べてから考えよう。

 やるべきことは山ほどある。

 そして私にしかできないことは、それ以上にあるのだ。


 聖女として、かつて厄災の魔女と呼ばれた者として、きっと――。

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