拾捌 洋館
研究室の扉が勢いよく開かれた。埃が舞い、積み上げられた本が崩れ落ちる。
「ここは空き家なの?」
部屋に入ってからの美冬の第一声はそれだ。
「お嬢、空き家であっても勝手に入るもんじゃないでしょう?」
「ちゃんと手紙を送って、何回も何十回も呼びかけたじゃない。勝手ではないはずよ」
返事が無くても飛び込んでいた頃を思えば、雲泥の差だと美冬は思う。
最初は令嬢らしく、従者でもある佐久田に屋敷の扉を叩かせて、次は自分も扉を叩いてみて、声をかけ、大声を張り上げてみた。全て返事はない。だから、鍵のかかっていない扉を次々と開けたのだが、常識と良識をわきまえている佐久田は真顔で指摘する。
「屁理屈も過ぎれば、横暴ですよ。人がいたじゃないですか」
佐久田は美冬を背後にかばい、何が合ってもいいように神経を研ぎ澄ませた。
「迷惑そうに言いますねぇ」
所々、調子のはずれた声と共に、部屋の奥の荷物の間から金髪がのぞいた。高い鼻の位置から推測するに、寝転がった状態から起き上がったようだ。
「はて、今日は何かある日でしたっけ?」
「手紙を送ったはずよ」
「ああ、じゃあ、その中ですね」
手櫛で、軽く髪型を整えた男は書類と筆記用具と諸々で溢れかえる机を指した。そして、ふと沸いたように、見違えましたね、とこぼす。
「岩蕗家のご令嬢でしたか」
「ごきげんよう、ミアカーフ卿」
「フィンでいいですよ、長いですから」
「その方が勝手がいいわ。私のことは美冬とお呼びなって」
フィンは眉を上げて、佐久田の方に視線を送った。
佐久田は肩をすくめて、面倒そうに名乗る。
「佐久田匠です。おまけですから、そのように扱ってください」
「佐久田さん、よろしくお願いします」
邪気のない笑顔に佐久田は辟易とした笑顔で、どうもと答えた。
自己紹介も終え、部屋の隅から隅まで一望した美冬は気になって仕様がないことを口にする。
「余計なお世話でしょうけど、もう少し、部屋を小綺麗になさるとよろしくてよ」
書類の山、道具の山、本の山。中身は違えど、山や丘が並び、壁際の棚からは山崩れのような痕跡が残っている。足の踏み場はもちろんないので、扉を開けた時にできた空間が唯一床が見える場所だ。
他の部屋は殺風景なほどだったので、何日で出来上がったのか定かではない。
フィンは自分の上にのった書類を寄せ、天気の話をするように答える。
「片付けが苦手なんですよ。こっちを片付け始めたら、あっちもそっちも気になって。の、結果がこれです。世話する者も家出をしてしまって」
「どうして、そうなるのよ」
家庭内の領分であると美冬も頭の端で考えたが、思わず問いをぶつけてしまった。あまりにもフィンがあっけらかんと言うからだ。
そばにあった書類の中身を確かめながら、変わらない様子でフィンは答える。
「今後の予定を話したら、ふざけるな、ですって。若いですねぇ」
何処をほっつき歩いているのでしょうね、と歳の読めない顔はぼやいた。
美冬には数年前も今も同じように見える異邦人に呆れて言葉も出ない。
摘まんでいた紙を山の中へ放り投げたフィンが立ち上がる。佐久田の背中に緊張が走るが、探し物をしているだけのようだ。作業する傍ら、おざなりに調子の外れた音が響く。
「そんな感じでして、私、忙しいのですよ。葛西さんのこと以外なら、何だってお答えしますから、手短かにお願いします」
「……秋人は、ここで世話になっていたの?」
手を止めたフィンは少しだけ考える素振りを見せて、こてんと首を傾けた。目は書類に向けたまま、質問の意図がわからないと書いた顔で頷く。
「そうですね、つい最近まで来てましたよ」
