拾玖 指摘
平日は三年生に編入した看護婦教育所へ、週末は洋館へ、と休むことなく通う日々が続いたある日、美冬は唐突にアイスクリンが食べたいと呟いた。
日中は暑く、日が沈めば肌寒い、着物に悩む時期だ。軍服の詰め襟に指をさし込んでいた佐久田は胡乱な目を美冬に向ける。
「しこたま冷えたのに、まだ冷えるつもりですか」
彼自身もしこたま冷えたはずなのに、額にはうっすらと汗をかいていた。
「あなたにはわからないでしょうけど、異能を使うと体を動かした後のように熱くなるのよ。ついでにアイスクリンをご馳走してあげるから、黙ってついてらっしゃい」
美冬は首の汗にハンカチーフを当てながら、佐久田を黙らせた。下級軍人の月給が簡単に飛んでいくアイスクリンは限られた者しか食べれない代物だ。
走り抜ける心地よい風に髪をなびかせた美冬は佐久田を無視して、運転手にパーラーに行けと命じた。
新たに雇い入れた運転手は文句一つ言わずに行きつけに進行方向を切る。
パーラーについた美冬と佐久田は二階の席に案内され、早々に注文を済ませた。
戦時中とはいえ、子連れや裕福そうな老夫婦達で席が埋まる人気店だ。足の細い椅子や、猫足の丸机が並ぶ二階からは通りの往来がよく見えた。
話す気力も使い果たしていた美冬はつまらなそうに眺める。できるならば頬杖をつきたい所だが、女学校で一番になりたくて、癖づいた姿勢がそれを許さなかった。
黒い頭ばかりが行き交う中、異色を見つけた美冬は軽く目を見張る。
「珍しいわね、あんなに濃い金髪なんて」
「ミアカーフ卿を世話している人じゃないですか?」
「お前、そんなことまで知ってるの」
「お嬢に関わることなので、一応ひと通りは」
「一応は余計でしょう」
美冬の半眼を佐久田は、来ましたよと素知らぬ顔で流した。
美冬の頼んだアイスクリンと佐久田の頼んだアイスクリンソーダ水が配膳される。
「主人を差し置いて、いいものを頼む従者は恥ずかしくないのかしら」
「おいしいものに罪はありません。至極まじめに働く男にお目こぼしをくださってもバチは当たりませんよ」
「減らない口ね」
「溶けますよ」
そう切り返した佐久田は早速、アイスクリンに狙いを定めていた。
美冬も手元に視線を落とし、スプーンを握る。
アイスクリンには見目にも涼しげなガラス皿にのっていた。乳白色に近い、黄みがかった愛らしい色。きめ細かい表面には霜がついており、口に入れずともその冷たさが伝わった。みかんを半分に割ったような可愛らしい形を飾るのは薄いガラスで作られた皿だ。ガラスの中に残る小さな泡がアイスクリンをより引き立てる。
皿に手を添え、スプーンを差し込めば、まだ固いアイスクリンの表面だけ削れる。かつお節の端のようなわずかな欠片を口に放り込んだ美冬は口に広がる甘さと冷たさに満足した。
溶け終わる瞬間にレモンのさわやかな香りが鼻を抜ける。口に広がるまろやかな甘みを飲み込めば、満足したはずなのに、もっとと舌が訴えた。冷たくて、甘い。甘くて、冷たい。最後のひと匙を名残惜しく口に入れようとして、目の前の男の様子が可笑しいことにやっと気が付いた。
「どうしたの、急に止まって」
美冬の言及にいやぁ、はは、と佐久田はわかりやすくごまかした。
最後の一口を放り込んだ美冬はつまらなそうに口を尖らす。
「ちゃんと言わないなら、金を払ってやらないわよ」
「横暴ですよッ」
「お前が、ちゃあんと答えればいいだけでしょう」
佐久田の悲鳴に美冬は意地悪く笑って急かした。
佐久田にしては珍しく、歯切れ悪くとつとつと言葉がこぼれる。
「……恨まれるなと思っただけですよ」
「誰に」
「……弟に」
形の崩れたアイスクリンはソーダ水を白く濁らせていた。
アイスクリンを行儀悪くスプーンでつつく佐久田に美冬は容赦をしない。
「弟なんていたのね。全然、お兄さんっぽくないわよ」
でしょうね、と力なく笑った佐久田はスプーンを動かして話を終わりにした。
その様子に何を言うでもなく、美冬は眺める。羨まれる、ではなく恨まれるなんて早々ない。何があったのか気になる所ではあるが言及しないでおいた。線引きされたように感じたからだ。
無害な笑顔に絆されそうになるが、佐久田は距離を間違えることはない。いつだって、言ってはいけないことを履き違えない男だ。
言及しても、何も得るものはないだろう。
興ざめした美冬は通りを見下ろす。やはり、濃い金髪の青年はまだそこにいて、つけられているという推測が浮上した。。
どう対処するか、決める時間は無かった。美冬が呆れるほどに、佐久田の食べる時間が短いからだ。
二対一でなおかつ人通りの多い道だ。佐久田も過剰に警戒しているわけでもない。車までの距離で何かされることはないだろうと美冬は読んで、連れだっては席を離れた。
支払いを済ませた二人は店を出て、目を瞬くことになる。目線の先には蒲公英のような金髪をもつ青年が立っていた。
一瞬で美冬の前に出た佐久田は、何かとするどく訊く。
「フィンは生きていますか」
気まずそうに蒲公英色の頭をかきながら、なんのことはないを問われた。
なぜ美冬達がフィンの所に通っていると知っているのか問いただしたい所ではあるが、それよりも言ってやりたいことがある。顔色を変えた美冬は、前に出た。文句を言いたそうな佐久田を押しよけ、軽く息を吸って言い放つ。
