バージンロード
つゆくさ。
バージンロード
つとつと。雨音が窓を叩く。
私の後ろでは友人達が今日の式について話をしている。それはまるで、自分達が今日の主役にでもなったかのような顔で。
「せっかくの結婚式が雨だなんて、ついてない」
「でもさー、祝福の雨っていうのも聞くよ?」
ゲラゲラと、出で立ちからは想像も出来ない下品な笑い声を立てる彼女達はまごう事なき、私の友人だ。
友人というのが、知り合いで、かつよく話をする関係で、更に言えばそれとなく自分の身の上話を話せる、という定義があるのならば、だが。
主役の私を放置して、自分達だけで話に花を咲かせている彼女らは、本当に友なのだろうか。
本当に、この結婚を祝ってくれる人は、この会場にいるのだろうか。
その問いかけも、自分の心に突き刺さり、そして棘がやる気を失ったかのように落ちていく。心の底に落ちたとき、チクンと、胸が痛んだ。
その感覚を、私は今日以前に知っている。
――2015年、10月15日。
それは今日と同じで雨が降っていた日だった。そう、母の死んだ日だ。
言葉で、文章で言ってしまえば、たった七文字。七文字で人が死ぬのだから面白い。
その、七文字の中に、私の叫びも、嘆きも、全て込めて捨てることが出来れば良かったのに。
あの日から母のいない生活が始まった。
あの日から、母はいない。そう、娘の最大の晴れ舞台、結婚式にすら、母はいないのだ。
後ろにいる彼女達はどうだろう。母を亡くした、と聞いたこともない。きっと、母親は健在なのだろう。
私はそれを羨ましくも思うし、妬ましくも思う、けれど、それ以上に、優越感に浸るのだ。
私には母がいないから、同居問題も、跡継ぎ問題も、老後の面倒もない。優越感でしか、彼女達に勝つことが出来ないのだ、そんなことは知っている。
けれど、私を優越感に浸らせるもの、それが彼女達が嘆く雨だった。
母がいなくなった日、それはもう土砂降りの雨だった。
よくある話だ。母は馬鹿が運転する車に轢かれたのだ。――その横で、私は無傷で立っていた。
これもよくある話だ。母が私を突き飛ばして、守ってくれたのだ。なんてことない、よくある話だ。
それからまたよくある話で、私が母を亡くして塞ぎ込んでしまった。
母がいなくなった日、恋人と挨拶をして、年内に式を挙げよう、と相談していたにも関わらず、不安定になってしまった私は、自分自身の手で、幸せを放棄したのだ。
――本当に、よくある話だ。
母は、あの日、なんといったか。黙り込む父を前に、母は一人、私に、なんといったか。
「あなたはその人に守って貰うんじゃないの、二人でお互いの人生を背負っていくのよ」
そう何度も、二人よ、と。
助け合うのよ、と。
それだけを言って、お茶を淹れてくれた。
そんな母が、恋人と父で話をさせる為に私と二人、ケーキを買いに出た。
小さくなった母の背を少し後ろから眺めながら何度も考えたっけ。
――ねぇ、お母さん、お母さんはお父さんの人生を背負ってるの?
