本の城からの招待状
かえる侯爵
第1話
とある資産家が死んだ。彼の名はアルフレッド、小説家であり熱心な本のコレクターであった。
彼の屋敷は蒐集した本で溢れかえっている。書斎はもちろん寝室、ダイニング、別館の本棚は隙間なく埋められていた。本棚に収まりきらない本は無造作に積まれていた、ただその積まれた本は大人の身長を遥かに超える程高く高く積み上げられ無数の本の塔を作り上げていた。それは屋敷の外の庭先にまで形成され、塀の外から見ても本の塔がはっきりと確認できた。その光景に周囲から彼の屋敷は本の城と呼ばれていた。
アルフレッドは死の間際に5人の友人に手紙を送っていた。身寄りのいなかった彼は手紙に「私が死んだ折には、好きな本を1冊持っていくと良い」と書き記していた。
死の翌日、彼の屋敷には5人の友人と見届け人である弁護士が集まった。
「皆様よくお集まりいただきました。故アルフレッドより此度の件に関して一任されました、弁護士のエドワードと申します」
「これはこれは館長も呼ばれましたか」
お腹がはちきれんばかり膨らんだ白いシャツに黒のスーツを着た、恰幅の良すぎる男が軽快な笑い声をあげる。この町の町長だ。
「お久しぶりでございます町長さん」
細型の長身で銀色の片眼鏡をかけ、シルクハットが似合う男が丁寧な言葉で応える。博物館の館長だ。
「部長また融資の件よろしく頼むぞ」
腰は少し折り曲がり整った白い髭をたくわえ、いかにも医者という白いコートをゆるく羽織る男が威厳ありげに物を言う。国立病院の医長だ。
「え〜え〜任せてください先生」
みるからに高級そうなストライプ柄のスーツをシワひとつなくビシッと着こなし、金ピカの腕時計が眩しく光る男が低姿勢に話す。中央銀行の部長だ。
名だたる町の名士面々が顔を揃えて談笑を交わしている。その中で1人隣家に住む少年ニュートンがおどおどしながらエドワードに尋ねた。
「エドワードさん、僕なんかが呼ばれて大丈夫なのでしょうか」
「はい、ニュートン様はアルフレッドの大切なご友人と伺っておりますので大丈夫ですよ」
エドワードは優しい笑顔で応えてくれたが、4人の名士達から向けられる視線を感じニュートンは顔を背けた。
「さて皆様、手紙に同封されていた同意書はお持ちいただけたでしょうか?」
5人は手紙に同封された同意書を取り出した。同意書には本を譲る際の条件が1つだけ記載されていた「本探しの際、自身が怪我を負っても一切の責任は持たない」と。
「はっ、たかが本探しで怪我するやつがいるか」
「そういえば昔この屋敷に入った泥棒が本に挟まれて大怪我して御用になったとか」
「はっ、とんだまぬけな泥棒だのぉ」
「まさか私らが知らない罠とか仕掛けられているのですか?」
「いえ、そういう類のものは一切ございませんのでご安心を」
4人は安堵した表情を浮かべ俄然やる気を漲らせ、ニュートンは不安げな表情を滲ませていた。
「それでは時間になりましたので皆様心ゆくまで本を1冊お探し下さい」
5人はぞろぞろと本の城の中へと足を踏み入れる。広々としたエントランスのはずが大量の本の塔によってとても窮屈に感じられた。しかし、幾度か本の城に招かれている5人にとっては見慣れた景色、本の塔の間を縫うようにスイスイと進んでいった。
本の城には子供の絵本から大衆雑誌、卑俗な成人本にマニア垂涎の小説、博物館クラスの資料と国宝クラスの古書まで古今東西ありとあらゆる本が揃っている。
ただ5人とも探す本は既に決まっていた「a pile of books」という本だ。積まれた本と題されたその本は1冊で数億の価値があるとクラークが生前に周囲に吹聴していた。本の城の中で1番価値の高いだろう本を皆が狙っていた。しかし、題名は分かっていても素材、色、大きさ、形、装丁、内容まであらゆることが分からない代物であった。
町長は書斎を調べた。本丸にこそ目当ての本が保存されていると睨んだ。本棚にはぎっしり詰められた本、それを覆い隠すように天井まで積まれた本の塔がいくつも揺れていた。
本棚の最上段に一際豪華な装丁の本を見つけた。
本棚を昇る梯子は見当たらない、町長は仕方なく本の塔をよじ登り手を伸ばす。グラグラ揺れる本の塔にバランスを崩し、勢いよく床に落ちてしまった。
その衝撃で周りの本が町長目掛けて一斉に落ちてくる。
町長は大量の本の中に埋もれてしまった。
館長は寝室を調べた。大事な本は寝る時でさえ肌身離さないだろうと読んだ。ベッドの周りにベッドの上それからベッドの下まで所狭しと本の塔が出来上がっている。
ベッド上の本の塔の中程に一番色鮮やかな本を見つけた。その本を掴み引き抜こうとする、バラバラと上から落ちてくる本を避けながら慎重にかつ力を入れて引っ張る。
館長はもう少しで抜けそうだと最後の力を入れて引こうとした時、床に散らばった本に足を滑らせた。