「心配なら帰りなさいよ」
「帰りたくはありません」
「いい歳して、子供のようなことを言うのね。つまらない意地をはっていると、あそこ、お化け屋敷になるわよ」
いけしゃあしゃあと言われ、顔色を険しくした青年は美冬を見下ろす。
「あんたには言われたくない」
「言ったもん勝ちよ、おあいにく様」
子供のような喧嘩を始めた二人の仲裁に入ったのは佐久田だ。
「まあまあ、それぐらいにして。君、帰りたくないがわからなくもないけど、本当にひどい有り様なんだ。俺はお嬢様から離れるわけにもいかないから、洗い物ができなくてな。まだ衣服の心配はなさそうだが、食事はまともに取っていないんじゃないか? 頬がこけてきてるぞ」
ごみの山の中でも元気そうに見えたけど、とに美冬は口を開きかける。不要な行動を察知した佐久田が美冬を睨み、空いた口はするどい眼力を前に閉じられた。
青年は顔を青くして踵を返す。礼も挨拶もなく、背中はすぐに人混みに消えていった。
美冬は消えた背中を睨み付けて唸るように言う。
「フィンもフィンで、見つける術を持っているはずなのに探さないんだから。馬鹿よね、あの人達」
「それ――」
「わかってるわよ。馬鹿だった、て。昔の自分が目の前にいたら、同じことを言ってやるわ。聞かないでしょうけどね」
一息ついた美冬は皮肉そうに口だけで弧を描く。
「今、口に出して、気付いたぐらいよ。意地を張り続けても意味がないって。子供みたいでしょ」
仲違いをして、全てにおいて一番を取りにいった美冬は、いつも何かが足りなかった。何もせずに過ごした時間で生まれたものは虚しさだけだ。
秋人に再会した時、美冬の心に火が灯り、やっと動き始めたと感じた。秋人に気付かされるなんて、情けないにも程がある。心の中はまだ渦巻いているが、自分の心に構っている時間はなかった。
まだ、秋人は戦いの最中にいる。
できることから進めなくては、と美冬の強い眼差しが訴えていた。
意外そうな目が美冬を映す。
「やけに素直ですね」
「お前が弟のことを白状したから教えてやっているの。借りは作らない主義よ」
「感動が半減しました」
それはよかったわ、と髪を手で払った美冬は前向いて歩き出した。
⊹ ❅ ⊹
洋館は見違えるように綺麗になっていた。修繕に業者を頼んだのではと想うような変貌ぶりだ。
フィンの笑顔もいつもより数段眩しく、うっとうしく感じられる。
「いらっしゃい、美冬。張り切っていきましょう」
はいはい、と適当に返事をした美冬は両手を前に突き出した。体に巡る力を腕、掌、指先の順に集中させていく。産み出されるのは氷でできた球体だ。のみで削り出したような粗い造りの球体が黒い瓶に吸われていく。瓶の口より大きかったようで、栓をするように氷は動きを止めた。
「また失敗しましたね」
「言われなくてもわかってるわよ」
刺を含んだ返答を気にもせず、見る分には問題ないんですけどねとフィンは瓶を持ち上げた。
異能を使えないフィンは個々の異能をとことん突き詰めてから特性を見抜き、助言をしていく。
『今まで、勢いに任せて異能を使っていたでしょう』それが、美冬が異能を始めて見せた時の指摘だ。黒い瓶に納める大きさを作ることはおろか、球を指定されたにも関わらず形も
ぐうの音も出せない美冬は唇を噛みしめた。
今も歯を食い縛り、次の球を作る。
「集中力が切れてますよ。ひたすらに練習すればできるなんて考えないでください。一つ一つの反省を次に活かしてください。時間は有限ですよ」
微妙に外した調子の声が、再び訪れた美冬の慢心を的確についた。
下手な鉄砲も数撃ちゃあたるなんて言葉もあるが、美冬の異能はかすりもしていない。一つ一つに集中した美冬は歩くのも億劫なほど体力と気力を削られた。
「美冬の異能は用量がない分、扱いやすそうですね」
フィンの指摘に美冬はむっとした。誰と比べられているか、なんとなくわかるからだ。
球体を瓶に入る大きさに作ることが半分の確率でできるようになったが、形はまだ調わない。粗削りなのはもちろん、大きさばかりに気を取られると、何処かしら欠けた。反対もしかりだ。
理想とするなめらかな表面ができない。
拳を握りしめて、できたばかりの氷を睨み付ける美冬の耳に歌うような声がすべり込む。
「少ないことは欠点でもありますが、考えて使えば最強の武器です」
訳がわからないという顔がフィンに向けられた。
異能狂いは氷に写りこむいくつもの小さな自分を眺めながら続ける。
「想像してみてください。流れ落ちる滝から、湯飲みにすりきり一杯の水を入れるのと、急須から注いで同じように水を入れるのを」
前者は秋人で、後者は美冬に当てはまる。すぐに考え至った美冬は、拳を握りなおす。人と人には必ず差はできる。その差を埋めるために考え、努力し、差を埋めろとフィンは示す。
「どちらが簡単か、考えるまでもないでしょう?」
歌うように言った顔に、余裕に満ちあふれ、悠然に構える様は見下しているようだ。
できないと弱音を吐きたくない美冬は重い腕を構える。深く息を吐き出し、上げられた瞳は燃えるような闘志をたぎらせていた。
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