母は、自分の結婚生活で何を思い、何を私に伝えたいのか、一人母の後ろを歩きながら考えた。
ケーキ屋につくと、ホールケーキを母が買い、
「結婚式の時はもっと大きいケーキをお願いね」なんて、下手なウィンクを私に向けてきた。
そのケーキ屋を出たとき、本当にドンピシャのタイミングで、雨が降ってきた。一歩進めば風が吹き、一歩進めば、雨粒が顔に飛んできて。
そして、車も私達の視界に飛んできた。
一瞬、体が舞ったかと思えば、母は血まみれで倒れていて、手にあったホールケーキはぐしゃぐしゃに潰れて泥だらけだ。
「……よか、た」
声がして、母を振り返ると、私が目が合うと一瞬笑い、目を閉じて動かなくなった。
周りからは人の叫び声と、携帯で救急車を呼ぶ音。けれど、私の耳が必死に捉えようとしたのは、ただの雨粒だった。
横に潰れたケーキから転がった割れたプレートには【おめでとう!】
何がおめでとうだ、と冷静に思ったのを、今でも覚えている。
そんな、私が、今日、結婚式を迎えた。一番祝って貰いたい人がいないのに。
恋人は「お義母さんもきっと喜ぶよ」なんて、決まり切った言葉で私を説得した。
私は、本当は式なんて挙げたくなかったのだ。それなのに恋人は張り切って一人で準備していた。――この人も、自分だけの為に祝いたいのだろうか、なんてカタログを読みあさる背中を眺めた。
そうやって人任せの準備。だから周りの友人達も勝手に集まって、好き勝手話をしている。私には、祝ってくれる人なんて、もういないのだ。
「新婦様、ご準備は出来ましたか?」
係員が声をかけてくる。
「とうとうね!」
「幸せになりなさいよ!」
「ブーケちょうだーい」
彼女達も言いたいことを言って部屋から出て行ってしまった。
母のいない結婚式。私の心も、もういない。
「はい」
一言私より幸せそうな係の人に返事をして、席を立つ、その後ろで、雨は激しさを増していた。
重い扉の前に立ち、あちら側の様子を想像する。
先ほどの彼女達は携帯をちらつかせてでもいるのだろうか、それともまたメイクを直しているのだろうか。
恋人は緊張した面持ちに違いない、それでも自分に失敗は許されないとプレッシャーをかけている筈だ。
重い扉を開き、一気に視線が私に集中する。
その瞬間に頭からフラワーシャワーが舞ってきた。
それは、シャワーというよりも、花も青いせいか土砂降りそのもので、あの日を思い出す、けれど、参加者一同が手に持っていた、ソレに、――母がいた。
【おめでとう!】
【おめでとう!】
【おめでとう!】……
あの日、あの店のホールケーキを、全員が持っていたのだ。
土砂降りの中、道路に叩き付けられて、あの割れていたプレートが乗ったケーキを、皆が大事そうに両手で抱えて、笑っていた。
その笑顔は、まるで、母で、私を祝う人で。
「やだっ、シャワー止めてー、ケーキ食べられなくなっちゃうじゃん!」
「美味しそうだよね、このケーキ」
「本当は大きいケーキにしようかなーって相談されたけどね」
こっちで良かったんじゃない?
そう声を掛けられる恋人は少し照れたように笑って、
「うん、でもまぁ、お義母さんが食べさせたかったケーキかなって思って」
「……お義母さんは、大きいケーキがいいって、言ったわ」
私が必死に涙を堪えて、呟くと、
「うん、そうだね。でも、僕はあの日のお義母さんにも祝って欲しかったんだ。僕のお嫁さんを守ってくれた、お義母さんに」
だから。
「だから、これから何度もケーキを食べよう。……君は、甘い物がそんなに得意じゃないから、困るかもしれないけど、僕はいっぱいケーキを食べたい。大きいケーキも、小さいケーキも」
恋人が、――私の家族となった人がしっかりと手を握って顔をのぞき込んでくる。
「僕にも君の人生を背負わせて。君だけが苦しいのなんて嫌だよ。ずっと、ずっと、一緒にケーキを食べよう。何でもない日も、喧嘩した日も、記念日にも。ずっと一緒にケーキを食べて欲しい」
「ケーキは、うまい」
「ちょっとー、あんたの父もなんか言ってるわよー」
「……認知症入ってきたから」
「ちょっとおじさーん、ケーキまだ食べちゃだめだよー」
認知症の入った父が、自分で手に持っていたケーキを一人、食べ始めたのだ。
「なぁ、母さん、うまいなぁ」
私はあの日食べることが出来なかったケーキを、母のいない結婚式で食べることになた。
けれど、そこには私の幸せを祝う人達で溢れかえっていて。
私はゆっくりとバージンロードの上を歩く。
一歩、また一歩と、幸せに向かって歩き出す。
私の幸せを一番に祈っていた人はもういない。
だって、私は自分の足で、周りを信じて、自分で歩んでいかなければならない。
この人と、二人で。
バージンロード つゆくさ。 @itiitiuu6631
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