館長はベッドの淵に頭を打ちつけ気絶してしまった。
医長はダイニングを調べた。高価な本は意外な場所に保管してあると考えた。長い大きなダイニングテーブル、備え付けてある10脚の椅子、食器棚、窓際、暖炉まで置ける場所全てに本の塔が形成されていた。
テーブルの上に積み上げられた本の塔の天辺にとりわけ巨大な本を見つけた。
本の塔を崩してから取ろうと思いっきり本の塔を蹴った。蹴られた塔は傾き倒れて隣の塔に寄りかかる、やがてドミノ倒しのように繋がって塔が次々と倒れていく。ダイニングを一周して倒れてきた塔は巨大な本の積まれた塔を薙ぎ倒す。
医長は思惑通りに落ちてきた巨大な本を受け取ろうと手を差し伸べる。
医長は自分の体よりも大きな本に潰されてしまった。
部長は別館を調べた。隠したい本は最も遠い場所に置くと踏んだ。2階建ての別館は吹き抜けになっていて真ん中に螺旋階段があり、相変わらず本の塔が階段一段ごとに積まれていた。
1階から2階まで突き上がる程積み上がった塔に異様に古びた本を見つけた。
部長は螺旋階段を登り、目一杯身を乗り出し手を伸ばして本を取ろうとした。
体が千切れんばかりの悲鳴をあげながらギリギリ本に手が届いたが無惨にも本は破れてしまう。
部長は2階から真っ逆さまに落ちてしまった。
ニュートンは屋敷に入った後書斎、寝室、ダイニング、別館と順繰りに回っていた。名士方々が必死になって本を探している隣で一部屋一部屋に詰まったアルフレッドとの思い出に想い馳せていた。
初めて屋敷に招かれアルフレッドと出会った書斎、アルフレッドと朝まで読み明かした寝室、アルフレッドと食事を共にしたダイニング、アルフレッドとのかくれんぼに使った別館。
一通り屋敷を周った後に庭先へ足を運んだ。ここはいつもアルフレッドと本を読み合った場所、丸い机にゆりかごの様に揺れる椅子が2つと日除けのパラソル、緑の中に真っ赤に映える実を宿した1本のりんごの木。外にも関わらずここにも沢山の本が山積みされている。風で揺れる椅子に先日まで元気だったアルフレッドを思い出しニュートンは涙を浮かべた。
ふと机に目をやると1冊だけ積まれずに置いてある本を見つけた。普段は飲み物と読みかけの本を置くだけの机。アルフレッドは読んだ本も読まなかった本も決まって本の塔に置き戻す、それは片付け忘れたものではない。
その本は「a pile of books」と記されていた、本を手に取り中を開けると日記が書かれていた。「a pile of books」とは何の変哲もないアルフレッドの日記帳であった。ニュートンはアルフレッドの死の前日、最後に書かれた日記を読んだ。
"この天高く積まれた本は空っぽな1冊の本を読むより多くの本を集めたくなる衝動を生み出す。
我々はたとえ読まなくとも、たった1冊の本の存在感が慰めをもたらすし、いつでも手に取れる安心感ももたらしてくれるし、かけがえのない本当の友人も呼んでくれる。だから私は本を愛している、君を愛している。"
大怪我を負った4人がそぞろに息も絶え絶えながら屋敷から這い出てきた。口々に文句を言いながらエドワードに食ってかかっていた。
エドワードは4人から渡された同意書を掲げ、口を紡いで首を横に振る。4人は辛くも手にした高価とは言い難い本を手にとぼとぼ本の城を後にしていった。
「アルフレッドはその本を見つけたお方に本の城の一切を譲ると遺言を残しております」
ニュートンはいつ間にか背後にいたエドワードの声にハッと身体が反応した。後ろをゆっくり振り返りエドワードに問いかけた。
「エドワードさん、僕はアルフレッドの望む友人になれたでしょうか」
「えぇ、きっと満足されたと思いますよ。諸々の事後処理は私にお任せください」
精悍な顔つきのニュートンにエドワードは優しい笑顔で「ご苦労様でした、ごゆっくり」と言い残し離れて行こうとした。
「あっエドワードさんも1冊好きな本を持っていかれては?」
「ありがたいですが、私は先に頂いた手付金で十分です。それに私も落ちたり落とされたりはごめんです」
「もし次に僕が死んだら誰に相続されるかなんてまどろっこしい事はせず図書館にでもしてもらおうかな」
「ははは、それは良い案ですね」
「それでは」と軽く会釈をしてエドワードは屋敷を出ていった。
ニュートンは机の上に日記帳を置き、椅子に座ってユラユラ揺れながら本の塔を眺めた。読んだ本も読まなかった本もそのひとつひとつにアルフレッドとの思い出が積み重なっているように思えた。徐ろに鞄から数冊の古びた本を取り出し日記帳の上に積み上げた。
本の城からの招待状 かえる侯爵 @kaeru_no_koe
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