秋人は岩蕗家を出ても、戦地に赴くまではフィンの所に顔を出していたということだ。
美冬は秋人が離れていた間、どう過ごしているのか考えたこともなかった。そういえば、好きな食べ物も、嫌いな食べ物も、色も、遊びも聞いたことがない気がする。離れていた以前の記憶にもない。今までに感じたことのない寂しさが心の中を吹き抜けた。
客の存在を思い出したように顔を向けたフィンは安心させるように微笑む。
「帰ってきたら、また会えばいいじゃないですか。戦争に勝っても負けても、彼は必ず帰ってきますよ」
「ただ待つだけなんて、もうたくさんなのよ」
美冬は前の戦争で懲りた。母を亡くし、父もいなくなるかもしれないという恐怖は何をしててもずっとついてくるのだ。だから、待つのは嫌いだ。
心底、不思議そうに瞬いたフィンは美冬を真っ直ぐに見つめて訊ねる。
「戦場に行きたいのですか?」
「行きたい、行きたくないという問題ではないの。待って守られるだけ、というのが我慢ならないだけ。戦わなくとも、助けることはできるはずよ」
「罪滅ぼし、というやつですか」
「誰が罪を犯したというのよ」
とんちんかんな返しに美冬の瞳は鋭くなった。
悪びれることないフィンは楽しげに言い換える。
「では、お礼参りですね」
「わざわざ戦場に行って、秋人を痛めつけろと言うのね」
「使い方、間違えてます?」
はは、と悪びれなくフィンは笑って言った。
そうね、と全面肯定して美冬は今までに考えていただけのことを口にする。
「罪滅ぼしでも礼をしたいわけでもない。私はやりたいことができるように、足掻いているだけよ」
美冬の顔は、文句があるかと構えていた。もう幼い頃の自分ではない。我が儘か、そうではないかという領分はわきまえているつもりだ。
目を閉じたフィンは沸き上がる笑みを口元にのせ、ゆるゆると振る。もったいぶるように瞼を開き、まっすぐな令嬢を青い双眸に写した。
「葛西さんが貴方にこだわる理由がわかった気がします」
私も酔狂ですね、と息を吐いたフィンは、ソファの手置きらしき山に腰かけた。足を組み膝に組んだ両手を添える。興味のない態度を改め、美冬と向き合った。眩しいものを見るように春の空を切り取ったような目を細め、歌うように続ける。
「協力は惜しみません。何なりと申し付けください」
フィンの一挙一動を眺めていた美冬は本来の目的を口にする。
「異能を学ばせていただきたいわ。よろしくお願いね、フィン」
高飛車な物言いに気分を害す所か、可笑しそうに笑い声をもらすフィンはおもむろに黒い瓶を取り出した。
物の場所がわかるのかと呆れていた美冬は目を見開くことになる。
瓶の中で、白い炎が揺れていたからだ。
「葛西さんも律儀な人ですよね。お礼の代わりに何か困ったら、これを使えと残していってくれました」
呼応するように、瓶をほの白く照らす炎が揺れる。自分から切り離された異能が能力者の意思で力を維持できるなんて初耳だ。佐久田の息を飲む雰囲気で、美冬の目に写るのものが幻ではないと感じられた。
両手で収まりそうな白い炎は永遠に消えそうにない。
興味深く観察する瞳が美冬に向けられる。
「彼と対等になりたいのであれば、努力が必要ですよ?」
「対等ではなく、勝ちたいのよ」
負けず嫌いの令嬢は、腰に手をあて言い放つ。
小気味いい返事に気分をよくしたフィンは山の中からもう一つの瓶を取り出した。
「では、早速始めましょうか」
開始の一声は、食事を始めるようななめらかな口ぶりだ。
片付けることになるだろうと肩を落とした佐久田に、二人は気付かなかった。
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